5 魔女の回想 後編

 窓の外には心情を写したような曇天が広がっている。


「本日から仕えさせていただきます、アルと申します」

「同じく側仕えであります、ロムと申します」


 広い王城の中、いくつもの部屋を横切り案内された一室で、私を待っていたのは二人の側仕えだった。彼女たちは笑うことなく、ただただ綺麗なお辞儀をして私を見つめる。嫌悪も歓迎も感じられない整った顔立ちから私は目をそらし、曇天を見上げた。


「わたくしどもは身の回りのお世話をいたします。何かあればお申し付けくださいませ」

「…………」


 やがてアルは声をかけると、沈黙に従ってロムとともに退室した。

 ずっとこうしていようか。愛想なく、素っ気なく、嫌われて、除け者にされて、移りゆく天候と景色だけを眺めていようか。そうすればいつか私はこの城を出られるだろうか。城を追い出されて、お前はいらないと言われることを、私は心から望んでいる。息苦しさを感じているのは城の空気が合わないからではない。焦燥、孤独、戸惑い、悲しみ、怒り、虚無――整理のつかない感情のせいで、呼吸の仕方を忘れてしまっているからだ。


「いっそ死んでしまいたい」


 言葉にしてはいけないと分かっていても、言葉は紡がれる。感情という箱に乱暴に詰め込まれ収まりきらなかった、複雑に絡み合った想いが、本心ではない言葉を吐き出させる。本当は死んでしまいたいわけではない。ただ、ここではないどこかへ逃げ出したいだけだ。ただ、皆が私のことを忘れて、何事もなかったように私は旅に戻りたいだけだ。

 私はため息をつきながらベッドに倒れ込んだ。眠りから覚めたらすべてが夢であることを願って。


「おはようございます、ルイナ様」

「おはようございます、ルイナ様」

「湯浴みの時間でございます」

「お着替えをご用意させていただきました」

「……」


 夢にはならなかった。無気力を押し殺して、何とか側使えについて行く。湯に浸かり、高価な香油を使い、美しいドレスを身にまとっても、心が晴れることはなかった。


「ルイナ様、講師の方がいらっしゃいました」

「学びの時間でございます」


 美しい立ち姿、歩き方、お辞儀、言葉遣い、食事、笑い方まで、何を教わろうとその美しさは私の心に響かない。そこに私の意思が存在してはいけないのだろうか。美しい所作に偽りの顔を貼り付け、偽りを吐くことは本当に美しいことなのだろうか。

 私が一貫して笑みを浮かべないことに、講師は本心の見えない笑顔で"美しくない"と言う。

 大変結構。私は自分を失いたくない。

 所作を正そうが、言葉使いを正そうが、私が笑いかけることは誰一人としてなかった。


 そうして数週間経ち、ようやく私は王子と対面することになった。


 ◇


 足下が見えないようドレスを軽くつまみ、柔らかく膝を曲げて挨拶をする。


「ルイナと申します」


 金髪の王子は顔を顰めて私を見ていた。


「笑わぬのだな」

「……」

「何も言わぬか」


 王子は椅子に座り、背を仰け反らせ足を組むと、座れと吐き捨てる。


「我はルドアドーテ。貴様との結婚を受諾したこと、感謝するが良い」


 あぁ、やはり。


「貴様のような愛想のない者をもらうのは、我のような寛容さがなければできなかろう」


 子は親に似る。


「本来ならば貴様が直に請うところ、我は王からの話だけで快く受け入れたのだ」


 人を見下して、


「感謝を述べるのなら聞いてやらないこともない」


 嘲笑して、


「まぐれの勝利を喜ぶのだな」


 自身の強さを過信している。


「貴様」

「…………」

「杖を下ろせ」

「……………………」


 涙が止まない。何のために、私はここに居る。自らの意思でないのに、どうしてこう見下されなければならないのだ。


「下ろさぬのなら……」


 ルドアドーテは立ち上がり杖を構えた。


「力ずくで止めるまでだ」


 参戦しようとする護衛を制し、ルドアドーテは杖を振った。瞬間、私たちは爆風により部屋の外に投げ出された。土埃が立ち、お互いを風の音が包んでいる。顔が見えたら、開戦だ。


