第19話 第二王子の生存
突然現れた第二王子に、兄であるアヴェルスは胡乱げな視線を向けた。
「……麓の町で待機しているよう、命じたはずだが?」
「だって兄上だけでは心配だったもので。それに、これは僕が狙われたわけですから」
黒髪癖っ毛の少年がにこりと微笑む。その面立ちは、第一王子によく似ている。けれどその瞳は兄と違い、頭上の曇り空と同じ色をしていた。
ジョルジュは呆然と、幽霊でも見たかのように呟いた。
「第二王子、殿下……? 嘘だ。だって、土砂崩れに、巻き込まれたって……」
「そうです。事故に遭ったというのは『嘘』です」
「嘘……?」
シエルの告白に、ジョルジュは愕然とする。
「二枚目がないと判明したのは、実はカルム殿下の元に届く前です。ではどうやって二枚目の紛失に気付いたか……」
シエルが懐から二通の封筒を取り出す。どちらも元から、封はされていない。
「こっちがジョルジュくんに預けたもの、そしてこっちが、私がこっそりと殿下に直接お渡ししたもの」
「最初から、報告書は二通用意してあったんです」して
「どうして、そんなことを……」
と言って口を噤む。ジョルジュ自身がこうして追い詰められた経緯を考えれば、すぐに分かる。
「そうだ。神教会の手の者がどこに潜んでいるか分からないからな。……お前のように。だから日頃から、報告書は二通用意させているんだ。改竄があればすぐに分かるように――間者を炙り出せるようにな」
つまりは罠。
ジョルジュは見事、その罠に引っかかったというわけだ。
「そんな、渡すって言ってもいつ……」
「んーそれは秘密です」
唇に人差し指を当てて、困り顔で苦笑するシエル。
何故だか胸が、つきりと痛んだ気がした。
「だから、シエルが犯人ではないのは、最初から明らかだった。話を聞きたいと連れて行ったのは、抜き取られた封筒の中身と、俺の手に届くまでに渡った人物を絞り込むため」
「じゃあ、謹慎は……」
「それも嘘だ。お前がもし二枚目を見ているなら、その知識を使うかも知れないと……こいつの考えだ」
どこか呆れた様子でシエルを横目に見るアヴェルス。
ジョルジュも驚いて、その視線の先を見た。
「……まだ話してなかったですよね。どうして私が、2枚目に嘘を書いたのか」
彼女は変わらず、困り顔で微笑んでいた。
「順を追って説明します」
しかしそう説明し始めたシエルの口ぶりは、しっかりしていた。
「殿下からあなたが怪しいと『こっそり』教えられた私は、二枚目に嘘を書くことを思いつきました。改竄が行われるなら、一枚目の週間予報の方です。素人目では、二枚目の観天望気が正しいかどうかは判別はできません。二枚とも全て、正しい内容を書く必要はありません。ところどころに嘘を交えて書きました」
それに、と。
「入局からずっと……ジョルジュくんには主に、計器による観測の仕方や、日々の数値予報のやり方を教えて、観天望気のやり方はあまり教えていませんでしたから。もしあなたが、その間違った知識を使うことがあれば、それは私の書いた二枚目を見たということ……」
そうして二つの罠が仕掛けられた報告書は、ジョルジュから文官、何人かの手を介して、予報局を統括するアヴェルスの元に届く。
「そして二通の報告書によって、二枚目――観天望気について記した方が紛失していることに気付く。カルムの元へは正しい予報を届け、旅程は変更するなりなんなりすればいい。残る問題は、誰が二枚目を抜き取ったかだ」
アヴェルスが淡々と述べる。
「偽の報告書を手に取った人数は少ない。背後関係や動機を考慮すれば、容疑者は数人に絞り込める」
「殿下はこの時点で、容疑者の背後関係を洗いに行きました。そこで、ジョルジュくんの家を尋ね――」
「神教会の兵と出くわした」
告げられたその事実に、ジョルジュは息を呑んだ。しかしすぐにアヴェルスが注釈する。
「言ったろう、無事だと。多少荒事にはなったがな。……あとは、母親を保護し、事情を聞いた。だが、父親がお前に何を命じたのかまでは、知らなかったようだからな。確証を得るために、カルムが事故に遭ったと誤報を流し、犯人を泳がせることにした。土砂崩れが起きたのも、それを報せた前日だ」
