─2─

「……それより、話は聞いた。すまない。その、私のせいで……」


 それが自らの処分に関することだと理解して、シエルはミレダにちら、と視線を向ける。

 小さくため息をついてから、シエルは他人事のような口調で切り出した。


「まだ何も決まっていないし……。第一、俺が勝手にやったことだ。あなたが気に病む必要はない」


「けれど……。最悪、司祭館を出ることになるかもしれないんだろう?」


 そうなったら、一体どうするつもりなんだ?

 そう問われて、シエルは長い前髪をうるさげにかき上げた。


「そうだな……。家名復興を果たしたロンダート卿の家人にしてもらうか。シグマが退役して始める店の用心棒に雇ってもらうか。……まあ、なんとかなると思う」


 今までもなんとかなっていたのだから、これからもどうにかなるだろう。

 そう言うシエルを、ミレダは言い難い表情で見つめている。

 その視線に気がついて、シエルはわずかに首をかしげた。


「……どうしたんだ? たかが一人の平民の行く末なんて、あなたには関係ないだろ?」


 けれど、ミレダは目を伏せ首を左右に振る。

 珍しくしおらしげなその様子に、再びシエルは首をかしげる。

 シエルからの訝しげな視線を受けて、ミレダは固く目を閉じ今度は激しく首を真横に振った。

 訳がわからず立ち尽くすシエル。

 その眼前で、ミレダの頬は次第に赤く染まっていく。


「大丈夫か? どこか具合でも悪いんじゃ……」


「違う……。そうじゃない。そうじゃなくて……」


 言いながら、ミレダはその顔を膝に埋める。

 困ったシエルの耳に飛び込んできたのは、予想だにしない言葉だった。


「……頼む。私を一人にしないでくれ」


 ついで、低い嗚咽が漏れ聞こえてくる。

 シエルはどうしたらよいかわからず、なすすべもない。

 無理もない。

 勝ち気で男勝りな常日頃のミレダからは想像もつかないことだったからだ。

 急ぎシエルはその傍らにひざまずき、嗚咽混じりの言葉に耳を傾ける。


「あの時……戦場に出て、わかったんだ。私は……一人じゃ、何もできない」


 不意にミレダは顔を上げた。

 涙に濡れた青緑色の瞳で至近から見つめられて、シエルは思わずその身を引く。

 刹那、ミレダはシエルに取りすがっていた。


「お……おい、一体……」


 突然のことに身を硬くするシエル。

 戸惑いを隠せずにいるその人に向かい、ミレダは思いの丈をぶつけた。


「ずっと思い上がっていたんだ。私は、何でもできると。でも、敵に囲まれて、自分の身すら守れそうになくて……。その時、お前が来てくれて……」


「あなたは立派だ。ちゃんと今まで、陰謀渦巻く宮廷でちゃんと生きてこられたじゃないか」


 そうシエルはなだめるが、ミレダは力なくうつむく。


「それは、ルウツの名のおかげだ。私はずっと、何かの助けを借りて……」


 しおらしげに言うミレダに、シエルは微笑を浮かべる。


「……人は皆、多かれ少なかれ、そうだと思う。俺も、猊下や師匠やあなたの力がなければ、生きてはいなかった」


「私は、お前を巻き込んだだけだ。助けるつもりが、かえって危険な目に……」


 再びミレダの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。

 戦場では無敵な名将も、さすがに打つ手がない。

 ともかく、いつもの冷静なミレダに戻さなければ。

 ようやくそう思い立ったものの、その方法がわからない。

 こんな時、猊下ならどうするだろうか。

 思い悩むシエルをよそに、ミレダはこう繰り返す。


「私を一人にしないでくれ。頼む、そばにいて欲しい。……お前がいないと、だめなんだ……」


「そんな……。あなたを支える人なら、それこそたくさんいるじゃないか。師匠や猊下にロンダート卿、他にも……」


 けれどミレダは力なく頭を揺らし、そのままシエルの胸に顔を埋める。

 突然のことに、シエルは思わず声を上げた。


「おい、どうしたんだ? しっかりしろ。あなたらしくもない」


 言いながらシエルはミレダの肩を掴み、強引に引き剥がす。

 そして、その瞳を苦笑を浮かべながら正面から見据えた。


「なら、いつものように命令すればいいじゃないか。……元々俺の命は、あなたが救ってくれた物なんだから」


「それじゃ、駄目なんだ。私は……」


 その時、ようやくシエルはミレダが何を言わんとしているのかを理解した。

 一瞬ためらった後、一つ息をつくとシエルは一気に言った。


「……俺があなたを護るのは、あなたが皇女だからでも、恩人だからでもない。あなただからだ」


 頬を伝い落ちる涙を拭おうともせず、ミレダはじっとシエルをみつめる。

 一方のシエルは、言ってしまってから照れ臭そうにその視線を反らした。


「……もっとも、処分が決まらない以上、俺としても動きようがないけれど……。あなたを見捨てるようなことは、絶対にしない」


「……本当に?」


 いつになく不安げなミレダの問いかけに、シエルはうなずいて返すと、居住まいを正して立ち上がる。

 それから言葉そのままの不安げな表情で見上げてくるミレダに向かい、なぜか噴水を指し示した。


「とりあえず、その顔をどうにかしないとまずいんじゃないか? ……その、涙でひどいことになってるぞ」


 その言葉の通り、ミレダの顔に施されていた化粧は涙ですっかり崩れてしまっていた。

 我に返ったミレダは、上気した顔を噴水の水で洗う。


「……これだから、こんな格好はしたくなかったんだ。まったく、面倒以外の何物でもない」


 手巾ハンカチで顔を拭いながらうそぶくミレダは、すっかりいつもの彼女である。

 安堵の表情を浮かべてその場を立ち去ろうとするシエルを見とがめて、ミレダは咄嗟に声をかけた。


「待て。どこに行くつもりだ? 祝宴はまだ始まったばかりだぞ?」


「いや……俺は……」


「従兄殿も、ロンダート卿も、シグマも、皆お前を待っているんだ。行かないとは言わせない」


 言いながらミレダはじっとシエルをみつめる。

 やれやれとため息をつき、軽く肩をすくめてから、シエルはミレダに向かい手を差し伸べた。

 きょとんとするミレダに、シエルはこう告げる。


「及ばずながら、随伴させていただきます、姫君」


 そんなシエルをミレダはしばしまじまじと見つめていたが、破顔するなりその手を取る。


「……苦しゅうない」


 しばしの沈黙の後、二人はどちらからともなく顔を見合わせる。

 そして、明るい笑い声と共に宴席へと向かうのだった。


    終曲或いは蛇足 終

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名も無き星達は今日も輝く【完結済み】 内藤晴人 @haruto_naitoh

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