第18話 全ては罠だった

「な、な……なんのことを……」

「……殺人の手口の一つに、『プロバビリティの犯罪』というものがあります」


 明らかな狼狽を見せるジョルジュを前に、シエルは静かに口火を切る。


「これは、確実に殺人を行うわけではないが、こうしたら相手を殺せるかもしれないという状況に相手を置くことで、不確実ではあるが相手を殺す方法です。確実に相手が死ぬとは限りませんが、相手が死んでもそれはあくまでも偶然――自身が犯人だと特定される可能性は低くなります」


 固い声で語るシエルの視線の先で、ジョルジュが僅かに肩を揺らす。


「カルム殿下は『偶然にも』天気の急変に遭い、『偶然にも』土砂崩れに巻き込まれた。ですが天気の急変や大雨を予測し、避ける方法があったら? その避ける方法が、何者かによって伝達を妨害されていたとしたら?」


「……シエルさんは、オレがその妨害を行ったと? でもシエルさんの予報結果が改竄されたわけではないんでしょう?」


 シエルはこくりと頷いた。


「ジョルジュくんに預けた予報結果。二枚目があったのは覚えていますか?」


 それをジョルジュは、首肯した。


「では何が書かれていたかは知っていますか?」

「……いいえ」


 今度は、言葉で否定した。


「あの二枚目の紙には、トロワ峠における『観天望気』の特徴について書いてありました。……観天望気は分かりますね?」

「……実際の空の様子や、生き物の動きを見て……その後の天気を予測すること……」


 どこか自信なさげに答えたジョルジュに、シエルは少しだけ表情を和らげ頷いた。シエルが教えた事を、彼はちゃんと覚えている。


 それが、少しだけ――嬉しかった。


 けれどシエルは、すぐに表情を引き締める。


「しかしカルム殿下の元に、その二枚目は届かなかった。誰かが抜き取ったんです」

 空の特徴を捉えられれば、専門的な知識を持たない予報官でなくとも、急変を予測することは出来る。予測が確かなものではなくとも、連れているのは一国の王子なのだ。そのお付きが、危ない橋を渡るような判断はしない。

「……二枚目が無かったとして」


 強張った声で、ジョルジュが反論する。


「抜き取ったのがオレだなんて証拠はどこにもないはずです。実際にカルム殿下一行の元に届くまで、何人もの手に渡っている」

「……そうですね。ジョルジュくんが犯人だと特定することはできません」

「だったら――」

「だったらどうして、ジョルジュくんは先程、急な雨が降るなんて予測をしたんですか?」


 ジョルジュの言葉に半ば被せるように、シエルは言った。


「…………」

「……雨は降りません。あの雲は『吊るし雲』と言って、湿度を帯びた風が山に当たり、上昇気流となって発生する雲です」

「えぇ、だから――」

「降らないんです」


 断定する。降らないんです、ともう一度同じ言葉を繰り返して、


「見た目は、急速に発達し、嵐をもたらす積乱雲に似ています。でも主に積層雲や高層雲に分類され、天気が下り坂なことを示しはしますが、あの雲自体が大雨をもたらすことはありません。――特に、山のこちら側では」

「え……?」


 語ったシエルに、ジョルジュの顔がみるみる曇る。嘘だと言わんばかりに頭を振って、シエルを見つめる。


 シエルはぎゅっと、服の胸元を握り締めて、ジョルジュを見つめた。


「ジョルジュくん。その知識を、どこで得ましたか。どこで見ましたか」


 たった一人の後輩は、沈黙している。

 もう、答えない。


「見たのは、私のないはずの二枚目……そうですね」


 その沈黙は、肯定だ。

 シエルは告白する。


「……嘘なんです。あの二枚目に書いたことは」







「な、な、嘘って、どうして……」


 思わずそう口走ってしまい、ジョルジュはハッと両手で口を押さえる。


「た、たまたまですよ。シエルさんと資料室で調べ物をした時にあの雲の記述を見て……でも間違って覚えたんです。ほら、オレ、要領悪いから……ぐ、偶然ですよ!」


 身振り手振りで必死に説明するが、シエルは暗い顔をして黙ってしまう。

 スッと。ジョルジュは、空回りしていた思考が急に整然となるのを感じた。


「……認めなかったら、どうなるんですか」


 たた佇んで、尋ねる。

 物理的な証拠は見つかっていない。偶然でいくらでも片付けられる。


「その時は、こいつと予報局が全責任を負うだけだ」


 冷たい声で応えたのは、王太子殿下――アヴェルスだった。


 ジョルジュは言葉を失った。――いや、それがジョルジュの狙いだったはずだ。何も間違っていない。そうしないと、万が一捕まりなんかしたら、ジョルジュに利用価値がないとわかったら、ジョルジュは、ジョルジュの母は――


