第三部
「はじめまして、七菜香さんの友達の本能寺と言います」
「はじめまして。七菜香の兄の仁助です」
もし、矢島七菜香が飛田ケイトと知り合うきっかけがあるとしたら、将棋が好きだという矢島仁助に当たるしかない。どこにいるかわからない金沢将馬より、矢島仁助を見つける方がはるかに簡単だった。
矢島仁助と金沢将馬が高校生将棋大会に出場しているのはネットで検索を掛ければ一発でわかった。金沢将馬の将棋の記録はこれ以上追えなかったが、矢島仁助は別だった。大学の将棋研究会に入り、そこでも大会に顔を出している。大学は出入り自由だ。オープンキャンパスで高校生が出入りするのもよくある。七菜香は堂々と矢島仁助の大学に入り込み、将棋研究会のドアをノックした。そこで矢島仁助を探している、と伝えると、なぜか麻雀研究会の部屋から出てきたから面食らった。徹マン明けで朝寝中だったらしい。
矢島仁助は珍客を前に少し困った表情を浮かべたが、学食にみつぐを案内した。さすがにおごります、と学食内の喫茶店でコーヒーを二つ頼んでくれた。
「金沢将馬さんと結婚を考えているのですが、どうにかなりませんか」
いろいろ考えたが、七菜香の兄を前に、付け焼き刃の嘘は使わないことにした。七菜香と違ってこっちは大分頭が切れそうだった。とはいえ直線を行き過ぎた気もした。相手は案の定苦笑いを浮かべた。
「あー、どうだろう。無理じゃねえかな、って思います」
仁助は頭をかいた。そういう仕草は何となく七菜香に似ていると思った。
「なぜですか」
「ショウマ、七菜香大好きなので」
その一言だけでみつぐは口に含んだコーヒーをしょわしょわとカップに戻した。仁助の顔が露骨にひきつった。
「ショウマと、最初に将棋で遊んでたのって七菜香なんです」
「え?」
知的スポーツの古参にしていまだ前線を走る将棋とバカの七菜香がまるで結びつかなかった。
「ショウマの家はウチの隣だったんですが、ぶっちゃけおれ、というかみんなショウマ嫌いだったんです」
「そうなんですか?」
「なんか、遊んでて楽しくないっていうか。あいつ、子供のころからインドアで、公園に誘っても全然出てこなかったので」
今、アイドルややってるって聞いても信じられないです、と仁助は付け加えた。
「でも、最初に七菜香が将棋持ち出して、ショウマと遊びだしたんです」
「なんで、そんな」
困惑をそのまま吐息に載せてみつぐは訊ねた。
「ショウマが言うには、好きなことして遊ぼうっていって将棋を持ち出してくれたのが七菜香だったって」
――。
「あいつの家族、怖くて厳しい警察の親父と、全然面倒見てくれない母親しかいなかったので。将棋は死んだおじいちゃんが教えてくれたってショウマが言ってました。七菜香がなんで将棋持ち出したのかはわかんないですけど、多分ショウマの家にあったら唯一のおもちゃだったんだと思います」
みつぐは黙り込んだ。
「まあ、七菜香は多分、変な奴をほっておけないやつなんだと思います」
言葉が出なかった。それは、誰よりも、自分が知っているとみつぐは直感した。
「あ、すみません。あの、なんというか、申し訳ありません」
俯いて黙りこくった七菜香を見かねてか、仁助が慌てて言った。そんなことありません、といおうとしたが、声にならなかった。自分はなぜか泣きそうになっている、とその時自覚した。そのまま、顔を見られないように丸くなる。
「これくらいにしときましょうか」
「なんで、いつから……」
涙声でみつぐは訊ねた。
「えっと、多分ですが、付き合いだしたとするなら最近です」
ためらいながら仁助は言った。
「ショウマと久々に会ったのは高校の将棋大会でした。ウチは小学生のころ引っ越して、将馬とはそれきりだったんですが」
