三島文学の「超国家主義」
はじめに
まず、ここで言う「超国家主義(Ultra‐Nationalism) 」が、丸山眞男の定義したような(だが実際、丸山は真の意味で、彼自身が作り上げた言葉を定義しえたであろうか)、日本ファシズム、天皇制ファシズムではないことを言明しておきたい。「三島文学の――」とその主題にしたように、ここで語られる「超国家主義」は、作家三島由紀夫の文学から抽出された国境線のない思想を指し、一国を超えた、地域や時間を超えた思想を形作ろうとする試みの一つである。EUのようなスープラナショナリズム 、あるいは劣化版アメリカ化や、巨大企業を頂点としたグローバリズム、そうした国家の上に国家を作るがごときものや、白人をグローバルスタンダードとし、その普遍主義で世界を占領するものを意味しない。――といっても白人帝国主義の構造はすでに崩れ、対岸にいたソヴィエトもすでになく、資本主義によって地球自体が食い尽くされようとする今、国家の上位に位置しようと志向する概念はグローバル企業であろうことは疑いないが。
近代の戦争が総力戦=質量×精神(これは佐藤優の言による)で運営されたのであるとするならば、単なる現実の大日本帝国のみのナショナリズムで、日本は大東亜戦争を戦うことが出来たであろうか。
不幸にも、我が国は圧倒的な質量差、本土への大規模な空襲、そして二発の原子爆弾を受け、敗北した。誰がなんと言おうとそれは敗北であり、敗戦である。しかし、三国同盟国であるイタリア、ドイツが次々と降伏してゆく中、それでもなお「本土決戦」「一億玉砕」をもってして、日本は戦争を完遂しようとした。完遂しようと最後まで徹底して抵抗したものがいた(映画『日本のいちばん長い日』を観よ)。彼らには、国境によって規定された以上の何かの存在が必要なのではなかっただろうか。国家の利害を超えた同盟が必要ではなかったのか。また終戦に向かう過程の中、大東亜戦争を維持していた超国家主義は、いわゆる一国的で内向的な、国家主義による離反に陥らざるを得なくなったのではないだろうか。そのひとつに「日本のヒトラー」として東方国民運動を展開した中野正剛は、戦局を隠蔽する東条内閣を痛烈に批判。警視庁に他同志と共に摘発され、その後憲兵の隙をついて自決している。
〝ultra〟――は和英辞典によれば「超・過剰な あるいは過激派 過激論者」と言う意味を持つようである。もともと一九世紀初出の「――の先 ――の向こうへ」の意味のラテン語を語源としている。それを踏襲しようとすれば、英語では「=beyond」である。ならば超国家主義は国家を超える、あるいは国家主義の向こうへ、と言う意味が与えられてもいいはずである。寧ろこれは「超国家志向」と言った方が正しいかもしれない。
残念ながら丸山政治学は超国家主義を、ナショナリズムやインターナショナリズムに対する、この言わば第三の突破口を、丸山政治学流の方法論で絶対悪の地点に幽閉したきらいがある。しかも、丸山政治学流の思考法では、七十年決戦に向けて先鋭化した新左翼運動各派の、またその内部分裂・内ゲバ(独:ゲバルト=暴力。内部の権力闘争のこと)や「ナチスよりひどい」と丸山の言うような研究室破壊の所業も、現在日本における排外主義の噴出も考察できないのではなかろうか。
しかし、戦後を生きた丸山眞男とポスト冷戦〈以後〉を生きる我々では、手に入れることのできる資料の量も質も異なるし、情勢分析も違う。我々が始めなければならないことは、日本の超国家主義を定義した丸山眞男を一応容認したうえで、独自の見解を持つことである。相手の失敗に対して手を叩いて喜ぶのが我々の務めだとは思われない。我々は丸山政治学の影響から離れているし、それがために手を叩いて喜ぶ連中が、敵と規定されるものの恩恵を授かっている点にも注意しなければならない。
本論考ではこの「超国家主義」を「国家を超える」思想として規定し、三島文学に顕れた国家を超えた、あるいは国家の向こう側を切り開いたものを紹介し、この「超国家主義」が姿かたちを変えながらも各地域に転戦し、そうして現代に与える影響を考察したい。
「憂国」「英霊の聲」の奇妙な読後感
短編小説である「憂国」および「英霊の聲」は戯曲「十日の菊」とともに二・二六事件三部作と称される。
