亜時間セーフティネット(後編)

 青菜あおなカガリはメモに書かれていた時間に移動を試みた。

空京くうきょう12年 7月20日 8時0分0秒』



 ……蝉の声がジリジリと響き渡る。暑い陽射しを隠す木々。行き交う爽やかな風。これらの初夏の気配から、カガリは亜時間あじかん移動に成功したと確信した。

「でも、誰もいない……。そっか、もう少しあとの時間だったっけ。」

 あくまでメモに書かれていたのは移動した直後の時間なので、かの少年と会ったのはもう少し経ってからのことになる。


 ……。


 そして思ったとおり、少し時間が経ってから階段の下から足音が聞こえてきた。

(来た……っ!)

 カガリは周囲の木に隠れて息を潜め、少年を待つ。


 そこにやって来たのは、間違いなくあの、名も知らぬ少年。

「――ここが、その……。」

 少年がキョロキョロ辺りを眺めている隙を盗み、音を立てずにカガリは近づいた。


「あなた、ひとり?」

「え……。よ、妖怪……!?」

 カガリはまた「妖怪」よばわりされるだろうと知っていたので、今度は気持ちを落ち着かせていた。

「ふふ。わたし、妖怪じゃないけど。そう見える?」

「そ、それは……。あ! おれは、倫太りんた……。」

 少年は慌てたように名を名乗る。自分のことを明かさずにいるのは失礼だと思ったのだろう。

 倫太。その名前は聞き覚えがあった。なら、わたしも名乗らなければ……、あれ?

「えっと、倫太、ね。わたしは……」


 会話というものは、自分と相手の発言タイミングが被ってしまうなど、時に噛み合わないことがある。倫太はカガリの言葉とほぼ同時にこう言った。

「『青菜あおな倫太りんたって言います。よ、よろしく。」


 ………………。



「え……?」



 彼は間違いなく「青菜」と名乗った。この苗字は普遍的なものではなく、カガリの住んでいた地域内では家族以外に聞いたことがない。

 そう、「家族」以外に。


 実はカガリの亜時間操作能力は生まれ持ってのものではなく、後天的に身についたものである。そしてその影響か、彼女は自身の出生近辺の記憶を失っていた。だから家族の情報も朧気おぼろげにしか覚えておらず、しかし、そのことはほとんど気に留めていなかった。というのも情報量が少ないせいで、今いない家族は「どうでもいいこと」程度の認識になっていたのだ。

 だが、カガリはこの時に思い出した。小さい時から頼りにしていた兄を。「倫太お兄ちゃん」のことを。そして兄と、この神社でよく遊んでいたことを。


「お、おにい……、」

 つい、言葉が漏れそうになる。しかしそんな中、後ろから「少女」の声が聞こえてきた。



「おにいちゃぁぁぁぁぁん!!!」





 ………………。


「……ハッ!?」

 カガリは気がつくと、その服をあかく染めていた。別になんてことはなく、昼間から夕方の空模様になったというだけである。


 季節は晩秋、肌寒くなってきたころだが、カガリは寒さを感じるどころではなく、頭の中をひどく混乱させていた。

 まず、念願の出会えた男性……、少年が、幼き兄「倫太りんた」であったこと。次に、その倫太を「おにいちゃん」と呼ぶ声が聞こえてきたこと、そしてその声に覚えがあったこと。その三つにカガリの思考は支配されていたのだ。


 カガリは、ここ天束あまつか神社で何度も兄と遊んだ記憶がある。さっきは最初に兄だけが居たが、そこへ後から、幼い少女がやってくるとしたら一人しかない。それは「青菜あおな かがり」……、過去の、亜時間操作ができない時のカガリだろう。カガリは聞こえてきた声だけでそれに気づいて動揺してしまい、また無意識的に亜時間移動をしてしまったのだ。

 しかし、自分自身とはいえただの幼子。落ち着いて考えれば驚く必要などないのだ。なのに何故か……、カガリは「怖い」と思ってしまっていた。

「どうして……?」

 過去の自分に会うというタイム・パラドックスを恐れたのか、単に女児という無垢な存在を怖いと思ったのか、幼い兄のことを含む情報量に動揺して怯えただけなのか、それは分からない。ともかく、あのままではカガリはまともな精神状態でいられなかったのは確かだろう。


