第26話


「真中!」



 私が呼ばれたのは警察署でも、どこかの店でもない。病院の一室だった。


 生気のない色で、横たわる娘を見て死んでいるのだとすぐに分かった。



 泣きじゃくる元妻を横切り、顔に乗せられた白い布を取ろうとした時、元妻が言った。


「飛び降りなの。だから、見ない方がいいわ」


 なにを言っているんだ。飛び降りだからなんだ。娘の顔を見たいだけなのに……。


 布を取ると、そこには私の知っている娘の顔は無かった。


「ぅぅうううわああああああああ!!」

 可愛かった娘の顔は見る影もなくなっていた。


 それほどに、強い衝撃を受けたのだろう。


「な、なんで……! なんで真中が……! なんで真中があ!」


 生まれて40数年で、私はこの時が一番取り乱した。世界が終わるというのはこういうことを言うのだと。世界が、私の世界が終わる瞬間だった。



「貴方……。これを」


 泣き過ぎて目をピンボール級に赤くパンパンに腫らした元妻が、私に一通の便箋を手渡した。


『お父さんへ』


 それは、遺書だった。

『お父さんへ いつも忙しそうで中々話す機会無かったけど、本当はもっと話したかったな。

 私が先に死んじゃったらやっぱりお父さん怒る? やだなぁ。怒られるの。

 だけどね、私生きていく方がお父さんに怒られるよりもずっとずっと嫌なの。怖いの。

 お父さん。なんで人ってこんなに怖いんだろう。昔はそんなことなかったのにな。

 またお父さんと一緒に、動物園でアイス食べたかった。さようなら。大好きだよ。 真中』


 真中の手紙を読んだ次の週、私は辞表を出した。


 真中の自殺の原因が、クラスメートのいじめによるものだと分かったからだ。


 娘を殺したのは、同じクラスの生徒。


 私はいつしか、目に映る生徒達がみんな娘を殺した奴に見えていた。

 だから辞めたのだ。


 教師などやっていられるわけがない。


 そして私は、知ってしまった。奏寺何時来という少女を。


――娘を殺した女を。



 しかも、奏寺何時来は録路高校をわざわざ選んだ。


 録路高校のある録路町になにがあるのかもしらず、ただ殺人者というレッテルから逃れるためだけに、こんなにも離れた区域の高校を選んだのだ。


 保身。子供のくせに保身ばかりを気にしている。


 私は、それが許せなかった。

 人を恨んではいけない。


 これまで教え子たちにはそう教えてきた。


 だけど、いざ自分が被害者になってみると、人を恨まずにはいられなかった。


 娘の、真中の無念をどうにか晴らしてやりたい……。



 その方法がどれだけ狂っていても、私にはそれをするしかなかった。



――奏寺何時来を殺そう。



 私の考えがそう行き着くのは、至極当然のことと言えた。私は、奏寺何時来を殺すことだけが生きがいになったのだ。

 いじめの主犯格である奏寺何時来を殺そう。


 そう決めた私の行動は早かった。


 教師時代に築いた人脈を駆使し、『教師業に復帰したい』と吹聴し回った。


『教師業に復帰したいが、心の傷が癒えるまでは本格復帰ではなく、裏方として仕事をしたい。用務員ぐらいが今は丁度いい』と。


 録路高校にコネのある連中にそう言いまわったのだ。


 これまで真面目にやってきた甲斐があって、すぐに決まった。丁度、一人欠員が出ていたという。やはり、真中が言っているのだ。


――お父さん、私悔しいの。奏寺何時来を殺して。


 と。




 暗転が晴れたようである。ということは回想が終わったということか。



「まぁ、そんな感じでさ。娘を死なせた張本人を殺そうって最初から思ってたらしい」


「なんだよそれ! 死ぬ奴が一番悪いだろ!」


 感情に任せてムシロは言うが、ムシロの言葉にエクボは賛同できなかった。


「私は……、わかるかな。真中って人のこと。生きてるだけでこんなに面倒でしんどいなら、死んじゃったら全部全部楽になるんじゃない? って。きっと、私とムシロの中での『死ぬ』っていうこと自体への価値観って違うんだと思う」

「なんであんたまで……!」


「分かり合えないってことなんだよ。いじめっ子といじめられっ子は。貉はわざわざ自分からいじめる側につかないってだけ。だから、私とも一緒におれるんだと思うのね。いじめられているほうってね、結局一番最後は楽になれる方法を探すんだよ。それは逃げてるとかじゃないし、死んだら全部全部終わるとかそんな風にも考えてない。とにかく、今の状況をどうにか抜け出したい。それのための一つの選択肢みたいなものなんだ」


