6 血色が良いカナブン
翌朝、デンパ塔に行くと、彼女たちはすでに広場に立っていた。
二人並んで、静かに海を見つめている。
少し肌寒い岬。
古い元灯台。
その横で風に吹かれている美少女二人の踊る髪。
絵になった。
「おはよう」
オレが声をかけると、彼女たちが振り返る。
昨日とまったく変わらない二人だった。
「おはようございます、水口さん」
「おはよう、水口。タマゴサンドは?」
「買ってきた」
オレは来る途中のコンビニで買ったビニール袋を掲げる。
早乙女が納得したように「うむ」と頷いた。
「水口が腕によりをかけて買ってきたタマゴサンドが届いた。準備は万全だ。あとは水口が七十年代Fラン山岳部の衣装を着ればいつでも出発できる」
「なんでまたあれを着るんだよ」
「あ、来た! さぁ行くよ、二人とも! お~い、ダメオヤジぃ~!」
ダ、ダメオヤジ?
早乙女が満面の笑顔で手を振り、広場を駆け出していく。
デンパ塔のフェンスの向こう、国道の方を見上げると、昨日のタクシー運転手のオジサンがこちらに向かって手を振っているのが見えた。
またあの人のタクシーに乗るのか?
って言うか、あの人、なんでダメオヤジと呼ばれて笑顔なんだ?
早乙女は誰にだって失礼すぎる。
もしかしてこれは、絶世の美少女JKだから許される無礼なのか?
タクシーに乗ると、ギザミ山には十分程度で到着した。
昨日七十年代Fラン山岳部衣装で自転車を漕いだオレは一体何だったのか?
ギザミ山公園入口に止まったタクシーを降りると、早乙女が運転手さんに言う。
「一時間後、また迎えに来てよ」
「わかった。一時間後だね」
「あのね、オヤジ。一時間後に会う私は今よりもっと輝いてるよ♪」
「ははははは。そりゃあ楽しみだ」
若い女の子に話しかけられて嬉しいのか、オジサンはニヤケながらギザミ山を下りていく。
早乙女が言うように、たしかにあの人はダメオヤジなのかもしれない。
何だ、あの鼻の下が伸びきったスケベ面は。
タクシーを見送る早乙女の隣に、オレは並ぶ。
「なぁ、早乙女」
「何?」
「お前、あれか? 一時間後には、今よりもっと輝いてんのか?」
「そりゃあ輝いてるよ。ウソじゃない。水口も今日は輝いてるね。テカテカしてる」
「テカテカしてるか?」
「テカテカしてる。血色が良いカナブンみたいにテカテカしてる」
「血色が良いカナブンってどんなのだよ」
「テカテカしてる」
「何回テカテカ言うんだ、お前」
オレたちのやり取りを見ていた歩美ちゃんがクスクスと控え目に笑う。
オレと目が合うと、彼女はハッと口元を押さえた。
「あ、いえ、ごめんなさい。水口さんと早乙女さんって本当に息がピッタリなんだなって思って」
「勘弁してよ。コイツといるとオレはいつだって息がグッタリしてる」
「ほら。カナブン、歩美ちゃん、行くよ。オランダ風車が喋るまで、もう時間がない」
そう言って、早乙女が歩きはじめた。
オレと歩美ちゃんは、ヤツの後ろに続く。
彼女のことが気になって、オレは恐る恐る訊いてみた。
「あ、あのさぁ……歩美ちゃんは、その……もうココロの準備はできたのかな?」
「はい。できました」
「ご両親にはホントにお別れしなくてもよかったの?」
「はい。親は私に何も期待していません。昔っから姉の方が重要だったんです。それに早乙女さんが仰ったように、十年前にとっくにお別れは済んでますから」
「そっか……じゃあ、仲の良かった友だちとかは?」
「私、そういう人、いたことがないんです。姉にはたくさんいたようですけど……」
「歩美ちゃんって、もしかして、その……友だちがいなかったの?」
「はい。いなかったです。何と言いますか……私は姉と違って人付き合いがちょっと苦手で……」
「そっか……でも最後の最後に、オレ、キミと友だちになれて良かったよ」
