第七話「出会い、別れ、旅立ち」

 二人はルクス王国の正門、ルクスリア大門で初めて顔を合わせた。

 

 「君がフィリウスか」

 「えっと、そうですね」


 フィリウスは明らかに動揺している。

 彼自身人見知りということもあるだろうが、今回に限ってはそれは原因ではない。

 原因はアルマにある。


 アルマはフィリウスの予想を遥かに超えてきた。

 女性、と言っても冒険者。

 剣士とも聞いていたので、筋肉ムキムキの脳筋バカでかキング○ングみたいな奴が来ると思っていた。

 バカでか――高身長なのはアルマもそうなのだが、彼女はあまりにも綺麗すぎる。


 長い銀髪はサラサラに整えられていて、優雅な佇まい。

 冒険者と言えど、城にいる貴族たちと並んでも遜色ない空気を醸し出している。

 その目もどこか見透かしているような雰囲気で、クールと言うのがその通りだろう。


 「これから君は私と行動を共にする。事前に聞いているな?」

 「は、はい。詳細には聞かされてませんが……」


 詳細は聞かされていない。

 全くその通りであり、フィリウスはいわゆるアタッシュケース一つしか荷物を用意していない。

 中身は服や本や筆記用具など。

 彼は魔術師でも剣士でもないため武器や道具を持つ必要がない。

 そのため何も持ち物を指定されていないと荷物はこの程度になってしまう。


 そして未だにこの状況を理解できていないフィリウスとは対照的に、アルマは落ち着いている。

 大門を挟んで外側にいたアルマは門をくぐり、フィリウスの横に立った。

 そしてフィリウスの見送りに一度頭を下げ、彼女は言った。


 「我はアルマ・ハイランド。今日をもってフィリウス・レオンハート王兄殿下の身柄を預かる。これより殿下を養子として迎え入れ、フィリウス・ハイランドとして扱う。よろしいか?」

 「……養子? そんなこと一言も聞いてませんよ!?」

 「形だけだ。君は気にしなくていい」


 フィリウスが驚きを隠せず話を遮るも、アルマの目線は外れることはなかった。

 フィリウスも目線に釣られて振り返ってみるも、そこにはたった一人しかいない。


 ボブカットのそのメイドは、昔から何も変わっていなかった。



 カレン・サイレッグ。

 母親も父親も側近も使用人も国民の一人ですら見送りに来ない中で、たった一人彼女だけがそこに立っている。

 彼女は表情を変えることなく、アルマの問いに対して小さく頷いた。

 しかしカレンの両手は、自分のメイド服を強く握りしめている。


 彼らに目を合わせることなく、まるで目に浮かべた涙を悟られないようにしている。

 そんな彼女を見て、フィリウスはやっと実感した。

 人との別れがどれほど辛いものなのかを。

 今いくら心を締め付けられても、もう変わらない。

 辛い、悲しい、寂しい。

 この五年間で覚えた感情は、結局それらだけだった。

 最後だって、そうなのだから。


 「……見送りはメイドだけか。名残惜しいかもしれないが、もう行こう。申し訳ないことに我々には時間がない」

 「え……あ、はい。分かりました……」


 アルマは再度一礼し、踵を返す。

 フィリウスもバッグを持ち直し、一礼する。

 言いたい事はたくさんある。だが言えない。

 言っても彼女に伝わらないのなら、言えないも同然である。 


 何も言わず去ることが合っていると、そう判断した。

 フィリウスは顔を上げ、アルマに着いて行くように踵を返した。


 これで良い。

 フィリウスは気持ちを押し殺しながら心の中で唱えた。

 五年前の出来事以来、目を合わせることすらなくなった彼女に何を言っても仕方がない。

 涙だって、哀れみの涙だと思ってしまう。

 悔しいのかもしれない。

 自分の人生かけて寄り添った王子の末路を目にして。


 だからもう終わりなんだ。

 これでもう彼女とは関わらなくていいんだ――

 

 「待て、フィリウス」


 アルマは足を止めた。

 それを見てフィリウスも足を止める。

 

 「……? どうしましたアルマさん――」 

 「行ってやれ、フィリウス」


 フィリウスは何を言われているのか分からない。

 ただ、アルマは手で合図を出していた。


 「彼女、何か持っているぞ」


 そう言われて、フィリウスは振り向く。

 その時、カレンと目が合った。

 カレンが、フィリウスの目を見て涙を流している。

 五年ぶりに、フィリウスはカレンの顔をちゃんと見ることができた。


 フィリウスは、ずっと大きな勘違いをしていた。

 復帰してからのカレンは自分に冷たく接していたと。

 顔も合わせず、魔術も使えないような自分を軽蔑していたと。

 