「……! そんなの……!」


「ほらね、ムシロにはわからないでしょ? 死にたいって、思った人の気持ち……。わかんないでしょ? でもね、死ぬのは独りだけど、生きるのは一緒に生きていけるから。だから、友達って大事なんだよ」


 エクボはかっこよく締めたのである。

「でも、辛かったんだろうな……。斜三三さん」


「そっちの味方ばっかりに着くなよ。確かに何時来はイジメで真中って子を自殺に追い込んだのかもしんないけど、決定的に違うのは、自分から死を選んだ真中って奴と、他人の手で無理矢理人生を終わらせられた何時来ってことだろ? 何時来は自分で死ぬなんて選んでないし! 死んだやつの父親だからって、何時来を殺していいのかよ! それに、羽根塚なんて関係ないじゃん! 自分の復讐のためなら、関係ない奴殺してもいいとか……、何様だって!」


 どっちの意見も尤もである。きっと、これに明確な答えなどは存在せず、誰もがずっと答えを探し続けていくことなのではなかろうか。


「そりゃ私だって、斜三三さんのやったことが正しいなんて言ってないよ。悪いことだもん、だけど気持ちはわかるって……」

「まあまあ落ち着けお前ら。そんなこんなで、越智斜三三は、雨の日に急アルでぐでんぐでんの何時来をグラウンドに運び、口の中に大量の水道水を流し込んで、一目に着くところに死体を晒したってわけだ。凄まじい恨みだな」


「……」


 ムシロとエクボはそれぞれ斜三三と何時来を想い閉口した。


「そして、羽根塚由々実だが。彼女は斜三三に酒注射をネタに脅されていたらしい。そのとき、斜三三は正体を隠していたらしいが、誰かがそれを【アヤカシユメカゲ】だと名付けたらしいな。ちなみにそれはどうも羽根塚じゃないらしい、捜査線上で名付け親も浮かんだんだが……」


「どうしたんですか? 誰なんですか」


 ごしごしと頭を掻くと、貉は言いにくそうに言った。

「…… 零島零だよ」


「え!? それだけじゃない。斜三三が関わった一連の事件のほとんどは零島が考えたっぽいんだよ。まぁ、越智斜三三本人は零島だと分かってなかったみたいだが」


「どういうことだよ! 零島ってどこいったんだよ!」


 零島が失踪しているということを知らないムシロは、頭ごなしに貉に突っかかるが、貉は不機嫌そうに「行方不明なんだよ!」と言った。


「零島……」


 エクボは、零島に言われた【四番目の隣人】というワードが妙に引っかかっていた。


 おしゃべりツッキーに録音されていたのもきっと……、零島だったのではないかと。

「それとな……。分かってないことがいくつかある」


「わかってないこと?」



 貉は言おうか言わまいか少し迷った様子を見せ、先ほど何時来に見立てたガムの箱を中指で弾く。


「なんだよ、言えよ!」


 ムシロは本当に気が短い。


 そんな我が妹の言う事に倣って、仕方なしといったように口を開いた。


「ムシロの前に現れたアヤカシユメカゲを名乗ったオバケもどき。そして、部活部屋にペンキで書かれたアヤカシユメカゲ。そして、アヤカシユメカゲという名前を名付けた張本人……。この全てが、一体誰なのかわかってない」

 ムシロは聞くんじゃなかったと、途中からは耳を塞ぎわーわーと声を出していた。


 エクボはというと、貉の言った内容について真剣に思考を巡らし、それでも零島以外にそれは有り得ないという結論ばかりに着地してしまう。


「だけど、本人も言っていたが羽根塚はとばっちりみたいなもんだったな。結局彼女を殺した理由も、ただの口封じだったわけだし……。最初は娘の復讐のためだけだったのに、なんでわざわざ羽根塚を殺す必要があったんだろうな。そもそも正体は明かしていないはずだったのに」


「それは、多分……。羽根塚先生が【アヤカシユメカゲ】の暗号を解いたからじゃないですか?」


 特に考えることもなく、エクボの口からはポンとそれが飛び出した。


「あー……、それ分かる。羽根塚って、あっちらと同じジャンルの女だもんねー」


「だとしたら、斜三三になにかアクションしたのかもしれねーな」


 貉の言ったことは、あくまで推測の域を出ないが、そう考えるのが一番しっくりとはまる感じがした。


 最後まで飲み物が出てこなかったことを不服に思いながらも、エクボとムシロはこの数週間で起こった事件を思い返す。


「あのな、兄い」


 ぽつり、とムシロが思い出したように話し掛け、貉はそれに「なんだよ」と返事をした。


「あの後、高高田と話をしたんだ」

「高高田……? ああ、あのジャパネット」


「高高田もさ、アヤカシユメカゲを名乗るやつに、『奏寺何時来の敵が取りたければ言う通りにしろ』って言われて技術室を片付けて、ロボットを3階に移動させたんだってさ。あいつ、相当何時来のこと好きだったみたいでさ、それもあって色んなこと話したらしいだ」


