後編
アストラルと二人きりで生活し始めてから、幾月もの月日が経った日であった。
私はかなり成長し、痩せ細った貧乏くさい娘は、もうどこにもいない。年齢も、もうワインが飲めるくらいだと、アストラルが言っていた。
「ワイン、この子。うちに新しく住むことになったから、仲良くするのよ」
アストラルはそう言って、ある日、一人の子供を連れてきた。
そしてその子に、私と初めて会った時の同じような事をしてあげた。
アストラルはどこまで優しいんだろう。私一人で相当大変だろうに、もう一人、私と同じような子を連れてくるなんて。
その子も名前が無くて、アストラルから名前をもらっていた。やっつけ仕事ではなくて、しっかり意味の込められた名前を。
その子と一緒に勉強を教えてもらったり、ご飯を食べたり、お風呂に入ったり、眠ったりした。
でも、私は何故か、その子にアストラルと同じような感情を抱くことはできなかったのだ。
どうしてかは、自分でも分からない。とにかく、その子には“大好き”なんて言う気には、到底なれなかった。
「二人とも、この子、今日からうちで暮らすから仲良くね」
数日後、アストラルがまた、新しい子を拾ってきて、同じように愛を振る舞ってあげて、名前を付けてあげた。
その子とも日々を共に過ごしたが、“大好き”は愚か、“好き”なんて言葉も言う気になれなかった。
「この子がうちで暮らすことになりました。三人とも、仲良くね」
アストラルはまた、子供を拾ってきた。
お世話をして、名前を付けた。
その後もアストラルは、新しい子供たちを拾ってきて、私と彼女で二人きりだった館は、十人を超える人間が暮らすようになっていた。
「ねぇアストラル。この計算――」
「ごめんね、先にこっちを教えるから」
勉強も彼女が付きっきりでは教えてくれず、アストラルが全員の所を定期的に回るようなシステムに、いつの間にか変わっていた。教えて、と言ったら教えてくれる、あのときのアストラルは居なくなった。
お風呂もそうだ。前まではアストラルと一緒に入っていたのに、今では他の子達と一緒に、それも順番で入るようになった。アストラルは最後であるため、最初に入る私とは一緒に入れない。
「じゃあ皆。今日も食べられる事に感謝して……いただきます」
テーブルには人数分の椅子が用意されて、アストラルを中心に、左右に子供たちが座った。食事は静かだった。そこだけは変わらない。
けれど、アストラルが隣にいない。優しく、嬉しそうに私を見てくれていたアストラルは、もう隣にはいない。
部屋も、前まではアストラルとの相部屋だったのに、今は単独の部屋だ。ベッドとタンス、勉強用のコンピュータが置かれただけの、部屋。
私はベッドに寝転がって、天井を見上げた。
皮肉な事に、ベッドだけはアストラルと一緒に寝ていた頃と同じ大きさであり、明らかに私一人ではスペースが余っていた。
(アストラルの匂いがしない)
彼女と眠っていた頃は、アストラルの甘くていい香りが鼻先まで漂ってきていて、それだけで幸せだったのに。今は空気の匂いしかしない。
(最近、アストラルと話してないような……)
此処に住む子供が増えてから、アストラルと会話する機会が極端に減った。視界に入れるだけでは満足できない。前までは接して、面と向かって話すことができていたのだから。
アストラルは、子供が増えて忙しそうだったが、何故か私と二人きりの時よりも幸せそうだった。
どうして?