私事になるが、筆者が三島由紀夫を読み始めたのは中学生の頃であったと記憶している。甘美で少々くどいような言い回しが、当時は何とはなしに気に入ったのである。
しかし、その当時の三島文学体験というと甚だ拙いもので、例えば『仮面の告白』や『金閣寺』あるいは『豊饒の海』などの大作に限定されており、時に短編「春子」や「頭文字」等の、耽美で湿っぽいエロスに感銘を受ける以外は、政治的なものには無関心な、むしろ先述したそれらに甘美なエロスを求めて本を読む、使い古された言葉で表すならば文学少年であった。理由は至極単純なもので、それが「カッコいい」と考えたからである。
しかし、筆者も三島文学に憧れ「自分の文学で世の中を変えるぞ!」と言った青臭さで小説を書き始め、だが徐々に希望に対する目減りが生じ始めると、以下のように考え始めるようになった。
すなわちこうである。「現代文学の、いやこれまで人類史に連綿と続けられてきた文学の永遠とも思える問題は、文学は世界を解釈する事はあっても、世界を変革した事はないではないか」……「フォイエルバッハに関するテーゼ」式に導かれ、また「儲けるため」と言う文学の持つ一面に遅ればせながら気が付いたときには、文学の解釈と変革の為に行動することの二律背反に苦しめられる結果となった。自分自身いつの頃からか、「世界と自分がこのままでいいはずがない」と思い始めたのだ。三島文学の行動哲学とまた三島自身の行動に興味を持ったのはその頃である。
三島自身「もし忙しい人が、三島の小説の中から一編だけ、三島のよいところ悪いところ全てを凝縮したエキスのような小説を読みたいと求めたら、『憂国』の一編を読んでもらえばよい」とし、三島の短編小説全体の制作方法に則っても、錯綜した心情を単純化して、日本特に明治維新以降の日本人と天皇の関係に焦点を絞ったものと言って過言ではない。「英霊の聲」に関してはその点で『美しい星』の日本限定版であるという印象も受ける。しかし、我々は『美しい星』にひそむ核時代の狂気を、ひとつの戯画としてむしろ安心して読むことが出来るが、「憂国」および「英霊の聲」はそうはいかない。この二作はエッセンスの抽出、スピリットの抽出であるからこそ、独特の危なっかしさをもって今日まで読まれ続けているのである。
理路整然とし、用意周到で、かつ刑事訴訟法じみた構成を持ち、銀行マンの几帳面さで書かれることの多かったその三島文学の内にあって特に三島由紀夫「らしくない」作品が、「憂国」であり「英霊の聲」である。対して三部作の中唯一の戯曲である「十日の菊」は、廃菊をタイトルに冠するため二・二六事件を作中十・一三事件に変更しており、その後の歴史的経過も時系列に沿うように変更が加えられている。そして事件から辛くも逃れた重臣という「狙われる側」の視点と、叛乱軍の息子を持った侍女の復讐――つまり視点の違いがある、と言った点で、三部作を構成する前二者の影響から免れているといえる。
以上は筆者の私見の域を出ない。そこで以下は当時起こった事件や三島周辺の人々の印象等を引用したい。
昭和三十五年、社会党委員長浅沼稲次郎が、
翌年には「憂国」発表に前後する形で中央公論社より発表された深沢七郎の「風流夢譚」が問題となり、大日本愛国党の青年が嶋中社長宅に侵入、女中を殺害し、社長夫人に重傷を負わせた。これを推薦したとのうわさが出回り、三島邸にも警官が警護についた。ちなみに事件の発端となった同書は、日本に左翼革命ならぬ〝左欲革命〟がおこり、民衆によって皇族が殺されると言う夢の話である。
さて、その二つの行動に美を見出すとすれば、それは浅沼稲次郎を刺殺した前者の事件であって後者ではない。三島の論理によれば女子供をやるのは汚いからである。そしてまた、女子供の弱さはそっとしておけばよいものである。
周辺の人々の印象はどうだろうか。
とくに「英霊の聲」以降は顕著だ。三島の母、
「英霊の聲」あたりから
倅・三島由紀夫(中公文庫)
そして美和明宏は、三島の背後に二・二六事件の首謀者の一人、磯部浅一の影を視た、と言う。
『磯部……』
三島がその名前を口にすると、男の姿がかき消えたという。
(……)三島の最期は、二・二六事件の怨霊にとり憑かれたかのような凄惨で衝撃的なものだった。
―軍服姿の霊にやられた!
明宏は地団太を踏んだ。
三島由紀夫が愛した美女たち(啓文社)
その「軍服姿の霊」こと磯部浅一は三島自身、「もっとも個性が強烈で、近代小説の劇的な主人公となりうる人物こそ、磯部一等主計なのである」と語り、その獄中遺稿をもとに「『道義的革命』の論理―磯部一等主計の遺稿について―」を書いている。
「憂国」‐その超国家主義の萌芽
特に二作品の背景にある二・二六事件を語るに際しては、それ以前の国家改造運動期のテロ・クーデターに言及する必要があるだろう。その国家改造運動は、一九三〇年代終わりから四十年代初めにかけて起こっている。おもな事件は以下の通りである。
・血盟団事件……日蓮宗僧侶井上日召らを中心としたテロ事件。井上準之助 團琢磨らを殺害。「一人一殺」などの言葉が有名。
・五・一五事件……海軍青年将校、陸軍士官学校生徒、橘孝三郎率いる愛郷塾農民決死隊らによるクーデター事件。犬養毅首相を暗殺。
・神兵隊事件……愛国勤労党天野辰夫、大日本生産党鈴木善一らが、陸海軍青年将校らの参画を得て計画したクーデター未遂事件。事件前夜に行動隊員らが検挙されたが、内乱予備罪が成立せず、全員無罪。
・二・二六事件……陸軍青年将校らによるクーデター事件。首都中枢を一時占拠したが、その後鎮圧される。将校十七名と思想的影響をあたえた北一輝、その弟子の
昭和恐慌に疲弊した民衆の決起者に対する共感と期待、そしてその共感と期待によって起きうる事態から目を背けようとした軍上層部の判断と処分の甘さが、しだいに「革新」「革命」「改造」「維新」のスローガンに代表されるテロ・クーデターを、最終的に二・二六事件まで先鋭化させたといってよいだろう。特に軍部の士官クラスは、救国のエリートとしての自覚と自己変革の契機を「昭和維新」という大眼目によって同時に獲得して、かつまた周囲の軍事を革命化する機運を形成したのである。
二・二六事件のテロリズムの性質について、先に記した「『道義的革命』~」にも引用されている、橋川文三の一文は適当だろう。
二・二六事件のテロリズムは、ある意味では日本固有のテロリズムの伝統を集約し、その『神学』を限界にまで推し進め、その論理をほとんど
三島は「憂国」に関して「全くのフィクション」であるとし「二・二六事件を背景として、一中尉の夫婦愛の高揚と、悲壮壮絶な自害を描」いたとしている。また、この作品を「徹頭徹尾、自分の脳裏から生まれ、言葉によってその世界を実現した作品」であるとする。その点で「憂国」は執筆者三島の脳裏に芽生えた、内的な超国家主義の萌芽である。それは小説という形で、また彼自身が監督・主演を務めた映画という形で現実世界に出力されたと言える。「憂国」における自刃は、現実に想定された主権・人民・領土を備えた日本は必要ないからだ。では一体、その日本とはなにものを指しているのだろうか、ということである。
「憂国」本文で、日本は次のように表現される。
しかし自分が身を滅ぼそうとしてまで諌めようとするその巨大な国は、果たしてその死に一顧を与えてくれるのかどうか分らない。それでいいのである。これは華々しくない戦場、誰にも勲しを示すことのできぬ戦場であり、魂の最前線だった。 (「憂国」)
ここで言われる「巨大な国」は、主権・人民・領土を有した実体のある「国家」と言うより、形而上学的な「神の国」の姿であろう。だからこそ「その死に一顧を与えてくれるのかどうか分らない」し「勲しを示すことのできぬ戦場であり、魂の最前線」になる。そして「巨大な国」――日本――とは、国境線を持ち島国として存立する可視の日本を意味しない。不可視の、周縁を持たない日本である。
主人公の武山信二中尉は軍人として死ぬのであるから、そうして自分の死が「戦場の死と同等同質の死である」とする。戦地であるか内地であるかは、問題とはならない。彼とその彼と共に自刃する妻の「至福」は、現実の日本にはない。なぜなら現実の日本は、武山中尉を皇軍相撃に向かわせようとしているからである。
