カンザキズム―神崎由紀都初期評論集―

神崎由紀都

偉大な『リヴァイアサン』と、その未来

 始めに



 ホッブズの言う「万人の万人に対する闘争」状態は、われわれ人間の生きることへの渇望かつぼうをよくあらわすものである。「平和」とは「戦争」を除く、ほか全ての時間の総称であり、戦争と平和はつねに概念として一体である。戦争のないところに平和は成立しえないし、人々は自身の平和を守ろうと欲するとき、戦争に自らを駆り立てるようである。

 この戦争と平和との関係について考えるとき、多くの人々が自国を思い、われわれの場合日本国のことを思わずにはいられない。

 大東亜戦争の決定的敗戦よりこのかた、日本は長きにわたり「平和」のなかにあったと言える。というよりも、平和であるということが、敗戦国の屈辱を慰めるのに必要だったのである。

 しかし、その平和なるものも、朝鮮戦争による特需によって経済回復の糸口をつかんだ点を鑑みれば、敗戦後の日本が真に平和に貢献してきたのかどうか疑わしいものである。これをあくまで平和と強弁するにしても、それは「戦後現有領土に押し込められた日本」が、国権の発動たる戦争を積極的には行使しなかっただけのことでしかなく、これは一国家としては、べつに褒められるべきものではない。

 実際には占領統治下のなかで、アメリカ主導のリベラルな戦時体制の基盤として日本は組み込まれていたのであり、またそのおかげで現在に至るまで、まさに日本が東アジアにおける兵站‐後方地帯の「戦時体制下の日本」――それも国民の生を全体的に管理し、他国の覇権のために駆動する、資本制国家における総動員体制で現在もあり続けていること――を、永らく閑却することが可能だったのである。

 しかし朝鮮戦争における特需は、日本経済において必ずしもプラスに働いたわけではない。

 一九五〇年~一九五二年までの三年間に、輸出額は十億ドル、五十五年までの間接特需としては、じつに三十六億ドルに達した。と、一面を見るとまさに特需である。しかし、一面はしょせん一面でしかない。

 五十三年の輸出入額を確認すると、輸出額十二億七千万ドルに対し、輸入額は二十四億一千万ドル。これは十一億四千万ドルあまりの輸入超過である。日本は朝鮮における国連軍(この内実は多国籍軍である)の兵站を支えるべく、国内の物資の流通までも統制し、米国式の合理化による大量生産の技術も相まって、まさに「米国による米国のための戦争に適した産業構造」を創造したのであった。アメリカから資源を買い、アメリカのために生産し、アメリカの言い値で売る、という産業構造――これをあえて下品に表現するのならば、「アメリカにとって都合のいい女(日本)」である。

 実際、日本はアメリカ主導による戦争に、日米同盟の名のもとに加担してきたのが、戦後日本の歴史の一部だったと言えるし、それが目に見える暴力として現れなかったために、無責任にも「平和国家」を長きに渡って標榜していたというだけの話ではなかったか。

 本論は、日本国の民主主義の妥当性について論じるものである。そのため明治維新における近代的立憲国家の成立から、戦後日本の「民主主義」国家への歩みを包括する思想の一端を表明するものとして、三島由紀夫の思想を引き合いに出し、ホッブズの描いた『リヴァイアサン』と比較してゆく形をとった。幾人かの思想家⁽¹⁾が候補に挙がった中で、本論において三島を選んだのには三つの理由がある。第一に、三島由紀夫が戦後の日本において社会主義的な勢力の運動およびその思想が隆盛の内にあって、「文化概念としての天皇」を中心とする国家の姿を終始一貫して描いていた、戦後の中でも特異な作家・思想家であった、という点である。第二に、何よりも日本という国家の存在を考える場合に、天皇の存在は欠かすことのできないものであり、とくにその問題と国家のあり方について書かれた著書『文化防衛論』(一九六八)が、現代にも通ずる国家及び人間の問題を的確に示していると考えたからである。そして第三に、日本において明治維新の成功と「大日本帝国憲法」(一八八九)の成立において、歴代の天皇にはなかった人格が、つまり統治者という側面が、明治以降の天皇には付与されたのであったが、三島はそのことが戦後の中で天皇の姿が暴君のように扱われる元凶になった、と主張している点を鑑みたものである。そのとき、我々は日本を統治するものがいったいなんなのかを、考えずにはいられなくなるのである。


