茄子のすいとん 🍆

上月くるを

茄子のすいとん 🍆




 

 いまでこそ野菜は一年中手に入りますが、当時、夏野菜は夏だけのものでした。

 まして、その年も間もなく暮れようというころに、茄子などあろうはずもなく。


 なのに少女は、高原の町の街道沿いに点在する数軒の八百屋を訪ね歩きました。

 さいごの一軒でようやく萎びた数個を見つけたときのよろこびといったら……。


 


      🍲




 付き添い者用の共同台所には、十円硬貨で十分間ガスが出るコンロがありました。

 不慣れな少女はしょっちゅう噴きこぼし、怖いオバサン連に叱られてばかり。💦


 ままごと道具のような小鍋に湯を沸かし、ジャガイモと揚げと茄子を入れました。

 煮立ったところで、水で溶いた小麦粉のお団子を、スプーンですくって加えます。


 即席出しと味噌の香が混じり合った一品を注意深くお椀に盛りつけながら、病院食が喉を通らなくなった父親はどんなによろこんでくれるだろうと胸を躍らせました。




      🪟




 でも、六人部屋の窓際に運んで行くと、病み衰えた父は怒声をふり絞ったのです。「無駄づかいするな……とうちゃんがいなくなったら、どうして暮らしてゆくのだ」


 世間知らずのむすめに懸命に節約を説き聞かせる目がグミのように真っ赤に濡れ、お盆を抱えた両腕を直角に曲げた少女は、ただただ、悄然と立ち尽くしていました。


 それから間もなく父親は、総合病院の見晴らしのいい六階から、自宅近くの小さな個人医院の、北側の暗い個室に移されました。いまでいうところのホスピスですね。




      🌌




 あのころはまだ患者への告知が普及していなかったのでしょう、父親は治る希望を捨てずにいたようで、ある日、少女に言いました「先生に手術を頼んでくれないか」 


 翌朝、回診に見えた院長に廊下でその旨を伝えると、眉を怒らせて叱られました。

「手術などできるはずがないだろう。そんなことでわたしの時間を奪わないでくれ」


 今夜が山ですと申し渡された晩は、母と妹も初めて少女と一緒に付き添いました。

 すべて諦めた病人は真っ青に澄んだ目の人になって、静かに旅立って行きました。


 子沢山な農家の長男に生まれ、飛び級で農学校に進んでテニス選手として活動し、三度も戦争に征き、その間に最初の妻を失い……高倉健さんによく似た父でした。




      🌠



 

 あれから何十年も経って、少女はとうに父親の没年を越していますが、スーパーの野菜売り場に並ぶ紫紺の茄子を見ると、いまだに鼻の奥がつんとしたりします。💧


 ただ、このことは少女だけの記憶、日々の家業に追われていた母や幼かった妹は、茄子のすいとんの一件をはじめ、細々とした付き添いの日常を承知しておらず……。




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茄子のすいとん 🍆 上月くるを @kurutan

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