最終話 品川マクヒス編


 「昨日物語」最終話

 (品川マクヒス編)


          堀川士朗




細かい事をよく覚えていると思われるかもしれない。だが、たいがいの事は忘れてしまった。


過去へ。



『女王メダイア』公演の翌年、僕は毎毎プロダクションで渡された一冊の台本を手にして興奮を隠せなかった。


品川由紀夫演出。

『品川マクヒス』。


裏切りの将軍マクヒスが次々とライバルを滅ぼし、最後は討ち死にする悲劇。そこに品川の独自の美的な演出が光る作品。

もう、何度も上演されている。

僕は、北王子勘太郎さん演じる主役マクヒスの太刀持ちの従者シットントンの大役に決まった。

重要なセリフも多く、主役マクヒスが出てくるシーンでは度々登場してとても美味しい役だ。

しかも、この役はぜひ森川チロくんにお願いしたいと直で僕に来た仕事だった!

こんなに大きな役は初めてで、僕は初舞台のように緊張していた。



またまた売れっ子子役の洋介とふっくんも一緒。マクヒスのライバル、ドエンケンの息子役のダブルキャスト。

まだこどもだけど、『濡れた近松』の公演から二年経ってだいぶ顔の表情が大人っぽくなってきたなあ。

この子たちのギャラの額が知りたい。



稽古初日。

ドエンケン役の大仁田親八さんのお付きの若い俳優がおろされた。

稽古場で一人浮いていたのだ。

戦場の殺気を全く感じられないというのが、俳優をおろした品川由紀夫さんの言だ。

僕もそう思った。

ヘボい役者なんかどんどんクビになれば良いんだ!

僕はその頃新しく彼女が出来て、稽古場でも他の俳優からシットントンの動きの所作を誉められていて、有頂天で天狗になっていた。



本稽古前にたっぷり時間をかけて行われる後土場師匠の振り付ける殺陣(たち)まわりの稽古は苛烈で、僕は足の親指を怪我してしまった。親指の足の皮がパックリめくれたのだ!

激痛!

包帯で巻いて様子を見ながら僕は稽古に参加した。

痛みの回復は、皮が自然癒着するのを待つしかない。



後土場師匠始め品川由紀夫さんも、僕に対してはとても優しい。

品川さんは僕がこどもの頃から知っているというのもあって、稽古の休憩時間などにジョークを交えて会話したりする。

あの、世界の品川とだ!

僕は自分がなんだか特別な存在に思えてならなかった。

その時は、僕の役者人生がかなりの幸運の上に存在しているのが自覚としてなかったんだ。



稽古は進む。

あんなに仲の悪かった中戸哲治さんとも打ち解けていた。

女王メダイアの舞台の時に、空港で何で、


「お前良い気になってんじゃねーぞ」


って言ったのか彼に尋ねたら、照れた笑いを浮かべながら、


「チロ。俺はお前が台頭してくるのが怖かったんだよ。ごめんな」


と言われて僕も照れてしまった。

キャリアを積んで、お互いの演技を冷静な熱量で僕らは称えあっていた。

品川マクヒスでは中戸さんは伝令ドナーベン役だ。

ドナーベンが走って王様に戦況を報せる場面で、品川さんは実際に中戸さんに数百メートル先の稽古場の外の道路から走って来させて、伝令のリアリティを追求した。

これが世界の演出家、品川由紀夫の演出方法だ!



洗濯物がたまっている。

コインランドリーに行くのが面倒くさい。

新しく出来た彼女、岩田素子との関係が、早くもギクシャクし始めた。

地元を歩いていたので組んできた腕を振り払った。

その時素子からこう言われた。


「結局チロくんが求めているのは、私のからだだけなのね」


と言われた。

まあ当たっている。少なくともお前には心は求めていない。

心を求めているのは坂下由江さんだけだ。

ああ。坂下さん。

忘れられない……。

なんか。なんか、目を開けてるだけでしんどい。

別れようかな、岩田と。



イナオ印の不味いイワシ缶で一杯やりながら、韓国のなんか辛いインスタントラーメンを食べた。麺はモチモチして美味かったが、スープはあからさまにインスタントの味がして全部残して捨てた。