 ホッブズの描く〝主権〟


 ホッブズがその主著『リヴァイアサン』において、国家の絶対的な主権を主張したのは、何よりも彼の生きた時代の要請に他ならない。「母は大きな恐怖をはらんで私と恐怖との双生児を生んだ」と、ホッブズは韻文調の自叙伝でこう述べている。一五八八年のこの時、ホッブズの祖国イギリスは、スペイン無敵艦隊襲来の噂に怯えていたのだった。『リヴァイアサン』が発表されたのは、さらに彼が最も生産的な時期にあって、一六五一年のことになるが、まさにその時、イングランドは清教徒ピユーリタン革命(一六四〇~一六六〇)の只中にあったのである。それは国王チャールズ一世が国内のピューリタン勢力を排除し、国教の統一を図ろうとしたという宗教的な側面と、そのチャールズ一世の処刑後、軍人であり政治家でもあるクロムウェル護国卿がイングランド共和国を成立させ、議会を解散させ、また独裁的な体制を敷いた、という政治的な側面といったように、一口に革命といっても、いくつもの勢力争いを含んだ革命であった。また対外的にはフランスとの緊張があり、実に内外問わず、もめごとの絶えない時代であったという点を留意せねばならない。まさに食うか食われるかの極限的な状態であったと言える。現在の我々の立場から見れば、異様かつ不穏な情勢の中で、ホッブズはより良い統治、つまり争いの少ない平和な統治のあり方の一つの提案として『リヴァイアサン』を世に残したのである。

 地上に平和を招来するものは何か? それこそは国家であり『リヴァイアサン』である。リヴァイアサンとは『ヨブ記』中に登場する地上の王であり、「地の上にはこれと並ぶものなく、これは恐れのない者に造られた。これはすべての高き者をさげすみ、すべての誇り高ぶる者の王である(p.327)」。この誇り高き巨大な怪獣が、『リヴァイアサン』発表後数世紀を経てもなお屹立する、我々の住む国家の姿である。

 さて、この著書において主張されるのは、国家が有機的な人体を持つということ、つまり生きているということ。それは人民の集合体であること。国家が最大の主権を持つということ。そしてそれを行使するのは、国家の構成要素たる国民との契約に基づいて選択された、代表者(君主)もしくは合議体(議会)であるということ、である。これだけ聞くと、我々は国家の持つ力にたじろがざるをえない。ただ、彼は君主制が良いとか民主主義が良いと言った、二者択一論を展開しているわけではない。それは岩波文庫版『リヴァイアサン(1)』の序文が明確に表していると考えられる。

「私は、権力を持つ人々についてではなく、権力の座について語っている(p.32)」

 我々が政治について語るに際しては、先に挙げた君主制か民主制かといった二者択一論に陥りやすい。そのとき、一人の代表者を行使の主体とする君主政治と、貴族等少数階級による寡頭かとう政治⁽²⁾は、多数決の原理による民主政治以上に批判の対象になりがちである。

 確かに民主制の場合、仮想的ではあるが国民の全員参加を演出しやすく、そのため妥協点も見つけやすい。しかしその民主主義こそ、代表者の不在や無責任の体系を生み出すことは多々あり、またホッブズの時代に言えば護国卿クロムウェルによる独裁的共和制、またのちのヨーロッパでは、ヒトラーやムッソリーニといったファシズムの風潮を生み出したものこそ、選挙による圧倒的な民主主義的多数の力の存在があってこそではなかったか。こうしてついに独裁者が誕生した時、人々は彼らを選んだうしろめたさを払しょくするため、責任を他者に押し付け、責任の主体をあいまいにしてしまったりする。第二次世界大戦敗戦後のドイツにおいて、ドイツ国民がその戦争責任をすべてヒトラー率いるナチス・ドイツに負わせたことは特筆すべき点である。どれほどヒトラーが独裁権をふるったとしても、それを圧倒的に支持し、ファシズムを増長させる引き金となったのは、その民主主義の圧倒的多数の力によるところが大きい。

 民主主義を担う市民は、一見すると、ひとりひとりは力のない弱者やマイノリティーの集合体に見えがちである。しかし彼らはその弱者の情念――つまり自身が社会から疎外されており、主権を行使することがその存在を承認するという原初的感情に基づいて、それら個人を糾合することで集団的多数を獲得し、一挙にその権力を握るケースがある。そのケースは先のヒトラーやムッソリーニに当てはまるケースであり、日本が戦後社会主義勢力の隆盛の中に含んでいた危機であった。安保闘争によって発生した革命情勢は、学生の暴力と市民の感覚が離れていなかったら、選挙などの合法的な方法によって成立していたかもしれない⁽³⁾。これが容易に君主制か民主制かといった二者択一論における危険である。民主主義は無条件に最上な政治形態ではない。そしてホッブズは『リヴァイアサン(2)』において言う。

