小説 戦後78年最大のドキュメント   大河小説 玉音放送をつくった男たち 昭和天皇の御聖断

長尾景虎

大河小説 玉音放送をつくった男たち 昭和天皇の御聖断

小説 戦後78年最大のドキュメント

  大河小説 玉音放送をつくった男たち

昭和天皇の御聖断 

~玉音放送という名の英断!あの玉音放送はいかにして成ったか?<上杉史観>忠義と野心の葛藤 - 慟哭の太平洋戦争を生き抜いた歴史的人物たち~

 <降伏か?本土決戦か?ご聖断を完成させた男たち!>


              ~耐え難きを耐え忍び難きを忍び~


                  裕仁 ひろひと しょうわてんのう

                ~昭和の象徴・昭和天皇の人生!

                 わが心の昭和史~

                 total-produced&PRESENTED&written by

                   NAGAO Kagetora

                   長尾 景虎

         this novel is a dramatic interpretation

         of events and characters based on public

         sources and an in complete historical record.

         some scenes and events are presented as

         composites or have been hypothesized or condensed.

        〝過去に無知なものは未来からも見放される運命にある〝

                  米国哲学者ジョージ・サンタヤナ



     ーwith history the final judge of our deeds, let us go

      forth to lead the land we love asking his blessing and

      his help, but knowing that here on earth god’s work must

      truly be our own. ー   JFK


  〝歴史をわれわれの究極の審判とみなし、神の恵みと助けをもとめながらも、

  この地上では神のみわざはわれわれ自身の所業でなければならないことを心に刻みつつ  愛する祖国を導き、前進していこうではないか〝

                     ジョン・F・ケネデイ

                      1917~1963





          あらすじ


 昭和天皇は1901年に生まれた。明治天皇が裕仁と名付けた。そんな明治天皇も死に、乃木希典は後追い自殺を……裕仁は嫡男として皇太子に。しかし、病弱だった大正天皇はすぐに死んでしまう。時代は昭和へ。日露、日清戦争で勝った日本帝国は野望をもち中国などを侵略していく。時代は黒闇の戦争へ……

 昭和天皇は軍部のパペット(あやつり人形)と化して太平洋戦争を黙認する。しかし、日本に勝ち目はない。やがて原爆投下で日本は敗戦。天皇は「人間宣言」をして巡幸してまわる。やがてそんな天皇は八十七歳で崩御……時代は平成へと移る。ベルリンの壁崩壊、ソ連崩壊……冷戦終結…時代は新たな一ページを刻む。

 昭和天皇はいう。

「戦争がさけられないのならばせめて治療法のない兵器は使わないでください」

2014年8月21日に2億円もの費用をかけて『昭和天皇実録』と称する裕仁の87年余の全生涯の研究実録書数十巻(60冊1万2000ページ)が平成天皇皇后に上程された。

                                    おわり

   

『人物表』大河小説 玉音放送をつくった男たち

昭和天皇裕仁……戦争時の天皇陛下(「人間宣言」「御前会議の英断」)

畑中健二……戦争時の狂人将校「玉音放送中止を行動すr」

阿南惟幾……戦争時の政府軍部の大物

迫水久常……戦争時の内閣参与(秘書官)

下村海南……戦争時の報道関係者「玉音放送」のアイデアを出す

下村の妻・ふみ……下村海南の妻

鈴木貫太郎首相……終戦時の首相(鬼貫)

石原莞爾……東条英機のライバル。軍の大物。戦犯容疑だったが病気で免除

小磯国昭……戦争時の首相経験者。のちのA級戦犯

山本五十六……日本の連合軍総司令官

辻政信……軍部の関係者。「ノモンハン事件」の首謀者

*ウムボルト……(架空)日本陸軍の兵士 

      他



      1 天子誕生と戦争



  




  『あの戦争は何だったのか?日米開戦と東条英機』TBSテレビドラマ引用参照

   ⒸTBS  原作・保阪正康氏 脚本・池端俊策氏 まとめ長尾景虎

 あの戦争は何だったのか? 何のために始まったのか? 誰の手で始まったのか?

 止めることは出来なかったのか?