 貉もエクボも無言でそれを聞き、もしかしたら何時来と言う人間を自分たちは誤解しているのかもしれないと思い始めていた。


 それは、ムシロが何時来のために事件解決に乗り出し、全力で動いてきたことが挙げられる。


 それだけ何時来には人としての魅力があったのではなかろうか。


「反省すりゃいいってもんじゃないんだろうけどさ、何時来はその真中って子を死なせたことはすっげートラウマだったみたいなんだ」

 三角座りで貧乏ゆすりのように体を揺らし、誰の顔を見るでもなく、独白のように話し続ける。


「うちの学校の同じ学年でさ、何時来と同じ中学だったのって、バレー部の海驢しかいないんだ。うちの学校は女子バレー部が有名だからさ、海驢は分かるとしてなんで何時来がわざわざこの学校にしたかっていうと……」


「人殺しのいじめっ子の汚名から逃れたい……ってのじゃなかった?」


 エクボが自分が聞いた通りの情報を言うと、ムシロは「違うって」、強く否定した。


「それは、この録路町にその『越智真中』のお墓があるんだってさ。たまにあいつは、その墓参りに行ってたらしい。だから、お墓に行きやすいようにって録路高校なんだって」


「…………」


 沈黙。静寂。無言。


 重々しい雰囲気であった。それは、決してこの事件が気持ちよく終結した……、とはとても言い難かったからだ。


 二人の死者をだした事件の背景には、そこにも人の死があり、強烈な憎しみを持った元教師の父親……。


 その憎しみは、憎しみに呑まれ、復讐だけで留まらなかったのだ。


 それを悲劇と呼ぶのだと知るのには、エクボとムシロはまだ幼かった。




――某日・怪談トイレ。



「はぁ」


「あれ、なんで溜息ついてるんですか?」



 相変わらず暗くてジメジメしたトイレに、エクボは居た。当然、今の時刻は昼休みである。


「お前がまたここにいることに対する憂いだ」


「意外とセンチメンタルなんですね」


「大体な、ここにはもう来るなって言ったろ」


「行かないなら席を譲る……、とも言ってました」

 確かにそれは言ったな……。トイレ飯は心でそう呟くが、結局のところ平穏が訪れていない現状にもう一度大きなため息を吐いた。


「ほら、元気出してくださいよ。別になにも相談に乗ってくれなくてもいいですから。ほら、おかずですよー、タコサンウィンナーですよー」


「馬鹿にしやがって……。っていうかこれお前タコさんじゃなくて、え? なにこれ、死神? ドクロ? え? なんでこんな怖いの食べてるの」


「お母さんが作ってくれたんです……。くく、くくくく」


「どんな親子だお前んとこ!」


「ほらほらぁ、遠慮なさらずにぃ……」


「言っておくが、俺は物乞いじゃないからな」

 自尊心を無理矢理持ち上げたトイレ飯の発言に、エクボは「はいはい、ワロスワロス」と笑った。


「全く……。いつになったら俺に平穏が」


「私が卒業するまでです」


「~~……!」


「ちなみにトイレ飯さんは、まだ呪いフォルダから消してませんから」


「な、なんで!?」


「私はまだ謝って貰ってませんし、ヒドイこと言われたまんまなんで」


 本日3度目の溜息を吐いたトイレ飯達のいる怪談トイレに、慌ただしい足音が近づいてくる。

「……、破滅の予感がするのだが」


「そうですね……」


 この時ばかりはエクボとトイレ飯の意思が疎通したようだった。二人が想像した通りの展開が、おそらく数秒後にやってくるからであろうか。



「カリスマぁあー!」



「うわ、来た!」



 無論、現れたのはムシロだ。


「事件だぞカリスマ! 高高田んところの『おしゃべりツッキーZZ』が何者かに盗まれたらしい!」

「…………」


「ほんとに!? あの21世紀最初で最後のパイオニア的発明と言われた『おしゃべりツッキーZZ』が!? ゆ、許せない!」


 事件の内容を聞いたエクボも勢いよく、ドアを飛び出すと、締まりっぱなしのトイレ飯のドアの前に立った。


「さあ、トイレ飯さん! 一緒に事件を解決しましょう!」










「勘弁してくれ……。もぐ」














TO BE

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トイレのカリスマ 巨海えるな @comi_L-7

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