第15話

 暗くおどろおどろしい森を進んでいくと、女神が祀られていたと思われる祠が見えてくる。

 祠の周りを円を描くように岩が囲んでいて、真ん中には十字が掲げられていた。

 女神がそう簡単には出てこれないようにしたものだろう。


 その岩の一部がややずれている。綺麗な円形ではないのだ。

 おそらく、殿下が祠に近づくために岩を無理やりどかしたのだろう。

 どかしてはいけないものかもしれないと、どうしてこの光景を見たときに思わなかったのか謎だ。


「じゃあちょっと準備するので、邪魔しないでくださいね」


 持ってきた荷物を地面に下ろし、リュックの中からすり潰した木の実やらいろいろ混ぜて作った白い液を取り出す。ベッタリとハケに塗りつけて、地面に陣を描いていく。


「おまえは魔女か何かか?」

「嫌ですね。聖女ですよ、元」


 陣を描き終えたら、殿下を中心に立たせた。


「人柱のようだな」

「似たようなものですね」

「なっ!」


 強ばった顔をした殿下に、ビシャッと月に照らした水をかける。七日間月の光を当てた特性の水だ。

 寒気が吹き抜けたのか、殿下がぶるりと身を震わせた。


「ははっ、王子濡れた犬みてぇ」

「はいはい、そこ。静かにしててくださいね」


 陣の外に出て、空を見る。

 満月がちょうど真上に来た。導かれるように。

 闇と対になる光が真っすぐ殿下に降り注ぐ。どこからともなく風が吹き始めた。暗闇に溶けそうな私の漆黒の髪がなびく。金の瞳に月を映して、指で宙に星を斬った。


「我が名はルナ・エフェクトラ。月の魔力を受け継ぎし者」


 陣が月の光を受けて、ほのかに光り出した。


「なっ、なんだっ!?」


 殿下が身動ぎしようとした。足が縫い付けられたように動かないのに気づいたようで、ぎょっとしたように私を見る。

 だいじょーぶですから、大人しくしててくださいね、殿下。

 光に押されるように、殿下の後ろから黒い影が浮き出てくる。


 そうそう、いい子だからこっちにいらっしゃい。

 背中から出て来た黒い影を手で鷲づかんだ。


「こんばんは。哀れな女神様。クソみたいな男に求愛するのも、クソみたいな地上に留まるのも、もうお止めなさいな」


 黒い影が、ぐるぐるととぐろを巻く。


「ほら、上を見て。光が見えるでしょう。あなたを導く月の光。そうそう、嫌がらないで。手を伸ばして」


 どす黒い影が、月の光に照らされて本来の姿を映し出す。

 金色の髪と、エメラルドの瞳が美しい美人だ。ふわふわな髪が殿下に少し似ているかもしれない。

 美しい女神が、幸福そうに笑みを零して空に手を伸ばした。


「あなたの来世に光が溢れるよう、私が魔法をかけてあげる。だから安心して空に昇ってね。さようなら、哀れな女神様」


 女神の額にそっと口づけた。

 女神の体がパアッと黄金の光に包まれる。女神に付いていた闇の影はすっかりと消えていていた。

 美しい金の髪が視界いっぱいに波打ち、女神の体が静かに崩れていく。いくつもの光の粒となって。


 女神の光の粒はカラカラに乾いていた地面に降り注ぐ。

 森は息を吹き返したように草を伸ばし、花を咲かせ、木の実を実らせる。

 そして咲いたばかりのたくさんの花の雨を降らせて、森は呪われた女神の門出を祝福した。


 陣の光は強くなり、眩しいくらいの光が一面に弾けた。

 導くように、私は右手を空に伸ばした。女神がその手をたどるように空を見る。

 そして愛おしそうに、どこか安心したように目を細める。光が見えたのかもしれない。優しく抱き込む月の光が。


 女神は音のない声で「ありがとう」と言い残し、光となって空に登るようにして消えていった。

 しんっと、静寂が戻ってくる。


「殿下、終わりましたよ」


 陣の上に立ち尽くしている殿下に声をかけた。けれども、反応がない。


「……殿下?」


 動かないな。どうしたんだろ。

 目が合っているのに合っていない。魂が抜け落ちたみたいだ。失敗はしてないと思うんだけどなぁ。

 近づいて、殿下の目の前で手を振る。


「おーい、殿下? 殿下〜。……死んだ?」

「い、生きている!」


 ハッとしたように殿下が息を吹き返した。