 昭和二十三年(1948)――――蒸気機関車に揺られ、軍服に足にゲートルの記者・吉原正一は、東京の下町の徳富蘇峰氏の邸宅に向かっていた。人混みで埃まみれだ。

 徳富蘇峰とはジャーナリスト兼作家兼言論人であり、戦前・戦中と、テレビのない時代にラジオや新聞記事や雑誌や書籍、それに映画ニュース映像などで〝開戦〟を煽った人物である。勝海舟や伊藤博文、乃木希典に山縣有朋、中曾根康弘などと人脈があった。

 徳富蘇峰の邸宅は『晩(ばん)晴(せい)草堂(そうどう)』という。

 記者の吉原は、畑で作業する蘇峰に頭を下げた。丸い体躯に、仙人のような白い髭に髪の老人のよう見えた。茶系の着物姿である。

「いやあいやあ。巣鴨プリズン(収容所)の友に、野菜でも送ろうと思ってな」

「〝友〟……?」

「東条英機くんだよ。ははは」

 東条英機らは、戦後、A級戦犯として収容所暮らしになったが、徳富蘇峰は高齢のために戦犯指定を免れていた。昭和天皇も戦犯にならなかった。

「どうも。徳富さんはジャーナリストで、新聞社を経営して、記事をかいていたこともあったので、僕らの先輩でもあります。そこで、お聞きしたいのですが、徳富先生は新聞やラジオで〝開戦〟を煽られた。それについては? あなたが戦争を煽ったのでは?

 世の中にはあなたが日本の〝戦争〟を始めた張本人という意見もありますが」

「いやいや。戦争を始めたのは軍人だよ。戦争をするのは軍人だからねえ」

「でも、我々もですが。我々やあなたは〝開戦〟を煽った」

「確かに」蘇峰は認めた。ふたりはごみごみした蘇峰の書斎で話していた。

「わしは確かに、戦争を煽った。いまや、日本はアメリカと闘わなければ活路が開けん、とな。日中戦争では四年の泥沼……米国からの石油輸入も断たれた。ABCD包囲網……〝ハル・ノート〟……わしを裁く、戦犯にするというなら逃げも隠れもしない。いつでも受けて立つ!」

「ですが、〝大東亜共栄圏構想〟自体が、ペテンじゃないですか。アジア諸国を白人の〝植民地支配〟から解放する、とか。結局、イギリスやフランス、オランダから日本人に支配権が移っただけ。石油を止められたから、南方のアジア諸国の油田やガス田を侵略して奪取しただけ。満州だって、中国の一部ですよ?」

「満州は日本の希望であった。台湾も、樺太も、だ。卑怯なのはアメリカではないかね?」

「戦争でのことでしょう? 真珠湾攻撃やアジア侵略のしっぺ返しが、大空襲や広島長崎の原爆ですよね? 軍人が戦争なんか始めるからですよ」

「……なにを言う。確かに我々が煽ったが。国民は〝戦争・開戦〟に熱狂しただろう!」

 昭和四年(『世界大恐慌』の始まり)……昭和十六年一月(『満州事変』『日中戦争』)…

蘇峰は思い出していた。

 日米開戦の数か月前、近衛文麿が総理大臣のときに、一九四一年―――近衛の別邸『荻外(てきがい)荘(そう)』にて、東条英機らを招いて文麿の誕生会をしたことを。

 陸軍大臣・中将 東条英機(満州で陸軍参謀)(陸軍の顔)、海軍大臣・大将 及川古志郎、財務大臣(予備役)海軍大将 豊田貞次郎、企画院総裁・(予備役)陸軍中将 鈴木貞一らで、ワイングラスで乾杯した。まだ、午後すぐの時刻だ。

 近衛は、しきりに、日米の兵力差を気にした。

「僕のところには日米の国力差は十対一とか。石炭十倍、鉄鋼十二倍、石油五百三十倍、総合力で八十倍……という数字があってねえ」

「それはそうですね。資源が足りない」貞一は頷く。

「もう、満州からの北進(陸軍)も、南方(海軍・仏印・ベトナムや東南アジアの石油などの資源狙いの侵略)もしちゃっているし。支那(中国)事変から四年も戦闘状態……米英は支那からの日本軍の撤退を要求している。どうかね? 東条くん」