 ………………。


 幸い、今回はメモに時間が書かれたままだった。なので色々考えたカガリは、またあの時間へ移動することにした。なんとなく「自分」とは会いたくないが、倫太少年と会う約束は取りつけておきたいと思ったのだ。確か、彼が神社へやってきてから妹が追いつくまで時間があったはず。その間に、例えば「また来週ここに来てね」とでも言っておけばいい。上手く行けばそれで、「自分」と会わずに約束を済ませられるだろう。

 時間は限られているので、カガリは能力が暴発してしまわないようにイメージトレーニングを行う。……大丈夫。たった一言だけ。



 だが……、そこでなんと、階段の下から「少年」の叫び声が聞こえてきた。

「おーーーーーい!!!」

 この声は……、とその主を考える間もなく、カガリは振り返る。

 ……間違いない。「先ほど」見た倫太少年だった。その見た目からあまり成長していないようで、「今」はあの時から一年は経過していないだろうと推測できた。


 会う約束はしていない。それどころか彼と会ったのは初夏の七月ごろで、今はおそらく十一月ごろ。そして一年経っていないのであるなら、その間は実に四か月。それだけ期間が空いたのに、そもそも約束もしていないのに、彼は何故ここへやってきたのか。

 それも……、倫太は階段を駆け上がる。姿勢を崩しながら、整ったとは言えないフォームで走っていた。まるで大事なものをようやく見つけたかのように、登り終えた倫太はハアハアと垂れた姿勢で息を整えていた。


「あ……。」



「――キャッ……、いたっ!」

 かがりは砂利道で転んだ。短いズボンを履いていたせいで膝を擦りむき、痛みから目が潤んでしまう。

「……だいじょうぶか?」

 しかしそこで、倫太の手が篝の頭へ、優しくポンと置かれた。さらには、ゆっくりと撫でられる。……とても、あたたかい。篝はそれだけで涙をこぼさずに済んだ。


 それだけでなく、倫太はポシェットから絆創膏を取り出した。

「よし、じっとしてろ……。」

 少し血が出ていた膝の傷を覆う形で、絆創膏が貼り付けられる。本来は消毒などが必要だろうが、他に道具の無いこの場においては充分な応急手当だった。

「お、おにいちゃん、ありがと……!」

「……立てるか?」

「うん……。……あっ!」


 篝が足に力を込めようとしたが、うまく立ち上がれなかった。転ぶ時に足首でも捻ったのだろうか。

 その様子を見かねた倫太がやれやれと一息つくと、篝に背を見せてしゃがみこむ。

「しょうがねーなぁ。ほら、乗れ。」


 ………………。



 無意識にメモを握り締める。カガリはあの日の兄の背中を、あの時の自分の気持ちを全て思い出した。兄はなにも言わなくても、困った自分を助けてくれた。まるで、なんでもお見通しかのようだった。

 カガリは神社で兄と遊ぶのが好きだったのだが、よくよく思い返してみると、カガリから神社で遊ぼうと言ったことはほとんどない。兄を目当てに神社へ行くと、思ったとおりに兄がいて遊んでもらった、というだけなのだ。何故神社に兄がいたのか、それはきっと、カガリのことはなんでもお見通しだったから。

 ……だったら? だったら、今この場についてもお見通しなのだろうか。倫太少年がここにいるのは、わたしが「今」困っていることを知って、駆けつけてくれたということなのだろうか。



 ……ようやく息を整えた少年を見て、カガリは息を呑んだ。

 そうだ、わたしには悩みがある。亜時間操作という異能のせいで、わたしは想い人と巡り逢えないでいる。もしかしてそれもお見通しで、助けてくれるのだろうか。

 カガリは口を開く。


「「あの!!」」


 しかしそれと同時に、倫太も話し始めた。カガリはそれに一瞬怯んでしまったが、かたや倫太は続けて言う。

「おれ……、一目見た時から、あなたを好きになりました! おれと、つ、『付き合ってください』!!!」




 ……。



 あれ? 「付き合ってください」?



