亜時間セーフティネット

ぐぅ先

亜時間セーフティネット(前編)

 ――あの神社に女の妖怪が出るらしいぞ。


 その噂を男児が聞いて興味を持ったなら、どちらかが気になったのだろう。「女の『妖怪』」か、「『女』の妖怪」か。

 まだ男女の境目を認識し始めたくらいの男児にとって「女」とは、自分と違う異質なもの。人間の心理として異質なものは避けようとすることが多いのだが、徐々にその存在に慣れることで理解し、むしろその魅力を迎え入れて興味を持つことになる。

 要するに彼は、「『女』の妖怪」が気になってこの天束あまつか神社へ来ることにしたのだった。彼の名は倫太りんた、高学年くらいの男子小学生である。

「ここに、その……。」

 倫太は、自分が「女に興味がある」ことで友人や家族にからかわれるのを嫌い、一人でこの神社へやってきていた。山の上にある天束神社の境内けいだいで、四方をぐるりと回り見る。風に揺れる木々の葉の音、この時期にしては冷涼な木陰。……だが、普通と変わらない景色。居心地は良いがそれ以外になにもない。人はおろか、動物の一匹も見当たらない。倫太がわずかに抱いていた期待は、そよ風に吹き散らされてゆく。

 が、諦めて帰ろうときびすを返したその時。


「――あなた、ひとり?」

 確かにそこには誰もいなかった。そのはずなのだが、声に振り向くとそこには一人の女性が立っていた。白いワンピースに、黒く鮮やかな髪が風にたなびいている。

「え……。よ、妖怪……!?」

 それを見た倫太は、ただただ驚いた。もちろんいきなり人が現れたことについても驚いていたのだが、その人は実に見目みめうるわしかった。言うなれば倫太の好みのタイプの女性であり、一目見ただけで……、……言語化するのが難しい感覚に襲われた。

 もちろん、惚れそうになってはいるのだ。しかし、それだけではない。その女性は倫太より年上なためか、彼女から母のような包容力を感じていた。また、どこか妹のようなあどけなさも漂っていた。さらに、まるで祖母のような寛容さまで持ち合わせているように見えた。

 美しい女性。しかし、母のよう。しかし、妹のよう。しかし……、祖母のよう。

 これら四つもの強い印象を受けたうえでそれを一言でまとめられるほど、倫太の人生経験に深みはない。なので倫太は戸惑い、その場で硬直することしかできずにいた。


「……あれ?」

 そうしていると、いつの間にか女性は倫太の前から消えていた。歩き去ったり、空へ飛び立ったりなどのような予備動作は無く、本当に突然いなくなっていたのだ。

 辺りを見回すも、女性の姿はどこにも見当たらない……。


 ………………。



「よ、妖怪だなんて、失礼な……!」

 あかく染まった白いワンピースを着た女性は、神社で一人怒っていた。すでに陽は落ちかけており、気の早い夜の虫たちがちらほら鳴き始めている。

「……あれ?」

 そう、彼女は一人で怒っていた。不思議とその相手の姿はどこにもない。そのことに気がついた彼女は、その場で気を落とした。

「うわー、やっちゃった……。」



 「青菜あおな カガリ」は亜時間あじかん操作能力者である。「亜時間」とは通常流れる時間とはまた異なる時間のことで、異時間、別時間とも言われるもの。簡潔に説明するなら、カガリは自分自身の「時間の位置」と「時間の速度」を自由に操ることができるのだ。

 例えば時間の位置を操る場合、念じるだけで今から五分後、一時間前、一日後、二日前、一年後、十年前……、のように、現在以外の前後時間へ移動することができる。

 例えば時間の速度の場合、念じるだけで時間の速度を二倍早くしたり、半分に遅くしたりもできるし、マイナスにして時間逆行することもできる。

 そしてそれらは通常の時間に関与しないので、世界全体へ影響を与えるわけではない。


 しかしカガリは、実はその能力を使いこなせているわけではなく、感情が大きく動くとつい「亜時間移動」が暴発してしまいがちであった。今回は倫太少年の「妖怪」発言により、誤って能力を暴発させてしまったのだ。

「うう。せっかく、せっかく男の人に出会えたのに……!」


 先述のとおりカガリは亜時間移動が暴発しやすいので、普通の人間と接することが難しい。寂しさを埋めてくれる彼氏をつくるなど、夢のまた夢である。

 ところで、カガリの好みのタイプは年上の男性。一方で先ほど会った少年は年下だが……、亜時間操作を駆使すれば事実上の年上にすることも可能であった。仕組みとしては簡単で、相手が年上になるタイミング、例えば二十年後くらいに飛ぶ。そうすれば相手だけが二十年も歳をとったことになり、少年が十歳だとしても三十歳。カガリからしたら年上になるのだ。

 とはいえ一気に移動してしまっては、相手からすれば数年~数十年単位での再会、しかもそれがようやく二度目の遭遇となるので、付き合うどころか存在を覚えていない可能性さえある。