「私の認識では国力差は四対一……だが、アメリカ人はジュースを飲みながらダンスをするだけの歴史の浅い軟弱人種。それにひきかえ日本人は、二千六百年の歴史と大和魂がある。負けるわけがない。日本こそ天子様の治める神の国。大和魂の尚武の民!」

「……南方や支那からの軍の撤退は?」

「それが一番駄目。不可! 支那(中国)との戦争は四年もかけ、二十万人の日本兵が犠牲になった。それで、撤退では……死んでいった英霊たちに申し訳が立たない。石油や鉄鋼を断たれた帝国日本は、資源が、油が必要。今、東南アジア諸国から引けば、日本は四等国になり、日本が滅びます。それは断固不可! 不可であります」

 東条は断固、〝開戦〟を主張する。

「だけども、陸軍が支那から完全撤退でなければ、外交はならない。撤退しないで石油だけよこせ、という外交ではアメリカが納得しないよ?」

「撤退は不可、不可! 何のためにドイツとイタリアと三国同盟を結んだのか……撤退は不可! 近衛首相、弱気ではダメ。不可であります! 撤退となれば若い青年将校が暴発して、テロをやるやも。ですから、撤退は断固、不可!」

 近衛らはしらけた。

 近衛文麿はもうこの時期、首相の職の無力さに、ほとほと嫌気を感じていた。

 文麿は、首相を辞める気でいた。いわゆる、〝投げ出し〟内閣総辞職、である。

「僕はもう疲れた。首相などお飾りなだけ。実質の権力は〝統帥権〟の陸海軍……天子様がお気の毒である」

 一同が帰った後、次の日のゴルフ場で、内大臣・侍従・天皇の側近の木戸幸一(桂小五郎・木戸孝允の孫)が鼻で嗤った。

「東条の奴。軍を撤退したら青年将校らがテロを起こすとか脅してきて……それを食い止めるのがお前さんの仕事だろう、が」

「〝テロ〟になら、僕はあった。邸宅から車に乗った瞬間、若い男が銃で撃ってきた。幸い、弾は当たらず。テロリストは憲兵が捕らえたがね」

「まったく。〝開戦反対〟の姿勢が見えただけで、それですからな。どちらがテロリストなんだか。国民は米英との戦いに本気で勝てると思っている」

「日本は、日清日露の戦争で勝ったから」

「日清日露? ふん。血だらけで……最後は必死に外交で、勝ったことにしただけじゃないかね」

「僕はもう疲れたよ。首相を辞める。どうせ、お飾り、だ。今の日本の首相には何の力もない。疲れた疲れた。もう、金輪際、やっていられないね」

「……近衛さん?」

 こうして、近衛文麿は首相を辞任、近衛内閣は総辞職と、なった。

 

