「... それで?」


ウイカは 眉をしかめたまま、不安そうな表情で聞いている。


続き... 話しても、信じるかな?

どんな言葉が返ってくるだろう?


「目が覚めたら、俺が座ってたんだ。

笑いながらね」


洗面台の前だった。

そこには、“俺” が居て、足を投げ出したまま

『やった... 』と 笑っていた。

やった というよりは、“やってやった” というように、クックッ と 込み上げてくるような笑い方から、大笑いになっていった。


俺は、そいつを見下ろすように立っていて...

ただ混乱していた。本当に意味が分からなかった。


床で笑っている “俺” は

『ほら』と、鏡の方を指した。

鏡に眼を向けると、俺は、両目になっていたんだ。

頭も身体も、腕や足も何もない、両目だけに。


しばらく俺を見つめていた ウイカは

「もしかして、からかった?」と 緑がかった琥珀色の眼で 俺を睨んでいる。


「あ、バレた?」


そう返してみると、ふいと顔を背けて

「そんな話まで作って。やっぱり浮気でもしてたんじゃないの?」と、呆れながら グラスを口に運んでいる。


「してないって、仕事しか。

でも、中身は “俺” じゃないかもよ」


「もう いいって」と笑う横顔が かわいかった。

「ちょっと これ洗って、私は甘い方にするね。

話 聞いてて、どっと疲れちゃったし」


グラスを持って ソファーを立った ウイカは、キッチンの方へ向かった。別の酒に変えるようだ。


信じねぇよな、やっぱり。


両目だけになった俺は、洗面台の下で笑っている “俺” に

『俺も、今の あんたみたいになってたんだよ。

両目に取り憑かれててさ。

身体も 生活も、これまでの “俺” も、全部 乗っ取られたんだ。

さっき 俺がやったみたいに、鏡の前で、眼に両目を重ねられてな』と 話し始めた。


『俺を乗っ取った そいつも、同じように 両目に乗っ取られたらしい。

そして、元の身体には戻れない。

そいつも “試したが無駄だった” と言っていた。

俺も試したけど、“自分の身体” の前には立てねぇんだよ』


“俺” になった そいつは

『それで、俺に気づいた お前に近づいたんだ』と 続けた。


『聞こえたんだろ?

パチパチ ってさ。まばたきの音が』


そう聞かれても、何も答えられなかった。

口もなく、頭もないから頷けない。

出来るのは、瞬きだけだ。


『目が合った。

お前は気付いてなかったけど、俺には分かったんだよ。“聞こえたな” ってな。

それから しばらく、お前の観察をした。

乗っ取って、お前に成り切るために』


それで、付き纏っていたのか...


『なるべく同じ職種の奴にしようと、探した甲斐があったぜ。

俺がいた会社ところより ランクが高い。

でも お前、まだ設計まで任されてねぇんだな。

まぁ、株 上げてやるよ』


クソ...  “俺” は、ケラケラと笑っていた。


それから

『って訳で、出て行きな。

早く誰かに気づかれねぇと 一生そのままかもしれねぇし、目障りなんだよ』と、顎先で 開けっ放しにしていたドアを示していた。


両目になった俺は、人通りの多い 街中や駅前に出て、瞬きを繰り返した。


でも目蓋を閉じる度に、二度と開かなくなるんじゃないか?... という不安に駆られた。

俺には、両目で見えるものと、目蓋の感覚だけしかなかったからだ。

それに誰も、俺に気付かなかった。


広過ぎるからか? 人が多過ぎるのか?

俺が最初に音に気づいたのは、仕事中だった。

社内でも常に いろいろな音はしているけど、今請け負ってるアプリの納期が短くて、皆 仕事に集中していた。

... だから、聞き慣れない微かな音に気付いたんじゃないか?


会社に向かうと、自分の部署へ入って、仕事中の奴等の間を縫って歩いた。

途中、何度か 瞬きをしたと思う。

でも、外の人混みの中で感じた程の不安に駆られる事はなかった。

外よりは閉鎖的 というか、空間に限りがあるからなんだろうか?


『あっれ... ?

このファイル、開けないんすけど』


眉間にシワを寄せて、一人が言った。

俺と同じような仕事をしてる奴だ。歳も近い。

違いは、こいつは 何かと得をするタイプ だというところだ。

顔がいい というせいもあるんだろうけど。


結構 いい加減で、ミスも多い。

でも 大抵は許されて、可愛がられもする。

俺も『ちょっと これ見てよ』と言われて、何度か手助けした事がある。


『... ん?』


そいつ... 仲谷と、眼が合った。


『んー... 』と 自分の目蓋をこすった そいつは

『気のせいか... 』と、ディスプレイに視線を戻したけど、眼が合ったんだ。

仲谷か... 悪くない。


それからは、ずっと 仲谷を観察した。

仲谷 悠生ゆうせい、28歳。口癖は “イケるだろ”。

休憩中の飲んでいるのは カフェオレ、砂糖無し。

スーツや靴、財布、スマホを見る限り、最新好きで高級嗜好。


観察したけど、ほとんど知ってることばかりだった。よく目に入る奴だったからだろう。

簡単そうだ。


会社を出ると、誰かに電話をしていて

『うん、今 帰り。先に上がっとけよ』と 言っている。


部屋には、女... ウイカが居た。

美人だ... それが 第一印象だった。

『着替えたら、飯 行く?』と言う 仲谷に

『うん。でも 明日は私が作るから』と答え、笑顔を見せた。

両目になってから 初めて、ツイてる と 思った。


その翌日の夜。ウイカを駅まで送り、仲谷は コンビニへ寄っていた。

雑誌をペラペラと開き、棚に戻すと、新製品のカフェオレだけ買って、外に出た。

そして、隣に居る俺に気付き、“ハ?” と口を開けて凝視すると、逃げ出した。足を縺れさせながら。


震える手で ガチャガチャやりながら 部屋の鍵を開け、中に入った 仲谷は、玄関先で しゃがみ込んだが、すぐに立ち上がると、点けられるだけの照明を点けていた。


彼女... ウイカとの 過ごし方も分かった。

早いに越したことはない。


テーブルに 新製品のカフェオレを置いた 仲谷は、テレビも点け、しばらく ぼんやりと画面を見ていた。


スマホが鳴ると 身体をビクつかせたが、電話に出て

『うん、着いたか。... わかった。うん、また来週な。連絡する』と スマホを置くと、少し落ち着いたのか 欠伸を噛み殺し、バスルームへ向かっている。


短いシャワーを終えて、身体を拭いた仲谷が、鏡の前で 髪をワシワシと拭いている時に、仲谷と鏡の間に立った。


先週、ウイカに会わなかったのは、まず会社で 仲谷に成り切る為だった。

観察したはずだったし、仲谷の姿で 仲谷の声であっても、軽く『おはよー』というだけの挨拶を怠っただけで

『どうかした?』『何かあったのか?』と 聞かれる始末だったからだ。


俺の元の身体を乗っ取った奴も 何食わぬ顔で出勤していたが、仲谷が俺とは気付いていない。

あいつも 元の俺に成り切ることに必死なようだった。


悠生ゆうせい


グラスに赤い酒を注いで戻って来た ウイカに

「ん?」と、顔を向ける。

あの時の眼だ。仲谷を寝室に誘った時の...


視線が 足の形に沿ったスカートに落ちた。

結露の水の染みは、もう消えている。


「“誘ってる” とでも、思ったか?」


ウイカの顔に 眼を上げた。

緑がかった琥珀の眼は、さっきまでの ウイカの眼差しとは...


「誰だか知らねぇけど、お前なんかに 初歌ういかをヤラせるくらいなら」


甘ったるい匂いのする 赤い酒を呷った そいつは

「な?」と 嘲笑わらった。


口を開けない俺に

「初歌には、“どこかの御曹司でも乗っ取れ” と 言っておいた。

お前が “悠生おれじゃない” ってことも説明してな」と、手のからのグラスを、俺の前にあるグラスに 軽く当てて置いた。


「いつ... 」


辛うじて聞けたのは それだけだった。

ウイカ... 仲谷は

「ここに来る前だ。初歌の部屋でな。簡単に騙されたな」と笑い、ソファーを立つと

「俺、実は借金あるんだわ。相当の。

じゃあ、あとは よろしくな」と、部屋から出て行った。






********     「パチパチ」了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

パチパチ 桐崎浪漫 @roman2678

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る