梅の実

西しまこ

第1話

 梅の実が落ちた。

 まだ育ち切っていない、小さな青い梅の実。

 幸枝は通りに落ちている梅の実を葉っぱなどといっしょにはき、ちりとりに入れた。

 梅も柿も、若葉を青々と茂らせ、なんて瑞々しいのだろうと思う。そういえば、最近、娘は孫を連れて来ていない、と幸枝は思った。


 陽菜はもうすぐ四歳になる。梅や柿の若葉のように、瑞々しいエネルギーに溢れていて、とてもかわいい子だった。いつだったか、この時期にうちに来たとき、梅の実を拾って、大事そうに瓶に詰めて持って帰るさまもかわいらしかった。小さな青い梅の実を見て、幸枝は陽菜のことを思い出したのだ。幸枝にとって、陽菜はただかわいいだけの存在だ。


 ――娘の由紀子は難しい子だった、と幸枝は小さく溜め息をついた。

 小学校五年生になったころ、「どうして学校に行かねばならないの?」と由紀子が言い出したとき、幸枝は「理由なんていらないの。みんなが行くから行かなきゃいけないのよ」と応えた。その回答は、小学校五年生の由紀子のこころを閉ざす回答だったらしい。どうもあれから、由紀子の言葉には棘が含まれるようになった。


 勉強はほどほどにしろ? まあ、お母さんならそれでよかったかもしれないわね。

 バイトもするわよ。欲しいもの、あるし。――関係ないでしょ?

 お母さん、わたしたちの時代は、女子でも働かなくちゃいけないの。働くのが当たり前なのよ。


 そうして、まるで幸枝が専業主婦であることを否定するかのように、由紀子は働いた。結婚して、子どもが生まれても働いた。車で三十分くらいの近くに住んでいるというのに、ほとんど顔を見せない。さっき、幸枝は「最近」と考えたが、それだとまるでいつもはよく来ているけれど「最近は」来ていないみたいだ、と自嘲した。そうではない、年に数回しか会えない、あの天使のような孫に。


 子どもが生まれたら変わるかもしれない、と幸枝は期待していた。

 でも、変わらなかった。

 それどころか、幸枝に育児を手伝って欲しいと言うこともなく、全て自分たちでやり遂げていた。幸枝は嫉妬にも似た、苦い思いを味わっていた。


 由紀子も小さいころは。いっしょに青い梅をとって、梅ジュースを作ったものだった。

 幸枝は、若葉の間から見える小さな青い梅を見ながら、過去の幸福に浸る。

 幸枝は思いだしていた。

 由紀子も、陽菜くらいのときは、やはり天使のようにかわいかったと。


 季節が巡ると、梅は花を咲かせ若葉が芽生え、実をつける。

 その生命の営みに、ひとは、ふと救われるような気持ちになることはないだろうか。


 電話の音がしたので、家に戻る。――由紀子からだった。

「お母さん、久しぶり。あのね、梅はもう実をつけた?」

「いま、小さな実がついたわよ」

「そう。収穫出来るくらいになったら、収穫しに行ってもいい?」

「もちろんよ」

「ありがとう! 小さいころ、お母さんといっしょに梅の実をとって、梅ジュースを作ったでしょう? あれ、すごく楽しくて。今年は陽菜といっしょにやりたいんだ」


 同じことをイメージしていたこと、楽しい想い出として在ったこと。

 幸枝の胸に小さい由紀子の笑顔が浮かんだ。

 変にこだわっていたのは、わたしの方かもしれない。

「じゃあ、今度、カズくん連れて陽菜と行くから」

 待ってる――いつでも、待っている。梅が実をつけるのを待つのに似た気持ちで。




   了



一話完結です。

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