 ――――昭和十六年十月十七日、陸軍省。

 戦争を止めようという人たちも少ないがいた。陸軍省へ出向の石井秋穂(軍務局参謀課 高級議員・中将)氏。軍服を着た、軍人官僚である。

 軍務局参謀課・執務室。丸刈りの軍服の石井氏は出勤した。

「近衛首相が辞任して内閣総辞職?」

 軍務局長・中将の武藤章が牙をむく。

「石井」

「……はっ」

「どうも、陸軍が近衛さんに無理難題をふっかけて、近衛首相が嫌気がさして辞任したみたいなことになっとる。それは違う、というレポートをかけ」

「ははっ。了解しました」

「それとな、石井」

 軍務課長・少将の佐藤賢了が、口をはさんだ。

「支那から陸軍は断固撤退しない、とお上に上奏しろ」

「ははっ。承知しました」

 首相秘書官・大佐の赤松貞雄がやってきた。

「宮内省から東条大臣に参内の命がきました」

「なに、東条大臣に?」ときいたのは武藤だ。

「はっ。御上直々の御呼びである、とか」

「なんだ? ……また陸軍へのお叱りか?」

「かもしれませんなあ。但し、東条大臣は真面目な努力のお方。御上に叱られるのも嬉しいというひとで……」

 武藤と佐藤賢了は苦笑した。

 やがて、東条英機が陸軍省へやってきた。

 軍服に、部下に勲章をつけさせて大臣椅子に座りながら、石井のレポートを見ていた。

「早くしろ。御上をお待たせするのは畏れ多い」

「それと」東条はにやりとした。

「石井。このレポートはいいね。努力のあとが見受けられる書面だ。人間に優劣などない。その人間が目標に向けて努力をいかにするか、だけで人間の人生はまったくかわる。努力しない人間は駄目。不可! 努力こそ人間の力だよ」

「ははっ。ありがとうございます」

「それと、御上は〝戦争反対〟とおっしゃるかも知れぬ」

 東条が何となくいうと、佐藤賢了は反発した。

「それは不可であります!」

「佐藤。御上……天子様のお考えであるぞ」

「そうですが。アメリカ人などは歴史の浅い国の人種で、チューインガムを噛みながらダンスを踊るだけの軟弱人種であります。そんな国と戦争しても負けるわけがありません」

「……バカヤロウ。お前は馬鹿だ!」

「ははっ。しかし、そう自分を育てたのも閣下であります!」

「……」

 東条は言葉を呑んだ。複雑な顔をする。

 東条は秘書の赤松とともに、車で、宮城(皇居)の宮内省に向かった。

 後部座席で、揺られた。

「天子様は明治帝が日清戦争のときに読まれた御製を口になされたとか。大臣?」

「〝よもの海 みなはらからと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ〟……であろう? これは明治帝が日露戦争の時に、人類は四方ノ海でつながっておる兄弟で、世界平和までみすえた平和の御製……御上はやはり本気であろう、と」

「御上が……戦争回避、ということでしょうか。大臣?」

「う~ん。君臨すれども統治せず。天子様はただお聞きしているだけであろう?」

「そうでしょうか?」

 緊張でかちかちの石のような体になって、天皇陛下の御前に赴くと、東条は仰天した。

 なんと、天皇陛下(のちの昭和天皇)からのお召は、首相への〝大命降下〟であった。

 だが、その大命に陸軍省は大喜びした。部下たちが万歳三唱をする。

 東条は明治神宮に参拝してから、陸軍省へ戻った。

 万歳、万歳、と歓喜の海だ。これで陸軍主導の内閣になる。開戦だ!

 だが、東条たちも馬鹿ではない。これは、戦争を回避させるための内閣であることなど、わかりきっていた。この時代を、暗黒の時代、というひとが多い。

 何故、アメリカと戦争をしてしまったんだ? と。国力差が八十倍……勝てる訳がない。

 無論、軍部も官僚も政治家もわかっていた。だから、東条も戦争をしたくなかった。

 戦争を望んでいたのは軍部でもないし、内閣でもない。

 〝開戦〟のプロパガンダ(大衆操作)に熱せられた国民が、戦争を望んだのだ。

 陸軍に戻る前に、御前で、昭和天皇が、

「〝よもの海 みなはらからと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ〟……どうか?

  東条……どうか?」と聞いてきた。

「………」

 むろん、東条英機は何も答えられない。

 ただ、沈黙して、動揺するしかない。

 東条が帰ってから、天皇は木戸内大臣に漏らす。

「虎穴に入らずんば虎子を得ず……だね?」

「ははっ!」木戸は頭を下げる。

 とにかく、無謀な戦争開始を回避するしかない!

「御上は御立派だ。我々などいくら努力したところで人格でしかない。が、御上は神格であらせられる。さすがは天子様である」

………東条は、首相の座に就くと、〝国策再考〟の指令を密かに出した。

 

