細波は大海に寄せて・下
友人と旧交を温めたり、実家で羽を伸ばしていると、携帯電話から着信を知らせる音が鳴る。
すぐに画面を見ると、発信者は先生だ。
「もしもし? どうしたんですか?」
「いや、別に……今何してるかなって……」
「実家でごろごろしてますよ。先生の方こそ何してるんですか? ごはん食べてますか? ちゃんと朝昼晩食べないとダメですよ」
「う、うるさいな。食事くらい摂るよ」
「頻度は?」
「……たまに」
食事は、たまに摂るものじゃない。
「わ、わたし、砂洲本くんがいないとダメだから」
「開き直らないでくださいよ……」
ひとりにしたのは失敗だったのか? 心配になってきた。
いやいや、と俺は頭を振る。
向こうはいい歳をした大人だ。数日くらいひとりにしたところで、何の問題がある?
「そ、それで、帰省はどう?」
「ふつうですよ。家で親に小言いわれたりとか、昔の友達に会ったりとか」
「そ、そう……」
先生は電話口で黙り込む。
用がないのなら切り上げたいところだったが、切ろうとすると嫌がるんだよな……。
仕方がないので、俺はしばらくよしなしごとを話した。
* *
のんびりとした時間は、あっという間に過ぎる。
気づけば、帰省もそろそろ終わりに近づいてきた。
……先生に、お土産でも買うか。
俺は店に入る。
しかし選択肢が多すぎて迷うな。
先生は何が好きなのだろう? そもそも好みとかあるのだろうか?
分からない……。
仕方ないので店員に訊くと、親切に答えてくれた。
「贈るのはどんな方ですか?」
「えっと、相手は二十代の女性で――」
幸い店員は懇切丁寧に答えてくれて、ラッピングまでしてくれた。
* *
そんなこんなで、帰省は終わりを迎えた。
上りの電車にがたごと揺られて、家に戻る。
先生は、リビングでパソコンに向かっていた。
「おかえり」
そっけなく言う。
「ただいま。これお土産で――」
俺が荷物を置いていると、突然携帯電話が鳴った。母親からだ。
こんなタイミングで一体なんだ?
忘れ物でもしたのかと思って、電話に出ると――
「健! あんた今どこ!?」
「家だけど……なんだよ?」
「今すぐ霧島先生のところに行きなさい!」
「え……?」
先生ならすぐ近くにいるが、もちろん親には言わない。同棲してるなんて知られたら、またうるさそうだからだ。
「霧島先生の編集者っていう誉れ高い仕事を折角いただいたんだから、片時も離れず霧島先生のために働くのよ! 霧島先生以上に素晴らしい方はいないから!」
「そうだぞ、霧島先生はこの世でもっとも尊い存在だ。霧島先生以上に価値あるものは存在しない。これからも霧島先生のために頑張って働くんだぞ」
横から、父親の声まで聞こえる。
い、一体どうしたんだ?
あんなに霧島一葉のことを毛嫌いしていたのに。
「あんたの人生は霧島先生のためにあるんだから、一生霧島先生のために尽くすのよ!」
「い、いや、元からそのつもりだけど……」
「霧島先生は、この世で唯一の恒星よ! それを絶対に忘れないように!」
恒星なんて、夜空を見ればいくらでもあるが……。
「じゃ、私たちはこれから霧島先生の全作を読むから」
母親は言うだけ言って、がちゃんと電話を切った。
五十冊以上の先生の著作を今から読むつもりなのか……。
というか、両親のあの様子、明らかにまともじゃなかった。
まるで、『オルターエゴ』を読んだ後の人間のような……。
俺は、同じ部屋の中にいる人間に目を向ける。
「せ、先生、俺の両親に何をしたんですか?」
彼女は、つーんとそっぽを向いている。
「別に……ちょっと手紙を書いただけだよ」
俺が実家を出た後に、両親は先生の手紙を読んで、ああなってしまったというのか?