 そこで、仲良くなるためには短期間に何度も会う必要があるのだが……、その際に次回の待ち合わせ場所をこの神社にすれば、亜時間操作ですぐに移動して次のデートを行うことができる。なんと亜時間操作をうまく使えば、通常よりも親睦を深めやすくもできるのだ。


 しかしこの天束あまつか神社は実質的に無人であり、ほとんど人が寄り付かない。だからこそ、こんなチャンスを逃してはいけないと、カガリは気を引き締めた。

「落ち着け、わたし……。時間はメモしてたはず!」

 そう呟きながらふところからメモを取り出すと……、それは「白紙」だった。


「え……?」

 ……それは不測の事態のようで、カガリは呆然とする。そして。



「――な、なんでぇぇぇっ!!?」



 ……!


 カガリが叫ぶと、辺りはなんと一面「雪景色」となっていた。気が動転して、またもや能力が暴発してしまったらしい。

「――さむいさむいぃぃぃ!!! てか今どこ!? 何時何分、何秒!!?」

 もともと初夏という暖かい時間にいたカガリの服装は、雪に対して無防備な薄着のワンピース。身を刺す冷たさにパニックになり、居ても立ってもいられず慌てて「安全地帯」へ移動することにしたのだった……。





 円世えんせい三年、三月三日、三時三分。円世えんせいとは元号のことで、大正、昭和、平成、令和などといった時代とはまた別のもの。そして大量に「三」が連なるその時間は、一部の人間から「円世えんせい大寅おおとらこく」と呼ばれている(「寅の刻」がおよそ午前三時頃を指す言葉)。

 大寅の刻の天束あまつか神社では、亜時間操作の能力者たちが集まっていた。集まる時間を分かりやすいものにして、能力者同士で集まりやすくしている、というわけだ。境内けいだいには絨毯のようなシートが敷かれており、また、酒瓶や食べ残しが乗った皿が多数並べられており、即席の宴会場となっていた。


 カガリはそんな場所……、いや、「時間」にやってきていた。無意識的な亜時間移動により、今がいつなのか分からなくなっていたカガリは、パニック状態でも思い出しやすい「三」の並んだ時刻である円世の大寅の刻に来て、身の安全を確保しようとしたのだ。

 そしてそこには、三人の女性がいた。全員、カガリと面識がある女性たちである。


「あらー、アオナちゃんいらっしゃい。」

「あー……。どもです、キララ先輩。」

「もう、『先輩』なんていらないってばー。」

 そのうちの一人である、「キララ」という名の女性が声をかけてきた。残る二人はカガリから離れた位置でグラスを片手に談笑しているところであった。


 ところで、カガリはこの集まりについて苦手意識を抱いている。

 それは何故かというと……。


「クレア、だーいすき。」

「あたしもよ、ユリ。」

 先述のとおり、この円世の大寅の刻は亜時間操作能力者が集まる時間である。当然、今来ているカガリ以外の三人も能力者だ。

 カガリは今までに六人の亜時間操作能力者と顔見知りになったのだが、何故かその六人は全員が女性で女性好きレズビアンなのだ。つまり声をかけてきたキララ、呼び合っていたクレア、ユリの三人ともそうだということになる。しかし一方で、カガリは年上の男が好き。自分だけが女性好きレズビアンではないという状況なのだ。

 一応、カガリが男性好きということはみんなが理解しているのだが、それでも一切の色目を排してカガリのことを見るのは不可能。そのわずかな色目を感じ取ってしまい、居心地の悪さを感じていた、というわけである。



「それでアオナちゃん……、」

 キララは挨拶の後、ここに来た本題について尋ねようと口を開いた。だが、カガリが手にしていた紙を見て言おうとしていた言葉を変える。

「あー……、その紙、さては時間をメモしてて、白紙になっちゃってたとか?」

「えっ!? な、なんでそれを……!」

 なんとただ紙を持っていただけで、カガリの事情を見抜いたのだった。さらにキララは続けて言う。

「私も最初はやっちゃってたなぁ、『保護』忘れ。」

「あ……、あー、そうだったんですね。そういうことかー……。」

 キララが言った「『保護』忘れ」という言葉を聞き、カガリは納得した。


 ……これだけでは分かりにくいと思うので、ここで解説しよう。


 亜時間操作はカガリの肉体に備わる能力である。しかし何故、亜時間移動をした身体に付着しているだけの衣服は無事なのだろうか。いやそれどころか、そもそも何故彼女の身体に悪影響が見られないのだろうか。

 まず、人間とは――人間に限った話ではないが――様々なパーツによって構成されている物体に過ぎない。パーツを大きい範囲で言うと頭、首、腕、胸、胴、腰、足など。さらにそれは皮膚、毛、血、神経などから作られている。さらにそれを最小単位まで分けると細胞になり、さらに細胞は……、と、これ以上は人間を人間たらしめているモノがなにかという哲学染みた話になってくるので省略する。