「え?」
「そりゃあたった一日だけだったけどさ、オレとキミはもう友だちだよ。だって誰にも知られてないこの不思議な状況を共有してるんだぞ? それは、もぉ、友だちじゃないとできないことだよ」
「水口さんと、私が、友だち……」
「あぁ。良かったら、あのゲスいバカ女も仲間に入れてやってくれよ」
オレが指差した先で、早乙女が小学生の悪ガキみたいに大暴れしている。
オランダ風車のラウンドハウスのドアを開け、中に入り、アチコチの物を触りまくりながら「こ、こんなクソみたいな展示物に、我々の血税がぁ!」とかなんとか大いに喚き散らしていた。
オレと歩美ちゃんは、それを眺めながらベンチに座る。
早乙女は放置し、二人揃って目の前のオランダ風車を見上げた。
オランダ風車は風に任せて今日もゆっくりと回転している。
相変わらずミシミシと音が聞こえるが、今すぐ壊れるといった感じはない。
「何だ、ユーたち? ちょっと
無駄に元気な早乙女が、オレたちの間にめり込んできた。
腕時計を見ると、九時五十分になっていた。
時はあっという間に通り過ぎていく。
歩美ちゃんが現世にいられるのも、あと十分だった。
「早乙女、お前さ、もうちょっと気を使えよ。歩美ちゃんが現世にいられるのもあと十分なんだぞ?」
「は? どういうこと? 私にどうしろって言うの?」
「いや、お前みたいなバカには多くを求めないけどさ。もっと、こぉ、静かにしろよ。歩美ちゃんだって、色々と現世のことをジックリ思い出したいだろ?」
「水口ね、そういうのはもっと早く言いなよ。そういうジメジメ感が欲しいんなら、もっときちんとした黒い洋服着て白いハンカチを歯で引っ張る準備をしてきた」
「なんで茶化すんだよ、お前。さぁ、歩美ちゃん。こんなアホは放っておいて、タマゴサンドを食べよう」
オレはコンビニのビニール袋からタマゴサンドを取り出し、歩美ちゃんに差し出す。
彼女は消えるような微笑みを浮かべて、それを受け取った。
「いただきます」と包装を破りはじめる。
早乙女がそれを見てオレに手のひらを突き出してきた。
「水口、私のは?」
「あぁ。ほら、これだろ?」
「え? カ、カツサンド! なんで私だけ、カツサンド!」
「お前はいつだって朝からガッツリじゃないか。イヤならオレのタマゴサンドと換えてやるけど?」
「いや、これでいいっス。むしろ、これがいいっス」
カツサンドを受け取り、早乙女が包装をむしり取る。
ガツガツと食べはじめた。
オレはどこかの原住民にチョコレートでもプレゼントしたような気分でそれを眺める。
すると――ふとどこからか小さな泣き声が聞こえてきた。
身を乗り出して早乙女の向こう側を見る。
歩美ちゃんが、泣いていた。
「あ、歩美ちゃん?」
「ご、ごめんなさい……」
歩美ちゃんが涙をぬぐう。
オレはそんな彼女をただ黙って見ていることしかできなかった。
やがて落ち着いた歩美ちゃんが、なんとか笑顔を作ってみせる。
「すいません。水口さんと早乙女さんのやりとりがホントに面白くて。その、羨ましくて……」
「歩美ちゃん……」
「私、この現世の最後の最後で幸せでした。なんとかギリギリで水口さんのお友だちにもなれたし」
「う、うん……でも……歩美ちゃんが黄泉に行くって、なんだかオレも少しさみしいよ……」
「早乙女さんは――私のお友だちですか?」
歩美ちゃんが早乙女に訊く。
オレは早乙女が「友だちだよ」と言うと思った。
でもヤツは言わなかった。
ただ隣に座った歩美ちゃんを見つめ、冷たく、淡々と、ものすごくフツーのことのようにあっさりと返す。
「友だちなわけがないよ。たった一日で誰かと友だちになれるだなんて、そんなの水口みたいなドリーマーにしか見れない単なる夢物語だ」
「早乙女!」
オレは早乙女の肩を掴む。
お前、なんてこと言うんだ!
