XIV.機械仕掛けの神
ーー蝋燭の炎と、涙に濡れた舞夜の瞳がゆっくりと揺らめく。頬を伝わり滴り落ちた悲しみが、じんわりと書類の山に染みを作った。
「……いいんだね、ラススヴィエート。舞夜さん」
ラススヴィエートが自らマキナを破壊する事を提案してから三十分以上の時間が過ぎていた。
未夜は二人に、最後の確認の意図を込めて声を掛けた。
「私は初めからそのつもりだから」
平然とした様子のラススヴィエートに対し、舞夜は真っ赤に腫れた目元を手で拭いながら顔を上げる。そして、力強く眉を釣り上げ、深く頷いた。
「そうしたら、君を送り届ける役目は私が請け負うよ。それが依頼を受けた探偵としての責務さ」
「ええ、最後までありがとう。未夜」
今ではすっかりこの妖精の様な姿のマテリアルと視線を合わせて微笑み合う程、奇妙な友情を感じていた。
「私も同行する。郷本さんの時の様なアクシデントがないとも限らん。七々扇博士、貴女はここで待っていて欲しい」
「待って、私もーー」
と、自らも同行すると言葉を続けたかった舞夜が、不意に態勢を崩して床にへたり込む。
「目に見えて衰弱している。責務を感じるのは理解出来るが休んでいてくれ」
舞夜は歯噛みした。あまりにも情けない姿を晒した事にではない。死地へと赴くラススヴィエートをここで見送らなければならない事にだ。
「舞夜。私が戻ったら、一緒に宵夜のところへ行って愚痴を吐いてやりましょ。だからここで待っていて」
「ラススヴィエート……」
ーー無事に戻るの? とは訊ねられなかった。それはラススヴィエート本人にも答えようがない事の筈だからだ。代わりに、立ち上がって部屋の壁に歩み寄ると壁に何かを差し込む。そこには巧妙に壁と同化した扉があり、彼女は鍵を開けたのだ。そして扉を押し開け、未夜に向き直って深々と頭を下げた。
「その子を、お願いします」
「ええ。お預かりします」
未夜達は、開かれた扉の先の階段を下って行った。
「“怖い”、と感じたりはしないのかな?」
階段を降り切ると、不意に未夜はラススヴィエートに訊ねた。
「言ったでしょう。感情はプログラムされていないの」
果たしてそうだろうか。舞夜を想う気持ちや未夜への感謝は、感情と呼ぶべきものとしか思えなかった。
「それこそ、感情を感情と思わない様にプログラムされているだけとしか思えない程、君は人と変わらないよ」
「それには私も同意だ。ラススヴィエート、お前は我々人間と同じ思考をしている」
加賀美は今更、ラススヴィエートが遠隔で通話をしているどこかの人間だとは一切考えていなかった。
「それじゃ、あなた達の今の言葉を肯定している私は、“嬉しい”と感じていると言い換えられるのかしら」
「はは、その言い方は人間っぽくないかも」
「なにそれ。どっちなの?」
今の返答はまた人間らしさが溢れてると感じ、その独特なちぐはぐさに未夜と加賀美は小さく笑った。
「マキナの部屋はすぐそこよ。慎重に」
「……ああ」
ラススヴィエートに咎められ気を引き締めると、タクティカルライトが通路の先の広い空間を照らす。正面に見える銀色の物体が光を乱反射させていた。
「あれがーーマキナ、か?」
二人は歩みを止めず進み、広大な円形状の部屋に出た。目の前には銀色の巨像がある。それを表現するには、人類には適切な言葉がないと思われた。
円、楕円、三角形、四角形、五角形、六角形。あらゆる図形が幾何学模様を描くデザインで構成された時計と歯車の集合体のオブジェ。どこをとっても対称とならない不規則なフォルムが、何故か絶妙で美しい芸術なのだ。
中心には顔の様な部位がある。金属にしか見えないボディと同化している瞳や鼻、口は今にも動き出しそうな柔軟な立体感のある顔だ。
未夜は直感した。これは、“この世に存在してはならない者だ”。
「ラススヴィエート、どうすればいい?」
言い知れぬ焦りを覚えた未夜が素早くラススヴィエートの指示を仰いだ。彼女もすぐにそれに答える。
「マキナの下部には緊急メンテナンス用のコネクタがあるわ。どれほど精細で万能な知能を持っていても、私達プログラムは想定外のエラーやバグを自身で除去出来ない事がある。だから、あれも万が一に備えて設計に組み込んでいたの。それを私と接続して。私のいる端末は元々、あいつが自分をバックアップする為に設計したデバイスだから」
「全て計算通りってことか。オーケー。行くよ!」
未夜は走り出す。足元を這い登る恐怖が、脳に滑り込む恐怖が、身体を突き動かした。それほどまでに、じっくりと眺めていられない畏怖すべき存在だった。
マキナの足元までの短い距離を探偵としての日々で培った健脚が瞬時に縮める。
「っ! 三日月さん、止まれ!」
加賀美が喚呼した。何事かとブレーキを掛けると、強烈な破裂音が声に続いた。その瞬間、右足に強烈な痛みが走った。
「ぎっ、つ……これ、は」
足元を見ると、スカートから覗く腿は鋭い一本筋の切り傷から流血し、研究所の外で見た鋭い針のアームが床に突き刺さっていた。
「……すまない、暗くて発見が遅れた」
加賀美は拳銃を構えていた。硝煙が銃口から漂っているのを見て、破裂音の正体を理解した。同時に、アームが狙いを僅かに逸れ床に突き刺さった原因も悟った。
「どう、やらっ、はっ……命を、救われたみたいですね」