カルムの事故も、シエルの謹慎も、土砂崩れも、全部嘘。
「オレに、トロワ峠の予報をするように命じたのは……」
「それは本当だ。予報局員の中で、真実を知っているのはシエルだけだ。局の状況を分かった上で、人員派遣を命じた――お前がこの場に来るように仕掛けたのは、俺だがな」
愕然と震えた声を零すジョルジュを見下ろして、アヴェルスは応じる。
「国から空読みの要請があれば、断るわけにもいかない。そしてそこで、大々的に嘘の予報をするわけにもいかない。それこそ、自分に責任が降ってくるからな」
そうして狙い通りジョルジュは、謝った観天望気を行った。
ジョルジュは笑った。力無く。
「オレは……最初から、手の平で転がされていたんですね」
口の端から零れ落ちる空笑いを、ジョルジュは止められなかった。
「どうぞ、オレを捕まえて下さい。どんな処分でも受け入れます」
しばらくして笑みも収まり、ジョルジュが殊勝に手を差し出す。シエルはなんて言葉を掛けていいか分からなかった。
「二枚目は、予報局のオレの引き出しの裏に隠してあります。それが証拠になるでしょう」
「……どうして処分しなかった」
アヴェルスは険しい目を向ける。ジョルジュは「どうしてでしょうね」と、不思議と穏やかな顔で言った。
「……もしかしたら、終わりにしたかったのかもしれません。クソ親父の傀儡で居続ける日々を」
それはきっと、紛れもない彼の本心なのだろう。
けれど、どんな事情があれ、そして偶然を利用したとはいえ、ジョルジュ自身の意志で第二王子を害そうとしたことには変わりない。処刑は免れないだろう。
シエルは言葉を探して、俯き気味に視線を彷徨わせる。
しかしその瞬間、
「……ふざけるな」
シエルの隣から、腹の底に響くような声が発せられる。
声の主は――アヴェルス。
彼らしくもない怒気を帯びた声に、驚いている暇も無い。言うが早いか、アヴェルスは荒い足取りでジョルジュに歩み寄ると、躊躇なくその胸ぐらを掴んだ。
「殿下っ!?」
戸惑うシエルの制止も無視して、アヴェルスはジョルジュを掴み寄せる。そしてその青い瞳で、凪いだようなジョルジュの瞳を間近から覗き込んだ。
「……お前の母は、お前さえ無事なら良いと思う奴なのか。一人残されてどう思うのか、考えはしなかったのか」
「……」
「お前の母は、何よりもお前の身を案じていたぞ」
平静に、淡々と。言葉で追い詰めてくるアヴェルスから、ジョルジュはただ居たたまれなそうに顔を背ける。
ギリ、と歯ぎしりと共に、アヴェルスの怒気が弾けた。
「っ、命乞いぐらいしてみろ!」
「――兄上、そのぐらいに」
激昂するアヴェルスを止めたのは、それまで静観を決め込んでいたカルムだった。
背後からゆっくりと歩み寄る弟に、胸ぐらを捻りあげる力を緩めるアヴェルス。
そんな兄に、カルムは緩やかに微笑んだ。
「今回のことは、ちょっとした手違いだったんです。新米予報官が、先輩の予報結果を勉強しようとして、書類を一枚、戻し忘れてしまった。でも、改竄を警戒していたおかげで、私は事故に遭わずに済んだ。たったそれだけの、つまらない話です」
それから、見上げるジョルジュに視線を合わせて、
「ね、違いますか?」
と微笑んで尋ねるカルムに、ただただ戸惑うジョルジュ。
「本当に、お前は……」
アヴェルスは苦虫を噛み潰したような顔で、深く嘆息する。
と、ジョルジュを放り投げるように手放した。
眉根を寄せて、アヴェルスが戻ってくる。謎すぎる突然の立腹に未だオロオロとなりながらも、シエルは入れ替わるようにジョルジュの元へ駆け寄る。そして膝を抱えて、ジョルジュの前にしゃがみ込んだ。
「一つだけ聞いていいですか?」
ジョルジュは目を合わせようすらしない。
それでもシエルは尋ねた。どうしても聞きたかった。
「どうしてジョルジュくんは、予報官になろうと思ったんですか?」
「それは……」
「?」
何故だか口籠もるジョルジュに、シエルはいつものようにきょとんと首を傾げる。
