5 コンビニのタマゴサンド

「ここは素敵な場所ですね」


 夕暮れ時。

 オレと来生ちゃんF、つまり死者・来生歩美は鶯岬デンパ塔横の広場を散歩していた。


 早乙女は先輩たちが残した不思議グッズで何か役に立つものがあるかもしれないと、資料館を探索している。

 たぶんこの間の虫取り網みたいなものを求めているのだろう。


 まだ発見されていない来生歩美の遺体。

 それを探すための道具。

 この鶯岬高校に入学して二ヶ月。

 まさか十年前に亡くなったロリの遺体を探すことになるとは夢にも思わなかった。


「来生歩美は自分が帰るべき肉体を見失ってしまったんだ」


 デンパ塔から出る前、来生歩美がトイレに行っている隙に早乙女が言った。


「本来であれば、死者の魂は動かなくなった自分の肉体に戻り死を自覚する。そして成仏するんだ。だけど来生歩美はそのあまりにも突然の死によって、生き残った姉・来生麻美の肉体に入ってしまった。そして来生麻美の肉体もそれを受け入れてしまったんだ。彼女たちはもともと双子だから肉体の組織は酷似している」


「じゃあ来生歩美の本当の肉体を見つけ出せば……」


「来生歩美の魂は自分の肉体に戻り、自らの死を受け入れる。そこからはフツーと同じだよ。成仏へまっしぐら」


「しかし……なんだってそんなことが……」


「すべては黄泉比良坂の場所にオランダ風車を建てたことが原因だ。あれがあそこに建てられたことによって現世と黄泉のバランスが崩れ、記録的な大雨を引き起こした。結果、土石流が発生し、幼い命が失われた」


「でも……遺体が見つからない死だってあるだろ? 雪崩とか、海難事故とか」


「それについてもあの場所のせいだよ。本来魂と肉体は見えない糸でつながっている。だから遺体が見つからなくても、魂はなんとか自分で肉体までたどり着けるんだ。でも当時のギザミ山ではそれさえ不可能だった」


「オランダ風車か……」


「うん。あれが建てられたことによって、ある種の霊脈が乱れた。コンパスを無くした大海原と同じだよ。どこに行ったらいいのかわからない。魂ですら己の肉体を見つけることができない」


 オレたちはこれからギザミ山のふもとを捜索し、十年前に土石流で死亡した来生歩美の亡骸を見つけ出す。

 そしてそれが――今オレの隣で気持ち良さそうに風を受けているJKの遺体であるとはなんだかとても不思議な感じだった。


「あの、水口さん」


 ボンヤリと海を見ていた来生歩美が突然オレに顔を向けてくる。

 天真爛漫な姉・来生麻美とは違い、なんだか気弱そうな表情だった。


「ん?」


「あの、姉は……来生麻美は、いつもどんな感じですか?」


「どんな感じって?」


「日常生活のことです」


「あぁ。キミのお姉ちゃんは……そうだな、高一とは思えないくらい無邪気な女の子だよ。いつも明るくて元気。男子人気は学年ナンバー2だ」


「ナンバー2? じゃあナンバー1は早乙女さんですか?」


「まぁ、激苦ドリンクを飲み干した直後のような顔で、それは認めざるを得ない。なにしろ、まぁ、あのルックスだから」


「早乙女さんはものすごい美人ですものね……」


「でもオレの予測だけど、もう少ししたらキミのお姉ちゃんがナンバー1になるんじゃないかな? 高校に入学して二ヶ月。そろそろみんな早乙女のロクでもない本質に気づきはじめている。卒業する頃には購買部のオバサンより順位が下になってるはずだ」


