【附録】 そこから見る景色は

 夕刻が迫る林の小道を、早足でイーアは進んでいく。今日は徒歩ではなく、慣れた愛馬のリゼと一緒だ。その後に二人ほど護衛騎士たちが、同じように軍馬に跨っている。


 収穫祭が終わると、季節は秋から冬に転がり落ちる。祭りの最終日は明日だが、イーアの頬を撫でる風は冷たい。


(今年は冬が早いのかな)


 冬になれば、あっという間に今年が終わり、そして新年の祝祭が始まる。こちらも収穫祭と同じく一週間続く祭りで、儀式や祭事など目が回るほど忙しい行事だ。

 そしてその新年の祝祭では、大夜会が開かれる。帝国中の貴族が集まるこの日は、できればまたチルをパートナーとして連れていきたい。


(さて、どうやって言いくるめようか)


 イーアは頭の中で悪巧みを巡らす。


 ちょうど林が途切れ、大公国兵が控える大門が見えてきた。この辺りの土地は北連五ヶ国が所有する地域で、帝都内でありながら、北連の領土とされている。


 ちなみに東の大公国ことワルドや、西の大公国にも同じような領土はあるが、各国の気質の違いか雰囲気は全く異なる。

 北は圧倒的に美しい。立ち並ぶ建物や門に至るまで、建築様式や色彩が統一され、まるで絵画のようだ。

 実用性と頑強さに重視を置く東とは、何かが根本的に違う。


 イーアの姿を認めた門番が、大門を開く。それを待っていたと言わんばかりの勢いで、一人の青年が飛び出してきた。


 チルだ。チルではあるが。

 大門からノルデンの館までは暫く歩かねばならない。一人でここまで来たのかと、イーアは思わず眉を寄せる。


「イーア!」

 真っ直ぐに駆けよってくる様はいつもと同じだが、印象は大きく違う。すらりと伸びた手足に、男性物のシャツにズボン。きらりと耳元に光る黒曜石のピアスを認めて、イーアは舌打ちした。

 後ろの護衛騎士の気配が少しだけ乱れる。いちいち怯えないで頂きたい。


「遅かったな! もう日が暮れるぞ!」

 お師匠の魔法で青年になりきっているチルは、イーアの乗る馬から一定の距離を置いて立ち止まる。


(馬が怖いのかな?)

 イーアは馬から降り、歩いてチルに近づく。チルの身長は女性の時に比べればだいぶ伸びているが、イーアの方が高い。

「すげぇ、ワルドの馬より大きいな」

 チルは夢中になって馬を見上げながら、恐る恐る近づく。怖いのに興味はあるのだろう。藍玉アクアマリンの瞳がきらきらと輝いている。


「品種が違うらしいよ。北部産の馬は体が大きくて、力も強い。でもこの子はそれほどでもないかな。その分、すごく早く走れる」


 この馬は北の大公国より贈られたものだ。意外と気難しいところがあるが、こちらの気持ちをよく汲んでくれる優しい馬で、イーアはとても気に入っている。


「へぇ……触ってもいいか?」

 チルが恐る恐る手を伸ばすので、イーアはつい笑ってしまう。

「いいけど、ここね。ここを撫でるとリゼは喜ぶ」

 イーアが首筋を指すと、チルはそっとそこに触れた。撫でながら、ふわぁと変な声を出している。

「……あったかいな」

「うん、チルは馬に触るのは初めて?」


 これには、チルは曖昧な表情で答えた。

「だな。ワルドでは馬車は使ったけど、乗馬はなかったな」

「そうか。……乗ってみる?」

「いいのか!? 大丈夫か!?」

 イーアの誘いに、チルは期待と不安をまぜこぜにした様な顔をする。


「リゼ、この子は僕の友達だよ。君の背中を借りてもいいかい?」

 そっと鼻筋を撫でながら言うと、リゼはふるんと首を振った。それに驚いて一歩離れたチルに、イーアは笑って見せる。

「いいそうだよ。ただリゼに二人乗りはできないから、チル一人で乗ることになるけど」

 イーアの言葉に一瞬ぽかんとしたチルは、次の瞬間、満面の笑顔で大きく頷いた。



 ■■■■■



「すげー、すげえな!」

 チルは興奮して、思わず叫ぶ。

 リゼに乗るのは大変そうだと思ったが、イーアの護衛騎士の二人が力を貸してくれたので、意外とすんなり乗ることができた。

 背中で誰かが支えてくれるわけではないので、落馬の危機に備えて二人の護衛騎士が馬の左右に立つ。


「すげぇ気持ちいいな。結構高いし」

「うん、そうだね」

 イーアはさっきから不安そうにこちらを見上げている。はじめて馬に乗る時は、初心者用に訓練された馬に二人乗りするのが普通らしい。リゼは一人乗り専用の子なので、イーアの不安は当たり前だろう。だがチルは彼に、にかっと笑顔を返した。