単純な疑問だった。子供が増えて、洗濯や食事の用意、勉強の教え方まで彼女は苦労することが増えたはずなのに。
(アストラル、私のことどうでも良くなったのかな)
私はそんな事を考えているうちに、いつの間にか眠りについていた。
◇
そんな毎日を過ごすようになってから、私はスラム街に足を運ぶことが多くなっていた。理由は食料や日用品の買い足しの手伝い、が一番多いが、今日は単なる鬱憤ばらしである。要するに、家出というやつだ。
布切れのような服を纏った人々の間を、小綺麗な服で身を包んだ私が通り抜けていけば、どこか羨ましそうな、ねっとりとした視線を大量に浴びた。
ふと、路地裏を覗けば、そこには遺体を運ぶ回収ロボットの姿が見えた。
(懐かしい……ような)
私は暫くそこに立ち尽くして、ロボットがローラーを転がして何処かへ去っていく様子を眺めていた。
そんな時だった。
後ろから誰かに抱きつかれ、身体を持ち上げられる。
抵抗する暇も与えられずに、路地裏へと連れ込まれてしまう。奇しくも周りには、誰もいなかった。
「身なりの良い女だな。大人しくしてろよ」
私を連れ込んだのは、柄の悪い大きな男。
叫ばないように口を汚い手で塞いで、もう片方の手で私の手首を押さえつけていた。
――何をされるんだろう。
私は怖くて堪らなかったのに、声が出なかった。
アストラルの名前を呼ぼうとしたのに、声が出なかった。
どうせ来てくれない、そう思ったからだ。
すると、私に手をかけようとした男が白目を向いて真横に倒れる。
その後ろから現れたのは、背が高くて細々とした女の人だった。
一つに束ねられた、緑色の長い髪。ぴっちりとした黒のハイネックとタイツで身を包み、黒いスカートを履いている。胸には白銀のボディアーマーを身に着けていた。
「大丈夫?」
女の人は私に手を差し伸べてくれた。
私はその手を握って、ゆっくりと立ち上がる。
「もう平気だよ。私が来たからにはね」
女の人は沢山の武器を持っていた。背中にはショットガンやライフル、腰にはピストルやブレードといった、大量の殺戮道具を。
「あの……あなたは」
「私は都心部で働いている傭兵よ。名前はロンギヌス」
「……その名前にはどんな意味が?」
うっかり口から出た言葉。なのにも関わらず、ロンギヌスは真剣に悩んでくれた。
「えーと、母が言うには……英雄……? だったような」
「そう……ですか」
私はスカートに付いた汚れを払い、ぺこりとお辞儀をした。
「助けていただき、ありがとうございました」
教わった通りにお礼をし、その場を去ろうとしたが、ロンギヌスに呼び止められて足を止める。
「待ってお嬢ちゃん。私の手助けをしてくれない? すぐ終わるから」
「何ですか?」
「難しい話かもしれないけど、今、宇宙開発が進んでいて、別の惑星に基地が完成したんだ。そこではね、沢山のロボットが造られて都市部まで送られているんだけど」
ロンギヌスは一息置いてから話を続ける。
「そこにね、良くないロボットが混ざっちゃったんだ。人にそっくりで、人間と同じ知能を持っているのに、運動能力が桁外れなロボット――〈フロム〉って名前なんだ」
「……へぇ」
「お嬢ちゃん、何か知らない? そのロボットは人間に興味深々でね。人間の真似事をして暮らしてるから、いつ危険が訪れるか分からないんだ」
そんな事を聞かれても、館で暮らし、たまに外に出る程度の私には、何の情報も提供することはできなかった。
でもどうして、心にモヤモヤが生まれてしまうのだろう。心当たりなんて無い筈なのに――。
だが、私は申し訳なさそうに首を振る。虚偽の事実を教える訳にはいかない。
「そっか……ありがとう。家まで送ろうか?」
「大丈夫です。今度は一人で帰れます」
「気をつけてね」
ロンギヌスと別れ、私はさっさと館へ戻る。
◇
館を勝手に抜け出した為か、アストラルは私を見るや否や、私の方へ駆け寄ってきた。
心配してくれていたのかな。
そう思っていた矢先――彼女の掌が、私の頬をぱちん、と叩いた。凄まじい衝撃が頬を襲い、私は派手にずっこけてしまった。
叩かれた箇所が、骨まで、あり得ないほどにジンジンと痛む。
「どうして勝手に抜け出したりしたの!!」
アストラルの、初めて聞く声。震えていて、火がメラメラと燃え盛るような、荒々しい声色。床にひれ伏したまま、そんな声を聞いていた。
「みんなに迷惑がかかっているのよ!?」
そう怒鳴るアストラルの後ろで、他の子供達が、私のことを見ていた。表情はよく見えないが、ただただ見ていた。
