鶴『も』恩返し

渡貫とゐち

鶴が最後尾

 ……どれくらい、時間が経ったのだろう。


 迂闊にも罠にかかり、足下に仕掛けられていた縄に足が絡んで、上空へ吊るし上げられている……、鶴だけに? あはは……――面白くないっての。


 白い羽をバサバサと羽ばたかせて、もしかしたらこの揺れで縄が緩んで、するり、と抜けられるのではないか? なんて考えてみたけど、まあ無理だよね。

 ガッチリと、足首に縄が絡まってしまって解けそうにない。


 罠にかかってから、(体感で)半日ほど経っているような気がするにもかかわらず、仕掛けた本人は姿を見せない……。もしかしたら数日、放置する気だったのかもしれないわね。となると、そりゃ緩むわけもないか……。


 数日、獲物を確保しておくつもりなら、徹底してちゃんと仕掛けるはずだし。わたしみたいに暴れる獲物だっているわけで、多少の身じろぎで縄が解けてしまっては罠の意味がない。


 自力では無理。

 だったら、誰かに助けを求めるしかない……けど。


 ここ、森の奥なのよねえ……。


 こんなところに人が通るわけ、



「――困ってるか?」



 と。


 下、老木に吊るされているわたしを見上げる男性がいた。

 まだ若い……と思うけど、どうかしら。顔にしわがないだけで、若い、と判断してもいいなら、若い男性だと思うけど……。

 年齢を重ねていても、若い見た目の男性もいるから、今時の男は分からないわ。


 少なくとも、わたしよりは年下だと思うけど。


「困ってるなら助けてやろうか?」


 と言いながらも、既に手を伸ばしている男の子(ひとまずは『子』ね)。

 こっちが助けて、とも言っていないのに、手を伸ばしてくれるのは好感度が高いわね。


「――い、痛い痛い!?

 あのねえ!? わたしを引っ張ったって、縄が解けるわけじゃないわよ!?」


「めちゃくちゃ鳴いてるけど、なんて言ってるか分かんねえ(笑)」


 当然、鶴のわたしの声が人間の彼に伝わるはずもなく。


 とにかく、痛みを訴える鳴き声で、意思表示をする……っ。

 下から引っ張るんじゃなくて、上から解いてくれる……?


 って、鳴いても、そこまで細かく伝わるわけないわよね……。


「おう、待ってろ。今、上まで登って、縄を解いてやる」

「…………っ!」


 伝わったわけじゃない。

 彼が自分で答えに辿り着いただけなんだけど……

 わたしの心の中を読んで、応えてくれたと思ってしまった……ドキドキしてる。


 きっとこれは、恐怖じゃない方だ。


「その、枝! 気を付けて!」


「ん? なんだよ、急に鳴いて……心配してくれてんのか?

 大丈夫だっての。こういう場面には、たくさん遭遇してきてるからな。慣れてる」


 老木の枝が、悲鳴を上げている。

 わたしを吊るして、その上、成人男性の体重が乗っかれば……限界が近いのでは?


 みしみし、と軋んでるし、いつ折れても不思議ではないくらいにしなっている。


 まさかとは思うけど、縄を解くのではなく、大元の枝ごと破壊してしまおうってこと……?


 確かに、わたしは自由になるけど、縄と一緒に落ちた枝がずっとついてくることになるんだけど……、犯罪者の足についている鉄球みたいに。


 鶴からすれば、身の丈以上の枝は鉄球に匹敵する。


「よっと。安心しろ、しなってても意外と折れたりしねえもんだよ。

 ……うーん、指で解くのは難しいな。ナイフで切れるか?」


 ガリガリ、と音が聞こえてくる。

 どうやら頑丈な縄らしい。それもそうか……、たまたま、罠にかかったのがわたしこと、鶴だっただけで、熊や鹿が引っ掛かっていても逃げられないようになっているのだから……。

 縄は頑丈であるべきなのだ。


 なかなか切れない縄に、何度も何度も刃を入れて――


 数十分後、やっと、縄が切れた。


 急にやってきた浮遊感に、咄嗟に羽を羽ばたかせて、地面との衝突を避ける。

 縄が足についたままだけど……ここまでくれば、あとは自分でなんとかできる。


 人の姿に変身して、道具を使えばわたしでもできることだ。

 ……吊るされている時に変身していれば……? なんて言われるかもしれないけど、吊るされた状態で変身なんてできない。

 吊るされて、早めに実行していればできなくもなかったけど、既に疲弊していた状態では難しい。だって、変身するのだって疲れるんだし。

 せっかく変身したのに、それで全部の体力を持っていかれたら意味がない……。

 だから本当に、彼がきてくれて助かった。


 命の恩人だ。


「大丈夫か?」

「ええ……ありがとう。この恩は、絶対に忘れないわ」


「分かんねえけど、たぶん『ありがとう』って言ってんだろうな――」


 こくん、と頷く。


 さすがにこれなら、彼にも伝わっただろう。


「気にするな。恩返しとか、いらねえからな」


 そう言い残し、森から出るため、去っていく男の子……


 ところで、どうして彼は、こんな森の奥深くに?


