6 銀色の王子 前編
「ゼノン、今日は貴方に同行してもよろしいでしょうか」
小屋から城に移って二日目。ルイナはゼノンと朝食を共にしていた。セラとコウはゼノンの後ろに控え、ルイナとゼノンが広いテーブルに向かい合って座っている。マナーが求められるような上品な食事と慣れない城内の空気に、手と口を震わせながらルイナはゼノンに声を掛けた。
「同行?」
「はい。普段、ゼノンが何をしているのか教えていただけませんか」
「特別珍しいことはしていないと思うが」
「一日だけで構いません。今日が不都合でしたら、明日でも、明後日でも。ゼノンの城での過ごし方を習いたいのです」
「そういうことなら。朝食を終えたら書庫へ向かおう」
「ありがとうございます」
城に移って初日は、ゆっくり会話の時間を取ることさえままならなかった。
護衛騎士と側仕えと行動を共にするようにとゼノンから言われ、
「信用できる者たちだ」
と側仕え二人を紹介してくれた。
それからその二人の側使えによって好みの聴取をされ、ドレス、化粧、髪型、髪飾り、香水、耳飾り《ピアス》、首飾り《ネックレス》、部屋の装飾、家具の位置、それらの色まで、様々なことを質問された。考え、試行し、すべてに答える頃には一番高くまで上がった太陽が下り始めて数時間が経っていた。空は明るさを保っているものの、ほどよい風と疲れが眠りへと誘う。
一眠りし目覚めた頃には日はすっかり暮れ、夕食と湯浴み、少しの書き物をして床につき、あっという間に一日が終わってしまった。
二日目に入り、用意された上品なドレスを身に纏う。既にルイナの好みを把握した側仕えは、綺麗にルイナの髪を結い上げ、控えめな化粧を施す。
ゼノンの隣に立つものとして相応しくあるためには否を唱えず受け入れることが最善である事は分かっているが、形ばかりの身分で贅沢をしているように思えて、ルイナは申し訳なさに苛まれる。早く過去と決着をつけ、早く退散しますから、と挨拶代わりに言ってまわりたい。
その衝動を押さえて、ルイナは城内を歩いた。
「書庫では大抵、本来執務室で行う仕事をこなす」
カーペットの敷き詰められた廊下は、足音を消し、声を響かせていた。
「王族としての仕事ですか?」
「…………そうだな。次期王の補佐としての仕事だ」
「補佐、ですか」
「あぁ。私は第一王子とはいえ、王位継承権は二位なんだ。前は歯痒く思うことはあったが、こうして融通の効く立場であれたことが今となっては嬉しい」
「では、誰が次期国王を?」
「私の妹だ」
「妹?」
「あぁ、私の妹は"聖女"だからな。教会で認定をもらい、次期国王が内定したのは、もう十年も前の話だ。妹が六つ。私が八つ。今さら足掻くことなどあるまい」
(足掻く…………)
ルイナは、ゼノンの本当の気持ちを垣間見たような心地に、胸を痛めた。
(国王となる未来はもう、閉ざされてしまったのですね。王になりたいという気持ちがあったとしても)
慰めるのは違う気がして、言葉を失い口を噤む。
「ここが書庫だ」
ゼノンが開けた扉から促されるがままに書庫に足を踏み入れた。階段を使わなければ取れないほど高くまで積み上げられた本棚。本を読むのに十分な光を取り込む大きな窓。中央に置かれた長いテーブルと複数個の椅子。
テーブルにはたくさんの書類が並べられ、処理に数時間はかかりそうな大量の紙束が高く積み上げられている。その目に見える激務に、ルイナは思わず息を呑んだ。
「ルイナ、良かったら本を読まないか?」
「いいのですか?」
「私ではルイナの話し相手になれないからな。二時間ほどは書庫で過ごすから、ゆっくりするといい」
「わかりました」
ゼノンは早速書類の前に座り、ペンを動かし始め、ルイナは側仕えに子供向けの簡単な本を頼み、文字を習得すべくページを捲った。仕事をするゼノンの隣で物語を嗜むのは気が引けたが、自分から言い出したことなのだから仕方がない。手伝いたい気持ちはあっても、邪魔にしかならないことは目に見えている。
しかしながら懸命に文字を追っても、内容は全く頭の中に入ってこない。理由は定かではないが、集中できず、普段ならさほど気にならないことが気に掛かり、頭の中を巡る。静かな書庫の中で、チラチラとゼノンを盗み見てルイナは気がついた。ゼノンの表情の変化に。
ゼノンの表情が固い。かつて第一王子ルドアドーテと対峙した国――――ロムネシア王国での淑女教育を思い出す。歓喜の哀惜も怒気も動揺も、相手に悟られてはならない。そのための、本心を見せない仮面のような笑顔。気のせいかと一瞬自分を疑ったが、時間が経つにつれて推測が確信に変わっていく。王族たる威厳を出すためか、ゼノンにとって王城が窮屈なものであるのか。ただ少し、ルイナは落胆を覚え始めていた。
書庫を出るとゼノンは別の部屋へ移り、絵を描き、音楽を嗜み、多くの才能を披露した。だが驕ることは決して無く、真剣に黙々と手を動かす。以前のゼノンであれば一言二言会話が生まれているだろうに、作業中のゼノンは会話を忘れたように一言も発することはなかった。もしかすると、ゼノンに抱いていた違和感というのは、ゼノンの口数が減ったことなのかもしれない。