「ジョルジュくん」


 固まって視線を彷徨わせるジョルジュにシエルが声を掛ける。

 優しい、優しい――春の空のような眼差しを向けて。


「大丈夫。お母さんは、無事ですよ」


 頷くシエルに、ジョルジュは反射的に顔を上げた。

 どうして、どういうことだと、言葉を発することさえ忘れたジョルジュに、アヴェルスが告げる。


「お前の母は無事だ」


 冷たい声だった。けれど――


「王宮で保護している。この意味が、分かるな」


 熱に苛まれた思考を冷ましていく雨のような声に、瞬間、ジョルジュは崩れ落ちた。


 地に両膝を突き、背を丸め、両手で顔を覆う。そのささくれ立った指の隙間から、嗚咽が零れていく。


「よかった、よかった……うっ、うううう、あああああぁ……」


 湿った風が、頬を撫でた。







「いつ、オレが犯人だと分かったんですか」


 諦念を滲ませて尋ねたジョルジュに、アヴェルスはめんどくさそうに口を開いた。


「確証を得たのはつい先程、お前が間違った予報をした時だ。だが、前々から怪しんではいた。引っかかったのは、カルム帰城の件で予報局を訪れた際――お前が母の病気と以前の仕事について話したことだ」


 気怠げに、だが理路整然と明かしていく。


「経歴書にお前の父親は不明で、母と二人暮らしとあった。だが病気で働けない母親を抱えて、それも日雇いの仕事をしなければならないほど生活に困窮していて、どうして中等学校に通えた。急に、月給制の予報官に志願したことも気になった」


 リュクレース王国の教育は、初等学校、中等学校、そして高等学校の三段階に別れている。学校によって教育の質や学費に差はあるが――とりあえず、初等学校までは国の支援で多くの子供たちが通える。しかし中等学校からは、完全な実費だ。貧しい家庭では、すぐに働きに出る子も少なくない。


 そんな国の現状に、思うところはある――冷めてはいたが、アヴェルスの声音はそんな影を帯びていた。


 ジョルジュも本来、家庭の状況を鑑みれば、中等学校には通えなかったはずなのである。


「……カルムを害そうとしたのは、神教会の命令だな」


 淡々と確認するアヴェルスに、ジョルジュは緩慢に頷く。


「オレの父は、大神官派の神官なんです。……といっても、母に生ませるだけ生ませて、父らしい振る舞いなんてしたことはありません。家に顔を出すこともなく、たまに思い出したように、金が送られてくるだけ……中等学校に行くように命じたのも、奴の命令でした」


 神官は神に仕える身だが、戒律で結婚が禁止されていたり、生涯操を立てなくてはいけないわけではない。彼らが家族を持つことは、ごく普通のことだ。


 だがジョルジュの家は違った。


 貧しい母子二人、金という力を持つ神官父親に逆らうことなどできなかったのだろう。


「中等学校卒業後は、完全な放置でした。それまで送られてきた金も何の前触れもなく打ち切られ、オレは生活費を稼ぐため、病気の母を支えるため、商会で日雇いの仕事に就きました。……接触があったのは、オレが気象予報局へ入ってからでした」


 思い出したくないとばかりに、ジョルジュは頭を抱える。


「あいつは母の病気を……治療費を払ってやるから、代わりに予報局に潜り込んで、信頼を失墜させろといいました。それからはまるで母を見張るように、家の周りを教会兵が彷徨くようになって……命令に背いたら、母がどうなるか分からなかったんです……!」


 それは実質、脅しだ。


 ジョルジュは都合の良い駒だった。あるいは最初から、駒として利用するために生ませたことも考えられる。必ずしも駒として使えなくてもいい。けれど、使える機会を見つければ動かす。そういう、都合のいい駒――


 そして、機は訪れた。予報局の誤報によって、第二王子が命を落としたとなれば、予報局にとってはこれ以上無い醜聞(スキャンダル)となる。天気予報という文化がまだ広く一般的に根付いていない現状なら、余計だろう。


「六年前……いや、もう七年前か。先王アデラールが崩御し、即位した現王は、それまでアデラールが神教会の傀儡となっていた状況を省みて、政教の分離を決めた。そして兼ねてより神教会が『予言』として行っていた神事のいくつかを取り上げ、事業として立ち上げた。気象予報局もその一つだ。

 ……奴らにとっては目の上のたんこぶ……予報局さえ潰れれば、人心が少しでも神教会に戻ってくると思ってるんだろう。それまでのいい加減な『予言』を考えれば身勝手極まりないがな」


 アヴェルスは疲れ切った様子で嘆息する。


 ジョルジュの入局から四ヶ月。もしかしたら今までも、何かしら改竄や誤報があったのかもしれない。今回のように、偶然に、不確かな方法で――


「本当に……申し訳ありません」


 地に額をこすりつけて、ジョルジュが深く平伏する。アヴェルスは水面のような目で、彼を見下ろしていた。


 彼には事情があった。本来なら、第二王子の暗殺どころか、盗み一つ犯せない人間だということは、共に過ごしてきたシエルだから分かる。


「……いかなる事情があれ、許される所業ではない」


 その無味乾燥な声に、ジョルジュの肩が跳ねる。けれど、震えてはいなかった。


「でも、あぁ……よかった。本当に、本当に……」


 ジョルジュの母は無事、神教会の手から救い出された。彼に利用価値がなくなれば、母が人質に取られることもなくなる


 けれどその一言が、アヴェルスの何かに触れた。


「お前……!」


 ビクリとするシエルの隣で、アヴェルスが意だったように一歩を踏み出す。

 その時だった。


 ガラガラと車輪の音を立てて、背後にもう一台の豪奢な馬車が止まる。


 そして中から黒髪の少年――リュクレース王国第二王子、カルム・リュクレース・ル・フレムが降り立った。

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