第二話 劇団インマヌエラ夫人編
「昨日物語」第二話
(劇団インマヌエラ夫人編)
堀川士朗
細かい事をよく覚えていると思われるかもしれない。だが、たいがいの事は忘れてしまった。
過去へ。
僕は大学三年生の秋に劇団を旗揚げした。
劇団名は『劇団インマヌエラ夫人』。高校生の時から考えていた名前だ。
同級生で、大学の演劇サークル『ハリネズミ座』で一緒にやっていた山崎康晴(やまざきやすはる)と一緒に組んで始める事にした。
旗揚げ公演は大勝大学の学園祭。
チケット料金は無料。
他にメンバーとしてジャズ研のトランペッター針生滋(はりおしげる)、映像研究会の木場秋吉(きばあきよし)らが参入した。
おもちゃ箱を引っくり返したような賑やかな舞台にしたいと思った。
構成は二本立ての芝居の合間に映像研究会の流すアニメやジャズ研バンドの生演奏を入れて複合的な舞台に仕上げたい。
木場くんによると、アニメはセル画ではなくコマ撮りしたマペットアニメにするそうだ。
ひとりで撮影するため製作にちょっと時間がかかるが、本番には間に合わせると言っていた。
本番ではそのアニメをプロジェクターで流し、僕がその日の気分でアドリブでセリフを入れる。
忙しいだろうけど木場くんには僕らの芝居にも出てもらおう。
役は決まってるんだ。
僕がボケ役で、山崎康晴がツッコミ役、木場くんには最後通り過ぎる主婦の格好をした神様の役になってもらおう。
僕らの稽古は夏から始まった。
濡れた近松の公演のちょうど空いている期間で。
稽古後、僕たちは大学近くの居酒屋『もぞびい』に飲みに行く。
ジャズ研の針生くんも合流。
座は盛り上がる。
今回の舞台は使用する楽曲や効果音を全て彼の率いる『針生コールバンド』が生演奏する。
映像と演劇とジャズのコラボレーション!
多分まだ誰もやっていない。きっと凄い舞台になると僕は確信している。
やるからには、品川由紀夫さんにも負けたくない!
最近、おととし亡くなった母がよく夢に出てくる。
母は病室のベッドで、数本のチューブに繋がれながら僕に語りかけている。
いつもそんな感じで夢に現れる。
母が何を言っているかは聞き取れない。
「チロ、しっかりね……」
が実際に母が言ったいまわの際の言葉だが、きっとその後に続く言葉を僕に投げ掛けてくれているのかもしれない。
もう一度あの続きを繰り返しているのかもしれない。
起きた時に目のはしっこに目やにがついているのは、多分母の夢を見て涙を流しているからだろう。
夏の暑い日に大学のサークルの倉庫を許可を取って開けて、使えそうな材料を基に舞台セットを造る。
僕ひとりで。
山崎は来ない。
良いやあいつは。
演技の天才だから。
恐ろしい子だから。
本番で頑張ってくれれば良いや。
組み合わせたパネルにベニヤ板を貼って、ペンキでパステルに塗る。
イメージとしては、原宿のロリータ系の雑貨屋。
でもセット中央には雪見障子を配置する。
ハリウッド映画に出てくる、変なニッポンみたいなセットにしたい。
小一時間も叩いていると汗が噴き出てくる。
山崎は来ない。
彼曰く、役者は叩き(セット作製)とかに従事する必要はないというのが彼の持論だ。
でもあれだぜ?劇団インマヌエラ夫人は僕と山崎しかいないんだぜ?
あれ?
他に誰がセット叩くの?
帰宅後、針生くんから電話がある。今回のジャズライブのコンセプトが決まった。
『至上の愛』だ!
二曲で16分くらいのフリージャズ演奏になるそうだ。
僕らの芝居も自由で行こう!
まるで生の、稽古していない感で芝居をやろう!
その場で紡ぎ出される演技を目指して!
出来るだろうか?
うん。僕らには出来るだろう。
10月20日。
大勝大学学園祭。
舞台本番初日。
公演会場は三号棟の203教室。
いつも眠い授業を受けている教室が、ハリウッド映画に出てくる変なニッポンの姿に様変わりする。
照明担当のサークル仲間の那珂川くんが機材をチェックしている。
彼には、地獄の底のような明かりにしてほしいと頼んである。
本番が始まった!
木場くんの人形アニメの動きに合わせアフレコで笑いを取る!
フットライトを多用した照明の中で僕らは演技する。
とにかくテンポ良く緩急をつけて演じる事だ。お客さんの反応を読み取り、自在に変化させる。
台本の再現ばかりが演劇ではない!
それと、始まって三分でお客さんを異界に連れて行かなくてはならない。
これは僕が品川演出から学んだ事だ。
薄明かりの不気味な照明の中で展開する『針生コールバンド』の生演奏にもお客さんは驚いている!
しめしめ。
これが劇団インマヌエラ夫人だ!
笑い声で恐らくそうかなと思ったらやっぱりお客さんの中に僕の彼女、坂下由江さんがいた。
観に来てくれたのだ!
本番の準備でてんてこ舞いになり、余裕がなくなってほとんど連絡していなかったのに……。
僕らの舞台をすごく誉めてくれた。
彼女は演劇には厳しい目を持っているので、そんな彼女から最大の賛辞をもらった事は僕の誇りだった。
僕はその時、坂下さんと結婚したいと純粋に思った。
これは、立村槇にも、宝弘子にも、米田今日子に対しても抱く事のなかった感情だった。
続く
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます