春のあらしの通る音

秋色

Spring Storm


 窓を叩く雨粒の音が一層激しくなった。雨の音に邪魔されて、歌のアイデアが浮かばない。

 優以ゆいはさっきまで指をおいていたピアノの鍵盤から離れ、リビングのソファに座り、耳をふさいだ。



 優以の中学の音楽部では毎年、春に作曲コンクールが行われる。今年のテーマは「水」。

 部員は来週までに、それぞれこのテーマで歌詞付きの曲を一曲、作る事になっていた。



 自分だけのメロディーを作りたいのに、思い付くのは平凡な音階の繰り返しばかり。とりあえず「さざ波」とタイトルをつけてみたけど、どこかで聞いたようなメロディーで、ちっとも新しくない。誰も聞いた事のない新しいメロディーは、どこから生まれてくるんだろうと思った時、つい口から出る。


陽菜ひなちゃんは、きっとあっさり歌を作ってるんだろうな」


 ふさいでいた耳から手を離すと、溜息をみ込んだ。陽菜というのは、優以の幼なじみでライバルだった。


「他の子の事は今は忘れたら? 優以は身体も心もデリケートなんだから、あまり無理しないで……」そう言うのはママ。「素晴らしい才能を持っているんだから、自信を持って」と。


 パパは「おい、あの陽菜ちゃんってコは、そんなすごいコなのか?」


「すごいって言うか……」

 正直、陽菜はすごいコなのか、その反対なのか、よく分からなかった。自分自身については、そのどちらでもないと分かっているけど。


 陽菜は何に対しても動じない子で、変わっていた。


 優以はそれに比べ、線が細いとよく言われる。

 例えば、今日桜の花びらを散らしている春雷。優以は雷の音が苦手だ。あの激しく、地に響くような音が。

 だから稲妻が走ると、すぐに耳をふさぐ。数秒後に訪れる雷鳴を聞きたくないから。パパに、「雷が鳴り終わったら、拳を少し上げて合図して」と頼んでいた。今日、ピアノのある自分の部屋からリビングにやって来たのも、歌のアイデアが浮かばないからもあるけど、一番には雷が怖かったから。


「優以は神経が細すぎるんだ。雷の音なんか、ちっとも怖がる必要ないさ。このマンションの部屋に雷が落ちる事はないんだから」


 パパは呑気だから、平気でそんな事を言う。


 ――陽菜ってウチのパパに似てるのかも。呑気過ぎる所が……――


 ふとそんな事を考えた。そう言えば二人とも平気で虫を捕まえたりできる。そして、いつだってストレスなんか感じてないみたいに見える。

 小学生の頃は仲良しだった。遠足で行った水族館や動物園。いつも隣には陽菜がいた。あの頃は、自分もあんまり怖がりでなかったな、と振り返る。そして毎日が楽しかった。


 中学に入るとクラスが別々になり、新しいクラスには秀才の生徒が集まっていて、陽菜のような子はいなかった。それから二年。

 陽菜とは、音楽部だけの付き合いになり、だんだん距離を感じるようになった。なのに、妙に陽菜をライバル視してしまうようになった自分がいる。なぜだろう? そして怖がりになった。



 こっちがライバル視しても、向こうはそれ程、気にしていない。それがしゃくにさわる。昔から優以の方が何でも頑張っているはずなのに、勝った気がしない。勉強も、音楽も。

 頑張ってない事もそうだった。着ている服や持ち物も。たとえ優以が可愛い物を持っていたとしても、陽菜は欲しそうにする事はない。将来は美人になるね、と優以が誰かに言われても羨ましそうにはしていないし。



 いや、自分が全てにおいて勝っているわけでないと分かっていた。


 陽菜は絵が得意だ。優以も絵は上手だと言われるけど、普通に輪郭を描いて塗りつぶしているだけ。でも陽菜の描くのはそんなありきたりの絵でなくて、何か意表をついた絵。花の絵でも空から見た構図で描いたり。

 作曲だってそうだ。去年の作曲コンクールで陽菜の作った曲は、すごく変わっていた。部の顧問の若い女の先生でさえ首を傾げていたけど、最終的にそれがもっと上の方の先生に認められ、金賞をとった。


 陽菜は、美味しいところをかっさらっていく。






 パパは外の雷雨を見くびっていた。

「もう雷もだいぶ遠くへ行ったからいいだろう? こんな合図なんてして、パパは野球の監督なんかじゃないんだぞ。野球って言えば……」


「野球って言えば?」


「その陽菜ちゃんって、天才バッターっぽいよな。さっきママから話を聞いたけど。普通の選手は手を出さないような、とんでもない球を打ちにいってホームランにするタイプみたいだ。優以は、手堅く甘めの球が来るまで待つタイプだろ」


 優以は、その言葉が自分の中の防波堤を崩すのを感じた。


「何よ、パパのいじわる。そんな事、今、言わなくていいじゃない。私だって一生懸命、曲を考えて、それでもダメなんだから」

 そうしようと思わなかったのに思わず泣き崩れた。

 驚いたパパは、オロオロした。ママがやって来て「なんで優以に意地悪言って泣かせたりしたの?」とパパを怒り出す。


「別に意地悪を言った覚えはないんだが……」


 そんな騒ぎの中、優以は稲妻の後、耳を塞ぐのを忘れていた。耳をつんざくような轟く音がする。


 ダダダダン、ドドドウォン、ビシィ


 いつか家族で行った滝を思い出した。長い轟きを聞き終えた今、不思議と怖さはなく。自分の心の中の怒りと悲しみが雷の響きと混ざり合って、ドラムとギターの弦の音が重なった一つのメロディーが心の中に生まれていた。



 ――あ、これ……――


 そのメロディーラインは聴いたこともなく、幻の中で優以をいつかの滝の正面へと連れて行った。水の飛沫を全身に受ける。


 初めて自分の曲が出来たという気がした。



 頬をつたった涙の跡がヒリヒリとするのを感じながら、優以はそのメロディーにただ聴き入っていた。



〈Fin〉



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