─43─新たなる時

「……そろそろ子離れしなければならないようね」


 それを受けて、ジョセもしみじみと噛みしめるように続ける。


「巣立ちの時、ですか」


 両者の言葉に、ミレダは何事かと驚いたように振り向く。


「猊下も師匠様も、何をおっしゃってるんです? それは一体どういうことですか?」


 色を失うミレダに、大司祭は静かに告げた。

『殺すなかれ』は、神官にとって絶対の教えであり規範。

 特異な状況下ではあったものの、シエルはその禁を破り、神聖なる神官騎士の白銀の甲冑を血で汚してしまった。

 罪一等を減じられ破門を免れたとしても、永年謹慎……つまりは還俗勧告が下されるのは免れないだろう、と。


「恐らくは覚悟の上だったのでしょう。そこまでしてもシエルは、殿下を始めとする皆を護りたかった」


 大司祭の言葉を受けて、ジョセがそう締めくくった。


「どうして……? どうしてそこまでして?」


「白銀の甲冑は、ご存知の通りそれ自体が護符の役割を果たします。自分の不完全な部分を補完し、極限まで殿下のために尽くしたい。そう思ったんでしょう」


 それほどまでに彼は、殿下を思っていたのですよ。

 そう言ってジョセはどこか寂しげな微笑を浮かべた。


「じゃあ……。結果的に、私がシエルを?」


 呆然として立ち尽くすミレダに、事の成り行きをじっと見守っていたフリッツ公が、おもむろに口を開く。


「その昔殿下があの誓いを立てられたとき、彼は言っていましたよ。自分は命に変えても殿下を護る、と」


 そんな事が、とでも言うようにミレダは公爵の顔をまじまじと見つめる。

 その目に涙がこみ上げ、今にもこぼれ落ちそうになったまさにその時、公爵はにっこりと笑った。


「いっそのこと、シエル殿を近侍に取り立ててはいかがでしょう。そうすれば彼も役職を得ることができますし、殿下も常に側にいることができるではないですか」


「な……従兄殿、突然妙なことを言うな! 確かに、その……私はあいつを信頼してるけど、そういうつもりは……」


 耳まで真っ赤になりながら、必死に弁明するミレダ。

 その様子に、大司祭にジョセ、そしてフリッツ公は暖かい笑顔を浮かべる。


「猊下も師匠様も、何で笑うんですか? 違います! 従兄殿、そんなことよりこの国の行く末を……。例の玉璽の話を……」


 話を振られたフリッツ公は、笑いを噛み殺しながらかしこまって頭を垂れる。


「承知いたしました。何故あれが私の手元に来たのかなど、積もる話もございますので……」


 一旦言葉を切ると、フリッツ公は改めて大司祭とジョセに向き直る。


「お騒がせして、申し訳ございませんでした。件の書状は後日改めてお届けに上がります。では、失礼いたします」


 流れるような所作で礼をすると、フリッツ公はミレダと連立って講堂を後にする。

 最後に残された大司祭とジョセは、どちらからともなく視線を合わせる。


「新しい時代が、訪れるようですね」


 私も、表舞台から降りる時が来たのでしょうか。

 穏やかな口調で、大司祭は前触れもなくつぶやいた。


「猊下……?」


 不安げに問いかけるジョセに、大司祭は目を閉じ頭を揺らす。


「……見えざるもののご意思のままに。私はすべてを委ねましょう」


「……御意のままに」


 言いながらジョセは、その傍らにかしずく。

 向けられた大司祭の顔には、どこか儚げでだが清々しい微笑が浮かんでいる。

 が、その目尻には、わずかに光るものがあった。



……こうして、長らく続いた二つの大国による戦いは、一次的にとはいえ終結した。

 この平和が恒久的なものになるのか否かは、まだ誰にもわからない。



          狂想曲 完

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