第5話

 …エピローグ


 行方不明の生徒のうち、生存者は一名だけ…。悪魔の血を受けた者の人数も、四百人を超える…、と言う重大な結果に終わった、「私立伊勢崎大付属高事件」…。

 しかし、死んでいた、とは言え、藤沢と吾妻の「脳」を回収できた事は事件の全貌を明らかにする上で「幸運」と言えた。


 二人の脳は、魔術により霊的スキャンがかけられ、事件の記憶を引き出された…。


 事件の大元をたどれば、それは吾妻が周囲についていた「嘘」だった…。みんなに注目されたくて、自分は霊感がある、タロット占いが出来、よく当たる、狐狗狸さんをやれば、良い霊が来る…、などなど、彼女は「霊感少女」を演じていた…。

 最初は周囲も面白がって、彼女をもてはやした。でも底の浅い嘘はすぐに見破られ、みんな口では、「美幸ちゃんてすごいね」、と言いながら、影では彼女を馬鹿にしていた。いつまでも吾妻を信じていたのは、森田ぐらいだった。

 吾妻は魔術を学んでいるという藤沢に泣きついた。

「みんな、陰で私を嘲笑っているわ、私に霊感なんてないって…。その通りよ!だけどなんの取り柄もない私が、みんなから注目されるためには、これしかないの!ねぇ、藤沢くん、藤沢くんは、魔術を勉強してるんでしょう?私に力を貸して!」

 藤沢は、ちょっと舌なめずりをしてから、こう言った…。

「二人で、悪魔を呼び出してみないか…?」

「え…?」

「僕、将来は天使庁に入りたいんだ!新潟県X市事件は知ってるだろう?その生存者は、若くして白魔術師として活躍してるんだよ!悪魔と接触する事で、内なる能力が開かれるのか…、もしくは、召喚してこれを使役する事が出来れば…、ねぇ、やってみようよ!」

 新潟県X市事件の、偏った情報が、一人歩きしていたようだ…。そうして二人は、旧校舎の一室で、悪魔召喚を試みる…。

 儀式は不完全だったが、新潟の一件で物質世界に干渉する事に味を占めていたアブラクサスは、これを利用した。

 藤沢の描いた魔方陣の中央に、自身の「影」だけを送り、二人と対話した…。

「我は古の神なり…、迷える者よ、我が霊薬を口にし、またこれを広めよ…。汝らの交わりをもって祈りを形となせ。汝らの願いを叶えん…。」

 二人の手に、「神の霊薬」という偽りで飾られた、悪魔の血があった…。二人がこれを飲むと、身体が熱くなり、抑えがたい性欲に目がくらみ…、「古の神」の前で、二人は性交した…。

 翌日…、鏡を見た吾妻は驚いた。自分が見違えるほど美しくなっている事に気付いたのだ。肌は透きとおるようで、目も大きく見え、まつげも長く、豊かだ…。顔だけではない、スタイルも良くなっている。

 登校するとみんながどよめいた。しかし吾妻がいの一番に駆けつけたのは、藤沢の元だった。

 彼にも変化が起こっていた…。肥満気味の身体が引き締まり、眼鏡がいらないほど視力が回復していた。

 これが神さまの薬の効果…。神さまはこれを広めよ、と言った…。藤沢は悪魔よりもっと素晴らしいものを召喚できたのだと信じ、おおいに喜んだ。

 二人は周囲に薬を勧めはじめた。美容にいい、恋が叶う、楽しい気分になる…、うたい文句はなんでもよかった。

 事実、吾妻も藤沢も見違えるような変化を起こしている。それに無料なのだし…、試してみたい、と思う者は多く出た。

 そうして、神の霊薬を口にしては乱交が繰り広げられるようになった…。そんな中で、藤沢は、「天啓」を受け、「神」を完全に降臨させる儀式の方法を知った、と言いだした。


 それがアブラクサスの罠だとも知らずに…。


 事件から、一ヶ月ほど経っていた。今日も空は悲しいほど晴れていて、その空の下、桃李は、A棟の屋上で、満琉から事件のこの起こりの、あらましを聞いていた…。

 人からよく思われたい、と言う気持ちは、誰にでもあると思う…。吾妻は、それが少し強かっただけ…、人気者になりたい、みんなから注目されたい、それはどこか幼い感情に思える。

 その幼い感情の行き着いた先が、悪魔召喚…、「罪」になってしまった…。生気を失った吾妻の首を思い出し、桃李はまた、涙がこぼれそうになった…。

 吾妻も、藤沢の前で、心の内の全てをさらけ出し、泣いたのだろう…。それは、無垢な涙だったはずなのに…。

「悪魔は、人の弱い心につけ込んでくる…。X市の時もそうだった…。」

 満琉がぽつり、と言った。屋上から見おろせば、血液検査の結果、事件とは無関係、とされた生徒、教員達が日常にもどろうとしている…。

 門外にはまだマスコミがうろついているが、事件に関する発表は天使庁が行っているし、生徒に何か聞いても、みな「無関係」な訳だから、たいした話も出てこない…。報道関係者の姿は減りつつある…。