 そして私を見て、ソワソワと落ち着かなそうに視線を泳がせる。


「い、今のは?」

「何がです?」

「ひ、光だ。おまえの周りを、キラキラした光が囲んでいた。まるで……女神のようだった」


 何を言うのかと目を丸くして殿下を見る。


「あはは! あながち間違っていないですよ。その光は、殿下についていた女神です」

「そ、そうなのか?」

「はい。空に昇るときに光を振りまいていたので光って見えたのでしょう」

「そう、なのか……」


 そわそわ森を見ている殿下を置いて、荷物をまとめる。さて、帰るか。

 リュックを持たせようと周囲を見回したところで、もう一人固まっている人物を見つける。ぽ〜っと恍惚な顔をして空を見ているライオネルだ。


「ライオネル〜」


 声をかけると、弾かれたようにライオネルが私を見た。キラッキラした興奮の光をその目に宿している。


「聖女様すげぇ! 俺、聖女様の側近になる〜!」

「ぐぁっ、潰れるっ、重い!」


 飛びついて来たライオネルに押し潰されそうになった。何とか持ちこたえて震える足で踏ん張る。


「あなたは殿下の側近でしょう。バカなことをおっしゃらないでくださいな。ほら、帰るから荷物持って」

「え〜。聖女様冷たい〜」


 ケラケラと笑っているライオネルにリュックを持たせる。

 そしてライオネルの背中を押して、すっかり木が生い茂った森を歩き出す。何か足りないような気がして振り返ると、殿下がぼんやりと空を見ていた。


「殿下、置いていきますよ」

「なっ、わ、私を一人にするなっ!」


 すっかりと一人に怯えるようになってしまった殿下を連れて家へと戻った。

 家の前でライオネルから荷物を受け取る。

 当たり前のように家に上がりこもうとしている殿下たちを、引っ掴んで外に叩き出した。


「もう呪いは解けたのでお帰りくださいっ!」


 しばらくするとしぶしぶ帰っていく足音が聞こえて、ほーっと息を吐く。

 なんとか殿下たちが居つくことからは逃れられたようだ。あと数日遅かったら空き部屋が殿下の私物まみれになっていた気がする。恐ろしい。


 その日は何も気にせず気を抜いてベッドに横になった。だらしなく枕に埋もれる。これが幸せか。誰にも邪魔されず、ぐっすり眠れる。

 ゴロリと寝返りを打って甘い幸せに沈みながら、哀れな女神の幸せを願って目を閉じた。



 こうして、『元聖女の拝み屋』には平穏が戻ってきた。


 本当に人騒がせな王子だった。

 あれから三日間、平和すぎるくらいの平和な暮らし。邪魔者もなく、一人でゆったりハーブティーをすする。久しぶりに芋以外の料理も食べた。お肉たっぷりのハンバーグ。涙が出るほどおいしかった。


 あぁ、しばらく働きたくないなぁ。蓄えは十分あるし、のんびりゴロゴロして体を休めたい。

 そう思っていた矢先、closeのプレートがかかっている扉が叩かれる。

 無視している間にもノックは続く。後払い制なので客が来たのかもしれないと、重たい腰を上げた。


「はいはい、どなたです……かっ!?」


 扉の先には、殿下とライオネルが。


「聖女様〜。来ちゃった」


 来ちゃったじゃない。来るな。

 どうして来た!?


「お引き取りください」


 すぐさま扉を閉める。


「ネル、壊せ」

「了解、王子〜」

「うわぁああああ! 開けます開けます〜っ!」


 物騒な声に慌てて扉を開けた。ニタリと、殿下とライオネルが笑う。

 ああ、もうこれ、ダメなやつだ……。

 私は自分の幸福が遥か彼方へ吹っ飛んで行ったのを感じた。


「なんの用、ですか……」

「聖女様ぁ、俺、お願いがあって〜」


 そう言ったのはライオネルだった。

 にぱっと、満面の笑みで、どう考えても笑い事ではない言葉を口にした。


「俺、呪われたみたい」


 どうやら拝み屋の平穏な生活はまだまだ遠いらしい。

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追放聖女とポンコツ王子のラブ(?)コメ~元聖女の拝み屋開業中~ 塩羽間つづり @TuduriShiohama

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