「……ごめんなさい」
私はそう言ってから、逃げるように部屋に戻る。
背中に感じた、温かくも冷たくも無い視線が、嫌で嫌でたまらなかった。
ベッドに飛び込んで、顔を枕に埋めた。
視界を真っ暗にすると、色々な事が頭に浮かんでくる。無論、今思い浮かんでくるのは、先程の情景だ。
何で心配してくれないんだろう。
どうして、ロンギヌスのように“大丈夫”って言ってくれないんだろう。
私はとにかく悲しかった。優しいアストラルのイメージが、脆いガラスの置物のように砕けていくのが感じられる。
――あなたは、幸せになっていいからね
結局、あの言葉の真意は何なのだろう。
私だけかと思ったら、他の子達全員にも言っていた。
あの言葉は、彼女からすれば“決まり文句”みたいな物で、本当はみんなを――否、私を想って言った言葉では無いのではないか。
だとするならば、彼女はどうして私を拾って、たっぷりの愛情を注いでくれたのか。
そして、それだけの愛をくれたにも関わらず、何故私に暴力を振るったのか。
「私って、本当は愛されてないんだ」
口に出してみると、案外哀しくない。
スラム街で“愛”を知らずに育った私に、沢山の“愛”を注いでくれた恩人。
私は、アストラルの事を勝手にそんな人だと、勘違いしていただけだったのかもしれない。
深い、深いため息が漏れた。
こんなにも熱くて、虚しい息を吐いたのは、産まれて初めてだった。
自分は母親の顔すら知らない。だから、アストラルが母親代わりだった。
そんな彼女から愛を与えられないとなれば、私はもう、誰からも必要とされていないのかもしれない。
それじゃあ、あのときに逆戻りだ。
◇
何を思い立ったのか、私はまた館を抜け出して、スラム街に出向いていた。
昨日のように目的がないわけではない。
けれど、それを口に出したり、ましてや人に言うなど恐ろしい。
「おや……君は……」
聞き覚えのある声がして、私は思わず足を止めた。
見上げると、そこにいたのはこちらを見下ろすロンギヌスと、その仲間らしき人々だった。
「なんだロン、知り合いか。随分可愛いじゃないの」
「どうしたの、今度は迷子?」
ロンギヌスは私に優しく微笑みかけて、そう尋ねてきた。
私は意を決して、大きく息を吸ってから
「〈フロム〉を見つけました」
そう言うと、ロンギヌス達は驚いたように顔を見合わせ、私の方へ一斉に顔を向けた。
「本当か? 嬢ちゃん」
「ウソついて俺らを騙そうって訳じゃねぇよな!」
「ウソなんかじゃ、ないです……」
後ろの男達に捲し立てられても、私は怯まなかった。
ロンギヌスだけは何の文句も言わずに、私の声に耳を傾けてくれた。
「お嬢ちゃん。名前は?」
「ワ――」
「……ワインです」
「ワインちゃんか。〈フロム〉を見つけた人には、沢山のお金を支払うことになってるんだ。君、お母さんかお父さんは?」
「……いません」
ロンギヌスは困ったように笑ってから、仲間に目配せした。
「案内してくれない? ワインちゃん」
「……分かりました」
私だけの物じゃないのなら、もう。
私には必要ない。
◇
息を切らしながら、私は館へと向かっていた。
道中で、私は彼女らに〈フロム〉について説明をした。
初めは半信半疑だった彼女達だったが、次第に私の口から出される情報が〈フロム〉の物と一致したことで信用し、何の疑いもなく着いてくるようになった。
館に着いて、私はおびき寄せてくる、と言って単独で館の中へと足を踏み入れていく。
長い、長い廊下を渡り切ると、食卓にはいつもとは違う料理が並んでおり、アストラルが一人、そこに立っていた。
「ワイン……!!」
アストラルは泣きそうな顔で駆け寄ってきて、私を抱き締めてきた。
「心配したのよ……!! 二回もここから抜け出すなんて……!!」
「ごめんね。私、あなたに何か嫌なことをしてしまったかもしれないわ。……ここが嫌になったのよね、きっと」
温かくて柔らかい。彼女の腕の中って、こんなにも温かったっけ。
「今日はあなたにワインを飲んでもらおうと思ってね。あなたの好きなパンに染み込ませて食べると、きっと美味しいわよ」
私の。
「ほら、みんなを呼んできて」
私だけのあなたでいてほしかった。
それから、ほんの十三秒にも満たない間に、私は本当の『愛』を知った。
血の匂いによく似た、鉄の匂いと共に。
どこかから 聖家ヒロ @Dinohiro
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