昼食後は騎士団の訓練に参加して汗を流す。そこでもまた剣や弓、槍、投擲まで、ゼノンは多くの才能を秘めていた。
「ルイナ。良かったらルイナも参加しないか?」
ゼノンが騎士団第六訓練場へ移動したとき、ゼノンは思い出したようにルイナに声をかける。
「私が騎士団の訓練に参加しても良いのですか?」
「あぁ、ルイナは魔女だろう?この第六訓練場では魔法に特化した訓練をする場所なんだ。今日も試合をすると思うから、もし退屈しているようだったら参加しないか?騎士団にとって良い刺激になると思う」
「そういうことでしたら、喜んで」
ルイナは躊躇なく頷いた。魔法が導いてくれる。そんな気がした。
「次!イナン対ルイナ様!」
「はっ」
「はい」
呼ばれて前に出る。ここでは武術は使わず、純粋に魔法のみの試合となる。勿論、魔術も禁止だ。いざというときに、道具や他人の魔力に頼ることは出来ない。準備する間もなく戦闘が始まることだって有り得るのだ。今回はそういった場面を想定した試合である。
名前を呼ばれた時点で試合は始まっている。相手はルイナが闘技場に姿を現した途端、攻撃を開始した。氷の塊がすぐ目の前に迫っている。
「…………っ!」
一ヶ月記憶を失っていたせいか、動きが鈍い。ルイナは氷の塊から身を捻りながら避け、その勢いで後ろへ手をつき、体勢を戻すために回転する。足が着地したことを感じ取った瞬間、ルイナは炎を放った。
試合前に着替えていてよかったと思いながら、炎を放ったまま距離を詰める。辺りを覆う炎で相手の姿が見えないが、それは相手にも自分の姿が見えていないことと同義である。ルイナは頃合いを見計らって炎を消す。だが、煙が視界を遮った。訓練場と言うだけあって炎に反応する魔術具が仕掛けられているようだ。
強い風が吹く。相手が風魔法で煙を散らしているようだった。
ルイナは身体強化の魔法を、自身の身体にかける。
「…………まいり、ました」
煙が晴れ、後ろから首筋に杖を突きつけられた対戦者イナンは、頬をひきつらせた。首筋は杖から放たれる冷気によって冷えているに違いなかったが、彼は多量の汗を流し続けた。
訓練場が静寂に包まれる。皆が唖然とした様子で、何を発するべきか分からないまま、ただ視線をこちらへ向けていた。
「ありがとうございました」
魔力でできた杖をふっ、と消し、姿勢を正してから頭を下げる。ルイナのその一言で訓練場はやっと静寂から解かれ、まばらな拍手を繰り返した。
「では、休憩!」
指揮を執っている人が声をあげた。そしてまばらだった拍手も止んでいく。
試合で冷静になったためか、今は頭が冴えている。
「お疲れ様、ルイナ」
「…………はい」
「すごかったな。あの煙の中で、一体どうやって相手の位置を正確に捉えたのだ?」
ゼノンは何を考えて、何を感じているだろうか。
「風の吹く方向へ向かって地面を蹴り、頭上を飛びました。彼は四方を警戒していましたが上部はさっぱりで、彼の居場所を特定することは容易でした。着地後、一度捉えた位置に向かってクリスタルを飛ばしましたらピタリと動かなくなったので、その間に距離を詰めました」
「そうか、相手が飛ぶとは考えもしなかったのだろうな。それに、恐怖に竦んでしまうようでは今後が危ぶまれる。これも対策しなくては」
自分の声が酷く冷たく聞こえた。どんな顔をすれば良いのか分からない。淡々と述べるルイナの様子を気にすることもなくゼノンは一人呟き、次の練習場へと向かう前にルイナはそこでゼノンと別れた。
側仕えの手を借りドレスに着替えていると、途端に小屋で共に過ごした、かつてのゼノンが恋しくなった。無性にあのゼノンの声が聞きたくなった。
ゼノンの声で、ゼノンの言葉で、ゼノンの本心が聴きたい。
就寝前、湯浴みを終えた後にルイナはゼノンとバルコニーで落ち合うことになった。ゼノンとルイナの部屋は続き部屋で、扉一枚で部屋の行き来ができる他、バルコニーを共有できるようになっている。
少し濡れたゼノンの銀髪が目に映る。薄暗闇の中で灯した蝋燭が優しく揺れる。
「今日は、楽しめただろうか?前にも言った通り、特別珍しいことはしていないと思うが」
「いいえ。とても刺激の多い一日となりました。ありがとうございました」
「そうか。それは良かった」
二人はバルコニーに用意された椅子に腰を下ろす。ルイナが手に持っていた蝋燭をテーブルの上に置くと、一瞬、蝋燭の炎が左右に大きく振れた。
その炎は自分の心情を表しているようだ。ゼノンと話がしたい。だが、どう切り出せば良いのか分からない。迷って口を噤んで、いっそ忘れてしまおうかと心が左右に揺れる。
そう思ったとき。
「ルイナ、話がある」
ルイナの思考を遮るようなゼノンの声が聞こえた。
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