やがて観念したように、ジョルジュは口を開いた。
「カッコイイと思ったんです。だって予報って、未来を予測することじゃないですか。未来を知るなんて、そんな神様でもないのに……でも人の力でそれをやろうとして、人の役に立とうと頑張っているのが、カッコイイと思ったんです。オレはずっと、クソ親父の言いなりの人生だったから……そ、それに母を安心させたかったし、手に職を付けたかったし……」
少しだけ頬を赤らめて、気恥ずかしげに、そうして憧れを語る。
そんな自分を隠すように所在なく手をバタつかせるジョルジュに、シエルは目を細めて、ふわりと笑んだ。
「ねぇ、ジョルジュくん」
「は、はい」
「予報局って、実は結構忙しいんです」
「え、あ、はい……」
素直に頷くジョルジュに、シエルは頬杖を突いて、笑みを深める。
「現業室はずっと資料の山状態ですし片付けなきゃいけないのに、毎日毎日、天気を観察して、予報を出して、記録を取って、次の夏はどうとか冬は厳しくなるとかそういうのも出さなきゃいけなくて、結構てんてこ舞いなんです。でも、そんな時に淹れてくれるジョルジュくんのお茶、私は好きでした。殿下も、美味しそうに飲んでましたしね」
ぎょっとしてジョルジュがアヴェルスを見る。腕を組んで佇むアヴェルスは無反応で、相変わらず気怠そうな顔をして、こちらを見ていた。
シエルはクスリと笑う。
「――いつでも待ってます。予報局は、いつだって人手不足なんですから」
その言葉に。
ジョルジュは――シエルのたった一人の後輩は、小さく頷いた。
山の上から戻ってきた兵たちに、ジョルジュが連行されていく。
縄で両手を縛られ、引かれるがまま一台の馬車に乗り込んで、その馬車が走り出し、やがて山裾の向こうに消え――
「ありがとうございました。ワガママを聞いて、こんなところまで来てもらって」
見えなくなった馬車をまだ見送りながら零したシエルに、隣に並ぶアヴェルスが無感情に返した。アヴェルスもシエルと同じく、馬車の消えた峠を見ていた。
「構わない。元々面倒だったのが、一つ面倒が増えただけだ」
その言い草に、殿下だなぁとシエルは思う。
湿った風が、少し強さを増してシエルの三つ編みを揺らす。
ややっあってから、シエルは口を開いた。
「……もし、ジョルジュくんが誤報をしなかったり、私が書いた『嘘』通りの空にならなかったらどうしてたんです?」
空は気まぐれだ。それこそ、神のみぞ知る。今日その空模様になる確証はなかったし、明日も明後日も、ジョルジュの知識を確認するチャンスはなかったかもしれない。
アヴェルスは平然と答える。
「その時は、拷問してでも吐かせた」
「……冤罪だったら訴訟物ですよ」
「そうならないために、お前はこんな回りくどい真似をしたんだろう?」
シエルは目を丸くした。それから、寂しげに笑った。
「……そう、ですね」
ポンと、シエルの頭を骨張った手がぞんざいに、けれど優しく叩く。
シエルは思わず隣を見上げようとして、けれどその時には既に手は離れ、手の主は踵を返してしまっていた。向かう先には、シエルたちが乗ってきた馬車。中には既に、カルムが乗り込んでいた。
「行くぞ、白ネズミ」
そうしてアヴェルスは、またいつもの呼び方でシエルを呼ぶ。
「あっ、また白ネズミって! さっきまでちゃんと名前で呼んでましたよね!? ね!?」
「知らん。置いてくからな」
「あー待って下さい! さすがにここから王都まで歩いて帰るのは無理ですってー!」
乗り込むアヴェルスを追って駆け足になりながら、シエルは空を見る。
いつの間にか雲間に見えていた青空は完全に消え、重い雲が立ちこめている。
やっぱり、天気は下り坂だった。
「何をしてる。帰るぞ。白ネズミ」
再三に渡るシエルの文句を聞き流して、アヴェルスがシエルを呼ぶ。
まったくもう仕方ないなと、シエルは笑った。
「はい! 今度こそ本当に、雨が降りそうですしね!」
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