3.イタリア
第25話 サン=シルの停職 1
軍の訓練が終わり帰宅の途中、ジャンは、河原でスケッチをしているサン=シルを見かけた。
「写生ですか?」
ローマ軍司令官に近寄り、声を掛けた。座っている肩越しに、絵を覗き込む。
「すごい。本物そっくりじゃないですか」
水鳥の絵だった。羽の向きから冠毛のそよぎ具合まで、まるで生きて動いているように見える。
「ふん」
サン=シルも、まんざらでもなさそうだ。
「これでも昔、絵を学んでいたのだ。キュスティーヌ将軍に取り立てて貰ったのも、絵がきっかけだった(*1)」
「キュスティーヌ将軍……」
かつてのライン軍の将軍だ。
「そこで、ドゼ将軍と出会ったんですか?」
ライン軍にいた頃、サン=シルは、ドゼと親友同士だったという。カフェで一緒の二人を、ジャンも見たことがある。
「ドゼか」
途端に彼は、苦々し気な口調になった。
「あいつ、ボナパルトの下になんぞくだりやがって。その上、レイニエ将軍やダヴーまでエジプトに連れて行って。あまつさえ、この俺まで誘いやがった。速攻、断ってやったが」
「断ったんですか」
ドゼとサン=シルは、親友同士ではなかったのか? ジャンは目を白黒させた。
「ああ、断ったとも。あいつの誘いに乗ると、ろくなことがないからな!」
「でも、レイニエ将軍は断らなかったんでしょ? ダヴーって人も」
「レイニエ将軍は仕方なかったんだ。ダヴーはドゼの腰巾着だから」
「……仕方ないとは?」
腰巾着の意味はわからなかったから、とりあえず、「仕方ない」の理由が知りたかった。
「去年の秋から、レイニエ将軍は免職中だったから。ドゼと同じく」
「えっ! ドゼ将軍って、軍をクビになってたんですか!?」
去年の秋と言ったら、ドゼがボナパルトに会いに来た直後だ。あの後、あの冴えない将軍は免職になったのか?
クビという言葉が気に入らなかったのか、サン=シルはむっとしたような顔になった。
「公平に言って、ドゼとレイニエ将軍は巻き込まれただけだ。春の戦いで二人の上官だったモローは、王党派のスパイを捕まえ、文書を押収したのだが、その件を、政府に報告するのを怠った。モローのやつ、ぎりぎりまで日和っていたが、ついに政府に、王党派から押収した文書を提出した。その際、自分の部下のドゼとレイニエもスパイの件を知っている、とぬかしやがってな」
モローは、当時のライン・モーゼル軍の総司令官だ。
重要文書の提出が遅れた件で、モローは職を解かれた。そのあおりを食って、ドゼとレイニエも免職になったという。
「もちろん、冤罪が証明されて、ドゼはすぐに復職した」
モローが王党派のスパイを捕まえた戦いが始まってすぐ、ドゼは太ももを銃撃され、戦線離脱を余儀なくされている。確かに、スパイどころの騒ぎではなかったろう。
「同時にドゼは、ドイツ軍右翼の司令官に任命されたんだ。それなのに、それを振り切ってボナパルトの下に行きおって」
ドイツ軍右翼とは、旧ライン・モーゼル軍のことだ。つまりドゼは、モローの後任に指名されたわけだ。そんな名誉な職を振り切ってまで、ドゼはボナパルトの下に下ったということになる。ドゼがボナパルトと結んだ友情は特別だったのだと、ジャンは感心した。
「しかも、パリまでの旅費を俺から借りて行きやがったんだぞ!」
当時、ボナパルトの対英軍はパリに司令部を構えていた。ライン河畔からそこへ行く旅費さえ、ドゼにはなかったという。
それは彼が蓄財していなかったことの証だと、ジャンは感動さえ覚えた。賄賂や略奪を許さないドゼは、軍からの給料が滞り、きっとぎりぎりの生活をしていたに違いない。(*2)
「おかげで俺のところにお鉢が回ってきやがった。旧ライン・モーゼル軍の司令官などというやっかいなものが、よ!」
ぎりぎりとサン=シルは歯ぎしりした。凄い形相だ。
「なんでそんなに、旧ライン・モーゼル軍の司令官になるのがいやなんですか? ライン軍といったら、由緒ある軍で、その総司令官は、昔から錚々たる将軍たちが名を連ねているというのに」
思わずジャンが問うと、サン=シルは目を剥いた。
「名誉あるだぁ? 歴代総司令官の多くが、ギロチンに処されたんだぞ」
「あ……」
確かにその通りだ。ライン軍総司令官は、貴族出身者が多い。総司令官に限らず、元貴族の将校は、まるで狙い撃ちのように、ありもしない容疑をでっちあげられ、処刑されていった。
サン=シルが吐き捨てる
