7 銀色の王子 後編

 一番現実的な手段だったからといって、混乱状態にあったルイナに結婚を申し込んだことを、ゼノンは後悔している。言葉足らずで突然の求婚だった。にもかかわらず、なぜルイナが承諾してくれたのか、ゼノンは未だに理解できずにいる。

 

 他国の王子とはいえ、王族とのいざこざ故にウェルディアに辿り着いたルイナ。ルイナの身を守るためには他にものを言わせぬ地位を与え、目の届くところ、自身の側に置くことが一番だと思った。


(ルイナは何故、私が王子であることを知った上で私の手を取ったのだ?王族という存在に嫌悪感や拒絶の感情は抱かないのか?)


 幾ら考えても答えは出ず、思い返せば思い返すほどに、ルイナの混乱に乗じて無理矢理に頷かせてしまったような気がして、自己嫌悪に陥る。

 加えて、城内へ足を踏み入れた途端に感じた貴族としての仮面に、嫌気が差す。こんな仮面、剥ぎ取ってしまいたいのに、長年に渡って染み込まれた教えにはなかなか抗えない。無意識に嘘くさい笑顔を貼り付けてしまう自分を胸中で叱責する。


(王にはなれないのだ。少しぐらいやさぐれても良いものを)


どう転んでも、自分は貴族のままなのだ。侮られないよう真意を隠して、ただ適切に愛想を振りまき適切に仕事をこなすことが求められている。そして城外へ駆けだした少年ゼノンを心の奥底に封じ込めた。ただ一つ、懸念点があるとするならば、ルイナに悟られていないかどうかだった。嫌われたくない。都合が良いと分かっていながらも、そんなことを願ってしまう。

 入城初日。ルイナが忙しそうにしているのを目にして、ほっとしてしまう。そんな自分が嫌いになりそうだ。


 二日目となると、流石に放っておいてはいられない。“しなければならない”と思った途端に、潜んでいた胸中の靄が膨れ上がった。庭への散歩に誘おうか、部屋に菓子を運ばせようか。何を思い浮かべても、仮面のように張り付いた笑顔を剥がせるような気がしない。悩みに悩んで、結局はルイナの提案で、自分の"日常"にルイナが同行することになった。一瞬、救われたような気持ちになったが、自分という人間が変わるわけではない。

 いつも通りになるよう努めた。だが、言葉はどうだろうか。声はどうだろうか。表情はどうだろうか。

 正解が分からない。


 書庫で本を読むルイナの横顔は真剣で、窓からの光を鬱陶しそうに目を細めている。カーテンを閉めると、予想していなかった感謝の言葉に思わず頬が緩む。

 庭で写生を始めれば、ルイナはゼノンの横顔が描いた。その絵を目にし、ゼノンもルイナの横顔を紙に描き写す。

 チェロを弾き、花を描き、訓練場で剣を振る。ゼノンが自身のことに集中している間も、ルイナは耳を傾け、目を向け、ただ穏やかな笑顔を浮かべていた。その温かな視線を、見守られているようだと解釈するのは傲慢だろうか。

 ルイナは何を思っただろうか。何を感じただろうか。何を考えただろうか。


(ルイナの徐々に固まる表情を、私はどう溶かしていけば良いのだろうか)


 解けない謎は多くある。自分のことも。ルイナのことも。


 ◇


「ルイナ、話がある」

 ゼノンの銀髪はまだ乾ききっていないにも関わらず、風に吹かれて小刻みに揺れている。

「奇遇ですね、私もです」

 ルイナは努めて明るく返すが、内心笑っている余裕など無かった。ゼノンに持ちかけられる話など、怖くて本当は耳を塞ぎたい。

「私から、話しても?」

「…………はい」

 ゼノンは一呼吸の間目を閉じて、それから話し始めた。

「ルイナは……私との結婚を後悔していないだろうか。説明も不十分なままに王城へ連れてこられ、再び王族と関わる羽目になってしまった。本来なら拒絶し、何をたわけたことを、と激怒しても良いはずだった。地位を与えるにしても、結婚というのはあまりに飛躍し、ルイナの人生計画を考えられていない選択だったのではないかと、私は今更ながら考えていた。だから、私はルイナの本心を問いたい」

 その言葉に、ルイナは目を見張る。まさかゼノンがそんなにも自分のことを考えてくれているとは思っていなかった。与えられた地位を盾に、自分で切り開いていかなければならない道だと思っていた。だから、ゼノンの言葉を嬉しくは思えど、怒りが芽生えることはなかった。

