二狸の施し
すごろくひろ
二狸の施し
私は今日、この部屋を出ていく。荷物はすでに業者へ運び出してもらい、転居の手続きも十分に終えた。過去の遺産は、断捨離した。振り返れば、いいことなんて何もなかった。
「これでもう終わりか……」
学生時代は空気もしくはいじめの対象のいずれかでしかなかった。家庭環境はあまり良くなく、兄弟仲は最悪でSNSにいわれのない悪口を書かれた。親戚づきあいもあまり良くなく、年下のいとこたちにも金を巻き上げられたりもした。中学時代は女子の力が強大な部活で濡れ衣をたくさん着せられた。高校時代は顧問の強引なやり口にメンタルを病んでしまった。大学時代は、趣味が高じて入ったサークルでは、男子部員2名と女子部員で三角関係が勃発し、仕事を押し付けられた。意を決して注意するも、逆恨みによる虐めを受け、除名かつ今までの趣味グッズを奪われる形で退部した。
結局は誰にも求められていない。そんな自分に嫌気がさして、誰も知らない土地に旅立つことを夢見ていた。私を貶めた奴らの中には堕ちた奴もいれば、相変わらず幸せのレールの上を走る奴もいる。そんな奴らもまとめて、○○砲のように各所へぶちまけたい気持ちが募っていた。少し前までなら、そんな恨み辛みか、自らが消えることしか選択肢がなかった。
「なんだこれ?」
スマホの通知を開くと、不思議な画面が表示される。魔法陣の上に獣が2匹佇んでいるような感じだ。
「怨みはねぇか~」
「辛みはねぇか~」
ふいに、外が暗くなる。スマホのあたりには、煙が浮かび、しまいにはボンっと音を立てて緑と赤の大狸が姿を現した。
「おいの名前は、
「わいの名前は、
「「貴様を食べに来たぞー」」
緑と赤、2匹の狸が私に顔を近づける。にんまりとした顔に、恐怖を覚えるしかなかった。
「あっちいけ! 化け物が!」
とっさにスマホを狸に向けて投げつけた。しかし、緑の狸には避けられた。赤の狸が、顔を器用に使ってスマホをキャッチした。
「おっと……、ちょっと落ち着いてくれよ、おまえさん」
私は緑の狸に背後を取られ、身体を抑えられていた。
「は、離せ……」
緑の狸に手足を掴まれて見動きが取れない。ただ少し、獣らしい柔らかさを感じた。そして目の前には、スマホをお手玉のようにして遊んでいる赤の狸がいた。
「まったく、いきなり化け物って言い方は失礼だろうが」
「しゃべる狸は化け物以外なんだってんだ」
赤い狸は、少し顔を歪めながら俯いてしまった。
「生み出した張本人が何をいうだね」
「ちょ、張本人?」
緑の狸、亮がため息をつきながら私に告げた。
「おいらたちを作ったのは、おまえさん、トシ坊だぞ」
*
その後、彼らを抑え込むのが大変だった。あたりを見渡して部屋の中を物色する二匹は、何もないと分かれば、私に突進することで身体を乗っ取った。私の身体を通じて食べたいものを存分に食べるものだから、私の満腹中枢は、とてつもない刺激を受けた。
「久々の飯は、やはりいいのう」
「ああ、極楽極楽~」
二匹の幸せそうな顔を見ると、少し苛立ってくる。赤いのにいたっては、
「運動がてらに、最近覚えたダンスでもやるんだに」
と言って、いつの間にか用意していたケミカルライトでヲタク特有のダンスのような動きを繰り返していた。ふと、緑のと目が合う。
「こっちに来なされ」
緑の狸、亮が手招きをする。動くつもりは毛頭なかった私だが、動けないはずの身体が勝手に動いて、しまいには亮に膝枕する形で横になっていた。なぜか少し心地よい柔らかさを感じた。
「なんか、気持ちいいな」
「そうだろう、緑の狸は癒しの力を持ってるんだぞい」
このまま、意識を手放しそうだった。
「今まで頑張ってたんだなあ、えらいぞトシ坊」
「うん……、もう疲れちゃったよ」
そういって亮は私の頭を優しく撫でた。撫でられるたびに、私は、少しずつ眠気に誘われていった。
