レンズが映す世界の話

 目を閉じる。

 暗闇の奥、目蓋の向こうにはぼんやりと光が映っていて、暗闇だと思ったそこはただ光が遮られただけにすぎない。もう一枚の目蓋を閉じる。そうすれば本当の暗闇に近づける。そうしていれば、眠りの波がいつか意識を攫っていく。

「……寝ちゃいましたか?」

 控えめな囁きにそっと目を開く。ぱちりと視線が合う。

 小さく微笑んだ人は、起こしちゃいましたか、と先ほどと同じように囁いた。

「いや、眠っていなかったので」

 大丈夫ですよ、と囁やきかえすように紡いだ言葉の最後の方は外の電車の音にのまれてゆく。静かな部屋で届きあう声が外の音に負けてしまうのがなんだか少し不思議だった。

電車の音、酔っぱらいの笑い声、高いヒールの響く音は遠く微かに。うるさいわけではないけれど、音は絶えることなくどこかから聞こえている。本の文字を追いかけるように画面の向こうで流れてゆく物語を追いかけるように、眠らない街をガラス戸の向こうに見ていた。

「本当に、ここにいるのかわからなくなりますね」

 溢れた独り言に、隣の人が問う。

「どうしてですか」

「みんな、それぞれ生きている、て思うからですかね。自分は今、傍観者だなって思って」

 ガラスに触れれば、置いた指の周りにじわりと白いもやがかかった。

「なるほど……そうですね、自分がいてもいなくても同じ、みたいな」

 手を離せば、白い丸印はすぐになくなる。

「うん」

 消えない光が満ちる窓の向こう、それでも深い紺色に染まる空をチカチカと飛行機が横切ってゆく。あの飛行機に乗っている人からは、自分の存在は見えないし、自分にとってもまたあれは飛行機でしかなくて乗っている人のことなどわかりはしない。意識しなければ人が乗っていることすら忘れてしまいそうだった。

「飛行機、から見ていたら、どこにいて何をしているかはわかりませんね」

 ぽそりと呟いた自分ではない声に、思わず笑う。不思議そうにこちらを見るのが視界の端に映るので、飛行機から視線を外した。

「同じようなことを考えてました」

「……なるほど」

 外の音は変わらず絶え間ないが、それでも少しは静かな部屋に二人分の忍び笑いが良く響く。

「まあでも、飛行機からじゃきっとわかりませんけど、私はわかりますよ、あなたのこと」

 笑いの波が少しひいたのか、目の前の人がそう言った。

「そうか……そうですね」

 うまく言葉を返せずにいれば、ふい、と視線が逸らされて、窓の外へと顔が向く。

「わかりますし知っていますけれど、私も今は傍観者なので」

 黒い瞳に街の燈が映って揺れている。映画のワンシーンみたいだな、と思った。

「うん、でも、君も含めて映画みたい……だな、て」

 えー、とコロコロ笑いながら戻ってくる視線に段々語尾が消えてゆく。

「……ちょっと、今のはなんか、クサかった…」

 耐えきれずに窓の外を見る。こめかみがぎゅう、と熱くなって、多分きっと耳も頬も赤くなっているような気がした。

「……たしかに、映画みたいですね」

 ふ、と柔らかく笑った気配がする。ずっと傍観者、或いは撮影者だと思っていたのに、いつからレンズに映る側になっていたのだろう。今の自分を客観的にみたら、たしかに隣の人の言うことにも否を唱えられずに、ただ勘弁してください、と呟くのが精一杯だった。

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他人行儀な隣のあなた 青原凛 @rin-o

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