21、しかし、まわりこまれてしまった
皇太子は自身の過ちに焼かれていた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
一瞬、
形ばかりは元に戻せるくせに、こびりついた感情も記憶もその色彩を目立たせるばかりだ。
いっそ、何事もなかったころに……誕生日の朝まで戻りたい。
劣等感も、偽善心も、気が付かないふりが出来ていた、あの頃まで。
「………………逃げたいなぁ」
誰にも許されない。何よりも自分が許せない、そんな願いが音にならない程微かな声に出る。
「僕は最低だ」
人の不幸で、大切な人の死で、一時でも安堵してしまった。
「僕は最低だ」
役に立たないばかりか、自分一人だけ楽になろうとしている。
「………………………僕は最低だ」
死にたい。けど、それすら、自己満足でしかないことが、分かってしまうから。
どこにも逃げ場がない。
「ごめんなさい」
結局、少しでも罪悪感を希釈するために、意味のない謝罪を繰り返す。
「赦しを得たいのか?」
赦されません。
「なら、なぜ謝る?」
赦しを請う意図はありません。
「お前は何を望んでる?」
ただ今は、償いをしなくてはなりません。
「…………はぁ、やっぱり、お前との問答は面倒くせぇ……な!」
その声は、自問自答ではない。
ゴンっと、額に鈍い痛みが走り、意識が現実へと向かう。
「フェスタさん……」
互いの額がくっつき、骨伝導で声が響く。
「起きたか? 随分と寝相の悪い皇太子様でいらっしゃる」
周囲にはフェスタと自分以外はなく、舗装された道すらルナを避けるように塵と化している。
「これは、一体、僕は何を……」
「お前の能力が暴走して、周囲の時間を巻き戻している」
すでに、ルナの周囲の更地は十五メートルほどにまで広がっており建物の外壁すら削り取られている。
それの原因が自分が引き起こしたものだと理解すると、ルナはまた塞ぎ込みそうになる。
「そんな……僕はもう、誰にも迷惑をかけたくないのに……」
「お前の良い子ちゃん風はどうでもいい、アインとの戦闘の間にどうせ市民は周りにいやしねぇ」
「でも……」
「迷惑が掛かってるとしても、せいぜい、私とアルターくらいだ。後で満足いくまでいびってやるから、今は気持ちを落ち着けろ。それとも無理やり絞め落とされたいか!」
アインの時と同じく催眠術で眠らせたいところだが、時間の逆転に抗うために変身し続けているせいで魔術を行使する集中力が残っていない。
「そうだ……落ち着かないと……」
本当に?
「僕には、やらなくちゃいけないことが――」
どうでもよくないか?
ふと……何かに、足首を掴まれた。
「本当に……進まなくちゃいけないの?」
落ち着きを取り戻しかけていた心の隙間に邪念が吸い寄せられる。
このまま、暴走する精神に身を任せれば……楽になれるのではないだろうかと。
「おい! ルナ!」
肩を揺さぶられるが、蝕まれた精神が感覚を鈍らせる。
為すべきことは、わかっている。
自分の過ちも、わかっている
望まれていることも、わかっている。
ただ、それらを唯一、感情が拒んでいる。
虚栄と本心が、表裏とも呼べないほどにかけ離れ、自らを引き裂こうとしている。
償わなければ――どうでもいい。
立ち上がらなければ――楽になりたい。
生きていたい――死にたい。
感情の天秤が、僅かに、希死念慮の方へと傾いた。
僅かな傾きに乗じ、心の弱さが更に錘を増やしていく。
「もういいや……終わってしまえ。こんな世界」
心が凪いで行くのを感じる。
そうだ、二律背反に感情が波打つから苦しいのだ、
「それは、困る。めちゃくちゃ困る!」
あぁ、フェスタが焦っている。
そんなに困るなら、さっさと絞め落とせばいいのに、さっきは問答無用で意見を遮ったくせに。
「サフィールも死んだ、父上も死んだ……だったら、僕が生きる意味って何?」
感情を波立たせるのにも疲れたルナは、自問自答を口にする。
「生きることに、意味なんてねぇよ!」
その回答は、頭の中からのような気がした。
けど違う。
正体は、頭の奥から火花を散らすような衝撃と額から重く響く骨伝導。
「生きることにも死ぬことにも、何一つとして意味なんて存在しない」
今度は言い聞かせるように穏やかに響く。
「ただ人間という生き物が存在し、そこに知性と意識を宿すという事実があるだけだ、死という結末にも特別なものでもない。全て、存在しているという結果でしかない」
「そこは……もっと都合の良い言葉があるでしょう。嘘でも……」
予想外の返答に凪いだ心に漣が立つ。
「なんだ? 『自分自身の心に従って生きろ』とか『私がお前の生きる意味だ』とかって言って欲しかったのか? この私に?」
「いや、僕らそんな仲じゃないです」
「わかってるじゃねぇか」
ヘラヘラと喉を振るわすのが伝わってくる。
軽薄で、どこか、諦めたような、彼女の軽い空気は色んな思考の澱みが沈殿した心までも軽くするような、そんな幻を見せる。
「死なれると困るのは私の事情だ。だが、お前が死にたいってんなら、それを止めはしない。今ここで無理にお前を止めても、協力関係が継続できるとは思わないからだ」
幻で人々を騙し欺く少女は、いつだって、その言葉だけは歯に衣着せず、無遠慮で、気休め一つない、ただ、真っ直ぐで誠実な純粋さを孕んでいる。
「だが、もし――」
振るわせていた喉が控えめになる。
「死ぬのが今すぐじゃなくていいなら。もう少し付き合ってくれ。んで、終わったら、一緒に逃げよう。嫌なことから、全部」
「え……?」
フェスタは掴んでいたルナの肩から手を放すと、背後に回り、優しく首に抱きつく。
「逃げるな、戦え……って言わないんですか?」
「なんで?」
「僕を守るためにサフィールは亡くなって……僕を狙って、城も街も燃えて……色んな人を巻き込んで……その責任は、全部、全部……!」
「自分のせい、って言いたいのか」
「……」
ルナは小さく頷く。
「そいつは、他人がお前に向けるかもしれない感情だよ。それに一々、答えてやる義理がどこにあるよ」
無責任だ。
そんなこと、少年は考えたこともなかった。
「死にたい、なんて、お前が本当に他人の死で傷つくような聖人君子様ならそんな風に思うもんかよ。お前は叱られるのが怖くて、家に帰りたくない、ただの子供だ。ルナ」
「駄目ですか?」
「そんなもんだよ。それに、時と場合によってそれが正解の時もある」
首に回った腕が強く締められる。
「今、この瞬間……苦しくて、全部投げ出したいなら、私が殺してやる。まだ、生きていたいなら、絞め落として暴走を止める」
「貴女は、ズルい……そうやって、一歩引いて、分かった風で、ヘラヘラしてて、不敬で、人の心を分析したりして……」
「極道だからな。悪党上等」
「最低……!」
涙をこぼしながら、口元が緩む。
「……僕と逃げてくれますか? こんな最低な僕と」
「構わねぇよ。最低同士、地獄の底まで」
腕に加わる力が強くなり、首が絞められる。
「生きてようが、死んでようが意味はないんだ、けど、どうせなら暗い顔してるより、笑いながら生きていよう、地獄に落ちるまで」
遠のく意識の中、そんな穏やかなフェスタの声が、聞こえた気がする。
帝国が乗っ取られそうなので極道と手を組んで奪い返す話 文月イツキ @0513toma
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