第20話 宇宙推進器
分子輝線は水素の痕跡を示していた。管制塔はおおいぬ座五二便へと連絡を入れる。
「このまま、おおいぬ座方面へは飛ばずに、やや迂回することになりますが……」
「了解」
スペース・ステーションは立体的な空港基地だ。数十台の電波望遠鏡と空港から成る。
きょうもナジ・ホリタは管制室から全宙映像を眺めつつ、手元のコンピューターに送られてくる、分子輝線の森を凝視する。分子輝線はそのままグラフにプロットされる。
同僚のイマーリ・フジがコーヒーを運んできた。
テレビジョンでこいぬ座の事件が報じられている。
「なかなかひどいらしいです。革命で王族やその家来たち皆殺しだとか」
ナジはコーヒーを啜ると、
「こいぬ座への便はとうぶん欠航だろう」と眉をひそめた。
「事件が沈静化するまでですね」
ピピッとアラームが鳴ってふたりは眉根を上げた。イマーリが確認へ急ぐ。
「たいへんです、ナジ先輩……」
こいぬ座から逃亡してきた宇宙船がスペース・ステーションへと向かっているらしい。その宇宙船のパイロットはこうも言った。スペース・ステーションへは効率的で早く行ける航路の提示を願うと。ナジは乗り気ではなかった。宇宙の厄介事に巻き込まれるのは勘弁だ。空港の仕事は忙しい。
「所属不明便へ。スペース・ステーションへの航路は提示できません。ほかをあたってもらう」
宇宙船のパイロットは食い下がる。
「人道的配慮を求む。私達はこのままでは殺されてしまう。航路の提示を願う」
殺される、か。そう言われてしまうと仕方がない。イマーリへ視線を向けた。
やるぞ。空港マンの本気を見せてやるのだ。
こいぬ座からせいぜい数千キロメートルを飛ぶ所属不明便は、宇宙の規模からすればまだごく小さな距離しか飛んでいない。核融合式のバザード・ラムジェットは星間領域中の水素を燃料にしながら飛ぶ推進方式だ。一般的な宇宙船に採用されており、飛ぶにはスペース・ステーションによるサポートが必須である。電波望遠鏡による分子輝線の観測によってその性能は十分に活かせる。
こいぬ座事件の詳細をイマーリに調べさせているあいだに、電波望遠鏡にリンクされた各地の望遠鏡ネットにも回線を繋ぐ。
所属不明便がどこを飛んでいるにせよ、航路を立体的に把握する必要を感じた。
便はどうやらこいぬ座からぎょしゃ座方向へ舵を切り、そのまま遠宇宙へと逃亡を図ろうとしているらしい。しかしそのためには分子雲が形成する、水素の雲をうまく捉えることが重要だ。分子雲は気まぐれな性質を取る。分子雲を捕まえられれば大きな加速を得られるが、逆にできなければ追手に捕まえられてしまうだろう。
イマーリがこいぬ座事件の詳細を伝えてきたのは空港時間で二〇分後のことだ。
「王女ミカエリアがこいぬ座から逃亡を図ったと現地メディアが伝えています。革命軍は宇宙船を追っていますが、ミカエリアと同じ航路を進んでいるため加速はできず、アキレスと亀のような状態だそうです」
「ということは航路をいち早く掴んだほうに軍配が上がるということだな?」
「そうなります」
電波望遠鏡の回線から徐々に分子雲の存在が浮かび上がる。
予測とは言え、数十分後にミカエリアの乗る宇宙船の航路上に水素が潤沢に存在する分子雲が姿を表すはずだ。これで一安心だ。そう思えた。
「所属不明便、これからあなたたちをミカエリア便と呼称します。宇宙船が加速できる分子雲の特定ができました。データをシェアします」
相手は少し驚いた様子で言った。
「……感謝する」
ナジはデータを送信すると一息ついた。
「イマーリ、これでいいんだよな?」
「先輩は素晴らしい仕事をしましたよ」
首元を緩めると、コーヒーが冷めていた。もう一杯と思い、立ち上がる。イマーリが声を荒げる。
「先輩、たいへんです!」
「何があった?」
「こいぬ座革命にイーデリアス銀河帝国が関わっていることがわかりました」
「銀河帝国? だとしたらバザード・ラムジェットなんかじゃ太刀打ちできない推進方式を備えているぞ。まずい、これはまずい……」