「大丈夫! リゼすげぇいい子だな!」

 言いながらそっとその首筋を撫でてあげると、リゼは嬉しそうに体を震わす。チルは一瞬バランスを崩しそうになったが、鞍に拵えた即席の取手を掴んで、すぐに背中を伸ばして前を向く。


「チル、本当に乗馬は初めて?」

 イーアが不思議そうに尋ねる。

「だから初めてだって……おわっ」

 リゼが一人で歩き出した。手綱を持つイーアが驚いた顔でそれに続く。

 背中に乗るチルを思ってか、その歩きはとてもゆっくりだ。


「あはは、騎士さんたちに挟まれて、怖かったんたんだな」

 片手を伸ばしてそっとリゼの体に触る。触られたリゼは嫌がっていないので、きっと嬉しいのだろうと思う。

「初めてとは思えない」

 イーアがぼそりと下でつぶやいたので、初めてだっつーの、とチルはブスッとした顔で下唇を突き出して見せる。イーアが声を上げて笑い出した。


「リゼ、ありがとうな。なんかすげぇ嬉しい」


 馬上から広がるのは、整備された真っ直ぐに続く道と、規則正しく並ぶ林に囲まれた瀟洒なお屋敷群。大門から入ると、北連の貴族たちの館が並び、そこを抜けると各国の王族の館、そしてその奥、まっすぐ突き当たりには、北の大公国ベルンシュタインの、お城といってもいいような館が建っている。


 そしてその背後には、森が広がっていた。その森も北連の所有で、その整備された美しい森は今、西日を受けてオレンジ色に輝いている。


「すげえキレイだ」

 そしてなぜか、懐かしい。


「チルが喜んでくれて、よかった」

 下ではイーアが嬉しそうにそう言う。今日は学園からそのまま真っ直ぐにきたのだろう。制服の上にコートを羽織っている。

「っていいうかお前、その格好だと屋敷の連中、お前が何者かわかっちゃうんじゃね?」


 ノルデンの屋敷の使用人たちは皆気さくだが、時々遊びにくるイーアを『どこかの貴族の放蕩息子』だと思っている。というかチルがそう思い込ませている。

 突然ウドと一緒に屋敷にやってきた身元不明のチルを笑顔で迎えるような懐の深い人々だが、さすがに警備的にはどうなのだろうか。

 さらに、男になったり女になったりするチルを大らかに受け入れてくれたり、室内にいつのまにか黒猫と鴉が入り込んでいても、笑って済ませてしまう。あまりにも寛容すぎやしないか。


「まぁ、放蕩息子でも学園に通うからね。心配ない」

 朗らかに会話を交わしながら歩く二人の横を、黒塗りの大きな馬車が追い越して行く。いかにも高貴な人物が乗ってそうな馬車は、四頭引きだ。

 それを見送りながら、馬上のチルは馬車の中にいた誰かと目が合う。髭を蓄えた老人のようだったが、興味がないのでちらりと見ただけ。


「っていうか、お前今夜どうすんの?」

「ノルデンの屋敷に泊まるよ。ウドには許可はとってある」

「まじか!?」


 明日は一週間続く収穫祭の最終日だ。

 収穫祭は皇帝主催の祭事からはじまり、最終日は民の祭事で終わる。

 明日は皇都全体が祭りで賑わう。チルは皇都に来て初めてのお祭りを、学園が休みのイーアと一緒に遊ぶつもりだった。

 まさか泊まりがけでイーアが来るとは思っていなかったので、今日のお昼に連絡をもらってから、チルはずっとわくわくしっぱなしだ。


「やった、じゃあ今夜はいっぱい騒げるな!」

「いいよ。ただし肝試しはしないからね」


 そんな二人に合わせて、リズも嬉しそうに嘶く。チルは思わず、この子に乗って思いっきり走りたい衝動に駆られた。でも、ちゃんと我慢する。きっとそんなことは、今の自分の技術では無理だろう。

 だからそれはいつかの楽しみにしよう。

 もう夏だけじゃない。いつでもイーアと会える。だから一緒に遠乗りできる日だって、きっとあるはずだ。


 そう思いながら、下からこちらを見上げるイーアににいっと笑って見せた。見返すイーアの顔は夕日を受けて、少し赤い。嬉しそうに緩んでいる口元を見ながら、なんだこいつも俺と遊びたかったのか、仕方のないやつだなーとチルは思った。


 ______________________________


 頑張って平常心を保っているイーアは辛抱強い子ですが、さすがに夜中にボードゲーム抱えてチルが部屋に突撃した時は追い返しました。


そのあと二人で、階段の踊り場で真夜中までボードゲームに興じ、侍従長のナイスミドルなおじさまにしっかり怒られました。

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君をめぐる幻想奇譚 ---Phantom Mirror Ⅱ--- ひかり @hikari_hozumi

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