「俺は、ドゼのように貴族じゃない。だが、ライン軍は、とにかく勝てないんだ。負ければそれは総司令官の責任だ。軍の士気を下げたとかいわれ、どのみち、ひどい目に合うのは、この俺なんだ! ドゼが俺に、
「ご愁傷さまです……」
あまりの剣幕に、ジャンは、哀悼の言葉を口にせざるをえなかった。ふん、と、サン=シルが鼻を鳴らす。
「ま、すぐにローマに転任になれたがね。君らが反乱をおこしてくれたおかげで」
去年から続く、旧イタリア軍と旧ライン方面軍の兵士らの衝突だ。
「お役に立てて何よりです」
当時を思い出し、ジャンは冷や汗をかいた。アンリに責められながら、彼もまた、細やかな略奪に精を出していた……。
サン=シルは、まだ言い足りないようだった。
「おまけにドゼの奴、レイニエ将軍とダヴーまで連れて行っちまいやがった!」
「ドゼ将軍は、貴方も誘ったんでしょ? 彼と一緒に、新天地へと行けばよかったじゃないですか」
「それとこれとは話が別だ! 俺は結婚したばかりだからな! どこへ行くかもわからな場所に、新婚の妻を置いて行けるものか!」
エジプト遠征に限っては、サン=シルは、ジャンと同じ考えのようだ。新婚かどうかはさておき、行先もわからずに船に乗るなんて、正気の沙汰じゃないと、ジャンも思う。
「ドゼ将軍は、人の上に立つのがお嫌いなんですか?」
「ドゼは名声を求めない。名誉ある職を断ったのは、これが初めてではない」
画板を持って、サン=シルは立ち上がった。尻の埃をぱんぱんと払う。
無法地帯のイタリアにおいて、サン=シルもまた、決して賄賂を受け取らない。略奪をしないし、部下にも許さない。
ドゼと同じように。
再び暗い目になって、彼はつぶやく。
「ドゼやレイニエだけじゃなく、クレベール将軍までエジプトへ行っちまったというじゃないか。ベルナドットはパリへ行ったままだし、オッシュは死んだ。モローはいずれ復職するだろうが、もう彼くらいしか、めぼしい司令官がいない……」(*3)
嫌な予感がするのは、ジャンも同じだった。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
*1
サン=シルは、キュスティーヌ将軍に対し、ひときわ反抗的な部隊にいました。ある日、この部隊の制服を着た兵士(サン=シル)が、駐屯地付近の絵を描いているのを見て、キュスティーヌがつるし上げたのが、二人が出会ったきっかけです。
サン=シルのスケッチがあまりに正確なので、キュスティーヌは彼を取り立て、サン=シルも上官の期待に応えました。
*2
この時期のドゼの貧乏については、「負けないダヴーの作り方」に私の推測をフィクションにしてあります
https://kakuyomu.jp/works/16816452218559266837
*3
諸将については、ブログにご紹介があります
【レイニエ】
https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-143.html
【クレベール(6月1日~6月9日公開予定)】
https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-273.html
【ベルナドット】
https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-96.html
↓ 1章「衝突」で、ともにボナパルトの下に配属になったデルマ将軍とのその後についてです
https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-267.html
【オッシュ】
https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-140.html
↓ オッシュの死について(5月13日~18日公開予定です)
https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-258.html ~
※「負けないダヴーの作り方」に「オッシュ将軍とクーデター」の章がございます
https://kakuyomu.jp/works/16816452218559266837
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