昨日物語

堀川士朗

第一話 濡れた近松編


 「昨日物語」第一話

 (濡れた近松編)


          堀川士朗



昔を思い出すと

疲れる。

だが、思い出して

やらないと

もっと疲れる。


細かい事をよく覚えていると思われるかもしれない。だが、たいがいの事は忘れてしまった。


過去へ。



母親が亡くなってから二年が経った。

僕の名前は森川チロ。

大勝大学三年生のハタチだ。

学校に通いながら、芸能事務所の毎毎プロダクションに所属している。


その年は日本は激動の季節だった。

関西方面で大地震が起きたり、ローズ真言教のアジトに自衛隊の特殊部隊が突入したりして大事件になっていた。


それも驚くべき事だったが、僕はあの品川さんの舞台に初出演が決まって天にも昇る気持ちでいた。



世界の品川。品川由紀夫演出作品、『濡れた近松~それは愛~』。元禄時代の上方文化を描いた悲喜劇だ。

サクセス東京のプロデューサー根本さんに気に入られた僕はこの舞台に出演する事が決まった。舞台役者である父の舞台を観に行っているから、根本さんはこどもの頃から知っている。


濡れた近松の稽古初日。

まず僕ら群衆のシーンの稽古前に、この度の関西大震災の犠牲者に対して黙祷を捧げた。

着物姿の僕らは不安でいっぱいだった。

関西出身の役者も参加している。

この、どうしようもない惨事に黙祷中にすすり泣く女の子らもいた。

品川由紀夫と根本さんは、この『濡れた近松』の芝居を通して公演の地である大阪に復興と再生を捧げたいと熱く語った。


稽古初日からもう舞台セットが組まれている。

これだけ準備されていては、僕ら役者としても手を抜く訳にはいかない。

全員稽古初日にはセリフを入れて来ている。

よくテレビドラマのシーンにある、台本片手に立ち稽古に臨むような甘い考えのヘボ俳優などいない。


太鼓持ちの掛け合い歌の響く中、僕を含めた40人の群衆は踊り狂う!


♪るんるんるんたら

しんしらしん

しんしらしらしら

しんしなてぃ

つくつくつんつく

よいとこな



品川は群衆の動きの処理、動線処理に長けた演出家だった。

ひとめで駄目を見抜いて補正した。

それは氏の好きだった画家ブリューゲルなどの影響を受けている事は氏自身も公言していた。

ストップモーション。

屈曲した身体。

屈折した動き。

ただ突っ立ってる役者は矯正されるか、その日の内にクビになった。

荷物をまとめ稽古場を去る役者を見たのは一度や二度ではない。

彼らは一様に、幽霊みたいな血色の失せた顔つきだった。

現実が上手く受け止められないのだろう。

灰皿を投げるとか、怒声を浴びせるとかは品川由紀夫の分かりやすい表面上の怖さであって、本当に怖いのはむしろ静かに役者降板を告げる冷徹さにあると言える。



歌舞伎役者の権堂五十六(ごんどういそろく)の明確で実力に裏打ちされた演技が光る。

リアリズムの芝居が巧い!

本当に感心する。

弟子の五一くんと僕は稽古中から仲が良かった。

とある日。他の仕事で稽古場に来られない勝間田政和さんの駕籠屋久兵衛の代役を任された。

久兵衛は主役の一人で、ユーモアのある重要な役だ。

僕は久兵衛のセリフを完璧に入れていき冒頭のシーンを演じた。

品川さんと、プロデューサーの根本さんはニコニコしていた。

寒い日が続く。

白い雪も降っていた。

やがて全ての稽古が終わって、僕らは不安を隠せないままに大阪へ乗り込んだ。

震災の爪痕残る大阪で、僕らの近松の芝居は受け入れてもらえるのだろうか?



舞台初日。初の出演ギャラが振り込まれていた。

7万円。

役者間のギャラの話はタブーでギャラの額を聞いた事はないけれど、多分他の俳優さんとかはツアー一本で50万円から100万円くらいもらっていたんじゃないかな。

僕は初舞台で、まだまだ勉強中の身だからこの額なのだ。

でも、充分だと思ったし、振り込まれてすごく嬉しかった。

家計簿をつけなきゃなあ。



初日当日の幕が上がる。

人情話、豪華な衣装、総勢63人のキャスト、群衆芝居、権堂五十六さんの精緻な世話物の演技、女優たちの演ずる遊女の匂い立つようなエロスと存在感、主役たちに降り罹る悲劇と、軽妙な笑い。

お客さんの笑いと涙をこれでもかと誘い、ラストに再び幻の群衆の中に勝間田さん演じる久兵衛が消えていく……。

拍手喝采だった。

拍手が鳴り止まなかった。

僕らの舞台は受け入れられたんだ!