「統治の欠如がなにか新しい種類の統治だと、信じる人があるとは思われない(p.53)」

 つまり君主制であろうと民主制であろうと、統治が欠如していること、つまり無政府状態になることよりはましという考えを示している。


 天皇は統治者たりえるか


 ここで日本の問題について考えるために、三島由紀夫の思想に目を向けてみたい。三島は自著『文化防衛論』において、「人間性の解放」という言葉を用いて、ホッブズの主張する「各人の闘争」や「自然状態」の姿を表現している。

「人間性の無制限の解放とは、おのずから破壊を内包し、政治秩序の完全な解体を目睹し、そこに究極的にアナーキズムしか現出せしめないのは、論理的必然である(p.131)」また「人間性の無制限な開放は、必ず政治体制の破壊と秩序の破壊に帰する(p.132)」と念を押す。

 三島は人間性の解放、つまりフリーセックスや個人の快楽を極限まで追求する行為が、国家の否定つまり無政府状態に結びつくことを示唆している。

 三島由紀夫は人々に軍国主義者・天皇親政主義者として誤解されていた部分があるが、彼は民主主義を次のように定義して、今後も運用する必要性があるとした。

 三島は『文化防衛論』の中で「人間性と政治秩序との間の妥協こそが民主主義の本質(p.132)」であるとし、また「人間は汚れている。汚れている中で相対的にいいものをやろうというのが民主主義(p.223)」なのだと肯定的にみる。三島は自論において、天皇の存在は文化を総攬する存在であると規定し、政治的天皇には反対していた。つまり「大日本帝国憲法」における明治以降の天皇像を否定したのである。 

 さて、ここで私は次のような論を立ててみたいと考える。これは現在に至る民主主義を肯定的に把握するための、また現在我が国の象徴天皇制を擁護するための論であると考えていただきたい。

 それは我が国において、本来君主制は成り立たないのではないか、ということである。

 これを証明するため、田中浩氏の『イギリス思想叢書3 ホッブズ(以下『ホッブズ』)』に目を通すと、日本の知識人たちの、天皇の存在に対する混乱の一端を垣間見ることが出来る。ここで田中氏の『ホッブズ』で描かれた天皇の姿について、長くなるが引用しておきたい。


 戦前の日本においては「明治憲法」の制定によって六十年近くも天皇が「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」として「現人神あらひとがみ」⁽⁴⁾とされ、1945年の敗戦まで、天皇=上御一人という思想が日本国民の間で信じられてきたことは、まさに「二十世紀の奇跡」といえよう。(……)イギリスでは、R・フィルマー⁽⁵⁾のような神権説論者は例外として、国王を神と同一視して絶対的な支配を正当化する政治思想はほとんど存在しなかったのである(p.47)


 まず、田中氏は「大日本帝国憲法」において、ホッブズ的統治者としての人格が、はじめて付与された点を無視している。「大日本帝国憲法」成立まで、天皇の本質的な性格はシャーマンであったと言える。シャーマンとは超自然的な存在との接触・交信を行う呪術者、かんなぎのことを指す。天皇とは本来、我が国の五穀豊穣等々を祈る祭祀長としての性格、つまり「祈る人」なのである。現在でも行われている新嘗祭や例大祭はその名残である。それこそ天皇が「現人神」たるゆえんであり、確かに超自然的な問題であるので、その成否は我々には測れないものである。ただ、「現人神」としての天皇を人間的な統治の場面まで、つまり田中氏の言う自然的な機能における――つまり普通の人間の域にまで落とし込めたのは他ならぬ「大日本帝国憲法」なのであり「現人神」としての天皇を批判するのであれば、田中氏は、明治以前の天皇に焦点を当てて、ホッブズの理論を展開しなければならないであろう。

 また、田中氏が引き合いに出した「大日本帝国憲法」第一条「天皇ハ神聖ニシテ侵スへカラス」はそのまま天皇という部分を国民に変えても通用するものなのではないだろうかと、筆者は主張したい。主権を行使するものがその最高の権力を行使し、それが神聖かつ侵すことのできないものなのは当然のことである。

『リヴァイアサン』において、「権威(Authority)」は「いかなる行為でもなしうる権利」として位置つけられている。人間の自然状態は常に闘争状態である。なぜなら生物一般のなかでも、人間は未来の自己保存について将来を予見する理性を持っているからである。彼らは未来を予見できるため、自己保存のため資源に対して無限の欲望を持ち、絶えず他者より優位に立つために闘争する。だがこの優位は個人間では相手を圧倒できるほどには決定的なものではない。そのため常に、絶えず、人間は争うことになる。争い――優位に立つための闘争――わけても暴力は自然権として肯定される。

