第73話 ブデ師団とモニエ師団


 ストラデッラを出て、ボナパルトは進軍を始めた。途中カステッジョで、ドゼは預かったブデ、モニエの二師団を閲兵した。すぐに西進を開始し、モニエ師団をボゲーラ(*1)に、ブデ師団をポンテクローネへ導いた。


 12日早朝、ボナパルトはボゲーラに司令部を置いた。ここにはまだドゼがいて、モニエ将軍及び、エジプトから連れて来た将校らと打ち合わせをしていた。


 朝の10時頃、モニエのテントに、いきなり、ボナパルトが入って来た。


「ドゼ将軍。俺に、軍の閲兵を見せてくれ」


 その場にいた諸将は、互いに素早くアイコンタクトを交わした。返事をしたのはドゼだった。


「それなら、モニエ将軍に。師団は直接、将軍の指揮下に置き、私の部下に補佐を命じたところです」


 ドゼ自身はこれから、ポンテクローネのブデ師団へ向かうという。


「いや。君の指揮でないとだめだ」


 ボナパルトは言い張った。

 困ったような、すまなそうな、何ともいえない眼差しを、ドゼはモニエに送った。


「構いませんよ、ドゼ将軍。ボナパルト総司令官の御下命で私は今、貴方の麾下にいるのですから」


 にこやかにモニエが応じる。彼が本気で、ドゼの下に甘んじているのがわかる口調だった。ボナパルトはむっとした。


「来い」

ドゼを伴い、急ごしらえの練兵場へ向かった。





 オーストリア軍から派遣されてきた将校は、手持無沙汰だった。彼は、フランス軍との捕虜交換の打診に来たのだ。


 捕虜の扱いは過酷だ。日もろくに射さない南京虫だらけの湿気った牢獄に押し込まれ、食事も満足に与えられない。若いフランス司令官達と違い、オーストリア人の将軍は年配者が多かった。捕虜生活が、命に関わる場合が多い。幸い、オーストリア軍は、フランスの将校を何人か捕虜にしていた。彼らを解放する代わりに、オーストリアの将校を返して貰うよう、打診にきたのだ。


 とはいえ、彼は自分がスパイだと疑われている気配を感じていた。だから、テントに入れて貰えず、こんな何にもない原っぱに置き去りにされているのだ。


 不意に、軍楽隊の楽の音が鳴り響いた。オーストリアの勇壮な楽曲と違い、フランスの軍歌は、どこか物悲しく、郷愁を誘う。


 軍馬に跨った男が、軍の先頭に出て来た。指揮官だろうか? それにしては、私服姿だ。


 通眼鏡を取り出し、オーストリア将校は片目に当てた。自分はスパイではない。だが、命がけで敵陣まで来たのだ。得られる情報は分捕っていくべきだ。

 丸いレンズの向こうに、黒っぽい髪の男が見えた。まっすぐ後ろに伸ばした髪を無造作に束ねている。振り返った両頬には、髭で隠そうとしているが、ひどい傷跡があった、


「……ドゼ将軍」


 オーストリア将校は、かつてライン河方面で戦っていた。ドゼは、その時の敵方の指揮官だった。若く勇猛で、オーストリア元帥からも一目置かれていた。

 墺仏の休戦協定には、たいがい彼が、全権大使として出席した。ケールでフランスが負けた時、要塞撤退まで一晩の猶予を貰った彼は、武器、弾薬から馬車、食料に至るまですべてを持ち出し、翌朝乗り込んだラトゥールオーストリアの元帥を唖然とさせたものだ。しかも夜を徹しての引っ越し作業には、フランスにとって敵方であったはずの付近の村の人々までもが手伝いに来たという。(*2)


 ……なぜここにドゼ将軍が?


 オーストリア将校は激しく混乱した。

 ドゼはまだ、エジプトに残っていると思っていた。きこくの際、ボナパルトが連れて来たメンツの中に、ドゼの名は伝わっていなかった。それはいかにも彼らしいことだ。あの清廉なドゼが、軍事クーデターなどに賛同するはずがない。


 オーストリア将校はまた、地中海を封鎖しているイギリスは、フランス精鋭軍の帰国を許さないと信じていた。イギリスは、オーストリアの同盟国だからだ。したがって、ボナパルトがエジプトに置き去りにした軍は、今でもカイロ辺りに取り残されているはずだ。


 「どうかね。スパイ君ムッシュ・エスピヨン


 背後から声を掛けられ、将校は飛び上がった。

 腹部を突き出し、手を後ろで組み、ボナパルトが立っていた。彼はひどく得意げだった。


「ドゼはエジプトから帰って来た。私が命じれば、彼は万難を排してもやってくる。ドイツで、君らはさんざん、ドゼに叩かれたのではなかったか。せいぜい気を付けるよう、上層部に伝えるがよい」


 小気味よさそうにボナパルトは全身を揺すって笑った。






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*1 ボゲーラ

6月9日に、ランヌ軍がカステッジョの丘モンテベッロで打ち破ったオットオーストリア軍は、ここボゲーラ方面に逃げ込みました。フランス軍の進軍に鑑み、オット軍の残党は、早いうちにボゲーラを捨てたようです



*2 ケール撤退

「負けないダヴーの作り方」で描いています

https://kakuyomu.jp/works/16816452218559266837


がっつり史実ver.はこちら

https://novel.daysneo.com/works/episode/527a8e52f9be8bb13c094ea1376dd50a.html


また、96年の戦いでドゼが太股を狙撃され負傷した時には、オーストリアのラトゥール元帥とローゼンバーグ将軍かストラスブールのドゼの元まで見舞いにきています。

https://novel.daysneo.com/sp/works/episode/34fcf09c84d6587f8d1137acbd4ea9d8.html




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※ ストラデッラを出てからの足取りを、「近況ノート」にアップしました

https://kakuyomu.jp/users/serimomo/news/16817330661121134880






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