そんなまさか……いくらなんでもそんな芸当……。
「て、手紙って……なんでそんなことを……」
「小人閑居して不善を為すと言うだろう。君に置いて行かれた私は、ひとり寂しくかきくらすことになって、自暴自棄になったというわけだ」
俺の実家の住所を知っていることに関しては、今更何も言うまい。
この人、手紙でもやばい効力を発揮できるのか? 確かに、前に「小説はボトルメール」だと言っていたが。
最近、才能が度を超えて尋常ならざる域に達しているような……。
ますますもって、災害のような傍迷惑な存在だ。
「そうだ、君が不在の間に、短編がひとつできたよ」
先生は紙束を差し出してくる。
受け取ると、数枚程度のコピー用紙のようだ。厚みはない。
俺は紙上に目を落とす。
霧島一葉の新作なら、読まない選択肢は存在しなかった。
先生の作品を読むときにしか味わえない感覚がある。
流れるような文章は、自然と頭に入ってきて馴染む。
意図的なエッジ、コントロールされた個性が放つ安定感。
唯一無二の手触り。
読み進めていくと、文字の縁が滲み出して、赤い光と青色の光を放つ。うねった奔流の渦の中に投じられる。
……って、これは『オルターエゴ』と同じ感覚じゃないか。
俺は慌てて、読むのを中断する。
「せ、先生、もう『オルターエゴ』みたいなのは当分書かないって約束したじゃないですか!」
彼女は、相変わらずそっぽを向いている。
「し、知らない……書いたらなんかそうなっただけだし……。わたしをひとりにする方が悪いんだから」
「これ、少なくとも今は発表できませんよ。ただでさえ『オルターエゴ』の余波が残って、今でもまともに日常生活が送れない人もいるっていうのに……」
「別に発表しなくてもいいし……砂洲本くんのために書いたんだから。砂洲本くんはちゃんと最後まで読んでよね」
「よ、読みますけど……」
先生の作品なのだから。
「それくらいの短編だったら、毎日書けるし。毎日読んでよ。砂洲本くんが、わたしなしでは生きていけなくなるよう、念入りに刻み込んでおくんだから」
本当にこの人は……どうしてこんな人のことを好きになってしまったのだろう?
「言ったでしょう? 小説を書かなくたって、俺はとっくに、先生なしじゃ生きられないんですから」
その、どうしようもない才能のせいで。
俺は、お土産を彼女に差し出す。
「これは?」
「いや……ほんの気持ちですよ」
「ふうん」
先生は何も感じていなさそうな顔をしている。
「ん」
彼女が手を差し出すので、お土産をその手に渡す。
ふと、部屋の片隅にカップラーメンの残骸が二つ三つ重ねて置かれているのが目に入った。
俺が留守の間、ずっとそんなものばかり食べてたのか?
先生も少しは更生してきたが、俺の目が届かないところではダメらしい。
「たまに料理作ってくれるようになったじゃないですか」
「あれは君のために作っているんだ。自分のために作っても、意味がないだろう」
……意味が、ない。
まぁ、俺だって先生がいなかったら、食事なんて適当に済ませるが。
「仕方がないですね。何か食べたいもの、ありますか?」
「…………」
彼女は少し考えた後に、ようやく口を開いた。
「……オムライス」
* *
皿に乗った、黄色くてなめらかな生地に、先生はスプーンを入れる。
すると、生地の隙間からチキンライスが覗いた。
「砂洲本くんのオムライスはおいしいな」
もぐもぐ食べている彼女の横顔を見つめる。
白文鳥が細やかについばんでいるようだ、と思った。
「先生、もう少し涼しくなったら、伊豆旅行にでも行きますか?」
海も見えるだろうし。
「いいのか? またストーカーたちが大挙してやってくるかもしれないが」
「対策はしますし……何かあったら、俺が守りますよ」
「そうか」
先生はそれだけ言って、またもぐもぐとオムライスを食べる作業に戻った。
「精々、忍耐力をなくさないようにしてね」
「……善処しますよ」
どうやら、伊豆の旅程を考えないといけないらしい。
ラピスラズリ・ボトルメール - 人格を伴わない小説 すがらACC @allnight_ACC
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