 それは違った。

 顔を合わせようとしていなかったのは自分だったのだ。

 彼女と向き合おうとしないで、無意識のうちに冷たく接していたのは自分だった。

 彼女はずっと、自分を見ていてくれていたのだと。


 考えるよりも先に、その足は動き出した。


 フィリウスは荷物をその場に置き、走ってカレンの元に戻る。

 すると、先程まで服を握りしめていた右手に、彼女は手紙を持っている。

 突然戻って来てたじろいでいたカレンだが、意を決し手紙をフィリウスに渡した。


 手渡されたフィリウスは手紙を指差し、カレンが分かるように「読んでいい?」とゆっくり口を動かした。

 カレンは少し顔を赤らめながら、頷く。

 

 フィリウスは手紙を開いた。



ーーー 



フィリウス様へ

 

十歳のお誕生日、おめでとうございます。

伝えるのが少し遅くなってしまいましたが、フィリウス様なら許してくれますよね。



今でも思い出します。

フィリウス様が初めて庭に出られた時、すごく嬉しそうで、楽しそうで。

でもそれが、唯一私に見せてくれたフィリウス様の子供らしいところだったかもしれません。



私が申し上げるのも烏滸がましいですが、フィリウス様はとても賢いと思います。

外の世界に飛び出して、色々なことを知って、もっと見聞を広めてください。

私たち共の元を離れても、きっと大丈夫だと思います。

むしろ、私の方が大丈夫じゃないかも……。

って、心配させてはいけませんよね。



……だから、フィリウス様が何処へ行こうと、私はそばに居ます。

そばに居るつもり、とはなってしまいますが。

私の心の中からフィリウス様が消えることはありません。

だから、私のことも忘れないでくれたら嬉しいです。



生きていてください。

時に悩むことや苦しむこともあると思います。

でも、生きてください。

フィリウス様が私を苦しませていたと思っていることは、きっと勘違いです。

私はこの十年間で苦しいだなんて思ったこと、一度もないですよ。

でも、フィリウス様が死んじゃったら、私は苦しいです。

私のために、それ以上に自分のために、旅立ってください。



この十年間、フィリウス様の成長を見届けられたことは、私の一生の思い出です。



ーーー



 泣いた。

 そう気づいたのは、雫が手紙に落ちたのが見えてから。

 涙が落ちないように顔を上げた。

 

 でも涙は止まらない。

 手紙を見ても、カレンを見ても、止まるわけがない。

 

 カレンがどんな気持ちでこの五年間を過ごしてきたのか。

 俺にどんな気持ちを抱いていたのか。

 考え続けていたことは杞憂だったのかもしれない。

 彼女はいつも、俺のことを思ってくれていた。

 

 「……忘れるわけがないよ! 絶対に、どんな事があっても忘れない!」


 思ったことがそのまま口から出た。

 

 数秒の静寂。


 少し冷静になったフィリウスは「しまった」と言わんばかりに口を押さえた。

 焦って口を押さえた彼を見て、カレンは笑った。

 言葉は聞こえなくとも、その様子でそれとなく理解できた。

 馬鹿馬鹿しくなって、フィリウスも釣られて笑った。


 今この時だけは時間が巻き戻ったかのように、昔の彼らでいられた。


 笑いおさまった頃には、フィリウスの心は晴れていた。

 今まで溜まっていた心の膿を出し切れた気がする。

 しかし、余計名残惜しくなっただろうか。

 ……いや、彼に限ってそんな事はない。

 笑い涙に変わった涙を拭って彼は一度深呼吸をし、言い忘れていた言葉をカレンに伝える。


 これが本当に最後の別れ。



 「行ってきます、カレン」


 「はい、行ってらっしゃい」と、フィリウスは聞こえた。





 「大切な人だったんだな」

 「……え?」


 アルマの馬に荷物を乗せていると、アルマがそう呟いた。


 「私は彼女をただの給仕係としか思っていなかった。ただ君にとっては大切な人だったのだろう?」

 「大切な人というか、家族みたいなものですよ。大切だと思って当然です」

 「……そうか」


 アルマは一瞬物憂げな表情をしたが、すぐに戻った。

 