僕は嬉しくて涙を流した。

キャストの多くが泣いていた。

お客さんたちもみんな、ありがとう!ありがとう!と言って泣いていた。

あの初舞台の日の事を僕は生涯忘れる事はないだろう。



連日飲み歩いた。先輩俳優たちが金のない僕を見かねて奢ってくれたのだ。

連日朝まで飲んだ。

記憶のないままに朝目覚めたら照明さんのベッドにいた事もあった。泊めて頂いたお礼をしてその足で直接劇場に向かった。

その頃の僕は無軌道、天衣無縫で怖いものとかあんまりなかった。

五一くんも若かった。

袖から、本番中にストップモーションになって止まっている僕を笑わせてくれた。

ある時は炊飯器を用意してご飯を袖で食べていたので僕は吹きそうになって視点を五一くんからずらした。

こんな奴だが、歌舞伎の公演で権堂五一が個人の新人賞を獲った公演を観に行ったら、舞台上の高い高いお堂の上から連続して側宙を決めていて、単なるおっぺけ野郎ではない事を証明してくれた。

だから五一くんとは長い間良き友達でいた。



劇場が大阪にあるという事もあり、関西大震災の募金活動も僕らは行った。キャストのサイン入りパンフレットや手拭いなどを販売し、僕は売り子に立った。

関西出身のかわいらしい8歳の子役の洋介やふっくんも売り子に。

ステージの衣装のまま、みんなで震災の募金を呼び掛けた。



坂下由江(さかしたよしえ)さんとの出会いと恋があった。

坂下さんは濡れた近松の共演者で、僕より7歳年上だった。

通天閣をデートした。

串カツを食べた。

楽しい。

彼女はクールな美人だった。

クールに見えてたまにエキセントリックな面があって、ちょっと怖いけどそこもまた楽しい。

とにかく一緒にいて退屈しない女性だった。

翌月は名古屋公演で、栄にある台湾ラーメンを食べたり、大須商店街の大力屋という美味しい焼き肉を食べに行ってとても楽しかった。



彼女が僕のシャツ一枚になった。

薄暗い部屋に二人。

テレビがついている。

坂下さんはタバコを吸っている。


「アゴの傷どうしたの?」

「うん。これ。保育園に行っていたこどもの頃に、鉄製のベンチを二人組で運ばされて、僕は当時80キロくらいあった岡本くんと組になったんだけど、岡本くんが怪力でグイッと上げたからベンチの手すりにアゴをぶつけて、で、アゴが割れてしまったんだ。血がいっぱい出た。岡本くんは悪くないよ。僕ら、若かったのさ」


と言ったら、坂下さんは笑った。


「確かに若いね」



「ピーポクン、ピーポクン」


って鳴く鳥の鳴き声で目覚めた。

鳥の種類は知らない。

ゴミを捨てに行く。

今日は不燃の日だ。

現実と舞台。僕は日常と非日常を行ったり来たりしているな。



かつらをつける前に巻く羽二重のせいで髪が薄くなった。

ただでさえ父の遺伝で薄いのにちょっとヤバいよな。

ハタチでハゲちゃうのかよ僕。



翌年の公演ではオーディションを勝ち抜いて、池に飛び込んで心中する久兵衛を助ける漁師の役になった。

インフルエンザに罹ってもやった。

毎日二回冷たい池に飛び込むのだ。

病気が治るはずもない。

僕はマチネ(昼公演)とソワレ(夜公演)の合間の時間に劇場近くの病院で点滴を射ちながら舞台に立ち続けた。

演出助手の丸子さんに、


「チロ……漁師の役、おりるか?」


と言われても僕は頑として舞台に立ち続けた。

熱で朦朧とした頭で。

水をガブガブ飲みながら。

かくして千秋楽を迎えた。

濡れた近松の一連のツアーが終了した!

疲労困憊だった。



来年の事を言えば鬼が笑うかもしれないが、来年以降僕は品川さんの舞台に立ち続けられるのかな?

こればかりは分からない。

運命は流転するし、急に誰からも必要とされない日が来るかもしれない。

やるべき事をやるだけだ。

オーディションで勝ち続けるだけだ。

立ち止まっちゃ駄目だ。

役者は、止まったら死ぬ動物。



(僕はこの、『濡れた近松』の芝居に十一年連続1200ステージ以上立つ事になる。後々考えるとこの芝居は、僕の青春そのものだったのかもしれない。)



            続く


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