対英軍

第6話 西海岸の視察


 議会における王党派の増加は、目に余るものがあった。総裁バラスはボナパルトに、政府の剣となり、王党派を追い出すことを要請した。


 はじめ、この役割はオッシュ将軍のものだった。戦争大臣にまで昇格した彼は、しかし突然、病死してしまう。


 バラスのボナパルトへの出動要請は激しくなる一方だった。ボナパルトは自ら出向くことはせず、オージュローを差し向けた。オージュローはクーデターを起こし、王党派の一掃に成功した。拘束され、流罪になった議員の中には、かつてライン軍の総司令官を務めたピシュグリュも含まれていた。(*1)



 1797年十1月。満を持してパリへ凱旋したボナパルトは対英軍を創設、第二指揮権をドゼに留保した。

 クーデターで議会から王党派を追い出し、軍は再編されたばかりだった。ドゼは、任命されたばかりのライン軍総司令官の地位を返上し、ボナパルトの下に下った。(*2)



 対英軍の司令部はパリに置かれ、たが、ボナパルトは殆どパリにいなかった。

 あちこちの港や兵站に視察に出かけた。


 近く、フランス軍が大規模な遠征に出かけるという噂が広がっていた。視察には、船や物資の確保の他、フランス軍の遠征先がエジプトではなくイギリス本土であると誤認させるという目的もあった。今、ドーヴァーの向こうのロンドンでは恐慌が広がっているという。


 「どうして君は、そんなにいつも楽しげなのだ?」


 ブレストへ視察に出た折、思い切ってボナパルトは尋ねた。ドゼを引き抜いたのはいいが、彼は自分の元居た軍の指揮権を授けられたばかりだった。それを諦め、自分の下に下った……。


 去年の夏、確かにドゼは、エジプト遠征に前のめりだった。だが、ボナパルトの下に下ること、即ち、二番手に成り下がることは、果たして彼の本意だったろうか。


 自分なら絶対に嫌だとボナパルトは思う。ドゼがそうした気持ちを抱いているなら、彼の遠征参加は取り止めるべきだ。


 だが、ドゼの目は輝いていた。


「少年の頃、私は海軍志望だったのです。いえ、本当は騎兵志望だったのですが……」


 家が貧しく、騎兵にはなれなかったという。馬は金がかかるからだ。


「偶然だな。俺も海軍志望だった」

ボナパルトが答える。貧乏貴族出身なのは、彼も同じだ。


「パリの士官学校卒業の年に、海軍の募集がなく、次善の策として、砲兵になったのだ」

「砲兵になる試験には、優秀な成績でパスされたと伺いました」


 ボナパルトは無言で肯定した。


「君はどうなのだ、ドゼ。君はなぜ、海軍将校にならなかったのか」

「私の場合は、エフィアの軍事学校を出た後、海軍養成学校へ進むことができなかったのです。数学の点が足りなくて」


 悪びれもせず、ドゼは答えた。思わずボナパルトは笑ってしまった。


「失礼。君はなんでも、繕うことなく口にするな」

「事実ですから」


 格別恥ずかしく思っている風でもなさそうだ。


「大人になって、少年の日の夢が叶うなんて。私は、嬉しくて仕方がありません。全ては貴方のおかげです、ボナパルト将軍」

「まあ、そういうことになるかな」


 まっすぐな感謝を示され、ボナパルトは照れ臭かった。


「俺は、気になっていたのだ。つまりドゼ、君は、一番になりたかったのではないか?」

「一番?」


とんでもないとでもいうように、ドゼは顔の前で手を振った。


「私は、特別な指揮権を持ちたくありませんし、独立した部隊を形成したくもありません。私は、ボナパルト将軍、貴方の下に入れて光栄です」


 なんと応じていいのかわからなかった。人前では決して認めないが、ドゼは明らかにボナパルトより格上だ。軍歴、昇進、そして人柄においても。


 その将軍がここまで自分を信頼し、忠誠を誓ってくれた事実に、ボナパルトの胸は熱くなった。

 彼は、得意の絶頂だった。



 「おい、ドゼ」


 後ろからクレベール(*3)が追いついてきた。アルザス生まれの彼は、軍に入る前は建築家だった。ひょんなことからオーストリア軍に入り、革命の理念に賛同して、フランスへ帰ってきた過去がある。

