第4話 元の世界へ

 気づいたらわたしはなんのとり得もない平凡な女子大生に戻っていた。そこは見知った新宿の街だった。


 でも以前のような騒々しさや活気はない。寂れた田舎の商店街のように静かだった。車や電車が走っていないせいもあったが、なにより人々の生命力が欠けていた。


 みんな元の人間の体に戻ったみたいだ。あるものは泣いている。あるものは怒りのままに叫んでいる。あるものは呆然と立ち尽くしている。誰もがあっちの世界で暮らすことを望んでいた。


「これまでの生活が快適過ぎただけに、それを失った絶望は大きいのだろうね」


 長谷川さんがさびしそうに言った。ドラゴンはあれだけボロボロになっていたのに、端正な横顔には傷ひとつない。


「でも僕たちの選択は間違っていなかったと思う。たとえその先に辛い現実が待ち受けていようとね」

「それでもわたしたちは生きていくしかないんですね」


 長谷川さんは神妙に頷くと、無言で歩き出した。


「どこに行くんですか?」

「有隣堂だよ。僕の居場所はあそこしかない」


 そう言って長谷川さんは笑った。


「本は人類の歴史そのものだ。それぞれ性格、そのときどきで心境は違うだろうが、どんな人にも刺さる一冊は必ずある。読書は疲れた心を癒し、僕らを未来へと導いてくれるはずさ」


 なんとなくわかる気がした。わたしも辛いときやしんどいときこそ本を読んだ。心がふっと軽くなって、一人じゃないんだって思えた。こういうときに一番必要なのはあんがい本なのかもしれない。


「きみも来るかい?」


 差し出されたきれいな手を、わたしはそっと握った。


                  *


 あれから徐々に社会は正常さを取り戻した。生活インフラはすぐに復活し、電車や車も動き出した。人々は寝起きみたいな顔をして会社や学校に行くようになった。


 授業は再開したみたいだけど、わたしは大学へは行かず書店員として有隣堂で働いている。大学よりも本屋の方が断然魅力的だったし、なにより長谷川さんとずっと一緒にいられる。


 ようやく仕事にも慣れてきた。開店前の文房具コーナーでわたしはショーケースを拭く。並んでいるガラスペンが目に入り、手を止めた。


「こんなところでなにしてんだい、うさぎちゃん」


 今にもそんな声が聞こえてきそうだった。というか、実際に聞こえた。ハッとして顔を上げる。 


「てかこのへん全然売れてる気配ねえじゃん。やっぱあたしがいないとダメだな」


 鼻の奥がつんとする感じがして、わたしは口元をおさえる。まさか、そんな。


「てっきり死んでしまったかと……」


 涙が溢れてきてそれ以上しゃべることができない。


「勝手に殺すな。あたしは文房具王になるまでは死ぬわけにいかねえんだよ」


 そう言ってザキさんは眼鏡の奥の丸い瞳をきらりと光らせた。

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すべてがBになる~THE IMPERFECT OUTSIDER~ 結城熊雄 @yuki_kumao

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