第28話 芽吹き
火の爆ぜる音が、断続的に耳へと届く。
今はもう随分と鎮火した残り火。
いくつかの煙が立ち昇る瓦礫の山を、小高い丘の上から一人の青年が見下ろしていた。
ふと漂ってきた匂いに、それまで表情の変わらなかった青年は不快そうに顔を歪める。
死臭だ。
血や内臓、それに死体は見慣れてきたが、どうにもこの匂いだけはまだ慣れることができなかった。
しかしながら青年は目を逸らすことはない。
目の前にある凄惨な光景は、自らが作り出したものだった。
この辺りで最も大きな建物――元は何かの城だったようにも見えるもの――が、ついにというべきか、がらがらと崩れていくのを確かめると、青年は踵を返した。
ゆっくりと丘を下る青年に、身の丈以上の大剣を担いだ男が声をかける。
「やっと一つ、終わったな」
青年は、肩を竦めてから話に応じる。
「はい。三年、かかりました。あと七つもあるのに……」
「問題ない。その三年でお前という最大戦力が育ったのだから」
男にそう言われ、青年は居心地悪そうにした。
そんな青年を見た男は笑みを浮かべる。
「必要な時間だった。事ここに至って、改めて思う。今さっき勢力バランスを崩した俺たちが言えることじゃないが、その件を除いても何ともきな臭い状況になってきた」
青年は何も言葉を発しない。ただ黙って男が続きを話すのを待った。
「八家の一つが、”空”へ喧嘩を売った」
それを聞いて、青年の心臓は大きく跳ねた。
思わず男を睨むように見てしまうが、彼が特別何かしたわけわけではないことを理解していた。
努めて冷静になるよう自身に言い聞かせ、問いかける。
「聞いていた話と違いますね。八家の総意がなければ地上から手出しはしないはずでは? そもそも喧嘩を売るっていうのはどういう――」
「おそらく独断で実行した。ただの小競り合いだと本人たちは言ってるらしいが、どうだかね。まあどういう方法を取ったのかは聞いている。翼竜だ」
「翼竜? あの生物って、あんな高さまで飛べたのですか」
「実際に行ったのだから、行けたのだろうな。手を出したのは百匹以上の翼竜部隊を擁する名門、ドライグ家だ」
「ドライグ家……」
聞いていて、青年は不安になってきた。
今までと同様森周辺での交戦ならともかく、直接乗り込んだのであれば小競り合いという範囲に収まるのだろうかと。
「自慢の翼竜を出したってことは、直接乗り込んだのでしょう?」
「そうらしい」
「人数は? 被害の状況は?」
「少数精鋭で乗り込んだと聞いているが、双方死人はでたと考える方が自然だな。空を支える陸塊の一部ごと施設が崩れるほどの戦闘もあったようだし、ドライグ家は率いていたはずの三席が戻ってこなかった」
「崩れたってのは気になりますが……まあ、空で行われた戦闘であれば人的被害は抑えられたはずですよね」
「そうだな」
「というより、誰かが三席をってことですか? 凄いな。空の守護者か、噂の双子でも居合わせたのでしょうか」
「そのどっちかなら前者だろうな。俺の知る限り、双子はまだまだ子供だし」
「けど、それってどうせ三年以上前の話でしょう。三年あれば子供は大きくなりますよ」
「いやーおそらくお前が想像してるよりも、彼女たちは幼いぞ。今もまだ十代の中盤くらいじゃないかな」
「そうなのですか? 俺は会ったことがないのでなんとも。しかし今はそれよりも――」
「ああ」
青年の言いたいことを、男は理解していた。
男も同じ気持ちだったため、当然だろう。
「ドライグ家。ここからでは少し距離がありますが、先に潰しますか?」
「それは……お前が来めろ」
予想もしていなかった男の返答に、青年は目を丸くした。
そしてすぐに聞き返す。
「いやなんで。隊長はあなたでしょう」
「お前は強くなる。この地上で、誰よりも」
男が言う言葉を青年は半信半疑に聞く。
確かに青年は劇的に成長した。この三年間に教わった戦闘体系が、青年の素質と大いに噛み合っていたからだ。
しかしそれがどうしたと言うのだろう。質問の答えになっていない。
不満のある表情を隠さない青年に、男は続ける。
「めきめきと力をつけるお前を見て、決めたんだ。力こそが絶対主義の地上で、正直俺では力不足なんだよ」
「そんなことはないと思いますけど……」
「いーや、あるね。強者は更なる強者にしか従おうとしない。これから少しずつ味方は増えていくだろうが、そうなる前にお前を立てておかなければ歪みが生まれちまう」
「無理に味方を増やす必要はないでしょう?」
「三年だよ。お前は長かったと思ってるだろうが、逆だ。俺たちはもっと長期にわたる戦いを想定していたんだよ。それがお前という突出した戦力が現われた途端、こうなった」
男はそう言って、先ほどまで青年が見ていた瓦礫と死体の山に視線を向けた。
青年も同様に視線を向ける。
持ち上げられずとも、青年は理解していた。
自身の力と影響範囲。先の戦いにおいて最も活躍したのが、自分であったことも。
「それにな」
青年が男に視線を戻すと、男が笑みを浮かべながら言った。
「俺は別に気にしないが、このままぐだぐだと年を重ねてったら、あいつが戻って来た時に何て言うか」
男にそう言われ、青年は初めからずっと握りしめていた手を解いた。
その手の中にあったのは、小指の先よりも遥かに小さな四角い無機物。ソウルチップだった。
「俺も気にしませんよ」
「そう言ってやるな。あいつの気持ちも考えてやれ。いないからこそ言えるが、お前が来る前はあそこまで変な奴じゃなかったぞ」
「そんな。嘘でしょう?」
もう三年も前だ。しかもたった一日の記憶だと言うのに、彼女と過ごした記憶は脳に焼き付いている。
男は笑い、青年も頬を綻ばせた。
「お前なら出来るさ。だからこれからはよ――」
一呼吸を置いて、男は青年の肩に手を置きながら言った。
「お前が皆を率いるんだ。ソル」
空の方舟 ~空へと逃げ延びた人類と地上の怪物~ 冷静パスタ @Pasta300g
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