 つまりこれは、「人間」だけが亜時間移動をしたとして、その「対象」はどこまでになるのか、という問題なのだ。

 では例として、「右腕『以外』」の身体を対象として亜時間移動するとしよう。この時に十年後の時間に移動すると、右腕の時間は移動してくれないので元の時間に留まる。すると移動後の十年後の世界では十年経っているので、「右腕だけが十年後」のものになる。しかもただ十年経過するだけでなく、「なにもせずに十年経つ」ことになるので、成長というより腐敗の類の現象が起きる。端的に表すなら、右腕を切り落として十年間放置し、その後接合した場合と同じような状態。

 もっと簡単に表すと「『右腕以外』が亜時間移動で未来に行った」場合、「亜時間移動をしなかった右腕だけが腐る」ことになるのだ。

 だから、亜時間移動を行う際は対象を慎重に決めなければならない。万が一にも肉体の一部が対象外になってしまってはどうなるか分かったものではないし、もし身体は全て無事だとしても、衣服や荷物を対象としていなければそれらは無事では済まない。衣服を置いて未来に移動すれば、衣服は経年劣化が発生する。逆に過去に移動すれば、素材の状態以前まで戻ってしまうこともありえる、といった具合だ。


 長い説明となってしまったが、つまりなにが起きたか。要するにカガリが「書いたメモを亜時間移動の対象に設定し忘れた」ため、文字を書き込む前の「白紙に戻ってしまった」のだ。ゆえにキララはそのことについて「紙を『保護』し忘れた」と言った、というわけである。



「んー……、アオナちゃん、まだ能力の練習中でしょ? 書いた時間覚えてる?」

「覚えてません……。」


 何故カガリがメモを用意しているかというと、能力の暴発防止のためである。

 カガリはまだ亜時間操作のコントロールが不完全で、感情が大きく動だけで暴発してしまうという欠点がある。それを防ぐため、意識的に能力を使用する時は必ず紙を見ながらするように訓練しているのだ。また、移動先の時間を明確にイメージすることで能力の練度を上げる目的もある。

 亜時間操作能力者にとって暴発は本当に「死活問題」なので、カガリはこの永い年月の間、地形や建物が変わらない天束あまつか神社を拠点として過ごしている。

 何故死活問題かを極端に説明すると、百階建てのビルの屋上にいる状態で、ビルが建つ前の時間に移動してしまうとどうなるか。答えは、ビルが存在しないので百階の高さから地面まで落下する。もしそうなれば「即死」だろう。逆になにもない土地でも、百年後にビルが建つ場所で百年後に移動したらどうなるか。これはそのビルの中に出現することになり、身体が埋まってしまう。この場合、埋まる過程で脳や臓器などが損傷すれば「致命傷」だ。

 そして、ここ天束神社はそういったリスクがごく小さい立地であった。



 さて、カガリはメモに書いてあった時間を忘れてしまったと言う。それを聞いたキララは、カガリに向かって手を伸ばした。

「じゃあ、それ貸して。」

「あ、はい……。」

 カガリは素直に紙を差し出す。キララは人差し指と中指でそれをつまみ……、

「これでよし。はい、どーぞ。」

「え?」

 早くもカガリに返すのだった。


 一瞬硬直したカガリは紙を受け取り、それを見る。

空京くうきょう12年 7月20日 8時0分0秒』

 それは間違いなく、書いた覚えのある字。書いた覚えのある時間だった。


 空京くうきょう円世えんせいとはまた別の元号のこと。

 ところでカガリが書く時間についてだが、別にカガリは特定の移動したい時間があるというわけではない。行きたい時間があるからメモするのではなく、移動する前にあらかじめ適当にメモしているのである。要は「思いついた適当な時間をメモ」し、「その時間へ試しに移動」し、「不満ならメモを白紙に戻す、満足ならメモを残す」ということをしているのだ。現代的に言うなら、ガチャの一種であろうか。



 そんなわけで、カガリは容易たやすく問題を解決してくれたキララに対して感謝を述べる。

「あ、ありがとうございます!」

「いいのいいの。……で、行くんでしょ?」

「え……、いや、その……。」

 カガリからすれば、すぐにでもその時間に行きたい。だが、助けてくれたキララに対して礼の一言で済ますのは申し訳ない気持ちがあった。しかし言いよどむカガリに対して、キララは言う。

「別に気が済まなくても、お礼は行ってからでいいわ。だって私たちに待ち時間なんて、あって無いようなものでしょ?」

 亜時間操作能力者は、能力が暴発しなければ好きな時間に移動できる。ゆえに待ち時間の概念など無いようなものなのだ。しかしそうでないとしてもキララはカガリのことを気遣い、自分のことを後回しで良いと言った。


 カガリはぺこりと頭を下げ、さらに感謝の意を示す。

「……すみません! じゃあ、失礼します!」

「またねー。」



 メモを見つめ、書かれていた時間をイメージする。そのイメージを鮮明に保ったまま目を閉じ……、カガリは能力を使用するのだった。



 つづく

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