「ゼノンは、私との結婚に後悔しているのですか?」

「…………すまない、また言葉足らずだったな。私はルイナとの結婚ではなく、後先を深く考えず目的だけにとらわれていたことを、心から反省している。今からでも、引き返せる。貴族として爵位を与えることもできるし、第一王子としてルイナに特別な称号を与えることもできる。他に選択肢はあるはずなのに、それらを提示することなくルイナにとっての最善ではなく、私にとっての最善を選択してしまったことを、情けなく思っているんだ」

「そう、ですか」

「国王に書類はまだ提出していないし、教会で儀式も行っていない。ルイナが拒むなら、今からでもやり直せる。だから今度こそ、私はルイナの意思に沿った方法で共にありたいと思っている」

「私は…………ゼノンが、私のこと、を、嫌いに、なったのかと、思って……」

言い終える前に、今まで抑えていた感情が堰を切ったように涙としてこぼれ落ちていく。一生懸命に拭って、それでも止まらなくて、ルイナは俯いた。

「すまない、言葉足らずが故に――――」

「違うんです。言葉は問えば返ってきます。ですが、その問うまでの過程が遠く、私には恐れ多く思ってしまうほど、私が勝手に距離を感じてしまったんです。ゼノンはゼノンであるはずなのに、突然に知らない貴族の人のように思えて、怖くなってしまいました」

「私の表情がいつもと違うと気づいたのか?」

「…………はい。ロムネシア王国で一時期淑女教育を受けていましたから。……貴族の笑みは私には恐ろしくて堪らないのです。瞳の笑っていない、無礼者を嘲笑う目を…………思い出してしまうのです」

「そうか、すまない。言い訳をするようだが、長年にわたって染みついた悪癖を私自身にも御す事ができなかった」

「ゼノンは悪くありません。私が無礼者であることも間違ってはいません。私は身分も生活も、与えられるばかりで役には立たず、分不相応です。いつか城を出て行かなければならないのに、私は益々怠惰になって――――」

ゼノンは突然に立ち上がり、ルイナの前で膝を折る。言葉は途中であったが、ルイナは流れたままの涙を再度拭って顔を上げた。しかし視線は交わらない。ルイナはゼノンの胸の中に収まり、その温かさにまたもや涙が込み上げてくる。震える声を必死になって堪え唇を噛む。

「私は守る人であっても、守られるべき人間ではないんです。魔女だから、強さがあるから、だから本当はゼノンの従者として守る役側に立ちたかった。それが叶わないことが悔しい!ルドアドーテが憎らしい!でも、こんな気持ちを、ゼノンに知られたくもなかった!!」

ルイナは声を上げて泣く。わんわんと、一切の遠慮もなく、大声で泣いた。そんなルイナをゼノンは力強く抱きしめながら言う。

「私は他の誰でもない、ルイナだったから守りたいと思ったんだ。ルイナが笑えば温かい気持ちになるし、ルイナが隣にいれば理由もなく安心できる。ルイナが言葉をかければ喜びに心臓が跳ねる。役立たずでも、分不相応でもない。ルイナを大切に思う気持ちが、“守りたい”に繋がっている」

 あまりに必死な言葉、ゼノンの切実な想いが伝わってくる。


(ゼノンはずるいです)


「もう一度聞いて良いか?」

「はい」

「何故あの時、私の結婚を受け入れたのだ?」

 薄暗がりの中、ステンドグラスの光を帯びた手が差し出された時のあの高揚を、ルイナは未だに覚えている。心に巻き付いて絡まっていた鎖が解けた瞬間を、ルイナは脳裏に浮かべる。

「他の誰でもない。ゼノンなら信じられる、歩み寄れると思ったからですよ」

しばらくの沈黙の後、再びゼノンは問う。

「もう一つ聞いても良いか?」

「何ですか?」

「私と結婚してほしい」


(やはり、ゼノンはずるいです。こんなの嬉しくないはずがない)


「喜んでお受けいたします」

「………………」

 ゼノンは返事をしなかった。自分の背中でゼノンの手が震えているのを感じ、ルイナもゼノンの背中へ手を伸ばした。そしてその大きな背を、子供をあやすように優しく撫でる。

「ゼノンは案外、涙脆いですね」

「泣いてなどいない」

「そういうことにしておきましょうか」

「泣いてなどいないが、もう少し、こうしていて良いか?」

「気が済むまで付き合います」

 そうして二人、互いの温もりを感じて涙した。


 ◇


 すれ違って、ぶつかって、最後には歩み寄って生きていく。

 それは時に大変で、辛くて、目を背けたくなることもあるかもしれない。だが、その末に幸せにたどり着けるような気がして、大きな背中に自分の背中をそっと預けた。

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純白の魔女と銀色の王子 弥生 菜未 @3356280

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