*
ふと気づくと、見覚えのある街並みだった。昔、通っていた保育園の前にいた。窓越しに子どもたちが和気あいあいと戯れていた。
「何描いてるの~?」
「今日見かけた動物さんの絵を描いてるんだ!」
一人の男の子が画用紙に目いっぱい動物の絵を描いている。その周りには、同じくらいの年の子どもたちが集まっていて、
「この狸、色が違うぞー」
「ほんとだー。狸は茶色なんだよー。」
口々に言われる男の子。少し顔を赤くしながらも言い返す。
「僕が見たのは、この色なの!」
「うるさい! うそつき!」
この言葉をきっかけに、口々に男の子を責めたてた。
「トシのうそつき! ほらふき!」
「嘘じゃないもん! 赤と緑の狸だったもん!」
ほかの子どもに画用紙を取られそうになったが、うまくかわした男の子はそう言って、外へ駆け出した。
――パァー……
「危ないっ!」
「うわっ!」
間一髪、その男の子は歩道の手前で転んでしまった。その刹那、車道には大型トラックが通過していく。もし、そのまま飛び出していたらと思うと、血の気が引いた気がした。
「大丈夫かい?」
そう声をかけようとしたときに、名札が目に入った。
「えっ……」
その瞬間、ある記憶が呼び起された気がした。そして、視界が急に眩しくなった。
*
ペチペチペチペチ……
「おっ、目が覚めたか」
「ぐっすりだったね~」
目を覚ますと、2匹が私の顔を覗き込んでいた。
「ちょっと顔が痛い……」
亮が文のお腹を小突く。文は少し怪訝そうな顔をしたが、ふと思い出したかのように
「さてさて、赤い狸さんからはいいものをプレゼントしてやろう」
と言って、私を膝の上に乗せ、背中から1枚の紙を差し出した。
「これって……」
そこには、小さな赤と緑の狸が描かれていた。そして後ろには、「とし」と幼い字が記されていた。
「おいらたちは、これから生まれてきたんだ」
「あまりにもトシが可哀想になってな」
そこから、淡々と二匹は語り始めた。狸には、それぞれの地域に大将みたいな存在がいるらしく、その個体の力で、描いた絵から飛び出せたこと。見えないところから、ずっと私を見守っていたこと。
「その大将とやらはどうしているの?」
「なんか、ゲーノーカイってとこで働いてるらしい。お笑い芸人でテレビに引っ張りだこらしい」
二人も人間になれるといいね。そう言うと、2匹は少し顔をそむけた。
「最後に、前向きになるおまじないをかけてやるよ」
文はそう言って私を後ろから優しく抱きしめた。
「ふかふかだね。暖かいよ」
文は続けてこういった。
「この暖かさを覚えとくんだぞ」
「うん」
亮は、文から私をゆっくりと引き離した。
「これからは、まあ、わいたちが守ってやるから」
「安心して生きたまえ」
「うん」
亮と文は、互いに顔を見合わせると、両手でハイタッチした。そして、姿が輝き、薄れ始めた。
「それじゃ、またね」
「何かあったら、また来るからなー」
そう言って、2匹は消えていった。
「ありがとう」
私は、少し力を込めながらも軽くつぶやいた。
*
翌日、私はポストにカギを投函して、あの家を去った。新幹線の切符と最低限の貴重品を携えて、新居へ向かった。どんよりしていたはずの空気が、なぜか少し心地よく感じていた。新幹線を2本乗り継ぎ、新たな土地に到着し、新たな住居のカギを不動産屋からもらった。
新居の玄関に着けば、もらったカギで開錠すれば良いのだが、この時はなぜか、チャイムを押したくなった。
―ピーンポーン。
開けると、見覚えのある二匹がいた。
「トシ~」
「早く飯食わせろ~」
二狸の施し すごろくひろ @sugoroku_hiro
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