7 最後の友だち、最初の友だち

「来生ちゃんに関する情報が極端すぎたんだ……」


 鶯岬デンパ塔に着き、ソファに寝かせた来生ちゃんの姿を見つめながら早乙女が言った。


「来生麻美ちゃんには入学直後から何か不思議なものを感じていた。少し異界の匂いがしたんだ。それは祓い屋としての勘かもしれない。だから彼女のことを調べているうちに、十年前の土石流にたどり着いた」


「情報が極端すぎたってどういうことだ?」


「簡単な話だよ。彼女のことをめちゃくちゃ明るいと言う人もいれば、めちゃくちゃ大人しいと言う人もいる。もちろん誰にだって二面性はある。だけど彼女の場合、それが極端すぎた。まるで二つの異なる人格が一つの体に同居しているかのような」


「……」


「それからちょっとしたコネクションを使って、彼女たち姉妹が幼稚園の時の先生にも話を聞いた。すると来生麻美ちゃんと来生歩美ちゃんは双子であるにもかかわらず完全に真逆の性格だった」


「つまり……麻美ちゃんは活発で、歩美ちゃんは大人しいってことか……」


「すべてが繋がるまで時間はあまりかからなかった。ギザミ山に黄泉比良坂の御扉があることは、民俗学研究部の先輩が残した地図で知っていた。そしてそこに建ったオランダ風車が言葉を話すというウワサもすぐに知った」


「何故、そのことをオレに言わなかった?」


「それに関しては本当に申しわけなかったと思ってる。だけど水口が何も知らなかったおかげで、すべては円滑に進んでいった。歩美ちゃんは入れ替わった時、このことを私たちに内緒にしてても良かったんだ。だけど水口の存在が彼女にそれを告白させた」


「いや。それは違うな、早乙女」


「そう?」


「あぁ。来生麻美ちゃんも来生歩美ちゃんもきっとこれが良くないことだとわかっていた。そして二人もまた、そろそろ疲れていたんだ。一つの体を、二人で共有することに……」


「……水口くんの言う通りだよ」


 いきなり、ソファからそんな声が聞こえた。

 オレと早乙女はそちらに首をめぐらせる。

 来生ちゃん――つまり姉・来生麻美がソファから体を起こそうとしている。

 まだあまり体に力が入らない様子の彼女を早乙女が支えた。


「二人はもう知ってるんだよね?」


 来生麻美がなんとかソファにもたれかかる。


「そう……私は来生麻美。つまり十年前の土石流で死んだ姉の方だよ。今は妹・歩美の体を借りている」


 来生麻美がそう言って、顔を覆う。

 その姿にいつもの明るさはまったくなかった。


「オランダ風車に行こうって早乙女さんに誘われた時、私は『ついに来たか』って思った。この人は普通じゃない。この人は私たちの秘密に気づいてる。そしてこの人は――きっと私たち姉妹を正しい方向に導いてくれる、って」


「じゃあアナタ、覚悟はできてるの?」


「覚悟? そんなものはないよ」


 来生麻美がかすかに微笑む。


「だけどこの体は私のものじゃない。これは妹・来生歩美のものだ。私がここに居座るのは間違っている。私はずっと妹のやさしさに甘えて、土石流以降の人生をいっしょに歩ませてもらった。結果、妹の人生はフツーの人の半分になってしまった……」


「そして今、妹の歩美ちゃんはオレたちにウソをついてまで、自分の肉体をお姉ちゃんに譲ろうとしている……」


「あの子はね、昔からそういう子なんだ。いつだって、私に何かを譲ってくれていた……」


 遠い目で、姉・来生麻美が言う。

 妹のことを慈しむように。


 来生麻美は自分が死んだことを自覚している。

 そして妹の人生の半分を奪ってしまったことをとても申しわけなく思っている。

 何も言えないオレを見て、来生麻美は例の子どもっぽい笑顔を向けた。


「でも私、幸せだったよ。本当は小学校にも上がれない人生だったんだ。それが高校まで入学することができた。そして水口くんや早乙女さんと、こうして知り合うことができた。歩美に、妹に大感謝だよ」


「アナタの気持ちはよくわかったわ」


 早乙女が来生麻美の横から立ち上がる。

 部室の窓辺に寄り、窓を少しだけ開けた。

 海からの新しい風が室内をめぐっていく。

 キラキラと輝く青い海を背景に早乙女が続けた。


「でもアナタの妹・来生歩美ちゃんは、自分の人生がフツーの半分になっても、出来る限りのところまでアナタといっしょに生きていきたかったんだ。やさしい子だよ、彼女は。そしてなによりお姉ちゃんのことが大好きなんだ」


「早乙女さん……」


「アナタたちは最高の姉妹だった。最高の姉妹には、私が最高のエンディングをプレゼントしてあげたい」


「ありがとう……」


「水口」


 ソファで泣きはじめた来生麻美ちゃんに頷き、早乙女がオレに顔を向ける。

 その表情はいつもと変わらないゲスなわがままJKに戻っていた。


「資料館で秘密道具を見つけた。それで来生麻美ちゃんの遺体を探そう」


「お前のその心意気に水を差すようで悪いが、それは……使えるのか?」


「使える。間違いない」


「お前の自信にいつも欠けている、その根拠は?」


「さっきも言ったでしょ?」


 早乙女が空気の入れ替えを終え、窓を閉めた。

 ヤツの長い黒髪が、鳥が舞い下りるようにフワリと自然に整っていく。


「十年前、あの土石流の際、民俗学研究部の先輩たちは来生麻美ちゃんを探すためにある道具を作っていた。だから先輩たちに任せれば彼女の遺体はすぐに発見できたんだ。だけど当時の状況がそれを許さず、道具だけがずっとこの鶯岬デンパ塔に眠っている」


「先輩たちが、来生麻美ちゃんを発見する道具を……」


「水口。もう一度、ダメオヤジを呼んで」


「ダ、ダメオヤジ? って、タクシーか?」


「そう。これからギザミ山に向かう。来生麻美ちゃんの遺体を探すんだ。そして来生歩美ちゃんを救う。たぶんもう時間がない」


 早乙女が顔を上げた来生麻美に続ける。


「アナタにももちろんついてきてもらうわ。アナタの魂と肉体を繋ぐ糸は切れてしまった。だけど近くに行けばアナタにはまだそれとわかるはず。ずっと人生を半分分けてくれていた妹のために、なんとかアナタの遺体を見つけ出そう」


「もちろんだよ。ありがとう、早乙女さん。私たちのために……」


「は? 何言ってんの?」


 早乙女が部室のドアに歩いていく。

 オレと来生麻美を振り返った。


「アナタと私はもう友だちでしょ? 水臭いこと言わないで。私は友だちのためなら何だってやるわ」


「早乙女さん……」


 ヤツの言葉に、来生麻美がまた目頭を押さえた。

 オレもなんだかウルッとくる。


「私は来生麻美の最後の友だちになる。そして来生歩美の最初の友だちになる」


「さ、早乙女……」


 オレはもう完全に涙をこぼしながら早乙女に近づいていく。

 早乙女、お前やっぱ、善いヤツだよ……。

 来生歩美ちゃんが言ってたように、お前はやっぱり善いヤツだ……。


 オレはそんな早乙女を抱きしめたいと思った。

 男女としてではなく、仲間として、ヤツの深い人間性を讃えてやりたいと思った。


 早乙女、オレ、お前を見直したよ……。

 オレ、今ならホント、お前のことを好きになってしまいそうだ……。


「ってなわけで、水口。その茶番くさい涙をぬぐって大至急おにぎりを作りなさい。具は全部バラバラで。ふりかけは絶対に許さない」


「台無しだな、お前……いや、マジで……色々と……」


「正午までにはギザミ山ふもとに到着する! 麻美ちゃんは私といっしょに資料館に来て! 秘密兵器の準備をするよ!」


 そう宣言すると、早乙女は来生麻美を連れて部室を出ていった。

 オレはため息をつきながらタクシー会社に電話し、ティッシュで涙を拭う。

 綺麗に手を洗った。


 冷凍庫に保存してあるごはんを取り出し、電子レンジで解凍する。

 具は梅干しやコンブの佃煮、シーチキン缶のツナマヨで十分だろう。

 早乙女は、まぁ、ツナマヨがあれば文句を言わないだろうし、海苔を巻いておけばとりあえず納得する。

 単純なのだ。


 激熱なおにぎりを握りながら、オレは思う。

 十年ぶりに来生麻美ちゃんの肉体がこの世界に戻ってくる。

 悲しいことにそれは遺体だが、戻ってくることに間違いはない。

 来生姉妹は十年の時を越え、それぞれのあるべき肉体に戻るのだ。


 それは一体どんな感覚なのだろう?

 仲の良い双子の姉妹の、とても悲しいストーリー。


 だけどオレたちはきっと間違ってはいない。

 あるべきものをあるべき場所に帰す。

 それがおそらくこの現世の正しい未来へと繋がっていくのだと思う。

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