 ……ああ、そっか。そうだよね。別にお兄ちゃんは気づいてたわけじゃないんだ。わたしのこと、わたしだって分からないんだ。

 だから、わたしはただの「女」でしかないんだ。そりゃそうか。


 カガリは、まるで人混みの中で自分だけが踊っていると自覚したように、思考が急激に冷え込んだ。客観的に見れば、今ここにいるのは大人の女と幼い男。なにも、そこに特別な関係性などない。

 だからこれは、少年が女に告白した。ただ、それだけのことなのだ。カガリは勝手に期待して、勝手に舞い上がっていただけなのだ。


 ……倫太は真剣な眼差しでカガリを見つめる。

 適当に答えて彼をぬか喜びさせる趣味は、カガリには無かった。だが、拒否して彼を傷つけるつもりもない。そして血の繋がった相手である以上、なんとも思わないわけではない。どうしたらいい?

 そう考えたカガリだったが……、意外にも早く決断を下した。


 倫太のもとへ、カガリがゆっくりと近づいてゆく。そしてカガリは右手を伸ばし、彼の頭へ優しく置く。

 昔、自分がしてもらったことを思い出しながら、愛を注いで撫でる。慈しみ、癒すように撫でる。



 ……。



 ふたりとも、なにも言わなかった。ただ、時間が過ぎてゆく。亜時間もなにもない、純粋な時間。



 ………………。



 ……ひとしきり撫でた後、カガリは倫太へ告げる。


「――を大切にね。」


 それを聞いた倫太は、驚いてすぐさま顔を上げる。

 ……だがもう、どこにも人の姿は無かった。





 円世えんせい、三月三日、三時三分。

 カガリは円世の大寅の刻の、ちょうど一年前に飛んでいた。午前三時のことなので空は暗く、そして灯りも騒ぎもどこにもない、完全な静寂。


 ここなら誰も、亜時間操作能力者さえもいない。カガリは孤独になりたかった。



「……考えてみれば、当たり前だったなぁ。」

 倫太少年は、カガリが妹と気づかなかった。だが、カガリだって少年が倫太だと分からなかった。ならばお互い様であるので、当たり前のことが起きただけだ。

 むしろ、いつだって頼りになると思っていた兄が、自分と同じ人間だと知ることができた。かつては無知ゆえにその裏側を知る機会が無かったので、それについてはカガリのほうが悪いとさえ言ってしまえるだろう。


 ……とはいえ。


 カガリとしては、信じていたものが偽りだったと知るきっかけであった。それはまるで、マジックショーの種明かしをされたような気分で……、身勝手ではあるが、騙されたことでカガリの心は傷ついていた。


「……。」


 いつの間にか、静かに涙が頬を伝う。今までの兄との思い出が溶け出してゆく……。


 初夏のあの日から晩秋まで、きっと兄は「わたし」を捜して神社に来ていたのだろう。そして「篝」はそれを知らずに、最初は兄の後を追って、その次からはただ兄がそこにいるだろうと思い込んで神社へ行っていた。

 だからきっと兄は「篝」のために神社で待っていたのではなく、「わたし」のために神社へ通っていただけなのだ。ただ、その理由を答えるのは恥ずかしさがあったのだろう。「篝」がそのことについて尋ねたこともあったが、倫太は最後までそれを口に出さなかった。



 ………………。





 ……カガリはその後、一年間も泣き続けた。

 一年というのは、ひとつのことを没頭するにはとてつもなく長い時間。それに普通の人間は寝食が欠かせないため、本来なら実行不可能である。

 だがカガリは、亜時間を操ることができる。自身の肉体の流れる時間を調整することで、水分や栄養の消費をごくゆっくりにしたり、そもそも消費する前の状態に戻ったりできるのだ。


 そうして一年経つ頃には、時間が書かれたメモは滲んでシワだらけ、ぐしゃぐしゃで文字が見えない状態になっていた。メモの時間を操れば元に戻せるが、もう今のカガリには不要なものであった。

 しかし、何故彼女が泣き続けたのは一年間だけなのか。その理由は実に簡単。


「――アオナちゃん、大丈夫?」


 カガリがハッとなって顔を上げると、そこには手を差しのべるキララの姿があった。

 そう、一年前に飛んで一年経ったのなら、そこは「円世えんせい大寅おおとらこく」。カガリ以外の亜時間操作能力者が集まる時間なのだ。

 カガリは誰もいないから泣き続けたのであって、他に人がいるならその限りではない。キララがいるのにメソメソ泣いているのは不格好と思ったカガリは、涙をぬぐって応答する。