ブラックホール・ドライブを有するイーデリアス銀河帝国を知らないものはいない。縮退するブラックホールへ加速する物体をぶつけるとピョンと別のブラックホールへとワープできる推進方式を持つ帝国は、銀河上のあらゆる場所へ機動力を備えた無敵艦隊だ。
空港マンと張り合える相手じゃない。ナジは冷や汗をかいた。
イマーリが口を開いた。
「大丈夫です、さいわいブラックホールは量子雲のなかに存在する確率的なものです。しっかりとその位置が決定しない不確定性原理のうえだからこそ、ミカエリア便にすぐ追いつくことは構造上不可能です」
やけに冷静な後輩を見て襟を正すナジ。そうだ、量子雲は情報に過ぎない。こっちが相手にしているのは現象であり、コトである分子雲だ。分子雲の予測精度で負けることはないだろう。あとはやるだけだ。
でも帝国を相手にする? 上司になんと言えばいいのだろうか。
「イマーリ、俺たちはこのまま救国の英雄になるか、逆賊の兵になるか、どちらかを選ばないといけないみたいだな」
「ナジ先輩に従いますよ……」
視線を交わすとふたりは仕事を始めた。
加速をしたミカエリア便の予想進路は描けている。イーデリアス帝国の出現位置はブラックホールの生成と消滅位置を逐一確認しなければ得られない。観測機器はもともとそれ用に作られているわけではないが、強烈なX線やガンマ線などの電磁波を感知できなければならない。ブラックホールの位置情報は空港のシステムでは掴むことはできないが、分子輝線を検出するシステムで応用が効かないわけではなかった。
ナジは黙って作業を続ける。そうして、空港時間で二時間が経過した。
イーデリアス銀河帝国の動きは、バカみたいな広報アカウントによる銀河ネットのフィードで筒抜けの状況であることが幸いした。
こいぬ座星系に陣取った無敵艦隊はそのままぎょしゃ座方向へ向かう。ミカエリア便とそう変わらない。ただ彼らには確実な移動法がブラックホール・ドライブという確率論的な推進システムでしかないために、すぐにはミカエリア便が撃墜されることはない。ただし低い確率でもハズレを引いてしまえば、ミカエリア便に横づけする形で無敵艦隊が並走して撃墜という流れになるだろう。
ナジは祈るようにして、とある観測所に連絡を取った。
――ホーキング・イベントホライズン・テレスコープ。
こいぬ座星系で古くからブラックホール検出の観測所はあるが、由緒ある施設はまずここであり、ホーキング観測所にブラックホールの予測をさせれば右に出る施設はない。
「スペース・ステーション管制室のナジです。お願いがあります……」
深々と頭を下げつつ、今回の事件を偽りなく伝える。ホーキング観測所のルイーズ・イマムラは顎に指を添えて思慮深い様子で聞いていた。
こいぬ座事件はルイーズも知っているはずだ。ミカエリア便をいち早くイーデリアスの無敵艦隊から引き離すにはどうすればいいのか。ブラックホールの位置を突き止める以外には方法はないだろうと感じていたナジにルイーズは思わぬ反応を見せた。
「イベントホライズン・テレスコープとしては、ブラックホール・ドライブに先んじてブラックホールの位置情報を得られることは難しいと感じています。しかし、ブラックホール・ドライブにはとある弱点があります」
ナジはごくりと喉を鳴らした。
「工学ですよ。いま私たちが研究している工学的実験はブラックホールにブラックホールを衝突させることで、そのワープする特性をゼロ以下にできるのです」
「それはどういう……」
理解が追いついていかない。ブラックホールは自然的に発生する時空の穴ではなかったのか。
「ブラックホールは時空に存在する熱力学的な存在です。ですから自然に存在するブラックホール以外にも人工的に作り出せます」