こんな時に!
オレはそう言いたかった。
でも言えなかった。
次の瞬間――あれが訪れたからだ。
たった今までギザミ山公園に吹いていた風がピタリと止んだ。
一気に空が曇り、オレたちの周囲に例の不吉な黒い霧が漂ってくる。
ウォォォォォォォン。
どこからか山鳴りのような低い音が響いてきた。
腕時計を見る。
十時だった。
オランダ風車のウィッチング・アワーが始まっていく。
低く続く山鳴りの中、昨日と同じように地面が揺れた。
しかも今回は昨日より激しい。
オレはサンドイッチを置き、ベンチにしがみつく。
「あ、歩美ちゃん!」
同じようにベンチにしがみついた歩美ちゃんの体をなんとか支える。
歩美ちゃんは、そんなオレにわずかな微笑みを浮かべてくれた。
何かを吹っ切ったかのように穏やかに頷く。
「水口さん、ありがとうございました。私、この現世で、最後の最後に一番楽しい夢が見れたような気がします。カツ丼もサンドイッチもとっても美味しかったです……」
「そ、そ、そんなことどうだっていいよ! あ、歩美ちゃん、あの、黄泉に行っても――」
「さようなら、水口さん。姉のこと、よろしくお願いします。早乙女さんも、色々とありがとうございました……」
歩美ちゃんが早乙女に言う。
だが早乙女は彼女に顔を向けることもなく、冷たく返す。
「アナタの命日には、ここにタマゴサンドを持ってきてあげるよ。まぁ、それも数年経ったらメンドくさくて忘れちゃうんだろうけどね」
「早乙女! お前!」
オレは早乙女に掴みかかろうとする。
だけどそれは歩美ちゃんが全力で制した。
次の瞬間、歩美ちゃんがオレの胸に思いっきり顔をうずめてくる。
オレは「え……」と硬直するしかなかった。
「お友だちだぁ……私の初めての、お友だちだぁ……」
そう呟いた直後、歩美ちゃんの体が一瞬にして力を失った。
オレは脱力した彼女をなんとか抱きしめるしかない。
その時、昨日と同じように古い日本家屋の扉が開くような音が聞こえた。
ギィィィィィィィ。
黄泉比良坂の御扉が、開いた、のか……。
『そっちでいいんだね?』
例の森の精霊のような野太い声が周囲に響いた。
オレはいつの間にか回転を止めているオランダ風車を見上げる。
オランダ風車はオレたちを見下ろし、モッタリとした口調でもう一度繰り返した。
『本当に、そっちでいいんだね?』
その言葉と同時に、昨日と同じように実にあっさりと地震が終わっていく。
なんとか鎮まった地面を踏みしめ、オレは歩美ちゃんの体をベンチの上に横たえた。
今、確実に黄泉比良坂の御扉が開いた。
ということは、ここで気を失っている女の子は、歩美ちゃんではなく、来生麻美、つまり天真爛漫なお姉ちゃんの方になる。
オレたちはここで姉・来生麻美ちゃんの帰還を喜ぶべきだった。
だけどその前に、その前に、その前に、オレには言わなくちゃいけないことがある。
どうしてもこれだけは言わないと気が済まない。
「早乙女ぇ!」
オレはその場に立ち上がり、偉そうにベンチで足を組む早乙女を怒鳴りつけた。
「お前、なんであんなひどいことを言った! 歩美ちゃんは……歩美ちゃんは、お前のことが好きだったんだぞ! 昨日だってオレと話した時、お前のようなゴミクズ女を『善い人だ』って言ってたんだ! それを……それをお前……最後の、最後に!」
「……」
「お前、ホント、サイテーだな! 今度という今度はお前にはもうマジで愛想が尽きたよ! オレは民俗学研究部をやめる! お前なんか、もう絶交だ! バーーーーーカ!」