仁助は一旦言葉を切った。自分で自分は見えないが、よっぽど話しかけずらい様子なのだろう。
「そのとき、ショウマに言われたんです。七菜香に会いたいって。えっと、この話しますか」
「大丈夫です……いや、やっぱ無理……ちょっと時間ください」
体感時間十分。仁助は追加のお冷と、どこから持ってきたのか、ティッシュ箱をみつぐに手渡した。
「続けてください」
みつぐは言った。聞きたくない気持ちが百パーセントだったが、知らなくてはならない気がした。
「学校でもあいつ、うまくいってないらしくって。っていうか、ずっと七菜香が気になってしょうがないって」
死にてー、とみつぐは思ったし、
「死にてー」とみつぐは言った。
「なんだそれ。バカなの?」
とも言った。仁助は困り顔で、
「将棋はまあまあ強いですよ」と変なフォローを入れた。
「誰もそんな話してないです」
「すみません」
「……で?」
「はい、そのとき、将棋の大会の後なんですが、もしもいつか、七菜香も同じ気持ちだってわかったら連絡してほしいって言われました」
「はあ?」
「ですので、六月の頭ぐらいに、七菜香から昔一緒に将棋してた友達覚えてないかって訊かれたんで、ショウマに連絡入れました」
「トイレどっちですか」
「あっちです」
「吐いてきます。もう無理」
みつぐは吐いた。
トイレに屈みこみ、便器に顔を突っ込む勢いで吐いた。
大体は推論通りだった。矢島仁助こそが金沢将馬と矢島七菜香を結ぶ懸け橋になっていたこと、もしそうなら、自分ではどうにもならない、古い出来事が理由で二人が引きあっていたに違いないこと。いくら知恵を絞っても、どうにもならない彼方に二人がいること。そう、全てに合点がいった。飛田ケイトなる名前を見たとき、そして彼の顔を見たとき、七菜香は忘れていた金沢将馬を思い出したのだ。そのきっかけはほかならぬ自分だ。クソ、クソみたいな偶然、マイナス方向の奇跡が重なっていたのだ。
それと同時に、トイレに浮かぶ吐瀉物を見て思った。ゲロに積もる涙を見て思う。わたしは、こんな、クソみたいな姿になるぐらい、金沢将馬のことが好きなのだ。最悪だった。
「聞いてくれますか」
「あ、はい」
トイレから戻ってきたみつぐを、仁助は困惑の表情で見つめた。
「なんで、わたし、トビ君のこと、好きになったのか」
——
「七菜香、一騎打ちしようぜ」
本能寺みつぐも矢島七菜香も東京に住んでいる。でも、二人の待ち合わせ場所は意味もなく千葉の喫茶店であった。夏休みも終盤、しかしてまだまだ続く強烈な残暑が、エアコン下のアイスコーヒーの氷を見る見るうちに溶かす夏。七菜香は相変わらずカフェオレを頼み、みつぐはアイスコーヒーを頼んでいた。ケーキ付で。
「いいぜ。やろう」
七菜香はふっ、と笑って応えた。
「わたし、トビ君が好き。最初は顔がイイってだけだったけど、違うんだ」
「マジか。まあイイよね。わかる。わたしは、わたしのことが好きな将馬が好き」
「死ね。トビ君はずっと自分を押し殺して変なキャラ付のアイドルやってんだ。でも、本当はほかにやりたいことや好きなことがあるって思う。わたしは、それを一緒に探したい。わたしなら絶対に見つけられる」
「なにそれ。人助け?」
七菜香はふんぞり返って言う。みつぐはぐさり、とケーキにフォークを刺した。
「違う」
そのままケーキにかぶりつく。
「ふーん、でも、やっぱわたしも譲るのは無理。盗れるもんなら盗ってみな」
「じゃあさ、どれくらい好き?」
「え? 世界一だろ」
当然、と言わんばかりに七菜香は言った。
「わたしは吐くほど好き。もうね、自分じゃどうにもならないくらい、好き」
少し間を置き、みつぐは言った。
「うわ、きったね」
彼女の独白を七菜香はまさに唾棄した。
「うるせえよ」
