FINAL.それぞれの求道
「こんにちは。私、三日月未夜と申しまして、一一〇号室に入院中の郷本さんの知人です。お見舞いに参りました」
十月末の昼下がり。未夜はイリア島で重症を負い、治療の末に回復したと加賀美から通達があった郷本のお見舞いに、都内の病院へ足を運んでいた。
受付に名乗り、密かに自身の名刺の隣に加賀美の名刺を並べて差し出すと、受付の女性は「ああ」と納得した様に呟き、入館記録への記述を求める。未夜は綺麗な字で自らの名を書き込むと、そのまま目的の病室を目指した。
郷本の傷は自衛官が自身の極秘任務に同行させた末の銃創だ。それ故に、一般の病院へ搬送するわけにはいかず、海上自衛隊と深いパイプを持ち情報の秘匿性が高い特別な病院へと送られたのである。
未夜は郷本の名前が書かれたプレートの個室へ辿り着き、扉を二度ノックした。
「どうぞ」
中から男性の声が返って来たのを確認し扉を開ける。清潔な純白の空間に、ベッドの上で腕を頭の後ろに回し寝転がり頭だけを闖入者に向けて微笑む郷本がいた。
「わざわざ来てくれたのか、三日月さん。ありがとな」
「来るに決まっているでしょう。郷本さんのお陰で私は命があるのですから」
コートを脱ぎ、椅子に腰掛けながらベッド上のテーブルに持ち込んで来た紙袋を置く未夜は、郷本に対し感謝の気持ちでいっぱいだった。
「何が好きなのか知らないので、りんごと適当な週刊誌の最新号を持って来ましたよ」
「見舞いの品なんてなんでもいいさ」
言うが早いか、郷本は紙袋を開きりんごを一つ取り出し、徐に齧り付いた。
「ところで、『三日月さん』って呼び方、違和感覚えますね」
「あん? それを言うなら、俺はあの島で敬語を使われた事なかったぞ」
未夜も言われて初めて意識するが、感謝の念から無意識に態度を検めていた。二人は思わず笑いあった。
「それじゃ、今まで通りでいいかな」
「ああ。その方が嬢ちゃんらしい」
そして二人の間に静寂が訪れる。時計の針が一定のリズムを刻む音と、窓の外で車がエンジンを吹かせる音が平和な日常を象徴しており心地良かった。
不意に、郷本が胸元のポケットから一本のペンを取り出した。否、未夜にはペンの形をしたそれが何かははっきりと理解していた。
「……朦朧とした意識の中、こいつを潜水艦の中で返されたのはもう半月も前か」
「ええ。あの時は、その後に返す機会があるかどうか判らなかったからね」
「お陰で入院生活も暇してないんだ。ずっとこいつで録音してくれてたみたいだからな。何度も再生しては記事を書いていた」
未夜は郷本が落としたボイスレコーダーを、常に録音状態にして電源を入れておいたのだ。
「『マキナ』の事なんだがな」
郷本は真剣な面持ちで話を切り替えた。
「アレの正体について調べてみた。イリア島や日露の合同研究については何も判らず仕舞いだが、突如現れた人工知能の存在を示唆する情報がネットには転がっていた」
「……ネットに、マキナの情報が?」
頷く郷本がどこか嘲笑混じりに鼻を鳴らした。
「都市伝説だ」
「マキナが都市伝説……?」
「キーワードはコンピュータに繋がれた男の身体に刻まれた『チクタク』の文字だ。コンピュータ技術に長けた者の中で実しやかに囁かれていたのは、ある一定の水準を満たす技術者の前に現れ、人類の遥か先を行く叡智を与えるという神の化身の噂だった。それは時に影の様に虚ろな姿で、時に魔物の様な姿で、そして時に人工知能として現れる。いずれの場合もその姿からは時を刻む音と歯車が噛み合う音が響き、目にした者は皆ーー『チクタクマン』と呼んだそうだ」
オノマトペを用いたシュールな名であり、荒唐無稽なオカルト話であったが、未夜達にとってはジョークでも怪談でもなく紛う事なき現実に起きた事と酷似していたことに恐怖した。
「いずれの場合も、こいつは世に混沌を齎す怪物だと畏怖され、与えられた叡智に触れるべからずというありがちな締め括りだった。ひょっとすると、この世の平和は何度も脅かされているのかもな」
「それどころか、既に近年の高度なコンピュータ技術の発展の裏には、マキナーーいや、チクタクマンが介入していたのかも知れないね」
百年程度で機械工学や科学は目覚ましい成長を遂げた。歴史からすると性急過ぎる程に。未夜はチクタクマンの存在と、ラススヴィエートの様な抑止力の存在が上手く噛み合い、今の世の中があるのではないかと妄想を繰り広げていた。
「……記事は書いたが、こいつはもう消すんだ。嬢ちゃんに最後に見せてから消そうと思ってたから丁度良かった。折角、嬢ちゃんが匿ってくれている七々扇博士の身の安全の為にも、な」
ーー島を出る時、加賀美は潜水艦のクルーを含む全員に、舞夜の存在の秘匿を命令した。島の人間が全滅していたという事実に塗り替えたのだ。その為に、とてつもない罪悪感を背負ながらもコンピュータに繋がれ亡くなっていた者達の遺体を、研究資料の山が眠る研究所ごと焼き尽くしたのだ。
研究成果を燃やし尽くした以上、主任であった七々扇舞夜は最重要人物として捕らえられ軟禁されることが予想された。彼女の身を護る為に、加賀美と未夜はその身分の全てを抹消し匿ったのであった。
「いいんだね、郷本さん」