「早乙女さんは善い人ですよ」


「歩美ちゃんは――って、あの、歩美ちゃんって呼んでいいかな? 同じルックスだから、お姉ちゃんと区別がつかないし」


「あ、はい。それでお願いします」


「じゃ、えっと歩美ちゃんは――もしかしてちょっと変わってる?」


「え? 私、変わってますか?」


「いや、早乙女を『善い人』って言う人、初めて見たから……」


「いえ。私、そういうの、わかるんです」


 歩美ちゃんがどこかに消えていきそうな儚さで微笑む。

 その表情にオレは一瞬どうしたらいいのかわからなくなった。

 どこか……これっきりになりそうな笑顔だった。


「まぁ……歩美ちゃんはなかなか霊的な存在だからなぁ。もしかしたらそういった見極めもオレらよりできるのかもしれないね」


「はい。根は善い方です、早乙女さんは」


「でもね、歩美ちゃん。この現世では『根は善いヤツなんですよ』ってのは、あんま機能しないんだよ。土の中の根っこの部分なんて誰にも見えない。人に見えるのは地面から伸びた茎から上の部分だけだ。人の評価はそれで決まるし、きっとそれが正しいんじゃないかな?」


「なるほど。それは、そうかもしれませんね……」


「ましてやアイツの場合、茎から上がドロドロに腐りきった毒花どくばなだからね。なにしろアクが強い。アイツはたぶん将来的に、金持ち老人への結婚詐欺か何かで捕まると思うよ」


「ふふふ」


「何?」


「私にはわかります。水口さんはそんなことを仰いながらも、早乙女さんのことをとても信頼していらっしゃる」


「信頼? オレが? アイツを? いや、それは無いな。歩美ちゃんは知らないんだよ。アイツはホントにビックリするくらいのド外道なんだ。せっかく並べた完成間近のドミノに、横から突然現れて息を吹きかけるタイプ」


「いいな……」


「何が、いいのかな?」


「私もこの世界でこのままずっと生きていけたなら……そんな仲の良い友だちが欲しかったです……」


「仲は、それほど良くないと思うけど……」


「水口さん」


「ん?」


「私、明日オランダ風車に行こうと思うんです」


「え? なんで?」


「この体は、やっぱり姉のものです。私はもう死んでいます。本来この体を使ってはいけないんです。だからそれを明日オランダ風車に言おうと思います」


「それはつまり……キミが黄泉に行くってこと?」


「はい」


 来生歩美が静かに海を見つめる。

 おだやかな夕凪が鶯岬デンパ塔の広場に訪れていた。


「でもそのためにはキミの遺体を見つけてキミが死を自覚しなければいけないんじゃないの? そうでないと、根本的な解決にはならないんじゃ……」


「たとえそうであっても、私はもう死んでるんです。この体を自分のもののように使ってはいけない。これは姉が使うべき体です。姉の人生は、姉の肉体で、姉自身が送るべきです。私は姉のやさしさに甘えて、これまでずっと……」


