4 カツ丼 - 落としの早乙女 -
早乙女沙織はメシを食う。
朝に、昼に、夜に。
それはたとえ午前十時にしっかりとお弁当を食べていたとしても変わらない。
十二時になればオートマチックに腹がへる。
オレは――昼ごはんを作っていた。
民俗学研究部の部室にはさっきから実に
大急ぎで仕込んだトンカツが素敵なキツネ色に変わりはじめた頃、炊飯器がごはんが炊けたことを告げた。
味噌汁の味見をしながら、オレはふと思う。
そういえばこの冷蔵庫に入っている食材は、いつも早乙女が買い足している。
今日のタクシー代も早乙女が払った。
高一にしてこの財力、これは一体何だろう?
祓い屋をやっているとかなんとか言っていたが、そんなヤクザな商売がそんなに儲かるものなのだろうか?
あるいはひょっとしたらヤツはどこかの金持ちのお嬢様なのか?
いや、それだけはありえない。
早乙女の性格はどこのド貧乏人にも負けない、下劣なさもしさに満ちている。
そんなことを考えながら、オレは鍋に水と調味料を入れ玉ねぎを煮る。
それがしんなりとしたところで揚がったトンカツと溶きタマゴをぶち込み、フタをした。
丼ぶりにごはんをよそい、蒸らしたトンカツと溶きタマゴをその上に乗っけ、三つ葉を添える。
何だ、このボリューム?
よく食えるな、おい。
さっき弁当を食ったばかりだろう?
オレ特製・カツ丼の出来上がりだった。
「どうぞ」
オレはそれを、まずは来生ちゃんの前に置いた。
来生ちゃんは目を覚ましてから――ひと言も喋ってはいない。
さっきまでキャピキャピしていた彼女の姿は、もうそこにはなかった。
ただボンヤリと宙を見つめ、抜け殻のように椅子に座っている。
早乙女が口の端で微笑み、さらに一センチほど来生ちゃんにカツ丼を寄せた。
「まぁ、まずはコイツを腹ん中に入れな。食いながらでいい。聞いてくれ」
来生ちゃんは何も喋らない。
ただジッと目の前に置かれたカツ丼を見つめている。
「なぁ、来生。そろそろ唄ってラクになんねぇか? お前にも妻や子どもがいるだろう? いつまでも日陰者でいるこたぁねぇや。今ならまだいくらだってやり直せる」
「ちょっと待て、お前」
何かになりきっている早乙女に、オレは鋭くツッコんだ。
「誰なんだよ、お前? ってか、何だ、それ? 取り調べか? もしかしてそのために、オレにカツ丼をリクエストしたのかよ?」
「うるさいなぁ、水口は。黙ってそこで見てなよ。今から『落としの早乙女』が発動して――」
「来生ちゃん、カツ丼だ。熱いから気をつけて食べて。このボンクラ女の言うことなんか聞かなくてもいいぞ」
オレが言うと、来生ちゃんが顔を上げチョコンと頷いた。
――可愛い。
相変わらず無表情だったが、初めて反応してくれた。
それに頷き、オレはワカメと豆腐の味噌汁を温める。
味噌汁を持ってテーブルに戻ると、来生ちゃんはカツ丼を食べはじめていた。
さっきの弁当の時とは違う、ゆっくりとした食べ方だった。
でも食べてくれるだけでなんだかホッとする。
早乙女はといえば、オレがカツ丼と味噌汁を置いた段階からモウレツに食いはじめていた。
一体コイツは何なんだろう?
