第20話 言祝ぎ――少女と青年は夏に眠る
「んー絶品!」
幸せそうな声を上げて、シエルがタルトを頬張る。
色とりどりの花が咲き乱れるいつもの温室の、いつものガーデンテーブルとベンチ。しかし今日は、氷を入れた紅茶を持参してきたので、少し豪華なティータイムとなっている。
窓を開放しているとはいえ、夏の温室はさすがに暑い。冷たい飲み物の一つも欲しかった。
拳を振って、堪らないとばかりにシエルが隣のアヴェルスを振り返る。
「最高です! 今まで食べたどのレモンタルトよりも美味しいです! 料理長に最高だったって言っておいて下さい!」
「……あぁ」
「あ、そういえばこれ、今日の分の報告書です」
「……あぁ」
「この秘密の報告も、いつまで続ければいいんでしょうねぇ」
シエルはフォークを咥えながら、ガラス越しの蒼天を見る。
カルム暗殺未遂の一件から数日後。いつものようにアヴェルスとシエルは温室にて、お茶会もとい秘密裏の会合を行っていた。
カルムの事故の報は取り消され――といっても、流布させたのは一部のみだが――、王城には平穏が戻った。
ジョルジュの処遇については、検討中だ。手段が手段だったこと、事が公になっていないこと、そしてなりより当事者であるカルムがその事情を汲み、厳罰を望んでいないことが理由だった。
彼の母は、少し前に王宮より帰された。ジョルジュの事については、悲しみんではいたが涙は見せなかった。息子を犯行に至らせた原因の一端は自分にあると、その責任を感じているようだった。その気丈さは、直接説明をしたアヴェルス自身がひしひしと感じていた。
――世の中には、あんな母もいるのものなのだな、と。
目の前には、六等分に切り分けられたレモンタルトが一切れある。そこに添えられた飾り切りのスライスレモンを見つめ、
「なぁ」
と、気付けばアヴェルスはそう零していた。
シエルが無垢な目でアヴェルスを見る。
「……お前は、俺の目の色を……どう、思う」
その脈絡のない問いに、シエルは空色の両目を瞬かせた。
アヴェルスの目は、弟のカルムとは違う色だ。父で国王のダヴィドとも違うし、叔母のオティリーとも違う。もちろん、母とも――
うーん、と。シエルはフォークをくるくると回し、何故だか考え込んでしまう。
アヴェルスは顔色一つ変えず、しかし次第に大きくなっていく脈拍を抑えようとして、
「あっ!」
閃いたとばかりに上がったシエルの声に、ドキリと心臓が跳ねた。
「思い出しました! ブルーアワーの色です!」
「……ブルーアワー?」
聞き慣れない単語に、アヴェルスは思わず聞き返してしまう。
頷くシエルは楽しげだった。
「そうです! どこかで見た色に似てるなーって、ずっと思ってたんです。あ、ブルーアワーっていうのはですね、日の出前と日の入り後に稀に見られる空のことで、空が真っ青に染まるんです。昼の空色よりも濃くて、でも夜よりは明るくて、深い海のようにも見えるんですが、ずっとずっと澄んだ色をしてるんです。もうほんっと、すごく綺麗な空なんですよ」
暇さえあれば空ばかりを見ている少女は、自分の脳裏にしかない光景を、言葉を尽くして説明しようとする。
「殿下の瞳は、それと同じ色です!」
そうして向けてくる屈託のない笑みは、どこかくすぐったくて――
「……そうか」
と淡々と返して、アヴェルスはレモンタルトを一掬い、口に運ぶ。
途端ふわりと、口の中に爽やかな酸味が広がる。どこか、朝の清涼な風にも似たその風味に舌鼓して、
「そうか」
薄く笑ったアヴェルスに、シエルがもう一度、目を瞬かせた。
けれどすぐに、その抜けた顔は満面の笑みに包まれる。
「はい! いつか殿下にも、見せてあげますね! 最高のブルーアワー!」
「……楽しみにしている」
まるで底抜けに青い空のようだなと、アヴェルスは思った。
――しとしとと雨が降っていた。
「兄上ー? 兄上どこですかー?」
忙しい執務の休憩にと、茶菓子のバスケットを手に出て行ったきり帰ってこない。
そんな兄を探して、カルムは温室を訪れていた。
見上げた空からは、先程までと変わらず燦々と降り注ぐ夏の日差し。それを浴びてガラスの天井が、宝石が散りばめられたかのようにキラキラと輝いている。
宝石の正体は、雨粒。
晴れているのに何故か雨が降るという現象――天気雨だった。
世の中には不思議なこともあるものだなと思いながら、カルムは温室の奥へ進む。雨のせいで一層湿度が上がって蒸し暑い。
自分が居ない時はここを探せと、こっそり兄に教えて貰っていたが、本当にいるのだろうか、と。半信半疑になったその時、草木の向こうに自身と同じ黒髪の姿を見つけ――
「あ、いた。あにう――」
咄嗟に口を噤む。
そこに、少女と青年が眠っていた。
白銀と漆黒。一つのベンチに身を寄せ合って座り、互いに肩を預け合っている。その寝顔はとても穏やかで、時折、どちらのものか分からない微かな寝息が、雨音に交じって鼓膜を揺らす。
「にゃぁ~」
そんな二人の足下で、大きな長毛の猫――兄の飼い猫である、メルキュールが構って欲しそうに鳴いている。
「ダメだよ、メルキュール。起こしたら。ゆっくり寝させてあげよう」
カルムは忍び足で近づくと、メルキュールを抱き上げ、また静かに離れた。
眠る兄を見る。その顔は弟のカルムでさえも見たことがないほどあどけなくて、まるで幼い子供のよう。
カルムは思わず、口元を緩める。
それからゆっくりと、ゆっくりとその場を後にした。
「おやすみなさい、兄上、シエルさん」
祈るような囁きに、返ってくる声はもちろんない。
リュクレース気象予報局のシエル ~うたたね空姫と冷徹王子の快答録~ 倖月一嘉 @kouduki1ka
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