「…………森の奥に、人間がくるような用事なんてないでしょ」


 分からないけど。

 もしかしたら、鶴には分からない事情があるのかもしれない。


 ともかく、


「恩返しはいらない?

 ……助けて、『はい終わり』――で、こっちが納得すると思っているのかしらねえ」


 命の恩人だ。


 たとえば、道案内をしてくれた、荷物を持ってくれた――なら、恩返しなんていらない、と言われても、こっちも彼の意図を汲んで身を引くこともあるだろうけど……


 しかし、命となれば、身を引くのも難しい。


 あのまま吊るされていたら、わたしは間違いなく死んでいたし、罠を仕掛けた本人が戻ってくれば、わたしは殺されていただろう……――。

 もしくは生け捕りにされ、大勢の前で見世物にされていたか……。


 どちらにせよ、わたしは死んだようなものだった――だから。


 間違いなく、彼は命の恩人なのだ。


「恩返しはするわ。

 自己満足? それもあるけど……なによりも、彼の力になりたいから――」


 人の姿に変身できるこの力を使えば、

 彼に一番近い距離で、彼が求める願いを叶えることができるだろう。




 ……彼を尾行し、知った彼の家。


 訪ねるのが数日後では、人の姿をしたわたしとあの鶴が同一であると悟られてしまうだろうから、期間を空けて……半年後にした。

 半年も空いていれば、この『美人』と評されることが多いわたしが、彼の家を訪ねても、あの鶴が恩返しにやってきた、とは思わないだろう……。

 宿に困った女性が一泊させてほしいと頼んできた、としか思えないはずだ。


 一夜を明かすのだ、

 彼の願いは、できるだけ叶える覚悟はしてきている……。


「ふう……」


 深呼吸、一つ。

 恩返しである。

 半年も待ったが、待つ方もきついのだ。わたしの、彼への『恩返し』の想いがどれだけ大きいのか、分かるかしら……。

 歯を食いしばって、彼の元へ訪ねないようにがまんするのに、どれだけ大変だったか……っ!


 自分の体なのに、別の人格があるみたいだった。


 半年も待ったとは言ったけど、本当は一年、待とうとしていた……、だけど無理そうだったので、半年に縮めたのだ。

 これが限界だった――もう待てない。


 今すぐにでも、彼の胸に飛び込んでしまいたい!


 彼の家の、戸の目の前。


 戸を叩く手が震える……、

 喜びだ。

 同時に、門前払いにされたらどうしよう……とも。


 彼なら、遠慮はしても、追い返すことはしないだろうとは思うけど……。


(それでも、怖いものは怖いのよ……っ)


 怖いけど……彼に会いたいわたしの中の衝動が勝った。


 気づけば戸を叩いていた――こんこん、と。


 はい? と、中から声が聞こえてきた……――女性の声。


 戸が開かれるよりも先に、戸を開く。


 広がっていた光景は――



 い、いやらしい集まり!? でこそないものの、多くの女性に囲まれた『彼』の姿だった。


「…………はぃ……?」


「あー、もしかしてあなたも『あの人』に助けられた子?」


 綺麗な娘だった。

 わたしと同じくらい、いや……少しだけ、上かもしれない……。


 彼の取り巻きにいる数人の若い女性も、レベルが高い……。


「…………え、っと、その――」


「(分かってるわよ。あなた、鶴でしょ?

 あたしもそうなの……、鶴じゃなくて白鳥なんだけどね……)」


 人の姿に化けることができる動物……。

 全員ができるわけではないにせよ……それでも、限られた者にしか使えない力だ。

 希少な存在であることは確かだ。


 もしかして、ここにいる全員が……?


「そ。あなたが思っている通りね。罠にはまった、もしくは別の動物に襲われていたところをあの人に救われた娘たちよ。今は順番に、恩返しをしている最中だから……時期をずらすか、それとも、あの輪に加わるかしら? あなたの順番はだいぶ後になっちゃうと思うけど」


「おーい、その娘は……どちらさん?」


 と、彼がわたしを見て手を振ってくれた。


 それだけでドキドキする……――時期をずらす? そんなこと、できるわけない!


 いま帰っても、この逸る気持ちは抑えられないでしょ……!


「あの人、ああいう性格だから。

 外に出れば誰かを助けてる。だから、恩返しをしたい娘が増え続けてて、困るのよねえ――」


「みんな、のことを……」


「そうよ、みんな。

 もしかして、助けられたのがわたしだけ、なんて思ってる? 特別扱いはわたしだけ? とか思ってたり? ――そんなわけないでしょ。

 あなたにとって、彼は唯一の人だけど、彼からすればあなたはでしかない……、一人ではなく、一羽、かしら。

 とにかく、恩返しは今だと……五年待ちよ。それまで彼の傍で尽くすかしら?」


 恩を返す。


 どれだけ待とうとも、感謝の気持ちは、消えてなくなったりはしない。


「はい! 何年でも待ちます! 何年でもあの人に尽くします!!」


「じゃあ、あなたは現時点で最後尾ね。……まあ、順番を待たずとも、あの人の傍で尽くすことが、既に恩返しになっている気もするけどねえ」



 ―― 完 ――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鶴『も』恩返し 渡貫とゐち @josho

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