「命に勝る真実なんぞ存在しない。あの島の事は俺達が忘却の彼方へと連れ去ってやるべきだ。加賀美さんも納得していたよ」
同じ真実を追求する者として、未夜は郷本の考えに強く共感した。
「まだ完治していないみたいだし、私はそろそろ帰るよ。またどこかで、郷本さん」
「あぁ。またな、未夜ちゃん」
未夜は立ち上がりコートを羽織り、郷本に手を振って病室を後にした。
三日月未夜は二階に位置する事務所のビルの階段を、ヒールの音を響かせながら上がる。イリア島の非日常はたった一日の事だったにも関わらず、半月経った今でもこの階段を往復する時に平和を噛み締めてしまっていた。
二階に上がると事務所の扉を開ける。以前までならば未夜の外出時は扉に鍵が掛かっていた。しかし、今はノブを回すだけで抵抗なく開かれる。
すると、パタパタと部屋の奥から足音が聴こえて来る。赤い絨毯の上を柔らかなスリッパが弾む音だ。給湯室の方角からエプロン姿で現れたのは、長い黒髪にエメラルドカラーの美しい瞳を持つ女性ーー七々扇舞夜だった。
「おかえりなさい、所長」
「まだ慣れないね。そう呼ばれるのは」
暖かな出迎えに気恥ずかしさを覚え苦笑いを浮かべる未夜がコートを脱ぎ去ると、舞夜がそれを受け取ろうと手を伸ばした。
「自分で掛けるって」
「これくらいやらせて? 私、あなたのお世話になりっぱなしなのだから」
半月ほど舞夜と過ごして身に沁みたのは、彼女が思いの外強情で、責任感が強く、そして世話焼きであることだった。
どれも微笑ましいことではあるが、なんでも自分でやって来た未夜にとって誰かに世話をされるという事にはまだまだ抵抗感があったのだ。
溜め息を吐き上着を任せ自身のデスクに腰を掛けると、間もなく給湯室へ戻った舞夜が、香ばしい香り湯気の漂うマグカップと、手の平サイズの饅頭を持って未夜の前に置いた。
「相変わらず美味しそうな珈琲を淹れてくれるね、ありがとう。だけど、これは?」
未夜は饅頭を指差して訊ねた。いつの間にか珈琲とそのお供を提供してくれる様になった舞夜だったが、饅頭は初めてだった。
「作れる材料があったから作ってみたの」
「……君、万能だね」
試しに一口味わった饅頭は、ほんのり塩味が効いた上品な甘さと羽毛布団の様に柔らかくもっちりとした食感が未夜の食欲を刺激した。美味という他に言葉はなかった。
天は二物を与えず、という諺は正しくない。と、未夜は恨めしげに舞夜を半眼で見つめるが、彼女は「美味しい?」と訊きたげに目を煌めかせていた。
「身分が手に入ったら和菓子職人になるといい。宣伝は任せて」
「お世辞が上手ね」
世辞ではなかったが、敢えて突っ込まない事にした。
「身分、ね。今のまま、あなたのお手伝いでも十分楽しいけれど」
「行政上不利というのは嘗めてかかっちゃいけないよ。特に日本はどこでも身分の確認を要求される。例えそれが偽造であっても持っておくべきだ。加賀美さんも協力してくれるし、なんとかしてみせるよ」
伝手があるわけではなかったが、未夜は職業柄顔が広い。頼れる知人も多い。繰り返し訊ねていけば可能性はあるだろうと考えていた。
真剣な面持ちの未夜の横顔を見て、舞夜は申し訳無さと感謝の気持ちで溢れ、思わず目を逸した。すると、視線の先に青色のタブレット端末が映った。
「……ラススヴィエートが助けてくれた命だものね」
ーーラススヴィエートがマキナを破壊し舞夜の研究室に戻った時、一切の反応のなくなった端末を舞夜に渡すと彼女はそれを強く抱き締め膝から崩折れた。とてつもない喪失感が彼女を襲っていたのである。
今では明るい表情を見せるようにもなったが、いつまでも手放せずに棚に立てかけたままのラススヴィエートの端末を見てしまった時は悲しげに目を伏せていた。
未夜がどう言葉を掛けようかと迷い、口を開きかけたその時、デスクの上の電話機が甲高いコール音を鳴り響かせる。話しかける空気ではなくなり、未夜は受話器を手に取った。
「はい、三日月探偵事務所です。はい。婚前調査ですか? ええ、承りますよ。着手金は三万円からになります。ええ。成程、探偵事務所に入るのを見られたくないと。では駅前の喫茶店でお会いしましょう。はい、有難うございます。ではまた後ほど……」
やり取りを終え受話器を置くと、いつの間にか舞夜が未夜のコートを手に持っていた。
「依頼ね」
「うん。今から外で会うから、あなたも着替えて。眼鏡掛けて、髪型変えるのも忘れずにね」
「え?」
「仕事だよワトソン君。助手が一緒に来なくては始まらないよ?」
一瞬、何を言われたのか判らず口を開けたまま固まった舞夜だったが、すぐに満面の笑みを見せると頷き、事前に用意していた変装用の伊達眼鏡を掛け、髪を肩口で二つ結びにし、着替えを済ませて未夜の横に並んだ。
二人は電気を切り戸締まりをし、事務所を後にした。
それから程なくして、誰も居なくなった事務所に突如ぼんやりとした明かりが灯る。
青白く、幾重にもキューブが折り重なった像を映し出すのは、あのタブレット端末であった。
私立探偵・三日月未夜と混沌のエクス・マキナ 姫城玖蘭 @Himegi_cran
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