終曲或いは蛇足

─1─

「こんな所にいたのか?」


 不意に声をかけられて、所在なげに噴水を見つめていたシエルはあわてて顔を上げる。

 そして、声の主の姿を見、数度瞬いた。

 いつもは武人のような格好をしているミレダが、珍しくその身分に相応しい貴婦人の装いをしていたのだから、無理もない。

 あの凱旋から一週間あまり。

 皇宮の中庭では、フリッツ公が主催する祝宴が執り行われていた。


「主賓がいないと形にならないじゃないか。従兄殿もお前と話すのを楽しみにしているんだし……」


 長い裾を引きながらシエルに並び立つと、ミレダはいつもと変わらぬ口調でまくし立てる。

 その様子に苦笑を浮かべて見せてから、シエルはつぶやくように答えた。


「一番の功労者は、あなたやロンダート卿を始めとする蒼の隊だ。俺は何も……」


 何を言っている、と言わんばかりのミレダの視線を受け止めかねて、シエルはうつむきながら言葉を継いだ。


「それよりも、宮廷はまだ一枚岩じゃないんだろ? 姫君一人、護衛も無しで歩き回って大丈夫なのか?」


 確かにそのとおりである。

 今日のミレダは、その服装もあいまって剣を帯びていない。

 加えて動きにくい装いであるから、賊に襲われればひとたまりもないだろう。

 だが、ミレダはにっこりと笑うと、シエルの顔をのぞき込む。


「その時は、またお前が護ってくれるだろう?」


 虚をつかれ、シエルは思わず息を飲む。

 そして、ミレダの視線から逃れるように再び噴水に目をやる。

 水の流れる音が、静けさの中に響く。


「どうしたんだ? お前、何だか今日は妙じゃないか」


 そんなシエルに違和感を覚えたのか、ミレダはわずかに首をかしげる。

 無言のままミレダから離れるように噴水へ歩を向けながら、シエルは常のごとくぶっきらぼうに答えた。


「……その言葉、そっくりあなたにお返しする。一体どういう風の吹き回しだ? そんな格好をして」


 そう言われて、ミレダはわずかに頬を赤らめる。

 相変わらず噴水を注視するシエルの背に向かい、彼女は恥ずかしそうに口を開いた。


「その……。一応、公の場だから相応しい格好をするべきだと、従兄殿が……」


 そうか、とつぶやくと、シエルは足元の石を拾い上げ噴水の中へ投げ込んだ。


「……そんなに妙か? シグマには笑われるし……。私だって、好き好んで着てる訳じゃない」


「似合う似合わない以前に、慣れることだな。その……今後のためにも」


「今後? 一体何を言っているんだ?」


 その時、ようやくシエルは振り向いた。

 その顔には、どこか寂しげな表情が浮かんでいる。

 ますます訳がわからないとでも言うように首をかしげるミレダに、シエルは飽きれたように言った。


「次期皇帝陛下が、どこの馬の骨ともわからない奴と話していていいのか? 公爵閣下もお怒りになるだろ?」


「従兄殿がとうして怒るんだ? お前、本当にどうしたんだ?」


 言いながら差しのべられてくるミレダの手を、シエルは乱暴に振り払う。

 驚いたように見つめてくるミレダに、シエルは少々鋭い口調で告げた。


「……今後、俺に関わらない方がいい」


「何を言っているんだ? 私にわかるように説明してくれ」


 交錯する両者の視線。

 先にそらしたのは、シエルの方だった。


「あなたは今後、この国を背負うやんごとなき方だ。ばらばらになりかけた宮廷を繋ぎ止めるためにも……」


「……従兄殿と結婚しろと言うのか?」


 ミレダの問いかけに、シエルは視線をそらしたままうなずく。

 沈黙が流れること、しばし。

 が、それを打ち破ったのはミレダの笑い声だった。

 おおよそ姫君らしからぬ笑いを収めると、ミレダはいたずらっぽい表情を浮かべる。


「残念ながら、それはない。従兄殿にも選択の自由がある。それに……」


 一旦言葉を切って、ミレダはシエルの様子をうかがう。

 果たして、藍色の瞳は驚いたようにミレダに向けられていた。


「従兄殿によると、従兄殿は従兄ではないんだそうだ」


 謎掛けのような言葉に固まるシエルに向かい、ミレダは柔らかく笑ってみせる。

 そして、フリッツ公から聞き及んだ話をかいつまんで説明した。

 曰く、イディオットは先帝の妾腹の子にあたり、ミレダの母親違いの兄であること。

 その話をイディオットは育ての親である先代のフリッツ公から聞いたということ。

 加えてイディオットにはすでに心に決めた人がいるということ。

 だが、そこまでミレダが力説しても、シエルは表情を崩そうとしない。

 やれやれとでも言うようにため息をつくと、ミレダはとどめの一言を口にした。


「第一、私は帝位に就く気はない。出陣前にロンダート卿にも言ったが、生きて帰れたら臣籍に下るつもりだったんだ」


 そう言うミレダを、シエルは無言で凝視する。

 その様子は珍しく戸惑っているようでもあった。

 が、まったくお構いなしとでも言うように、ミレダは更に続ける。


「と言う訳で、私はやんごとない身分ではなくなる。お前と関わってはいけない理由は、何一つない」


 それに、と、ミレダはシエルの眼前に人差し指を突き立てる。

 驚いて一歩後ずさるシエルに、ミレダは笑いながら言った。


「従兄殿から聞いたぞ。お前、私があの誓を立てたとき、命に変えても私を護ると言ったそうじゃないか」


 じっと見つめられて、シエルはきまり悪そうにその視線をさまよわせる。


「……それは、その……。いや、それよりも」


 大きく息をついてから、シエルは初めてミレダに向き直る。

 何事かと首をかしげるミレダに、シエルは呆れたように言った。


「本気なのか? 臣籍に下るなんて。一体どうして?」


「最初は、姉上に疎まれたくないからという理由だった。私が臣下になれば、昔のような姉妹に戻れると思ったんだ。でも……」


 結果としてこんなことになってしまったな。

 そうつぶやくと、ミレダは豪華な衣装が汚れるのも気にせず草むらに座り込む。

 唖然としてその様子を見やるシエルをよそに、ミレダは降り注ぐ噴水を見つめながら言った。


「玉璽が従兄殿の手に渡るように託されたのは、父上だ。多分、従兄殿が帝位に就くべしとの父上のご意思だと思う。ならば私は、それに従う」


「……そうか」


 言いながら、シエルは二つ目の石を噴水へと投げ込んだ。

 こぼれ落ちる水の音。

 時折、どこからか鳥のさえずりが聞こえてくる。

 気まずい沈黙が流れることしばし。

 それを破ったのは、やはりミレダのほうだった。

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