蕪村の「のたりのたり」

九月ソナタ

のたりのたり



「春の海 終日(ひねもす) のたりのたりかな」

 という与謝蕪村(1716-1784)の句があり、よく知られている。

「春の海はおだやかで、一日中、波がのたりのたりと寄せては返している」

 というように解釈されている。

 

 蕪村は生涯に三千句くらい作ったといわれており、特に有名なのがこの「春の海」と「菜の花や 月は東に 日は西に」だが、他にもたくさんの名句がある。


 「のたりのたり」の海は丹後の海だと言われている。

 旧暦の春といえば、今では二、三月の頃。私がよく行く海は太平洋で、春は荒く、夏がゆったりだが、日本海の丹後の海は、春にはのたりのたりとしているのだろう。

 砂浜におだやかな波が寄せたり返したりしているその様子を、一日中砂に座って海を眺めている蕪村の姿が浮かぶ。

 蕪村は1754年から1757年の間、つまり四十代初期のあたり、京都で知り合った俳人であり見性寺の和尚の竹渓に招かれて、その丹後にある寺に泊まり、そこをベースとしてあちこちに出かけていたことがわかっている。その間に書かれた俳画が十数点残っているそうである。


 その日、私はバークレー美術館に「南画」の展覧会を見に出かけた。

 タイトルがHinges: Sakaki Hyakusen and the Birth of Nanga Painting、

(屏風絵: 彭城百川と南画の誕生)だった。

 行ってみると、百川の屏風だけではなく、与謝蕪村や池大雅の掛け軸などの作品があり、その内容が充実していて驚いた。


 彭城百川(さかきひゃくせん、1697-1752)は南画の祖のひとり、中国南宋風の山水画描いた。この日本の南画を完成させたのが、蕪村と池大雅(1644-1696)である。

 展示されていた作品数も多く、その大部分がバークレー美術館の所蔵のものということで、それも驚いた。


 驚きはたくさんあったが、一番驚愕したのがある掛軸。

 それは蕪村作の俳画で、絵図の部分が27.31x23.5cm。


 ミネアポリス美術館所のもの。(近況ノートに私が撮影した写真を掲載しました。外国の美術館の掛軸の扱いはよくないところが多く、皺が目立ちます。涙だわ)


そこに書かれている句を読んでみたところ、

「春の海 終日 のたりゝ か南」


 まさか、うそでしょと思った。あの「春の海」の俳画ではないか。

 どうしてこんなところ。


 そこに描かれていたのは、砂浜に波がのたりと打ち寄せている絵図ではなかった。

 

 また「かな」の「な」が「南」の変体文字を使っているが、これは絵に絵が描けている船の中の籠と対応してバランスがよいと思った。


 その俳図の中では、この男性(蕪村)は舟に乗っている。

 細い釣り竿と籠が描かれている。そばに草や灌木が見えるから、海といっても、場所は岸に近いところだろう。


 上には大海原が広がっているが、男はそちらは見ておらず、岸の方向を向いて、なにやら居眠りをしている様子である。


 これはどういうことなのかと思い、「丹後、春、魚」でググってみたら、「さより」と出てきて、「岸辺の藻場にさよりの姿を見ると、丹後に春がきたことを知る」とあった。

 ああ、これだ。

 つまり、これは蕪村がさよりを釣りるために、岸に近い漁場に舟を出し、一日中、釣り糸を垂れていた。けれど、全くに釣れなくてのたりのたりと居眠り、ということなのではないだろうか。

 

 お寺に戻り、和尚にいかがでしたかと問われて、

「一日中、舟に揺られて、のたりのたりとしていましたよ」

 と詠んだ句ではないのか。


 だいたい春はぽかぽかで眠たくなるし、船が揺るかやに揺れると、ますます眠くなる。というわけで、のたりのたりしていたのは海ではなくて、蕪村自身だということなのではないだろうか。


 私はこの句がなぜ「夏の海」ではなくて「春」なのだろうかと思っていたのだが、これはさよりの季節のぽかぽかの「春の海」でなければならないことがわかったように思う。


 さて、このミネアポリス美術館の掛軸には蕪村の署名はあるが、「落款印」はない。はたして、この掛軸は蕪村の作なのか。

 でも、蕪村自身でなければ、こういの解釈で描ける人はいない。



 また、蕪村には「闇より吠えて」の有名な俳画が日本にあるが、これにも落款はない。

「おのが身の 闇より吼えて 夜半の秋」

(長い秋の夜中に、闇で犬が(何かを恐れて)吠えている。それは自分とよく似ている)というような意味だと思うが、これも俳句と絵図のすばらしいコラボで、

この絵図を見なければ、吠えているのが小さな子犬だとは誰も想像しない。また絵だけで俳句がなければ、犬が何をしているのかわからない。

 この書画に落款がないからといって、これを蕪村の作でないという人はいないはずである。


 さて、もうひとつ。

「春の海」の右上の詞書について。

 私には「春魚」と読める。

 この詞書が「春魚」だとしたら、この句が春魚を釣りに行った時に詠んだのだというさらなる証になるのではないだろうか。


          ――――


 みなさんは、どう思われますか。

 

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