品性というものがまったく感じられない、腹ペコおじさんの食い方だ。
天は二物を与えずというが、ここまで極端な例も世界には存在する。
「で、アナタ、どっちなの?」
食後のコーヒーを飲みながら、早乙女がいきなりそう切り出した。
オレはカツ丼を食べなかったが、コーヒーは飲む。
民俗学研究部のテーブルで、オレたち三人は向かい合っていた。
「どっちなの? と仰いますと……」
そこで初めて来生ちゃんが口を開いた。
さっきまでとはまったく違う、ちょっと低めの声だった。
大人っぽいというよりは、なんだかどよ~んとした陰気な感じが含まれている。
「よし。じゃあまずはこっちの立ち位置を説明しとこう」
早乙女が椅子にふんぞり返り、足を組む。
セクシーと言えばセクシーだったが、正確に言えばチンピラだった。
「私たちはアナタの味方だ。それだけは変わらない。そして私たちはアナタが今直面しているトラブルの解決に力を貸してあげようと思ってる」
「……」
「ついさっきギザミ山のオランダ風車で
サラッと、早乙女が言った。
よもつひらさか――そういえば、それ、一体何なんだ?
オレはポケットからスマホを取り出し、検索してみる。
『うん。あのね、ギザミ山っていうのは、昔、あの世とこの世の出入り口があったって場所なんだ。この鶯岬の人の魂はギザミ山から下りてきて、死んだらギザミ山に戻っていく。そういう言い伝え』
初めて話した時の来生ちゃんが、トイレの前でオレに言う。
ギィィィィィィィ。
それと同時に、さっきのオランダ風車のそばで聞こえた、古い日本家屋の扉が開くような音が脳内に響いた。
も、もしかしてさっきのあの音……あれが、その、黄泉比良坂の御扉ってやつが開いた音なのか?
早乙女がさらに続ける。
「そして私たちはオランダ風車――つまり黄泉比良坂の境界にいる者の言葉を聞いた。それは『ねぇ、どっちにするの?』って言葉だった」
「……」
「ザックバランにいこう。十年前、鶯岬を襲った記録的な大雨で、アナタたち双子が土砂に巻き込まれたことを私たちは知ってる。そして姉妹のどちらかがいまだどこかに埋まったままだってことももちろん知ってる」
「……」
「以上のことから察するに――アナタたち、一つの体を二人で共有してるよね?」
「あ、あの、えっと、早乙女?」
オレは早乙女に声をかける。
早乙女はエロ動画に集中しているオッサンのように短く舌を打った。
「水口、今すごく大事なとこなの。静かにして。そこに、ほら、トランプがあるでしょ? あれで一人神経衰弱でも――」
「いや、ちゃんと説明しろよ。大事なとこなんだろ? えっとつまり今の話をまとめると……来生ちゃんの体は一つ、その一つの体を双子姉妹で共有してるってこと?」
「バカなの、アナタ? 今それを言ったばっかでしょ? オウムか? お前、オウムか?」
「じゃあさっきまでオレたちといっしょに弁当を食べてた来生ちゃんは……」
「もうここにはいない」
「いない……」
「さっき私たちと弁当を食べてたのが来生A! 今、私たちの目の前でカツ丼を食べたのが来生F!」
「何故そこでBではなく、あえてF……」
「とにかく! さっきのオランダ風車で来生Aと来生Fは入れ替わった! この来生ツインズはあの土砂崩れの日から十年間、ずっとその入れ替わりを繰り返してる!」
「じゅ、十年間……」
「オランダ風車はその間ずっと来生ツインズを放置していた。だけどそれは現世の
「仰る通りです……」
その時、来生ちゃん、いや、来生Fが静かに口を開いた。
一瞬まぶたを閉じ、意を決したように真っ直ぐに目を開く。
「私たち姉妹は十年間、ずっとオランダ風車で入れ替わりながら生きてきました。それは全部、姉が私を思いやってくれてのことです……」
「つまり……さっきまで私たちと弁当を食べていたのが来生A、つまり来生麻美……」
「そうです。そして私が土石流で死んだ妹――来生歩美です」
あまりの衝撃にオレは目を見開く。
今、オレの目の前にいるのは、さっきまでの来生ちゃんではない?
同じ肉体を持ってはいるが、この人は来生F、つまりさっきまでとは別人格の死者・来生歩美ちゃんなのか……。
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