 桃李も満琉も、黙って、空を見上げた…。世は全て、こともなし、か…。そこに、屋上の扉を勢いよく開けて、天音が現れた。

「マリエ…、いや、桃李、満琉も一緒か!さっきまで魔界の内通者と話していたのだが、なかなか傑作だぞ?」

 天音だけがニコニコしている…。満琉と桃李も、なんとなくつられて口の端をぎこちなくあげた。

「今回の事件は、被害も大きかったが、アブラクサスには確かなダメージがあった。奴は屋敷に引きこもり、昼も夜もなく燭台に灯を煌々とともして、がたがた震えているらしい。」

 それも仕方ない、と天音はおかしそうに続ける…。

「ダメージはコキュートスに眠る『本体』にまでおよんでいるからな。コキュートスは弱肉強食のおぞましい世界だ、弱った『本体』が他の悪魔に食い散らかされないように、アブラクサスの奴、金をばらまいて護衛を雇っているそうだぞ。」

 桃李はちょっと首を傾げ、満琉と天音を交互に見た。

「コキュートス…、と、『本体』ってなんですか?」

 満琉が答えた。

「コキュートスって言うのは、魔界の最下層にある広大な湖で…、天使は、霊質に近い生き物なんだけど、悪魔は、もっと物質的で、生きてるかぎり、どんどん成長するんだ。でも彼らの寿命は何千年もある…、すると…、」

「本体は、動かすのが難しいぐらい大きくなってしまう。そこで悪魔達は、自身の本体をコキュートスで休ませ、分身を産みだして活動する。我々が対峙していたアブラクサスは、その分身なわけだ。不自由な連中だろう?」

 天音が引き継いで言った。

「今やアブラクサスは、天使ロシュフィエルにぼろぼろにされた者として笑い草になっている。いい気味だ。」

 天音は、ああ、それから、と言葉をついだ。

「アブラクサスに所有権を握られてしまった、四百余名の魂だが、今、死の天使…、死神、と言った方が分かりやすいのか?とにかく、死を司る天使達が、所有権の放棄を迫っていて、あれだけ弱らせたアブラクサスだ、交渉は有利に進むだろう。」

 そうなのか…、よかった…。桃李と満琉の顔にはりついていた作り笑いが、安堵の笑みに変わった…。二人はちょっと、顔を見合わせる…。

「天使様と…、満琉くんは、これからどうするのですか?」

「まぁ、事後処理があるから、あと一ヶ月ぐらいは学園に残るな。こうして受肉しているのもけっこう疲れるのだが…。本当は一度、天界に帰りた…、」

「満琉くん!じゃあその一ヶ月、学生生活が満喫できるように、手伝うよ!」

「え…?」

 言って桃李は、満琉の手を引っぱった。

「なんだ、マリエル…、じゃなかった、桃李、満琉に、親しげに…、」

 そう言って、天音は、はっとしたように目を見開き、あわてふためく。

「マリエル!まさか、満琉の事が好きなのか?それは確かに…、他の男よりはいいが…、おい、マリエル!」

「私は、『青柳桃李』です!天使様も一緒に、学生に混ざりますか?もっと人間の事を知った方が、きっとお仕事の役にも立ちますよ?」

 桃李はもう片方の手で、天音の手も引っぱる。

「マリエル!私をからかっているのか?満琉の事が好きなのかどうか、はっきりしろ!君はもう、来世では天使に生まれ変われるように、推薦状を書いてあるぞ!」

「そんな事知りません!私は『青柳桃李』です!」

 前世とか、来世とか、そんな事知らない。今を、精一杯生きよう。弱い自分の殻に、逃げ込んでしまわないように…。

 天使の思惑も、悪魔の思惑も分からない…。でも、マリエルの話しを聞いて感じた。自分も…、「愛する」と言う事について、学びたいと思う。

 本当の愛を持つとき…、心は、どこまでも強くなれる…、悪魔の手など、およばないくらい強く…。そしてその愛で、きっと誰かを守れると思う…。

「あ、でも…。」

桃李は、天音に、満琉に、微笑みかけた。

「白魔術を学びたい、とは、思いました。だってもう、天使様も、満琉くんも、私の、『友達』だから…。何かお役に立ちたい、って…。」

「それならば、天使庁に来い。素質は充分ある、ステラ・マリエル。」

「どうしようかなぁ…。」

 桃李は笑った。愛を、白魔術という形で、表現したら…、もう、誰かの無垢な涙を、悪魔に利用させたり、しない…。

 もう一度空を見る。悲しいほどに青かった空が、今は愛しくて青い。


 かたつむり枝に這い、神、天にしろしめす…、世は、全てこともなし…。


                                  「終」

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