ルイーズが話していること、それはブラックホールがエントロピーを関数にした現象であることらしい。その熱伝導方程式とホーキング吸収の情報からホーキング観測所の姉妹観測所であるベッケンシュタイン観測所に存在する量子コンピューター、アレルヤで計算して次のブラックホールの位置情報を掴む。いっぽうでホーキング観測所の有するブラックホール・ジェネレーターをイーデリアスの無敵艦隊が通過するブラックホール上に投下することで、ブラックホールを衝突させて、無敵艦隊の進路を封鎖するのだ。
「それが出来る可能性は?」
「三一パーセント。成功率は高いとみています」
やらないよりはマシという数字だな、ナジはそう思った。
「どうしますか……」
助けた人間をもういちど助けるだけさ。胸のなかにその言葉が浮かんだ。
作戦はホーキング観測所の所有する宇宙船、ガルガンチュアを中心に行われる。さいわい、ホーキング観測所の場所はこいぬ座からも近い。ホーキング観測所側は本拠地の宇宙軍も出動させると言ってくれたが国際問題になってしまうので辞退した。ガルガンチュアと空港の管制システムとをリンクさせる。ミカエリア便へ危険を知らせるとナジたちは作戦を決行した。
イーデリアスの無敵艦隊はすでに加速を開始しており、ブラックホールの事象の地平線を超えたところを航行しているらしい。エキゾチック空間を宇宙船に纏わせて、自身を潰さないようにしながら、ブラックホール中心へと落ちていく。その模様を広報アカウントがリアルタイム映像で示している。電磁波でノイズがひどい。
ミカエリア便へ航路の変更を伝える。同時に後方四〇〇万キロメートルへ続くガルガンチュアへ情報を共有する。水素の潤沢に存在する航路を勧め、アレルヤからの計算結果をもとに次の無敵艦隊の出現場所を算出した。
ミカエリア便の後方、五〇〇万キロメートルの位置の小さなブラックホールに無敵艦隊の姿が現れた。
ナジの手のひらは汗ばむ。
ガルガンチュアはブラックホール・ジェネレーターを起動させてイーデリアスの無敵艦隊のいる星間領域にブラックホールを生成した。無敵艦隊前方に巨大な虚空があんぐりと口を開く。無敵艦隊はそのブラックホールに突入した。失敗だ。思わぬ事態にナジたちは息を飲む。
ブラックホール同士を衝突させなければ意味がない。ブラックホールを生成したことによって相手の加速するチャンスを作ってしまった。
ミカエリア便は急加速したようだ。バザード・ラムジェットでどこまで逃げられるか分からない。
ナジはミカエリア便に呼びかけた。
「ガルガンチュアがブラックホールを生成して無敵艦隊の推進力をゼロ以下にします。分子雲が濃い、航路をお知らせしますから飛び込んでください!」
「了解、感謝する」
ベッケンシュタイン観測所の量子コンピューターが唸りを上げているのだろう。次なるブラックホールの出現位置は、ミカエリア便のすぐ横二〇〇万キロメートルの位置だという。
ガルガンチュアはここで機転を利かせた。ブラックホール・ジェネレーターでカー・ブラックホールを前方へ射出して、スイングバイを図って急加速し、ミカエリア便が見える場所まで届く。アレルヤが計算結果を出した。ミカエリア便の横に無敵艦隊が来る。
空間が歪み、その艦隊が姿をゆっくりと表す。体感では一瞬の出来事だ。各種情報からナジには各機の様子が手に取るように分かる。
「ここだ……」
ガルガンチュアのブラックホール・ジェネレーターから射出されたブラックホールが無敵艦隊の正面へ飛ぶ。
無敵艦隊の推進力は負の値を取った。
後退していく無敵艦隊を全宙映像から読み取ったナジはガッツポーズをした。
「先輩、やりましたね」
イマーリと固い握手をした。さて、これからどんな始末書を書こうか。ナジの仕事はまだ続くだろう。〈了〉
Small Box Of Science Fiction. カクヨムSF研@非公式 @This_is_The_Way
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。 Small Box Of Science Fiction.の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます