第7話

「ふわぁ……寝みい」


 朝の通学路を一人で歩く。結局、あの後は眠ることができなかった。いくら目を瞑ったり風呂へ入っても眠気は訪れず、仕方なく塾の復習や参考書を解いてるうちに朝になっていたのだ。


 そのせいで人生初の『オール』というものを経験してしまった。体はやけに重いし、眠いはずが目は妙に冴えているという不思議な感覚。今なら何でもできそうな錯覚すら抱いてしまう。


 とにかく徹夜といえば……ということでブラックコーヒーを飲んでいるうちに学校へ到着。飲み切ったコーヒーの缶をゴミ箱に捨てて自分の席に座る。そこでちょうど本鈴が鳴り、担当教員が入ってきた。


 それを横目で確認しつつ、今日の授業を寝ないように気合を入れた。


 ***


 今日だけで何本の缶コーヒーを飲んだだろうな。朝、二時間目終わり、昼休みの合計三本とわざわざ指を折って数える。とにかく、なんとか今日の授業を乗り越えた。あとは家で寝るだけ……と思っていたが予想以上に眠くない。


 カフェインが効きすぎたのだろうか。それとも一周回って眠気がなくなったのか。どちらでもいいが放課後、僕は図書室に来ていた。無論自習をするためである。


 昨日一夜を共にした参考書を開く。その続きから解いているうちに隣の席の椅子が引かれた。図書室の珍しい来客の顔を拝むために振り向く。


「って芦屋あしや? なんでここに」

「今日は部活が休みだから勉強しに来たの」

「まだテスト前にじゃないぞ」

「言われなくても知ってるよ。だから今日の勉強は学校とは無関係なこと」


 図書室の本棚から持ってきたであろう本を数冊机の上に置く。しかしそこに置かれたのは娯楽小説でも、プロ選手の本でもなかった。


「スポーツトレーナーの本? 芦屋あしやってプロになるのが夢じゃなかったのか?」

「もちろん、プロになれるように頑張るよ。けどそんなに甘い世界じゃないからね。それにスポーツトレーナーはプロ引退後に就くかもしれない職業だから、ちょっとぐらい知ろうと思って」


 いわゆるセカンドキャリアというやつか。一般企業だと年数が経てば経験により力が付くが、プロ選手はその逆。年を取るほど活躍しづらくなる。芦屋あしやはもう夢を叶えたその後について考えているらしい。


「立派だな」

「そう? 長谷はせくんもお医者さんになるために頑張ってるじゃん」

「僕がしてるのは勉強だけだよ。それから先のことなんて何も考えてない」

「不治の病を治したいと思ったり……」

「しない」

「ん、じゃあ患者さんが笑顔になる姿を見たいとか?」

「そりゃあ笑顔のほうが素敵だと思うが、医者なら当然だろ?」

「……じゃあ、憧れの人は?」


 ここで父さん……なんて言えたら格好いいんだけどな。父さんの仕事風景なんて見たことないし、苦手だから憧れるわけもない。


「いないかな」

「じゃあ、なんで医者になりたいの?」


 前もこんな質問をされた気がする。あの時は言葉が出なかったけど、今は本当に口が軽かった。


「家族が医療従事者だからだよ。家族みんなと同じ道を歩む。何か間違いがあるか?」

「家族の事情なんて関係ないよ。子供の道は大人が決めるものじゃないんだし」

「大袈裟だな。一応言っとくけど、強制じゃないんだぞ」

「じゃあ……本当に長谷はせくんは医者になりたいの?」


 芦屋あしやの瞳に見つめられる。もう見慣れた可愛らしい顔。なのにどこか居心地が悪くなり、視線を逸らしてしまう。


「今の長谷はせくんは家に縛られるふうにしか見えないよ。本当の気持ちを教えて」

「本当の……」


 どうしてだろう。言ってる内容は同じはずなのに、人が変わるだけでその言葉が妙に温かい。静かに僕の中で浸透してくる。


「すまん。ちょっと待ってもらっていいか?」

「仕方ないなぁ。答え出たら教えてね」


 芦屋あしやが体を机に向けたのを見て、僕もあくびを噛み殺しながら情報の整理を始めた。


 まず大前提として、僕は医学部を目指している。なぜなら親に勧められたから。小学校から塾に入り、今なお通い続けている。それからは兄を倣って小中は地元の所を通い、高校は受験して失敗した。


 そこからだ。僕の人生が崩れたのは。兄さんとの差を如実に理解し、僕は自信を失くした。その自信を取り戻すために今は医学部受験を頑張ってる。


 ……冷静に考えれば考えるほど、自分の行いが幼稚に思えてきた。結局のところ、僕は親に認められたいから医学部に入りたいってことだよな。


『お母さんは健人が心から行きたい大学に行ってほしいの』

「──っ」


 医学部に行かない両親は僕を見てくれるだろうか。わからない。わからないからこそ、怖いし縋ってしまう。自分の好むように捉えてしまう。しかしいくら考えてもその真相がわかるはずもなくて、再びあくびを一つこぼした。


 ***


 体を起こす。どうやら悩んでいるうちに気付けば寝ていたらしい。今思えば徹夜をしていたから当たり前か。座ったままグッと背中を伸ばす。


「ってお前もか」


 隣には腕を枕代わりにして寝ている芦屋あしやがいた。きちんと本も閉じてあるし、僕みたいに寝落ちしたわけではない。


「こいつも疲れてるだろうしな」


 四六時中走ってるようなやつなのだ。走ることが大好きで大好きでたまらなく、それで生きていける力も持っている。


 いや、好きだからこそ力があるのかもしれない。こういうやつは見ていて勇気を貰えるし、自分にできることは何でもしてやりたいと思えてくる。


「好きなことで生きていたい……だったか」


 いつぞやに聞いた言葉をこぼす。


 何も悩むことなんてなかったんだ。変に自分を縛り付けるから悩みが苦しみへと変わる。いつしか人の言葉を素直に受け取れなくなる。そんな僕だからこそ父さんはあんな態度を取っていたのかもしれない。


 ……帰ったら母さんに謝ろう。父さんともちゃんと話そう。


 目を瞑れば僕を包んでいた暗闇は晴れ、白い景色が現れる。ずっとそこにあったのに気付かなかった景色。自分で縛りつけていた自分の道。この景色をどんな色にするかは僕次第なんだ。


 机上に並べていた勉強道具を片付けると芦屋あしやのそばに置いてある本に手を伸ばした。

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白い景色 西影 @Nishikage

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