「――だ」
「はぁ? 何だ? 言いたいことがあるならハッキリ言え! もう取り返しがつかないけどな! 歩美ちゃんはお前に傷つけられたまま、黄泉に行っちまった! もう二度と、何も取り返せない!」
「これは来生歩美が自分で決めたことなんだ!」
早乙女がベンチから立ち上がり、いきなりオレの胸倉を掴んでねじり上げる。
あまりにも突然の出来事に、オレは「ゑ……」と全身を硬直させた。
「水口! アナタまだ気づかないの!」
「気づかないのって、何がだよ!」
「はぁ? バカなのか、お前? あぁん? バカなのか? あぁ、いや、バカだった! お前は心底、完膚なきまでにバカだった! このスットコドッコイが! お前が死ね! 歩美ちゃんの代わりにお前が死ね! 今すぐ死ね!」
「だから、何だっつってんだよ!」
「今ここのベンチで寝てるのは、来生歩美の肉体! 十年前に亡くなったのは、来生歩美ではなく、姉の来生麻美だ!」
「え……」
「そして今、来生歩美は、自分の肉体の中に姉・来生麻美の魂を入れた! 自分が生きているより、お姉ちゃんが生きていた方がずっといいってね!」
「そ、それって……」
「そんなヌケ作な顔してる場合か! 今からこの肉体をデンパ塔まで運ぶ! そして作戦を練る! いい、水口? オランダ風車はたぶんまだ最終決定を下してはいない! でもこの状態が続けば、来生歩美の魂は永遠に黄泉に留まることになる! もう時間はあまり残されてはいない!」
「じゃ、じゃあ……じゃあ、どうするんだよ……」
「掘り返すんだ! このギザミ山のふもとのどこかを! そこには必ず死んだ姉・来生麻美の亡骸が埋まっている!」
「い、いや、ちょっと待てよ……十年前の必死の捜索でも見つからなかったんだぞ? それをお前、オレたちのようなド素人が……」
「はぁ? ド素人? 私たちの一体どこがド素人なの?」
「ド素人だろ! って言うか、いつもお前は根拠なく、何故そんな不思議な自信を――」
「根拠はある! 私たちは民俗学研究部! 十年前だって、私たちの先輩に頼れば来生麻美の遺体はすぐに発見できた!」
「手は、あるのか?」
「ある! そのための民俗学研究部だ!」
早乙女がベンチに横たわった来生ちゃんの姿を見つめる。
とてもやさしい、だけど悲しい瞳で見つめる。
「掘るんだよ、水口……掘って、来生麻美の遺体を発見し、魂をあるべき場所に帰すんだ。そしてたった今黄泉に消えた来生歩美ちゃんの魂を必ずこの肉体に戻す」
「早乙女……お前……」
「アナタがやらないのなら、私一人でもやる。私と来生歩美ちゃんは、今は全然友だちじゃない。これから――友だちになるんだ」
そう言って涙をこらえている早乙女をオレは黙って見つめていた。
もしかしたら……間違っていたのはオレかもしれない。
いや、きっとオレの方が間違っていた。
オレはドリーマーだ。
いつだって甘い夢を見ている。
友だちなんて、一日じゃ絶対に成立しない。
長い時間をかけて、笑い合い、怒り合い、許し合い、人は友だちになっていく。
だからきっとオレと歩美ちゃんはまだ友だちじゃない。
これから、友だちになっていく。
だからそのために――オレたちは、来生麻美の遺体を見つけなければならない!
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