「よく立っていられたな」


 そう言いながらもルドアドーテは杖を振る。ナイフのように鋭いクリスタルがいくつも飛んでくる。


「何故私なのです」

「我には何が言いたいのか分からぬ」


 頬を裂くような鋭い風や、熱く眩しい光線が擦り傷をつくっていく。直撃しないよう躱して弾いて、その合間に私は光の矢を飛ばした。


「なぜ他ではなく、私に結婚を迫るのですか」

「何を勘違いしているのか知らぬが、強き者を残すために、強き者を娶るのは当然のことであろう?」

「私は旅人です!他にも強き者なら居たでしょう!」

「子孫を残すのに妥協などしない。勝者は常に一人だ」


 増す怒りに身を任せて、私は杖を振る。重い一撃を受けるたびにルドアドーテの表情は険しくなり、私と同様にルドアドーテも怒りを膨らませた。

 私は身体強化で距離を詰め、強化のかけられた足でルドアドーテの腹を蹴った。その衝撃にルドアドーテは苦しみのこもった声を吐いた。ルドアドーテの額で汗が光る。


「………………………………ふっ、ふははははっ!やはり、我の目に狂いはなかった!」


 狂気だ。突然に現れた笑みに鳥肌が立ち、声が震えた。


「私を、私を愚弄するな」

「杖を下ろすのならば、この無礼をなかったことにしてやろう」

「ほざけ」


 今まで口にしたこともないほどの汚れた言葉と低音が体内に響いた。振りかぶった拳が熱を持って、ルドアドーテに向かった。


「残念だ」


 しかし、その拳はルドアドーテに届かない。


「……か、はっ……」

「本当に、残念だ。容姿だけは申し分なかったのだがな」


 剣が、ルドアドーテの握っている剣が、私の腹に刺さる。どうしたって私は完璧ではなくて、視界が不鮮明になるにつれて思考も途切れ、頭が真っ白になっていく。あれほど私の中に渦巻いていた負の感情も、流れ出る血が綺麗に攫っていった。


「言っておくが、先に手を出したのは貴様だ。あぁ、手ではなく足だったか。我が剣を抜こうと文句は言えまい。恨むのなら自身を恨め」


 そう言って私の腹から引き抜いた剣の血を払った。

 あぁ…………。ああ、ああ、あああ、どうして、どうして、どうして。私の幸せが踏みにじられなければいけないの。どうして、私ばかり、蔑ろにされてしまうの。魔女にだって心はあるのに。

 気がついたら私は空を駆けていた。箒は方向を定めず、ふらふらと大地を離れていく。どうして最初からこうしていなかったのだろう。自分でさえ理解しきれない自分の心を、他人が理解できるはずもないことは、分かっていたのに。

 もう、怒りは湧かない。ただひたすらに悲しみが溢れて受け止めきれなくて、両目から溢れ、両手から零れていく感情のかけらを見つめるたびに自分を作っていた何かが崩れていくような気がした。

 そうして私は城から逃げ出した。


 ◇


 三度"生き返る"能力。その能力を得て、自身はどのような人生を描き、どのように人生の終止符を打つのか、考えていた。答えはまだ出ていない。だが、時間は進む。逆らいようのない"時"というものが、私を死へと誘った。

 曇天の中、激痛の走る傷を押さえ、魔力の朽ちぬ限り空を駆けた。空想とも言える現実味のない話、仮定を頭の中で巡らす。今は亡き両親から聞かされた生き返りの話。

 本当だったら良いな。本当だったら、辛いこと全部忘れて、また旅が、できる、かな。そうだったら――――いい、な…………。

 限界を感じて、私は広い花畑の中央に降りた。痛覚はもう、正常には機能していない。


『痛みは感じない。ただ、どうにも呼吸が乱れて整わなくて、苦しいだけだ』


 違う。本当は心だって痛くて苦しい。


『曇天が泣き始めた。ただでさえ悪い視界が更に鮮明さを失っていく』


 違う。泣いているのは空ではない。紛れもなく私の目から溢れて止まない、私の涙だ。


『恵みの雨。せめて、誰かの笑顔を最後に見たかった』


 違う。私はそんなこと思っていない。誰かの幸せよりも自分の幸せを願いたかった。目が覚めたらすべてが夢であるように、と心から願ってやまなかった。


 私は自分に嘘をつきながら、その瞳を閉ざした。

 一度目の"死"として。


 ◇


 記憶は力だ。何かを得たことも、何かを失ったことも、すべては自身の力となる。自分を再構築するために、過ちを繰り返さないようにするために、成功も失敗も切り捨ててはならないものだ。

 ルイナは白紙の本を開き、ペンを握った。そして、数十分にして脳裏を駆けた記憶を、本の中に落とした。

 それは寝付きの悪い、夏の夜のこと。城へ来て最初の日のこと。

 不意に鏡を覗くと、白いヴェールを被ったような純白の髪に、星の輝く夜空をそのまま閉じ込めたような紺の瞳がルイナをつくっている。

 白い髪に溶け込むような白い肌も、仄かに染まる桃色の頬も、淡い色の薄い唇も、夜の闇に紛れていた。


 記憶という力を得たルイナの闘いは、始まったばかりだ。

 ルイナはそっと蝋燭の火を吹き消した。

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