あーお腹いっぱい。クルピー。

なんか、食事がひどく空虚に感じられる。

坂下由江さんが隣にいないせいだ。

岩田とはこないだ別れた。



品川マクヒスの舞台は日本中を回った。

北海道、秋田、岩手、福島、埼玉、名古屋、大阪、鳥取、香川、福岡、鹿児島。

ギャラも上がった。



地方公演。

ある日の楽屋。

先輩の吹間さんが僕の隣の席にいた小松川くんの頭を後ろから近づいてスリッパで思いっきりぶん殴った。

殴られた小松川くんは訳が分からないまま吹間さんに謝っていた。

事情を聞くと、二人が泊まるホテルは部屋が隣同士で、小松川くんは深夜二時近くまで部屋に女を連れ込んで大声で騒いでいたらしい。

それに吹間さんがキレた形だ。

全く……。

品川マクヒスは濡れた近松とは真反対にほとんど全員男だけのキャストだ。

こういったノリは、禁制と禁欲の著しい歪んだ男子校のそれに近いんだろうな。

マア、僕に災厄が降り罹らなければそれで良いやと思った。



マクヒス。マクヒス王妃が亡くなった後のシットントンのセリフ、


「陛下……陛下!奥方様がお亡くなりになられました!」


が僕の中でうまく処理出来ずにいた。

本番を幾日か過ぎても演出助手の丸子さんから駄目を出され僕は落ち込んでいた。

くさくさしていた。

川口の公演では本番が始まるギリギリまで劇場近くのパチンコ屋にいた。

パチンコは少し勝った。



僕は演劇というものが全く分からなくなっていた……。

『役者』って何だろう?

クビになるべきヘボい役者は、僕の方だよ……。

僕はこのまま役者を続けていて良いのかなと、不純な気持ちのままで舞台に立っていた。

カーテンコールが終わり、舞台の上に誰もいなくなっても、僕はラストの甲冑姿のままで独り舞台で体育座りをしていた。

搬出作業にあたるスタッフさんに促されてようやく楽屋に戻った。

楽屋にはもう誰もいなかった。

僕はもうどうでも良くなっていた。

なんか。

なんか、目を開けてるだけでしんどい。



千秋楽。

やっと自分の納得のいくセリフを出せた。

セリフの間、声量、置き所、所作も全て完璧だった!

あれだけがんじがらめだった不自由な感じから解き放たれ、一切の制約から解放された。

まるで芝居の神様がそっと背中を押してくれた感じだった。

その、いたずらっぽい神様の顔は、なぜか坂下由江さんをイメージしてしまった。

千秋楽にやっと僕の初日が明けたのだ!

僕の役者としての人生は、やっとオギャアと産声を上げたのだ!



『品川マクヒス』千秋楽パーティーの席に僕はいなかった。

なんだか、いつまでも初日が明けなかった舞台のパーティーに参加するのは、不純だと判断したからだ。


パーティーには参加せず、坂下さんと一緒に漫画家、法城錠司さんのデジタルコミックの撮影に参加させてもらい、数枚演技した写真を取って撮影は終了し、帰りに豪華な中華料理のフルコースをご馳走になった。



坂下由江さんとの友達関係は、今でも続いている。

互いに関係のある道を探し、こうやって仕事も一緒にしている。

僕らは、元カレ元カノとかじゃなくて、そういう友情関係の道を選んだ。

僕らにはそれが正解だったんだ。



来年は僕は既に、新作「初夏のあの日の夢」の舞台出演が決まっている。

前途は洋々だ。

僕はこれからも多くの舞台に立ち続ける事だろう。

最大出力で今日を生きる。

明日に続く、昨日物語。


昔を思い出すと

疲れる。

だが、思い出して

やらないと

もっと疲れる。



……僕は。思い出の中にだけ生きている。



           終わり



     (2022年2月執筆)


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昨日物語 堀川士朗 @shiro4646

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