彼ら夫婦は死に際して情交する。その「正当な快楽」は「大義と神威に、一部の隙もない完全な道徳に」守られていると彼らは感じる。何度も言うが、日本の源泉、その「大義と神威に、一部の隙もない完全な道徳に……」とされる天皇は皇軍を相撃させようとするのである。そして「逆賊」に対する昭和天皇の御意志は固い。それに抗するようにして夫婦は自害し、現実の、つまり立憲君主政体の日本に自決と言う形で決別したのである。では、このときの「大義と神威に、一部の隙もない完全な道徳に……」は、何を指しているのだろうか。
それは武山中尉の遺書における「皇軍万歳」が示している。このとき「皇軍万歳」は歴史に連綿と続く皇統と、それを守る楯として在りつづけた
「英霊の聲」‐その超国家主義の発展
もちろん霊や神と呼ばれるものに国境線は必要ない。国境線は実に近代国家の産物である。「英霊の聲」はそれを端的に表現している。
われらはついに義軍を挙げた。思いみよ。その雪の日に、わが歴史の奥底にひそむ維新の力は、大君と民草、神と人、十善の御位にましますおん方と忠勇の若者との、稀なる対話を用意していた。思いみよ。そのとき玉穂なす瑞穂の国は荒蕪の地と化し、民は飢えに泣き、女児は売られ、王土は死に充ちていた。
(「英霊の聲」)
彼ら青年将校の生きた昭和十一年という時代状況を差し引いても、英霊たちのこの語りかけは大時代的であり、その時代の性格を喪失しているように感じる。しかし、むしろこの大時代的語りかけ――時代の性格を喪失することによって、空間や時間を超え、あらゆる時と場面に、この英霊の聲は適合可能なのである。「憂国」において武山中尉が遺書にしたためた「皇軍万歳」が、あらゆる日本の歴史・文化・伝統の全体に対する「万歳」であるとするならば、この英霊たちの語りかけもまた日本の歴史・文化・伝統全体に対する語りかけである。
二・二六事件勃発時、昭和天皇は「日本もロシアのようになりましたね」と言い「自ら兵を率いて討伐する」と言い、「自決するからせめて天皇の遣いを」と求める将校らに対して「かってにしろ」と言う。これに対して磯部浅一は「陛下、なんという御失政にあらせられますか」と獄中記することになる。
それこそ戦前、あくまでも立憲君主制に忠実であろうとする現実の昭和天皇ご自身と「国家革新の原理」――三島の著作で言うところの「革命原理としての天皇」――という理想の形態としての天皇像を求めた青年将校らとの、この物語はいわば双方の悲劇であった。そして「人間としての
しかもこの物語では、先にも記したように「神であらせられなければならなかった」天皇と、その「忠勇の若者たち」として死んだ兵士たちの、いわば主従の関係が顛倒してしまう。現人神たる天皇はいわゆる「人間宣言」によって人となり、一方人として死んだ青年将校らや特攻隊員たちは「兄神」「弟神」として、個人ではないある意識の統合として、人の世の行う「神懸かり」の儀式に降りてくる。
天皇をめぐる問題を取り扱ったものとしては、前記した深沢七郎の「風流夢譚」。大江健三郎の『セブンティーン』第二部「政治少年死す」。そして元戦旗派で、後に右翼運動の途上スパイ粛清により実刑判決を受け、獄中執筆した『天皇ごっこ』において、新日本文学賞を受賞した見沢知廉らに一部引き継がれてゆく。なぜ一部かと言えば、それらは天皇制を焦点としつつ、その時代時代の諸問題もそこに加味されてくるからである。いわば彼らは三島と共に天皇をめぐる物語に挑戦したのである。だが、それに答えがあるのかと言われればそうでもないのであるが。
「最終的には天皇との関係の解明につきる」と、河野司(前内大臣牧野伸顕襲撃を行った
「英霊の聲」について、批評家の山本健吉は書評でこう述べている。
このような極端な発想の小説を書かねばならない理由は、わからないではない。(……)だが一たび神性を棄てられた天皇を、国民はもう一度神に復帰させることはできない。(……)私にはこれは、天皇制の問題ではなく、宗教の問題だと思っている。