 しかし、当然のことであるが自己保存の本能は死を、特に「他人の暴力による死」を忌避する。各人は誰もが自己保存の権利を持っているのであり、また暴力に代表される自然権を持っている。これは善悪において肯定するものでも否定するものでもない。

 さて、理性による予見は、この各々の人間の持つ自然権を制限する自然法を説く。各人は各人の自然権を、自然法に従って、君主もしくは合議体に対し、各人の主権をゆだねることを契約するのである。

 田中氏は同前掲書引用部分より以前に、こう記している。


 そもそも主権とは、それぞれの政治社会=国家における最高権力であり、現代のいかなる民主国家においても――ここでは国民主権の立場がとられている――、主権は最高権力で絶対的であることはきまっており、主権を代表する議会や政府の権力は何物にも勝って強いし、(……)その法律が変更されない限り国民はそれに従うことが前提となっており、そうでなければ政治的社会的安定は維持されないであろう(p.22)


 先述の通り、もともと天皇は君主としての人格を有していない。シャーマン的な「祈る人」は、ホッブズの定義するようないかなる「権威(Authority)」も持ち合わせてはいないからだ。だが「大日本帝国憲法」制定によって、「祈る人」の神格は切り離されてしまったことを示しておきたい。成否はともかく、元々神であらせられた天皇は、明治に入って初めて人間の統治者としての性格を得たのである。


 ホッブズと三島の相違


 ホッブズと三島由紀夫の違いは、やはり日本とイギリスとの文化的な差異が、その背景にあるのは当然である。特に、天皇は統治者としての人格を本来であれば担うことが難しく、一概に諸外国の君主と比較できるものではない。ある意味、神としてまた祭祀長としての性格を「大日本帝国憲法」が奪ったのであり、そんな天皇のあいまいさが戦後天皇の本質をゆがめ、他国および自国において暴君のような存在に映ってしまったのであろう。

 三島由紀夫は天皇を中心とする歴史と伝統の国を志向しながらも、それがゆえに昭和天皇に対しては屈折した感情を抱いていたと考えられる。なぜなら人間であることを認めたのは他ならぬ昭和天皇であったのであり、その点で、三島由紀夫は独特の天皇観、つまり政治的天皇としての姿ではなく、文化的な総攬者としての天皇を志向してゆくようになった。

 三島は『文化防衛論』において「大日本帝国憲法」は、天皇に国家元首或いは統治者という側面を付与した点に着目した。つまり明治憲法下における政治的天皇制が、天皇の本来の価値自体、つまり日本の文化を体現する者の姿を失わせたというのだ。「大日本帝国憲法」における天皇像は、ホッブズにおける代表者に近い姿を有していたが、三島はこのような天皇像とは別の天皇像を見出していた。つまり先ほどの「文化概念としての天皇」であり、象徴としての姿であった。この面でホッブズの生みだした絶対の主権者権力の姿とは別ものになる。最後に三島は『文化防衛論』において、次のように政治的天皇を批判する。


 明治憲法下の天皇制機構は、ますます西欧的な立憲君主体制へと押しこめられて行き、政治機構の醇化じゆんか(手厚い教えで感化されること)によって文化的機能を捨象して行ったがために、ついにかかる演繹能力を持たなくなっていたのである。(……)われわれは天皇の真姿である文化概念としての天皇に到達しなければならない(p.73)


 現状において、日本には統治を担う君主は存在しない(なぜなら天皇は国王ではないから)、つまり民主主義以外の政治形態が存在しえないのである。


 まとめに


 人類の誕生と社会集団化の拡大以来、人類の歴史は暫時的な戦争状態の中にあったといえる。また国家という擬制された、いわば共同幻想としての共同体が、我々を「何者か」と規定する以上、戦争は必然であると言わざるを得ない。我々社会化された人間は、「何者か」である権利を外部からはく奪されることを非常に恐れている。

 といって、国家間の民族主義的な政治統一の擬制としての、世界連邦ないし世界政府による全世界の平和的統治は夢の話である(これをグローバル化と言い換えても良い)。それに近しい形態としてEUはあげられるだろうが、未だ経済的な統一にも疑問がある中、政治的な連合体の構想は時間のかかる話であろう。未来を思考することは非常に重要なことであるが、それによって現状の問題を融解させてしまえば、未来へのビジョン自体も危ういものとなる。未来は過去と現在進行のすえに、はじめて成り立つのである。