「キララ、先輩……。ううん、キララさん。」

「あら? アオナちゃん。……ありがと。」

 カガリは、キララが「先輩」を付けなくていいと言っていたことを思い出し、呼び方を改めたのだった。さらにカガリは続けて言う。

「いえ。こちらこそ、ありがとうございます。……わたしのこと、『カガリ』って呼んでください。」

「……うふふ。分かったわ、カガリちゃん。」

 キララは余計な詮索などせず、微笑んで答える。今までは彼女に苦手意識を持っていたカガリだったが、不思議とそんなものは消えていた。むしろ今はその顔を見て、心に空いた穴を埋められるような快い感覚だった。


 思えばキララは、会った時からカガリにくしてくれた。なにぶん「昔」のことなので記憶は定かではないが、カガリが好まなかったのは女性好きレズビアンの部分だけ。しかし今のカガリは兄への執着を捨て、それにより、年上男性への恋慕れんぼの気持ちも無くなっていた。

 そして今、カガリがキララについて想っているのは、自分を救ってくれた相手ということ。あの時の兄と同じように、頼れる存在であること……。



「じゃあ、一緒に呑みましょう。」

「……はい、キララさん!」


 午前三時三分。夜が明けるにはまだまだ時間がある。

 ……こうしてカガリは青菜の苗字を捨て、亜時間に留まることを決めたのだった。



■ ■ ■



 ……さて。先述のとおり、亜時間操作能力者は餓死することがない。さらには病死の心配もほぼ必要ない。つまり事故さえ考慮しなければ、「不老不死」と言って差し支えがない。

 ということは、繁殖を急ぐ必要がないのだ。もし仲間を増やしたいなら、ゆっくりといくらでも「時間」をかければいい。永い間で一人二人しか仲間が増えなくても、失うことがなければ増え続けるのだから。



 ところで、亜時間操作能力に目覚めるには条件がある。それは生物学的に女の人間であることと……、亜時間移動に巻き込まれて「亜時間」という概念を身体で理解すること。





 カガリが倫太を撫でた、あの晩秋の夕方。倫太はあの後、まっすぐ帰らずに寄り道をしていた。

 別に、彼が悲しみに暮れて死を選んだ、なんて物騒なことが起きたわけではない。ここで重要なのは、彼が追いかける「彼女」と出会わなかったこと。結果として神社に「彼女」だけで行ったことである。


 ……。


「――おにいちゃん、どこ?」


 あかい神社で人捜しをする少女のもとに、一人の女性が現れる。



「あなた、ひとり?」

「え……?」



 その女性が少女の頭に手を置いた瞬間……、辺りは夜になっていた。

 そして突然の亜時間移動により、少女は気を失ってその場に倒れこむ。


「青菜、篝ちゃん……、ね。ふふふ……。」



 キララは亜時間操作以外に、「他者の記憶を読み取る」超能力を持っていた。そして脳の一部に亜時間操作をかけることで、記憶をある程度操ることもできる。

「これで、六人目……。私の、おともだち。」

 記憶を覗けるということは、他人の趣味嗜好を見ることもできるということ。なにをいんとしてなにを好むかを知れば、その元となるものを取り除くことで他者の好みを曲げることができる。

 そう、例えば年上の男性が好きであるなら、年上の男性が好きになったきっかけを壊せばいい。そうすれば好みの対象は揺らぎ、自分のほうを向いてくれる可能性が生じる。仮に一度や二度上手く行かなくても、時間など無限にあるので何度でも試せばいい。

 ただ洗脳するだけでは、洗脳が解けて元に戻るかもしれない。だから、元を断つ。それを繰り返せば、いつか自分と同じように女性好きレズビアンになるのも夢ではないだろう。それこそが、彼女の言う「おともだち」。自分と同じ趣向で、同じ能力を持った仲間のことだ。


 キララはまるで蜘蛛が巣を張るように、この天束あまつか神社で獲物おともだちを狙っているのだ。




 そして……、達成感からかキララは不適に微笑む。

「……? キララさん、どうしました?」

「んーん。なんでもないわ、カガリちゃん。」


 カガリの足元にあった、ぐしゃぐしゃににじんでいたメモは、いつの間にか形はそのままに色だけが真っ白になっていた。そしてメモは風に吹き飛ばされ、闇の中へと消えていく……。


 それでいい。もう、「カガリの記憶を持っておく」必要はないのだから。



 おわり

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亜時間セーフティネット ぐぅ先 @GooSakiSP

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