天皇や天皇制を語るに際して、語ることが可能な事物が天皇制を存続させてきたわけではない。時には女系天皇を認めるか否かといった問題に、生物学的なXY染色体の問題が持ち込まれ、天皇や天皇制は、語りうるべき地上の言語にまで失墜を余儀なくされる。このとき自称保守派のほうが、大変に不敬でばかりさえある。むしろ我々が語りえないものにこそ、つまりは区切り、枠づけし、自らの都合のいいように意味内容を変更したり「できない」ものにこそ天皇の本質がある。なぜなら神は人間の善意において、あるいは悪意においても運動することはないからだ。神はただそこにあるからこそ、あるいはないからこそ神なのである。
しかし、その本質に変更を加えた者こそ、ほかならぬ天皇その人ではなかったか。
一例としては、張作霖爆殺事件の処理の不備に対し、昭和天皇は時の首相田中義一に対して辞表の提出を奨めている(いや、迫っていると言った方が正しい)一文が『昭和天皇独白録』にある。
『昭和天皇独白録』全文が発表されたのは平成二年のことであるから、三島が二・二六事件以前にもこのような立憲君主政体に――と言うよりも戦後の人間宣言に忠実な昭和天皇の姿があったことを知っている筈もない。当時の側近さえ正確なところを知らなかった秘史である。つまり、すでにしていわゆる変革としての天皇像は存在していなかったと言える。
さて、以上のように作品を概観してみると、いくつかの事柄が分ってくる。
・革新者は天皇(あるいは日本)を仰ぎながらその天皇は現実と理想との乖離が激しい
(立憲君主政体の天皇≠革命原理としての天皇)
・革命原理を志向するために、実際行動を外部に出力せざるを得なくなり、非合法手段に訴える
(テロ・クーデターとして結実)
・さまざまな時代情勢に基づいて、天皇制をめぐる問題は空間や時間軸を超えて転戦する
(三島由紀夫‐深沢七郎‐大江健三郎‐見沢知廉ほか)
「超国家主義」は転戦する
二・二六事件は統制派と皇道派との内部抗争に端を発するクーデターであるが、それと共にテロルの系譜を持っていることは、先述した国家改造運動期の諸事件と、これも先述した橋川文三の一文が証明しているように思われる。
この頃テロ・クーデターを担えるのは、すでに北一輝とその弟子西田税一派の影響下にある青年将校グループを残すのみであった。民間右翼グループの潮流として大川周明らは三月・十月事件(いずれも陸軍佐官将校による桜会が中心となって計画されたクーデター未遂事件)によって求心力を失っており、「一人一殺」を掲げる井上日召らも、血盟団事件によって、すでにこれらを担える状態にない。「魔王」という異端のみが残ったといって過言ではない。
『右翼運動百年の軌跡―その抬頭・挫折・混迷』の一文「現在、国際的に用いられている「テロ(リズム)の定義」について」においてはテロとは「政治的、宗教的、思想的目的を達成するための暴力の行使または脅迫、強要等恐怖心を抱かせる行為(p.78~79)」と定義されている。
さまざまな要素があることを前提として、テロの時代の到来については「地域的戦争や紛争はあったものの世界全体に影響を及ぼすような大規模な戦争は回避され、さまざまな不安要素を孕みながらも世界全体としては安定と豊かさが一応確保されてきた(前掲書p.76~77)」時代が無縁ではない、としている。なぜならそうした時代の「貧しさと軍事的緊張は、個人においても集団においてもその不満や欲望、少数派の利益の顕在化を抑制し「全体の利益」の名の下に強権が容赦なく発動され、これらの動きを芽のうちに封圧してしまうのが普通」であったからだ。しかし、この抑止効果がまた、それによって圧迫される個人や集団の少数派の「主張や対立をかつてのように国家、あるいは国家観が強権で処理することができない」状況が起きている、と言う。冷戦構造の崩壊による「大きな物語」の終焉と、アメリカの衰退が、その状況の一因だろう。
しかし、この「世界」とは実に大雑把なものであった。たとえばマルクス主義が人類の闘争の歴史を「階級」対立として「しか」捉えられずに「民族」や「国家」の利害の不一致に目を向けてこなかったうえ、対する陣営も同じように「民族」や「国家」を、どこかしら捨象してきたからである。しかも「ネイション」を双方とも声高に叫びつつ、である。
そうした中で、天皇をめぐる問題は時代や地域を超えて転戦した。いや、どこにでも存在可能な、既に、また常に存在する横断戦線であった。戦前-戦中は主にその役目を二・二六事件の青年将校たちと、神風特攻隊などを中心とする特攻隊員たちが果たした。
彼らはどこにでも存在しうる。帝都東京で、満州の地平線で、南方海上の戦闘機のキャノピーで、あるいは冥府で、多様な神を持つ日本はどこにでもあるものだった。そして日本とは天皇と同義である。
では戦後において、それらを踏襲したものはなにか。
それは大菩薩峠事件・よど号グループによるハイジャック・三島(楯の会)事件・山岳ベースおよび浅間山荘事件・東アジア反日武装戦線〈狼〉による爆弾テロ・日本赤軍のテルアビブ空港テロ事件・大悲会野村秋介と楯の会残党の経団連襲撃事件――つい最近でも新宿南口での焼身自殺未遂、京都大学バリケード一時封鎖と撤去――である。
「左翼の事件と一緒くたにするな」――と言われれば、なるほどそれはもっともな意見である。しかし、ここで重要なのは、彼らが右翼であるとか左翼であるとか、と言った問題ではない。その効果とは、現実の日本に、あるいは特定の空間・地域の一部に亜空間を、つまり現実とは違う「別の日本」を作ったということである。三島由紀夫自決と言う事件に立ち返れば、あの市ヶ谷が異空間であり、もう一つの日本という「くにうみ」だったのだ。
若松孝二監督の映画『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち(二〇一一)』にて、満島真之介演じる森田必勝が、スト、バリケードで大学を占拠する左翼学生に対して「何の権利があってそんなことをするのか理解できない」と語るシーンがある。しかし一九七〇年十一月二十五日において、三島率いる四名が市ヶ谷東部方面総監室を占拠し立てこもったことは、
ある時期積極的に続けられた「自分の脳裏から生まれ」それを行動によって現実の世界に実現する、そしてある程度一部の人々から共感や同情を得たこれら一連の事件は、一九九四年および九五年におこったオウム真理教による松本および地下鉄サリン事件によって完全に息の根を止められたのではなかろうか。それ以降はどんな熱情・狂気をも、過剰な警戒心と正義の名の下の物理的・精神的暴力、そして嘲笑によって社会的に抹殺――無化されてしまったのではないだろうか。一般国民と呼ばれているところの人々は、右翼に拒絶し左翼に拒絶し、ついには宗教に拒絶を示したのではなかったか。そして批判にせよ肯定にせよ、その核には常に天皇がいたのである。
現在の問題は、ポスト冷戦構造の外部の喪失によって、つまりある個人の、あるいはその集団の逃避地となるべき空間が、ルールを取り決めることのできる国家や社会集団における普遍主義的傾向によって、一括して占領されようとしている、ということである。これをここでは「全地球化」と呼称する。その「全地球化」した、外部のない「現実だけの日本」の中で二進も三進もいかなくなって苦しんでいるのが、現在の我々の現状である。わたしたちはどこまでいっても金太郎飴のような均一化した風景にひどく苛立ちを覚えるのである。
その「全地球化」と言う現象に対抗しうる突破口は、ナショナリズムでもインターナショナリズムでもなく「超国家主義(ウルトラ‐ナショナリズム)」である。
しかし、その突破口となるべき「革命原理としての天皇」を放棄した日本に変わり、ナショナリズムでもインターナショナリズムでもないものとして台頭したのが、潜在的イスラム帝国であり、アッラーなのではないだろうか。そもそもアッラーにはフランスとイギリスによって策定されたサイクス・ピコ協定による直線的な国境線は必要ないからだ。
潜在的イスラム帝国の出現
さて、テロの時代と言っても過言ではないこの時代、台頭したのはアッラーと言う革命原理である。
決して私は「革命原理としての天皇」とアッラーが、そしてその名の下に起こるテロリズムが同一のものであると言いたい訳ではない。テロルの様相も時代や環境によって違う。唯一の共通項は対象に対して与えるものが緊張と恐怖である、ということだ。
日本のテロには非常の手段としつつも自己規律があったと言われている。憎しみはその対象亡き後まで続かず、最後には縛につくか、もしくは自決した。日本右翼の楽天主義的傾向とは恐らくこのことだろう。石川啄木はテロルを一つのロマンティシズムとして「われは知る テロリストの悲しき心を」と歌った。しかし現在、対象を考慮せずに無差別に行われるのは、それがあの大雑把な「世界」の機構に対する、骨の折れる挑戦を意味し、そのため明確に敵とされるものをピンポイントで発見できないからである。我々は、そして彼らは「本当の敵」が見えないでいるのだ。
私は、アッラーの概念を、カリフ制の指導者たちのアッラーと、戦場において戦う兵士たちのアッラーと分離して提示している。ムハンマドの後継者としてのカリフ、そしてカリフを中核とする指導者層のアッラー像にはさして興味はない。イスラム国が自分たちの支配地域とするべき勢力地図を示した瞬間、彼らはすでに十九世紀の国民国家の迷妄に負けを認めたも同然であった。なぜなら、それは憎むべきサイクス・ピコの焼き増しにしかならないからだ。
それに比べて、兵士たちのアッラーと潜在的イスラム帝国は、兵士たちの数の分だけ無数の形を持って現れる。丸山眞男の弟子、藤田省三の言うところによれば「国家超越の正常な思想的方法は先ず単独の世界をつくる以外にはない(傍点筆者)」のである。この帝国は国境線を持たず、不定型なために何処にでも入り込むことができる。十九世紀以来の国境の策定された国民国家では勝ち目がないのだ。このとき、戦線は無限に拡大し、各地に点在し、いうなればそのとき戦闘地域は全地球である。今戦闘のない地域も、単なる後方地帯でしかなく、今後あらゆる地域が動員される日が来る。
もはやキリスト教であるか、イスラムであるのかは、さして問題ではない。人は混乱と憎悪と戦争、それによって生まれるチャンスを望んでいる。それは隠された人間の本性で、すなわち自然状態への回帰願望である。
アッラーは革命原理になった。しかしこれはたんにヘゲモニーの問題である。アッラーは不戦勝で「ひとり勝ちした」ということができる。そして戦後日本と昭和天皇は革命原理であることをやめた。
そのために変革を志向するものは「革命原理としての天皇」を復活させる必要がある。いや、ただ黙ってそのときを待っていることではないのだから、いわば天皇をオルグする必要がある。何故なら天皇は経済至上主義とは無縁であり、民族がこの経済至上主義とそこから生まれる個人主義から逃れうるための砦であり、新しい革命のモデルケースと確信するからである。是が非でも「革命原理」の天皇と「革命的」国体を創造する必要があるのだ。表現は悪いが「でっち上げるのだ」、といってもいい。世界が資本主義というゲームの卓上に、それぞれ割り振られたカードを持って存在するのだとすれば、そのゲームをひっくり返す力を持っているのは、天皇やアッラーといったジョーカー・カードである。そのジョーカーが、ゲームの特性そのものを変容させる力を持っているのだから。
日本は戦後に体系づけの方法を放棄した。放棄し、また「過去の戦争を一億総懺悔」し、〈三国同盟‐枢軸国〉による連合国への反逆的立場をも放棄した上、いい子ぶりに準連合国的位置に立とうとしたことで、大東亜戦争を否定してしまった。戦中も戦後も天皇は革命原理ではなかった。だがそのようなことは大した問題ではない。問題とは国家と国民が一瞬で転向し、我先にとばかり「いい子ぶり」を始めたことである。いい子ぶりをした者だけが生き残り、魂の武装解除を終えていない者だけが、ひとりきりの本土決戦を敢行して彼岸に旅立ち、あるいは国際根拠地論〈世界革命戦争=内戦〉(「赤軍№6」)や〈赤軍‐PFLP(パレスチナ解放人民戦線)〉の横断戦線に基づいて亡命し、本土決戦を世界規模に拡大した、と言える。
私たちは行き詰っている。おそらく私たちは誰かの正義に行き詰っている。そしてその世界の
国家がそれを包括できなくなったとき、我々は国家の外部にその国家を超えるような論理を必要とする。それは日本においては「革命原理としての天皇」であった。しかし、戦後日本はそれを放棄し、これを補うような形でアッラーが差別や貧困という、彼らにとって変わらない日常、彼らにとって彼らを抑圧する空気の中に顕れたのである。特に差別や貧困に陥った人々が、彼らを苦しめている機構そのものを破壊するためアッラーを手にした今、その支配機構突破のためには過激にならざるを得ないし、ダーイシュと言うムーブメントが去ったとしても、新しいテロルがおこるのは必然的ではないだろうか。
おわりに
仏シャルリ・エブド襲撃事件に際して、ネット通販大手のAmazon Japanのホームページのトップにはフランス国旗がたなびいていたのを見た人はいるだろう(疎い私はウィルスにでも感染したのかと思った)。またSNS大手のフェイスブックのアイコンにはフランス国旗が透かし見られた。ネット社会の発達によって、私たちはどこにでも存在できるという超国家主義の時代にいるのではないかという感を日増しに強く感じて、本論を執筆した。
もちろん私は先の論文「偉大な『リヴァイアサン』とその未来」で言及したことの基本的姿勢は崩していない。世界連邦は夢であり、私たちは日本という国家にいる。それは国民にとって最後の「魂の防衛線」であり、そして議会制民主主義は今後も運用の必要はあるのだろう。
現行の「日本国憲法」にしても、また山本太郎が今上天皇(現上皇)に手紙を渡した事件に関しても、政治的な天皇は排除され、表向き我が国は政教分離国家である。そして北一輝の、人類の社会的進化の末の『日本改造法案大綱』を実現したのは、皮肉にも現行の「日本国憲法」であった――とは三島の「北一輝論」における考察であるが、そのとおりになり、時間をかけてそれは完成したかに見える。
さて「大日本帝国憲法」第一条は「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」である。二・二六事件の将校たちや特攻隊員たちは、決してその神聖を犯したわけではない。寧ろあると考えた神聖に自分たちの全存在をかけたのである。しかし、天皇の処断は実に近代的立憲君主のそれであった。
三島はこう述べる。「日本にとって近代的立憲君主制は真に可能であったのか?(……)世俗の西欧化には完全に成功したかに見える日本が、『神聖』の西欧化には、これから先も成功することがあるのであろうか?」
今頃になって「神風よ吹け」と我々が言うのは虫のよすぎる話である。そして青年将校や特攻隊の
私たちの身体は「いま、ここ」に拘束されながら、しかし時間や空間を超えて点在し、「どこにでもいる」という背反の異例の時代に置かれているのである。そこで私たちは「いま、ここ」にあるもの以外――私たち個々の外側に在ろうとして、また表出しようとする「超国家主義」的な自己に向き合わなければならないのである。
参考文献
『文化防衛論』三島由紀夫 ちくま文庫 二〇〇六年
『英霊の聲』三島由紀夫 河出書房新社 二〇〇五年
『討論 三島由紀夫VS.
『三島由紀夫と二・二六事件』松本健一 文春新書 二〇〇五年
『伜・三島由紀夫』平岡梓 中公文庫 一九九六年
『憂国か革命か テロリズムの季節の始まり』 鹿砦社編集部 二〇一二年
『三島由紀夫の世界』村松剛 新潮社 一九九一年
『フォービギナーズ 三島由紀夫』吉田和明 現代書館 一九八五年
『右翼運動百年の軌跡 その抬頭・挫折・混迷』天道是 立花書房 一九九二年
『三島由紀夫の愛した美女たち』岡山典弘 啓文社書房 二〇一六年
『獄中手記』磯部浅一 中公文庫 二〇一六年
『二・二六事件と青年将校』筒井清忠 吉川弘文館 二〇一四年
『近代日本の右翼思想』片山杜秀 講談社選書メチエ 二〇〇七年
『魔王と呼ばれた男北一輝』藤巻一保 柏書房 二〇〇五年
「丸山眞男とナジタ・テツオ 超国家主義批判」中野泰雄
「赤軍№6」 共産主義者同盟赤軍派
カンザキズム―神崎由紀都初期評論集― 神崎由紀都 @patchw0rks
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