 家族みたいなもの。

 血の繋がりがない者同士でも、家族同然の関係を持つ。

 互いが互いを思いやって、支え合って生きる姿はもはや家族。


 それ以上素晴らしい関係があるだろうか。


 「フィリウス」

 「はい、なんでしょう」

 「これから行動を共にする者として、私は君と親密な関係を築きたいと思っている」

 「……え〜っと、つまり?」


 突然の告白に戸惑うフィリウス。

 アルマの顔が真剣なのが故に、あまり的外れな発言はできない。


 「だから、まずは自己紹介をしようと思う」

 「あ、良いですね」

 「では私からでいいか?」

 「はい、お願いします」


 するとアルマはフィリウスに向かい合い、畏まった表情で言った。


 「ハイランダー、それが私の種族だ」


 ハイランダー。


 ハイランダー……。


 ハイランダー……?


 フィリウスは何も反応が出来なかった。

 聞いたことのない種族だから、という訳ではない。


 何故だろうか。

 先程までの和やかな雰囲気は消え、息の詰まるような空気が漂う。


 「……確か姓がハイランドでしたよね」

 「ああ、そうだ。種族と関連付いたものだ」

 「ハイランダーって、何ですか……?」

 「知らないか? 君は知っているはずなのだが」

 「いや、聞いたことは……」

 「なら、何故そんなに怯える必要がある?」


 フィリウスは気づいていない。

 しかし彼の手と足はガクガクと音を立てているほどに震えている。


 理由は分からない。

 分からないことばかりだ。

 体は依然、言うことを聞かない。

 

 そんな彼を見て、アルマは何かを思い出したかのような顔をした。

 これまでの合点がいき、再びフィリウスを目を合わせる。


 ゆっくりと、口を開いた。



 「『上位種』、と言えば分かるか?」



 上位種。

 日本語で言った。

 アルマは今、"上位種"と日本語で言った。

 ムンダスの言語でも"上位種"という意味を表すことはできる。

 ただアルマは、わざわざ日本語を使って言った。

 わざと、日本語で。


 フィリウスは思い出した。

 五年前の出来事が、今の一言で鮮明に脳内で流れ始める。

 思い出したくない記憶。

 五年前。

 図書館。

 本棚。

 吐血。

 

 これは日本語ではない。呪語である。

 カレンから聴覚と発話を奪った、呪語。

 何故それを、アルマが発音できるのか。


 「……この五年間、図書館の端から端まで本を読み漁りました。それなのに呪語についての記載があるものは一つもなかった。あの部屋だけ。後に"呪物庫"と説明されたあの部屋にだけ、呪語が書かれた本がありました」


 震える声。

 立ちはだかる謎を前にして、震える声。

 語気を強め、感情に任せて語る。


 「教えろよ……? なあ、教えてくれよ。何なんだよ呪語って!? 呪物庫って!? 何も分かんないから、こうなったんじゃないんですか……」


 思わず蹲る。

 自暴自棄。

 自分でも何をしているか分からない。

 

 そんな彼を見ても、アルマは表情ひとつ変えない。

 少し申し訳なさそうな顔はしているつもりなのだろうが、そうは見えない。


 「そのために君を旅に連れていく。『日本語』の――いや、"呪語"の謎を解き明かすために、我々は旅に出る。正直、今の私も何も知らない」


 アルマは明確に、日本語と言った。

 彼女の目的は嘘ではない。

 呪語を理解し、発音し、何より耐性のある者を探していた。

 

 揺るぎない確信がある。

 自分が探していた人物は彼であると。

 しかし、齢十にしてその責任や期待を背負わせるのは厳しいものがあるかもしれない。

 

 少なくともフィリウスが、本当は十八歳でもない限り。



 『君は転生者、藤内康太郎。間違いないな?』


 

 藤内康太郎。

 ああ、懐かしい名前だ。

 思い出させんな。そんな名前。

 忘れたいんだよ、何で、何で知ってるんだよ。


 「お前が……何で前世の名前を……」


 情けない声。


 蹲ったまま、顔は上げられない。

 前世の名前をなぜ知っているのか、全力で問い詰めたい。

 だがフィリウスにはもう、そんな気力は残っていなかった。


 彼を見下ろし、アルマは言い放つ。

 信じられない、信じたくない、事実を。



 『私の前世が、"有馬美咲"だからだ』



 旅は、無情にも幕を開ける。



ーーー


第一章 –終–


次章 北方大陸編

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転生は失敗に終わりました 〜自殺ではチートは得られません〜 シラツキ @shiratsuki-jp

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