 我々は未だ国家の時代にいるのであり、国家の時代においてベターな選択をしていかなければならない。国家の原理とは力の原理である。その中でホッブズ及び三島由紀夫という存在が、この社会に課題を提示してくれるものになると考えられる。

 ホッブズの生きた時代は文字通りの戦争によって疲弊し、自分の財産となる身体及び生命の防衛のために、隣人に牙をむけるような時代であった。では今は違うのだろうかと言うとそうではない。今ホッブズの描いたリヴァイアサンが姿を変え、本質的なことは何も変わらずに、我々の前に姿を現したのである。

 それは経済である。これを前にしては戦争ですら、有用な商品なのだ。

 世界は二度の大きな大戦を経て、特に日本では、「平和憲法」を受け入れながら、朝鮮戦争の特需によって皮肉にも経済を回復させた。序文に記したように、これは字義通りの経済回復とは程遠い。それらはアメリカ式のリベラルな戦時体制として、日本の産業構造に組み込まれたのであり、この日本型経営と米国式の品質管理的手法の混合物は、その後米社会学者のエズラ・ヴォーゲルによって『ジャパン・アズ・ナンバーワン』と評された。

 それも時を経て、資本蓄積の拠点が「生産(産業資本主義)」の現場から「交換・流通(商業・金融・情報資本主義)」の現場へと移行しても、それは「貿易の嫉妬」とも呼べるような羨望や憎悪を生み出した。そして今日においても、競争原理のもとに、日本は節操のない、冷徹な〝戦争〟を継続している。

 ホッブズと三島由紀夫、この両者に共通することは、我々からするとかなり特殊な時代を生きてきた、ということである。

 その時に、実質的な戦闘状態にないというだけの狭義の「平和」の中で生きる我々にとって、ホッブズと三島由紀夫の生きた時代というのは、我々が想像するよりもはるかに苛酷なものであったことは疑いない。その過酷な時代における英知は、今の我々の社会を考える場合に重要な資料となる。

 ただ、事態は刻々変わりつつある。我々は国家の所在とその統治者について、我々の生きた「民主主義」について再考する岐路に立っている。これはその序文である。



 参考文献

 ホッブズ(永井道雄・宗片邦義・訳)『世界の名著23ホッブズ リヴァイアサン』中央公論社 一九七一年

 ホッブズ(水田洋・訳)『リヴァイアサン(1)(2)』

 岩波文庫 二〇一二年~二〇一三年

 田中浩 『イギリス思想叢書3 ホッブズ』研究社出版 一九九八年

 三島由紀夫『文化防衛論』ちくま文庫 二〇一三年

 洪潤杓「三島由紀夫の歴史認識―1960年代のテキストを中心に―」 筑波大学博士論文 二〇〇八年 


 注

₍₁₎ここでは北一輝のことを指している。この論考の初期の姿は、北一輝『国体論及び純正社会主義』とホッブズ『リヴァイアサン』の比較研究であった。ちなみに北の著書『国体論および純正社会主義』では、ホッブズ的国民の代表者としての天皇とその統治下での社会主義の運営論が展開される。これは後日の『日本改造法案』においても「巻一 国民の天皇」として「天皇ノ原義。天皇ハ國民ノ總代表タリ、国家ノ根柱タルノ原理主義ヲ明ラカニス。」と表現されている。

₍₂₎ ホッブズ(水田洋・訳)『リヴァイアサン(2)』では「貴族政治(p.52)」とされているが、本論ではその後の社会の変容も考え、表記をあらためた。政治権力の全部または大半を、特定の少数の人々が支配する政治体制のこと。

₍₃₎左翼勢力と一口に言ってもそこには様々な勢力が介在していたため、容易に革命は進まなかった。

₍₄₎この世に人間の姿として現れた神のこと。あるいは人間であり神であること。天皇を指す表現として用いられたが、もとは一定期間「カミオロシ」を経験したシャーマンを示す言葉であった。

⁽⁵⁾イングランド王国出身の政治思想家である。『旧約聖書』を典拠として、人類の祖先であるアダムに対して、神が家族や子孫を支配する権利を与え、その権利は代々家父長に対して相続されるとして、絶対君主制の基礎付けをおこなった。その主著『パトリアーカ(家父長論)』は、王権神授説の代表的な文献とされている。ピューリタン革命当時は王権庇護に回ったため投獄、邸宅の略奪などの憂き目にあった。|ルビを入力…《ルビを入力…

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