帰り道は長く、雨は止まず

吉所敷

帰り道は長く、雨は止まず

 あっと、そう気付いた時には巨大な映画館のモニターは真っ暗になってしまっている。

 男は、その光景を見てようやく、映画が終わっていることに気付いた。

 少し目を閉じるだけのつもりだったようだが、いつの間にか眠ってしまったのであろう。ひどく汗をかいたのか、男の座っていた座席は濡れている。

 なんだろう、どんな映画だったかな。凄い序盤に寝てしまったのだったのか。そう思うも、男は何も思い出せない。

 もう一度見るという気分にはなれず席を立ち、流れるように退場する客と共に、シアターを後にする。

 道中。男は周囲の客に顔を見られているような気がした。

 いびきでもかいていたのだろうか。申し訳ない気持ちで、胸がいっぱいになる。


 自分がいたシアターでやっていたのは、タイトルもあまり覚えていない冒険活劇の映画らしかった。

 少しだけ違和感を覚えたが、それよりも自分がこんな映画を見るつもりだったことに、我ながら驚く。

 映画館を出るころには、雨が降っていた。

 男は傘を持っていないし、どこかで買わねばと思いながら、映画館の入っていたショッピングモールの廊下をとぼとぼ歩く。

 長い、長い廊下だった。

 そういえば、ずっとこんな廊下を歩く夢を見ていたような気がする。

 連絡通路だろうか。窓もないショッピングモールの廊下に、やたら居心地の悪さを感じた。

 やっと歩いて、外に繋がる大きなガラスの自動扉へとたどり着く。

 やはり、雨だ。

 男はこんな景色を以前も見たような気がして、ふと放置された傘を見る。

 コンビニで購入したであろう、同じようなビニール傘ばかりが並んでいた。

 もし、その中から一本持って行ったとて、誰か気付くだろうか? 疑問はしかし、実行に移されることはなく、傘は物言わず傘立てに生い茂っている。


 ショッピングモールの傘は売り切れていた。思わず足を止める。

 そうなれば、男は急いでどこか、ショッピングモールの外にある店かどこかで傘を購入しなければならない。

 どうにせよ雨に濡れると考えると、気が滅入った。

 

 ……アレ、おかしいな。そう口に出すことにさえ、どこか見覚えがある。

 確か同じようなことがあったんだ、アレはいつのことだったか。

 そう、思った瞬間、背後から声を投げかけられる。


「もし」


 振り向けば、そこには身なりのいい上品なスーツを着て、髪の毛を丁寧に撫でつけた青年が立っていた。


「その……つらくは、ありませんか?」


 男は、しかしこの出来ごとは知らなかった。

 頭を横に振る。 


「あのですね、ええと、その、すみません。少し顔色が悪く見えたので」


 顔色が悪く見えた。

 そう言われた男は、最近自分の顔もろくに見ていなかったことに気付く。

 けれど、さほど大きな病気や怪我をしている訳でもない。

 心配してくれたのは嬉しいが、自分はこのように健康ですよと、そう男が言ったとき、どこか青年は傷ついたように顔をくしゃくしゃにする。

 それもすぐに戻ったかと思うと、青年は思いついたようにカバンを降ろした。

 スーツには似合わない大きなカバンである。


「あの、傘。僕は二本、持っているんです、その、持っていることを忘れて、買ってしまって」


 そういうと、彼はそのカバンから、折り畳み傘を取り出して見せる。


「もし傘が必要なら、どうぞ。お持ちください」


 男は少し訝しみながらも、この好機を逃す手はないと考えた。

 本当にいいのかと訊ねても、青年の返答は変わらず、ただ受け取ってほしいとだけ繰り返す。

 ようやく男が遠慮がちに受け取ると、青年は安堵して胸をなでおろした。


「……失礼しました。外は雨ですが、お気をつけて」


 青年が去ったあと男は首を傾げたものの、いずれの疑念もやはり気のせいなのだと思うことが出来た。


 こんなに奇妙な出来事が、人生で二度もある訳がないのだから。 


 彼もまたショッピングモールを後にして、タイルの張られた道を歩き、赤い駅へと入る。

 一階には食料品や、お土産を売っていたが、しかし人気がない。

 閉まっているような雰囲気はないし、誰もいない。おかしな話だと思ったが、歩を進める。

 流れるように五百円硬貨を入れて、三百三十円の切符を買う……ふと、財布の中を注視すれば、いくつもの五百円硬貨が入っていたポケットの隣に、百円硬貨と十円硬貨が十枚、五十円硬貨が五枚も入っていた。

 こちらから出せばよかった少しばかり悔やむものの、男は次の電車が出るまでにもう時間がないことを電光掲示板の案内で知り、急いで歩き出す。

 

 電車は空いていた。というよりも、誰もいない。

 それなりの規模の街なのに、自分以外が載っていない電車の中を、男は少し寂しく感じた。

 さて、どこの駅まで行くのだったか……。

 そう思案した男は、ふと電車内に置かれたものを見る。

 向かいの席の頭上に置かれている、大きな紙袋だ。

 忘れものだろうと思いつつ、うずく好奇心を抑えきれない。

 きょろきょろとあたりを見回して、やはり誰もいないことを確認すると、少しだけその中身を確認した。

 札束である。

 一切何の衒いもカバーもなく、大漁の札束が紙袋を埋め尽くしていた。

 それを認識した瞬間、しかし男の思考は急激に回転していく。

 今、誰も見ていない状況、誰にも認識されない犯行が可能であること、そして数百万を超える大金の詰まった紙袋。

 巡る思考はしかし、その中でも唯一の答えを見つけ出す。

 放置、することに決めた。

 盗むこともなく、何かリアクションを起こすのでもなく、ただゆっくりと紙袋を閉じて、また席に座る。

 

 それを奪うことも、何かしようとして魔が差してしまう可能性も、誰かに見られて誤解を受けることもなく、ただ無関係に。

 答えを見つけた瞬間、男の思考は晴れ渡り、そして……そして安堵と共に身を包む睡魔で、男は瞼を閉じる。

 少しだけ。



 あっと。

 男は映画が終わっていることに気付いた。

 少し目を閉じるだけのつもりで、どうやら眠ってしまったのであろう。汗をかいたのか、男の座っていた座席は濡れて”いない”。

 そして、男の手には折り畳み傘が握られていた。

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