 昭和十二年日中戦争開戦。戦火は中国全土に拡大。戦争で二十万人の日本兵が犠牲になった。泥沼の戦争は今年で四年目……。

「まだやるか?」武藤は渋る。

「アメリカとの戦争は太平洋での戦争。つまり、海軍の戦い」

 とは、石井秋穂。

「なら、海軍が折れれば、戦争にならないのか?」

「それは何とも」

「外相の松岡洋右の〝三国同盟〟がなあ。……特に、ナチスドイツのヒトラー総統はなあ。日本はあの男に、どうも振り回されているよなあ」

 武藤は臍を噛むしかない。

 〝国策再検討〟……というのは〝開戦回避〟の思惑である。

 だが、その間も、同盟国のナチスドイツは、パリ入城(昭和十五年六月十四日)、ロンドン爆撃開始(昭和十五年九月七日)、米英(ローズベルト大統領×チャーチル首相)首脳大西洋上会談(昭和十六年八月十四日)、独ソ戦開始(昭和十六年六月二十二日)……

 と、戦況は悪化していく。

 〝国策再検討〟会議は踊るに、踊る。

 陸軍参謀総長・大将の杉山元は、陸軍として支那(中国)からの撤退もしないし、仏印(東南アジア諸国)からの軍の撤退もしない、と意気がる。

「撤退もしない。石油だけよこせ…それでは外交にならない」と、外相の東郷茂徳が反発。

「それをうまくやるのが外交じゃないのかね?」杉山が鼻で嗤う。

「資金もだいぶ足りない」と、大蔵大臣の賀屋興宣はいう。

「じゃあ、撤退はいいだろう。ただし、百年後!」

「杉山さん。あんた、何言っているんですか? 外交条件ならせいぜい五年か十年」

「なら五十年後に撤退を考える」杉山はにやつく。

「なんですかそりゃあ?」

「じゃあ、間をとって二十五年……にしても資源も物資も足りません」

 企画院の鈴木貞一は困り顔だ。

「支那戦争も南方戦争も、全部、陸軍の〝勇み足〟じゃないかね?」

 軍令参謀長・海軍大将の永野修身は不満を漏らす。

 海軍は〝火事場泥棒〟のようなものだった。会議に恰好つけて、陸軍から鉄の補給量をぶんどった。海軍首脳はにやにやする。

 会議は何も決まらない。誰かが、「戦争回避」をいってくれないか? となすり合いが始まった。どこからも撤退しない、だの、「これでは外交にならない」

 と、怒りで失望した外相の東郷茂徳が辞任をちらつかせたところで、〝休憩〟になった。

 今と違って、昔は、当時は、内閣から辞任する閣僚が出れば、『内閣不一致』で総辞職しなければならない仕組みであった。ちなみに、開戦後の、東条内閣を総辞職に追い込んだのは、岸信介商工大臣で、岸による辞任でのことだ。

 杉山陸軍参謀総長は天皇陛下(昭和天皇)に怒られた。

「アメリカとの開戦は六か月でかたがつく」と、適当な上奏をしたからだ。

「杉山! お主は支那との戦いのときも一か月でかたが付くと申した。だが、あれから四年もかかってもまだおわらぬ」

「それは……支那は奥地が広いので……」

「支那が奥地が広い、というなら、太平洋はもっと奥地が広いぞよ。馬鹿者!」

「……ははっ」

 日本の中枢にいる首脳たちは、誰も責任を取らず、すべて先送りにした。

 全員、戦争に勝てないとわかっていたが、言えば殺される。そんな情勢だった。

 責任のなすり合い。軍の撤退は二十五年後……

 やがて、時間切れ。十何時間も会議で話し合って、撤退の時期の〝譲歩案〟さえも削除される。こんな条件で、外交などやれるわけもない。

 会議では、第一案・戦争を回避し臥薪嘗胆。第二案・即時、開戦。第三案・戦争をする覚悟で、作戦と外交を継続……。という三案で、落としどころを探った。

 だが、日本の運命は決まった。開戦、である。

 東条英機は号泣しながら、天皇陛下の御前で、開戦の詔を読み上げた、という。

 こうして、日本人だけで三百十万人もの死者を出した戦争が、始まった。

 泥沼の、誰もが勝てぬとわかっていた戦争に。真珠湾攻撃の第一報で、国民は万歳。

 しかるに、日本が戦況を優位にしていたのはその時だけ。昭和十九年には本土空襲がはじまり、神風特攻、昭和二十年八月六日に広島への原爆投下、三日後に、長崎への原爆投下、十数万人が死ぬ。八月十五年に終戦、というか敗戦。

 こうして、悪夢のような戦争はおわった。

 あの戦争は何だったのか? 誰のための、誰による戦争であったのか?

 もはや、それは言っても仕方がない。だが、問う。あの戦争は何だったのか?





 戦後78年経て、終戦へのプロセスは戦後最大のドキュメントである。

『降伏(敗戦・ポツダム宣言無条件受諾)』か?『本土決戦(一億総玉砕)』か?

1945年8月15日、日本のもっとも長い一日がそれで、ある。

もう平成の世もおわって令和の時代である。明仁親王陛下(平成天皇・上皇さま)や美智子皇后陛下(上皇后さま)の象徴天皇としての慈愛や清いお心は新天皇(皇太子さま・徳仁親王)新皇后(雅子皇太子妃さま)に受け継がれる。

天皇皇后(上皇・上皇后)両陛下は、伊勢湾台風や雲仙普賢岳大噴火や阪神淡路大震災や東日本大震災などの被災者や、ハンセン病やダウン症や知的障害者や身体障害者などへの対応も、まさに、神対応であられる。

確かに両陛下や皇族のお方は人間的にこんなにすばらしいおきれいなお心の方もない。

わたしなどはまだ人間的に未熟なところがあるから、過去に知的障害の禿頭の爺さんに「いやがらせ」を何もやっていないのにやられて、怒って罵倒しそうになった。

97年の二十代の自殺未遂での精神科閉鎖病棟で、のことだった。

わたしに比べれば両陛下や皇族のみなさまはまさに神対応のすばらしい人間であられる。象徴天皇としてこのような天皇さまを皇后さまを得られたのは日本人の幸運である。

この物語の主人公は、まず昭和天皇(裕仁)平和を追求する偉大な天皇である。

「国民は苦しんでいる。もうじゅうぶんではないか?」そして、それを阻止し、本土決戦・一億総玉砕の道に、戦争継続を謀る陸軍少佐畑中健二「決起すれば全軍が立ち上がり本土決戦・一億総玉砕でも最後には皇国日本軍が勝つ!」、そして陸軍大臣、阿南惟幾(あなみこれちか)「御聖断は下ったのである! 御聖断に納得出来ないならこの阿南を斬れ!阿南の屍を越えていけ!」、そして、書記官長の迫水久常「最後の一兵まで戦うしかないのでしょうか?」

そして、第二十四代内閣総理大臣鈴木貫太郎「この戦争はこの内閣で決着です」、そして、下村海南(号・海南(かいなん)、本名・宏)「なんとしても陛下の玉音放送しかないのではないでしょうか?」

 これは終戦までの最大のミステリーに迫る物語で、ある。


 立憲君主と大元帥……

 慈悲深い立憲君主と大元帥……                  

 これが昭和天皇・裕仁(1901~1989)の名称である。

 しかし、実のところは白馬にまたがり軍部の前であやつられるパペット(操り人形)に過ぎなかった。日本人には驚きだろうが、かの昭和天皇は、ヒトラー、ムッソリーニと並ぶ第二次大戦の大悪人のひとりなのだ。                             

 しかし、崩御(死亡)のさい、日本のマスコミはこのことにまったく触れなかった。

 ……死んでしまえば「いいひと」とでもいいたげにお涙頂戴の報道に徹した。

 NHKを初めすべての報道局が昭和天皇の死を報道したが、戦争犯罪に触れたものはひとつとしてなかった。世界はこれに呆れたことだろう。

 先の戦争でも昭和天皇は「もう一度戦果をあげるのがよろしそうろう」などと沖縄戦の一ケ月前に「お言葉」を述べている。

 太平洋戦争末期に出来た近衛内閣の近衛文磨首相は「最悪なる事態は遺憾ながら早々必要なりと存候。一日も早く戦争終結を申し候」と述べた。

 しかし、神の子・天子である天皇は人間らしいことは何もいえない。只、「無駄な血が流れなければよいが…」と他人事のような「お言葉」を述べるだけだ。

なお、この作品の参考文献は、堺屋太一著作、落合信彦著作、藤子不二雄(A)著作、さいとう・たかを著作、小学館SAPIO誌などです。「文章が似ている」=「盗作」ではありません。盗作、無断転載ではなく「引用」です。

 熱しやすい軍部は暴走して、「一億総玉砕!」などと泥沼にひきずりこもうとする。

 これは太平洋戦争の二十数年前に遡らなければならない。

 かつて、『侵略戦争と罪と罰』というような〝かつての日本軍・日本兵は全部、悪であり、ナチスと同じだった〟〝侵略・虐殺〟、というような自虐史観があったと思う。

 まあ、確かに、ある程度の虐殺行為も侵略行為も強姦などもあっただろうが、すべて日本軍だけが極悪だった……などはウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)によるアメリカからの洗脳でしかない。

 では、日本軍だけが悪で、連合軍の、都市無差別爆撃や広島長崎への原爆投下は悪ではないのか?

 確かに、数十年前はみんな騙されていた。ひたすら、日本軍・日本だけの〝悪・戦争犯罪〟だけを言及したのである。だが、もうそのペテンは通用しない。

 と、同時に、韓国や中国の、「(かつての侵略戦争の)謝罪をしろ! 賠償金を払え!」というのも違うのではないか? と思うのだ。

 韓国には1965年の日韓請求権交渉・国交正常化交渉で、日本は国家としての謝罪もおわっているし、その当時、5億ドル(1860億円・現在の価値7700億円)の賠償金も韓国政府に払っている。慰安婦・徴用工の賠償金も「韓国政府」がその金で払うのが本来正しい。

 また、中国へも国家的謝罪も日本はおわっており、賠償金代わりに中国へのODA(政府開発援助)で、5兆円も払っている。もう、おわっているのだ(北朝鮮はまだ独裁国家なので、払えない)。

また、かつての戦争(太平洋戦争・大東亜戦争)でも物凄い欧米人達のアジア人・日本人差別があったことは否定しようがない。欧米人は日本人をイエロー・モンキー(黄色い猿)イエロージャップ(黄色い日本人野郎)と呼んでいた。

東京や大阪などの無差別大空襲や、広島・長崎の原爆投下もその差別からのものである。

原爆で30万人が死に、大空襲でも数万人が死んだが、〝黄色い猿〟と思っていたからこそ躊躇なく攻撃できたのである。しかも、被害者は非戦闘員で、子供や老人や女性だらけ。

前にアメリカの外交筋の馬鹿が、「ローズベルト大統領が真珠湾攻撃を知っていた……なんてふざけるな!」とか激怒していたが、「お前ら原爆を落としただろう!」と言いたい。

米大統領が真珠湾攻撃を知っていたことはもう常識レベルの歴史の事実だ。それでも外交官か! 欧米での日本人捕虜の虐待は『アーロン収容所』という本に詳しい。

映画『グレムリン』というのがあるが、あの小さくてうるさくて水で凶暴化するギズモーグレムリンは、「日本人」がモデルだとか。そうまで馬鹿にしているのである。

だが、日本軍は〝差別主義者〟の欧米兵士に勝った! とまでは言わない。

けしてあの戦争は『正義の戦争』ではないからだ。ある程度の虐殺も、ある程度の侵略も、ある程度の強姦もあったのだ。日本国のために戦い、戦死なされた英霊たちには失礼だが、過去の日本兵や日本人を英雄やヒロインにしたところで、何も変わらない。

我々は現実を見よう。〝アジア人差別〟〝黒人差別〟はなくならない。

だが、憎しみあっても意味がない。それに最近の日本人だって外国人差別をしているではないか。アメリカ兵は原爆で大虐殺をしてもまったく裁かれない。

ベトナム戦争時でもアメリカ兵は酷いことをやったが、何も裁かれない。

だが、日本だけが過去に〝自虐的〟になって、何でも、「謝罪しよう」「賠償金を払おう」というだけでは何一つ解決しない。

 過去の謝罪も賠償金もおわっている。(北朝鮮へは独裁政権が崩壊してから)

まずは、現実をしっかりと見よう。現実に立脚して戦略を練ろうではないか。



 

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