アームには弾痕が残っていた。突き刺す様な痛みを堪えながら、未夜は加賀美に頭を下げた。
「まだ終わっていないようだがな」
電動ドライバーを回す様な甲高い機械音が聴こえて来て頭を上げると、また別のアームが二本も壁から現れ獲物に狙いを定める動きを見せていた。
「電力は止まっている筈。いや、そうじゃない。マキナが起きているのか!」
「想定外というのは重なるものだな。だが動きが鈍い。どうやらこいつは寝起きが悪いようだな」
加賀美の言う通りアームは滑らかとは言い難い動きだった。
「……そうかもしれない。危険を察知して自身のプログラムを分割し、メンテナンスが不要なところから順番に強制的に起動させているのね」
「だったら、完全に目覚める前に止めるだけだね! 加賀美さん、援護をお願いします!」
未夜は返事を待たずに再び走り出す。様子を見たところでアームはマキナに近付く者へ狙いを定めて来る。それならば動くしか無い、そう判断しての行動だった。
加賀美は言葉を返す余裕もなく、アームへと銃口を向け狙いを定めた。暗い上に対象の形状は長細く、また高い位置にある物を拳銃で狙い撃つのは至難の技であるが、時間はない。一本目のアームはある程度の狙いを付けた瞬間に、引き金を二度引いた。すると、確かな手応えと共にアームが激しく振動し移動した。再び狙いを付けるのには時間を要するだろうともう一本へ銃口をスライドさせると、アームは勢いを付ける為に一度引きを作っている最中であった。
「チッ、間に合えっ!」
二つのサイトの中心にアームを捉えるや否や、何度もトリガーを引いた。アームは一射目の発砲とほぼ同時に未夜へと飛び出す。アームの針は性格無慈悲に、マキナに走り寄る未夜の脳天を捉えーー突き刺さる僅か一瞬の合間に銃弾が根本にヒットし、その軌道を腕を浅く斬りつける程度に修正したのである。
加賀美の心臓が激しく鳴動し、眼を見開き溜まっていた息が堰を切って吐き出された。一発でも外していたら、一瞬でも発砲が遅かったら未夜の命はなかったのだ。
そして、未夜はマキナの足元に辿り着いた。
「……行くよ、ラススヴィエート」
共に過ごした時間は僅かなものだ。交わした会話はお互いの素性や目的を確認する事務的なものばかりだ。それでも、未夜は彼女に対する友情を芽生えさせ、送り出す事を躊躇わせた。眉尻を落とし見つめる未夜に、ラススヴィエートのマテリアルは、そっと未夜の頬にキスをする動作を見せた。
「ら、ラススヴィエート?」
「あなたは、私の友達よ。もし、いつかどこかで、七々扇宵夜に出会ったのなら、優しくしてあげて。舞夜にも、ね」
満面の笑みを、ラススヴィエートは浮かべていた。最早そこにいるのは、ただの人間の少女だった。
「……そうだね。君の護りたい者を護る手助けを、私は友人として成し遂げよう。だから、行ってらっしゃい、ラススヴィエート」
マキナの下部に垂れ下がる端子を、ラススヴィエートのデバイスに接続した。するとラススヴィエートのマテリアルは、神々しい光を放ち粒子となって徐々に消えていく。その姿が見えなくなる最後の瞬間まで、彼女は未夜に微笑み続け、そしてーー
「さようなら、未夜」
別れの言葉を残し、彼女の端末は光を消した。
「キョエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエィ」
突如、銀色の巨体が鳴動し、部屋のどこからともなく耳を劈く絶叫がけたたましく響き渡った。二人はあまりの衝撃に衝動的に耳を抑えた。
「何だこれはっ!」
「マキナがもがき苦しんでいるんだ! 顔の様な模様が歪んでいる!」
マキナのボディはまるで口を大きく開き嘆いている様に見えた。
「離れた方が良さそうだ!」
加賀美の下へ駆け寄る未夜。その判断は正しかった。彼女がマキナの足元を離れた次の瞬間マキナは激しく放電を繰り返し、そして外角からは見えない内部が爆発したのである。
轟音に耳を抑える二人の横目に、マキナを固定していた柱の様な物がひび割れ、横に倒れて行く姿映った。
「危ない!」
崩落する巨体が起こす振動を警戒し咄嗟に未夜を庇う加賀美。しかし、暫くすると音は止み、二人はお互いの無事を確認すると完全に沈黙したマキナの姿を見やった。
神の如く部屋の中央に鎮座していた超常の機械は、見るも無残に砕け散っていた。
「……傷付かない身体も、内側からの衝撃には耐えられなかったようだな」
加賀美はマキナの残骸に歩み寄ると破片を一つ拾い上げ、叩いたりなぞったりする。鉱物や合金に詳しくはないが、やはり触れたことのあるどの金属とも異なる違和感があった。
未夜も後に続く。彼女は置き去りにしてしまったラススヴィエートのデバイスを探した。目立つ青いタブレット型の端末はあっさりと見つかった。驚く事に、奇跡的にマキナの下敷きを免れていたのである。
拾い上げて何度も画面に触れてみるが、一切反応は返って来なかった。
「やっぱり、いないか」
未夜はとてつもない喪失感に襲われた。大切な友をーー『命』を失った哀しみを伴う喪失感だった。
手にしたデバイスを見せ、舞夜に同じ思いを味わせる事になる未来を考え、未夜は加賀美が肩を叩くまでの間、ただただ呆然と立ち尽くすのだった。
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