 来生歩美が顔を覆い、その場で泣きはじめる。

 どうしたらいいのかわからず、オレはその場でオロオロするしかない。

 そんな状況を救ったのは、まさかの人でなしだった。


「アナタの心意気はしかと受け取ったわ、来生歩美さん。いいでしょう。明日もう一度オランダ風車に行こう。そしてもう一度お姉さんの魂と入れ替わるんだ。週休二日万歳」


 早乙女がこれ以上ないドヤ顔でオレたちの後ろに立っていた。

 オレは突然登場した厄介なヤツになんとも呆れたため息をつく。


「なんでお前が大岡裁きなんだよ? これはめちゃくちゃ大事なことなんだぞ? おまけに歩美ちゃんとお姉ちゃんが今入れ替わったところで何の解決にもならないじゃないか」


「水口の言うことにも確かに一理あるわね。よぉし、わかった。そんなわけで、水口。明日のお弁当、よろしく」


「何ひとつわかってないだろ、お前。ってか、また食うのか? いいだろ、べつに! コトが終わってからデンパ塔で食えば!」


「はぁ……何だろ、このフンコロガシ……」


「誰がフンコロガシだ! 弁当ドカ食いした後にカツ丼要求するお前の方がどう考えたっておかしい!」


「ちゃんとココロをこめて作ってあげなよ。なにしろ来生歩美ちゃんが現世で食べる、最後のお弁当になるかもしれないんだから」


「あ……」


 早乙女に言われ、オレは全力でハッとした。

 来生歩美が涙をぬぐいながら、なんとかその場で微笑みを作る。


「ごめんなさい、水口さん。いいんです、私。さっき美味しいカツ丼をいただきましたから……」


「あ、いや、ごめん……あの、気がつかなくて……」


「水口、明日は重箱、三段に決定だ」


 早乙女が不思議な威厳でオレに続ける。


「巻き寿司の段、各種煮物の段、それから唐揚げとミートボールの段。んでもって、あ、エビ! エビは入れてよね! エビは必須! それからフルーツは――」


「昭和の運動会かよ。おまけになんでお前が弁当の構成を決める?」


 ため息をつきながら、オレは来生歩美に顔を向けた。


「あの……歩美ちゃんは何かリクエストとかあるかな? なんか、こぉ、現世で最後に『これだけは食べておきたい!』ってものがあったら……」


「い、いいんですか?」


「うん。何でも言ってくれよ。何? 現世の最後に、何を食べたい?」


「コンビニのタマゴサンドです」


 その瞬間――鶯岬デンパ塔の広場に乾いた風が吹いた。

 さすがの早乙女も、貼り出された合格発表に自分の受験番号が見当たらない学生のような顔で、呆然とその場に立ちつくしている。


 オレは今……ものすごくやる気になっていた……。

 来生歩美ちゃんが現世で最後に食べる食事。

 それが一体どんな手の込んだものであろうとも、オレは作るつもりでいた。


 なのに……コンビニのタマゴサンド……。

 いや、いい。

 それは、いい。

 最後の晩餐に一体何を選ぼうともそれは人の勝手だ。

 

 だが……黄泉とは空気が読めない場所なのだろうか?

 死者の魂とは、察しの文化が著しく欠如した存在なのだろうか?


 人生は、儚く虚しい。

 諸行無常の響きあり。


「な、なんにせよ、明日はオランダ風車に行こう。水口は今からとっとと帰りなさい。私と来生歩美ちゃんは今日、デンパ塔に泊まる」


「え? と、泊まるの? 二人で?」


「もちろんだよ」


「いや、早乙女、ちょっと待て。歩美ちゃんは明日黄泉に行くんだぞ? ご両親との最後のお別れ、ラストの一夜くらい……」


「水口は甘いな。グラブジャムンの缶詰より甘い」


「何だ、それ?」


「いい? 来生歩美ちゃんは死者なんだ。その死者がこれまで十年もチャンスがあったにもかかわらず、ダラダラとここまで姉と入れ替わりながら生きてきた。かわりべんたん、かわりべんたん」


「なんでそこだけ関西なんだ……」


「当然、この世に未練があるでしょう。そんな人を一人にしてごらんなさい。どっかに逃亡するかもしれないでしょ?」


「歩美ちゃんはそんな人じゃないだろ……」


「だから甘いって言うんだよ、水口は。アナタは人間の本質を知らないんだ。人間は裏切る。過酷な状況に置かれれば、なおのこと」


「お、お前、そんなこと……失礼だぞ、歩美ちゃんに……」


「水口! 本筋を思い出しなさい! 私たちの目標は、姉・来生麻美ちゃんの魂をこの肉体に戻し定着させ、オランダ風車の霊脈を安定させること! 結果それがこの死者・来生歩美ちゃんのためにもなるんだ! 魂をいつまでもフラフラさせていてはいけない! 新しく輪廻できなくなる!」


「そ、それはそうかもしれないけど……でも最後のお別れくらい……」


「最後のお別れはとっくに済んでるんだよ。十年も前にね。それじゃあ、また明日。朝九時にここに来なさい。タクシーで行くよ。水口はチャリを置きっぱだから、乗り遅れたら徒歩だ」


 そう言うと、早乙女は歩美ちゃんの手をとってデンパ塔に歩きはじめる。

 歩美ちゃんはオレの方を何度も振り返りながら、ヤツに従うしかなかった。


 オレは結局――何も言い返せなかった。


 早乙女が言うことは、たぶん正しい。

 もしかしたら歩美ちゃんだって、この現世から離れるのが嫌で途中でオレたちを裏切るかもしれない。

 それはわかる。


 だけど……やっぱり本人を目の前にして、あの言い方はないんじゃないか?


 オレは来生歩美ちゃんを信じたい。

 たとえ甘いと言われようとも。


 しかし――彼女は明日、本当に黄泉に帰ってしまうのだろうか?


 答など何ひとつ出せないまま、オレは夕暮れの鶯岬デンパ塔をあとにする。

 来生ツインズにオレたちがしてやれることは限られていた。

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