「ふん、まあ、勝手にしろよ。なんたって、将馬はいつもわたしのこと一番に考えてくれてるからな」
「やっぱり吐いていい?」
「だからきたねえよ。やめろよ」
「嘘だよバーカ。わたしは、そうやって七菜香にとらわれてる将馬が嫌い。将馬から本当の笑顔を奪う七菜香が嫌い」
――それに。
「え、ひどくない?」
――多分。
「事実じゃん。七菜香が嫌いだからトビ君が好き」
――こうして。
「はあ? ふざけんな。っていうか意味わからん」
――くだらないことで、ずっと言い合えて、
「ふざけてねえよ、バーカ。脳みそ足りてないんじゃない?」
――金沢将馬と一緒で、わたしのことを気にかけてくれたこの頼れるバカ、
「バカっていうなよ、バーカ!」
――矢島七菜香のことも好きなのだ。
二学期が始まった。
どうなる事かと思われたが、本能寺みつぐは普通に登校してきた。
「彼氏できたんだろー」
一方、教室に入るなり、矢島七菜香は周りから早速からかわれた。その様子を本能寺みつぐはぼんやりと眺めていた。それを確認すると、七菜香は教室中に響く声で言う。
「できたけど、別れた」
「え?」
からかいに来た友達の顔が一瞬でこわばった。
「アイドル辞めるっていうから、だったら、どっかに就職するまで全部なしにしたから。いいよね、みつぐ? 一騎打ちでしょ?」
彼女の言葉に教室中の全員が困惑した。皆が皆、七菜香とみつぐを交互に見た。
「はい、もういいでしょ。質問はなし!」
皆一様に、どこから質問すればいいかはわからないが、とにかく問いただしたいという矛盾した気持ちに駆られたが、結局この時、まともに言葉を放つ者はいなかった。
『七菜香、とりあえず今、バイト始めたからもういいでしょ?』
「ダメ、就職して」
七菜香はあっさりと金沢将馬と別れていた。時期的には、みつぐの宣言を受けた翌日にはそうなっていた。だが、案外あきらめの悪いのが金沢将馬だった。それが少し、七菜香には嬉しくも思えた。わかっていたともいう。なにせ、就職するまで別れよう、といったのだから仕方ない。
事務所に迷惑も掛かる、ということで金沢将馬は契約的にちょうどいいタイミングですぐにアイドルをやめた。十月の頭の話である。そして、最初は警察にでもなろうとしていた彼だったが、警察学校に入ると七菜香に会えなくなることを嫌がって、結局その道は諦めた。とりあえず、今はいい友達だと七菜香は思う。こうして今でも電話やメッセージで連絡を取り合い、口説かれてで盛り上がったりもする。
「あ。いた!」
そして、こうしてテニスコートの脇でさぼっているのを目敏く見つけてくるのが本能寺みつぐだった。夏休み前は、放課後になると七菜香がみつぐを探すのが常だったのに、逆転していた。
「お、部長じゃん。お疲れー」
そしてあれから。本能寺みつぐは何を思ったか囲碁将棋部に入部し、その部長に納まっていた。三人しかいなかったとはいえ、部員を全員を十手ほどで投了に追い込み、ついでに顧問の頭すら下げさせたというから恐ろしい。満場一致の部長だ。しかも、つい最近のことだが、オンライン将棋でフジイソウタを六十六手で降参させたと言っていた。もちろん真偽のほどはわからない。
「できたぞ、計略が」
そういいながら、みつぐは拳を七菜香に突き出した。
「なんだよ」
七菜香はにやにやしながら訊ねた。
「次はー、わたしが、勝つ!」
そういって、彼女は拳を開いて見せた。
「これで、今度こそトビ君はもらった!」
その中には、きれいに磨かれたチェスピースが鎮座していた。
果たして、それが飛躍なのか。七菜香にはわからなかった。
アーモンドフィッシュ、空を飛ぶ 杉林重工 @tomato_fiber
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます