第3話 中のあの人を倒しに

 あれから一年が経った。わたしは雪がちらつく小高い丘で、先ほど知り合った仲間たちとコサックダンスをしていた。かれこれ3時間は踊っているが全く飽きない。コサックがこんなにおもしろいなんて、やってみるまで知らなかった。


「こんなところでなにしてんだい、うさぎちゃん」


 聞き覚えのある声だった。振り返ると一本のガラスペンが立っていた。


「ザキさん?」

「いかにも」

「ザキさんがここにいるってことは」

「人類は全員ブッコローになった。しかしだな……」


 上空で大きな声がして、わたしは身をすくめた。ドラゴンが雄たけびを上げている。びりびりと地面が揺れる。なんてはた迷惑な。元の世界で言う暴走族みたいなものだろうか。


 ドラゴンがこっちに向かって下りてきた。近づいてくればくるほどわたしは不快感を覚えた。理想の容姿がドラゴンなんて幼稚で趣味が悪い。元の姿が見てみたいわ。そんなことを思っていると、ふいにドラゴンが口を開いた。


「うさぎちゃん、まずいことになった」


 長谷川さんだった。よく見るといかつい体とは裏腹につぶらでくりっとした瞳をしている。かわいい。


「僕らは騙されたんだ」


 なにやら事態は深刻らしい。わたしは長い耳をピンと立てる。


「有隣堂社員が全員ブッコロー化したところで手のひらを返された。あの人の狙いはブッコロー化した僕らを食べることだったんだ」


 なんだろう。長谷川さんの話って全然頭に入ってこない。もちろんいい意味で。


「ブッコローがブッコローを食べると巨大化する。全人類分のブッコローを食いつくしたころには……」


 そこで長谷川さんは一旦言葉を切る。わたしはごくりとつばを飲み込んだ。


「ブッコローは宇宙になる」


 それがどういう原理なのか、なにがどうまずいのかはよくわからなかったが、文字数的にそろそろクライマックスなのだと思い、わたしはコサックダンスをやめた。


「それで、わたしたちはどうしたらいいんですか?」

「中のあの人を倒すしかない」

「中のあの人ってもしかして……」

「その名を言ってはいけない! 知っての通り、有隣堂のチャンネルでR.B.ブッコロー役を担当していた人物だ。あの人は東のはずれにいる。長旅になるよ」


 長谷川さんはわたしとザキさんを背中に乗せると、勢いよく空へ飛び立った。なるほど、ドラゴンになったのは実用性も兼ねていたんだ。失敗したな。うさぎなんかじゃ戦えないではないか。


「いやあ容姿設定しくったなあ」


 ザキさんも自分の姿を悔やんでいるようだった。ガラスペンなんてこの世界で最弱だ。これから一世一代の大勝負が待っていることを考えると、なるべくステータスの高いキャラにしたかっただろうに。


「インクもセットにしとけばよかったぜ。これじゃあ書けないじゃんよお」


 違うみたいだった。


                  *


 どれだけ時間が経っただろう。前方にいかにもという感じの城が見えてきた。ご丁寧にまがまがしい紫色の後光が差し、雷まで鳴っている。


「二人とも、しっかり捕まっててね」


 長谷川さんは大胆にも真正面から突っ込んだ。石壁が大きな音を立てて崩れ落ちた。砂埃が収まるにつれて視界が開けてくる。


 そこはもうザ・王様の部屋だった。失礼、ジ・王様の部屋だった。煌びやかな装飾、豪華なシャンデリア、正面には巨大なブッコローの絵が飾ってあった。絵には端っこに「ブッコロー見参!」とサインまでしてある。


「随分派手にやってくれるね」


 金色の玉座に座っていたのは鬼の形相をした大魔王……ではなく、金髪の美少女だった。あまりの美しさに見とれてしまう。


「まさかあれが?」

「そうだ。外見に騙されちゃいけないよ」

「長谷川くん、岡崎さん、きみたちは優秀で忠実なしもべだと思っていたんだがな」

「残念。合っていたのは前半部分だけでしたね」 


 次の瞬間、激しい炎が美少女を包んだ。

 さすが長谷川さん。火を噴けるオプションまで付けていたなんて。できる男。


「残像だよ」


 いつの間にか美少女はすぐ近くにいて、ドラゴン長谷川の顎を蹴り上げた。衝撃でわたしと岡崎ガラスペンは吹っ飛ばされる。


 顔を上げると、とてつもない速度で移動する美少女に長谷川さんは防戦一方だった。


「長谷川さんっ!」


 走り出そうとするわたしをザキさんが止める。


「待て、おまえがどうにかできる相手じゃねえだろ。あたしらには他にやることがある」


 ザキさんはわたしにそっと耳打ちした。それはにわかには信じがたかったが、思えば最近信じがたいことしか起きていなかった。


 激闘を繰り広げるドラゴンと美少女を横目に、わたしたちは額縁へと急いだ。美少女はこちらの動きに気づいていないようだった。


 難なく絵のところにたどり着くと、わたしは傍の石で額縁のガラスを割った。ガラスの破片を拾って、手のひらを少し切る。出てきた血をガラスペンの先端が吸い上げた。わたしは紙の質感を確かめ、ペンを手にする。


「おい、なんで長谷川の名前書いてんだよ」

「すみません、癖なんです。気にしないでください」


 ここからが本番だ。「ブッコロー見参!」と書かれているサインの『見参』の箇所に二重線を引き、『退散』に変える。嘘みたいだが、これがこの世界を終わらせるスイッチになるらしい。書きながらわたしは感嘆の声を漏らした。


「すごい、ガラスペンってはじめて使ったけどこんなに書きやすいんですね!」

「そうなんだよ。書くときに独特の心地い〜い音がするのもガラスペンの特徴なんだぜ。詳しくは有隣堂しか知らない世界【物理の力で文字を書く!ガラスペンの世界】(https://www.youtube.com/watch?v=BanYVWRVZ90)を観てくれよな!」

「え、急にプロモーションっぽいの入りましたけど、なんですかこれ。ステマですか?」

「いや、この作品の著者はなんの報酬ももらっちゃいねえ。どうやらこれが面白いと思っているらしい」

「すいぶんイタイ奴ですね」


 そのとき背後で一際大きな音がした。いつの間にかドラゴンは倒れており、ピクリとも動かない。


「長谷川さん!」


 大声を出したことでわたしたちの所業がバレた。美少女はその美しい顔を醜くゆがませて怒鳴った。


「おまえらなにをしている! そんなことをすればこの世界は滅びるぞ!」


 その一言が合図だったかのように、強烈な地響きとともに城が崩壊を始めた。


「おのれ、生かしておけん」


 言うや否や美少女は恐ろしいスピードでこちらにやってくる。

 やば、殺される。

 あと一メートルというところでザキさんがぶるぶるっと体を揺らした。ペン先から飛んだインクの血が目にかかり、美少女が一瞬ひるむ。その隙にガラスペンは突進した。


 そのまま二人は落下していく。入れ違いにドラゴンが飛んできてわたしの体をキャッチした。


「待って、ザキさんが」

「なんだって」


 すぐに引き返そうとするが、落ちてくる瓦礫を避けるので精いっぱいだ。


「くそっ!」


 壊れていく世界を、わたしたちは為すすべなく眺めていることしかできなかった。

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