 45歳になる彼もまた、エジプト遠征に参加することになっている。


 クレベールは、軽くボナパルトに黙礼してから、ドゼに話しかけた。


「貴婦人のサロンに誘われている。パリに帰ったら君も来るか?」

「実は、オーヴェルニュから母が来ています。残念ですが、行けそうにありません」


年下の戦友の返事に、クレベールは眉を上げてみせた。


「前も君は、伯爵夫人の音楽会を断ったじゃないか。君の宿にいるのは、本当に母上か?」

「長期滞在してるんですよ。母は、俺の世話を焼いてくれてます」


 パリでドゼは、公的な集まりの他は殆ど顔を出さず、引き籠って暮らしていた。女がいるのではと、クレベールは推測している。そこで、重ねて尋ねた。


「母上の勘当は解けたのか」


 兄弟親族のように王について亡命せず、一人だけ国に残った息子ドゼを、母は許さなかったと聞いている。


「解けたも何も。母の方から、俺に会いに来てくれたんです」


 飄々と答えるドゼは、どこか安堵の雰囲気を漂わせていた。なるほどと、クレベールは頷いた。


「君は、去年と一昨年の戦闘で活躍したからな」

「いいえ、違います。俺がボナパルト将軍の軍に入ったからですよ」


 ドゼが言い、クレベールは、危うく鼻を鳴らすところだった。肝心のボナパルトは、素知らぬ顔で、空を見上げている。

 クレベールは諦めきれない。


「けど、君だって女の子が大好きだろ? 怪我をして、ストラスブールで寝込んでいる間、若い女の子たちに囲まれて脂下がっていたじゃないか。今度はストラスブールどころじゃない。パリだぜ? パリの貴婦人のサロンだ」

「脂下がってたわけじゃない。まるでタンタロスの気分でしたよ」

ドゼが口を尖らせる。

「タンタロス?」(*4)


 「で、誰のサロンに誘われてるんだ?」

 煙に巻かれ、きょとんとするクレベールに、ボナパルトが尋ねた。クレベールはぴしりと直立した。

「スタール夫人です」

「彼女はやめとけ」

間髪入れず、ボナパルトが言い放つ。


「なぜです?」

クレベールは不満気だ。


「あの女、俺に妻がいると知りながら、迫ってきやがった。なんでも、二人の天才が結ばれることは、フランスの国益に合致するんだと」


 ドゼとクレベールは顔を見合わせた。


「彼女ほど厚かましい女はいないと、外務大臣タレーランもこぼしていた」

「なるほど」


 ようやくクレベールは口にした。ドゼは黙っている。


「ところでドゼ、パリへ帰ったら、俺のところへ来ないか? 来週、オルタンスがカンパン夫人の寄宿舎から帰ってくるんだ」


 15歳になるオルタンスには、そろそろ相手を見つけてやらなければならない。自分より有能な将軍を末永く取り込む為なら、ボナパルトはなんだってやるつもりだった。


「オルタンス嬢って、奥様の連れ子ですか? ボナパルト将軍の奥様は、年上の美人だと伺いました」


 クレベールがすり寄ってくる。ところが、肝心のドゼは、微妙に目をそらしてしまった。


「申し訳ないです。来週は、母と一緒に、郊外の伯母の別荘へ行く予定なんです。長いこと、ほったらかしにしてきましたから、今のうちに、少しでも孝行をしたいんです」

「確かにエジプトへ行ったら、いつ帰れるかわからないものな。帰れるかどうかもな」


 訳知り顔で頷くクレベールを、ボナパルトは睨みつけた。スパイを気にして、エジプトの名を口にすることは、固く禁じていたのだ。


「ここには誰もいやしませんよ」

クレベールは肩を竦めた。


「伯母は、母の兄の未亡人で、パリに住んでいるんです。昔から母とは仲が良く、彼女を訪ねることを、母はとても楽しみにしているものですから」


 聞かれてもいないのに、さらにドゼが弁解を重ねている。


「母上と伯母上なら仕方がないな。特に母上には孝養を尽くさねばならない」


 父の死んだあと、さんざん苦労してきた自分の母親を思い浮かべ、ボナパルトは頷いた。





 「せっかく総司令官殿の家に招かれたのに断るなんて」

 せかせかとボナパルトが立ち去ると、クレベールが非難した。

「俺は、有名なジョゼフィーヌに会ってみたかったぞ」


 不満そうなクレベールにドゼは肩を竦めて見せた。


「俺は去年、イタリアへ行った時に会いました。口の形と歯並びの悪い女性でしたよ。でも、夫には随分と愛されているようでした」


 最後の一言は、不満そうに聞こえないこともない。まるで、問題の女性にやきもちを焼いているようだとクレベールは思った。


 「そんなことより、クレベール将軍。貴方はいつ、ボナパルト将軍の下に下る決意をしたんです?」

不意にドゼが問うた。


 ドゼのライン軍とクレベールのいたサンブル=エ=ムーズ軍は、隣り合って活動することが多かった。ドゼはライン軍から仲の良い将校に声を掛けてパリへ連れて来たが、所属の違うクレベールには声を掛けていない。


 クレベールの目が泳いだ。


「軍の再編があって、新司令官のオッシュとソリが合わなかったからパリへ来たのだ。そしたら、対英軍が人を集めていた」

「うん、それは知ってる。なら、こう聞きましょう。どうして貴方は、マルソー将軍の墓を、ピラミッド型にしたのですか?」


 96年の戦いで、クレベールの戦友マルソー(*5)が戦死した。建築家でもあるクレベールは、一六歳年下の友人の墓を設計した。そして戦争が終わり、墓が完成してから、パリへ出てきている。


「ピラミッド? 何のことだ?」

「マルソー将軍の墓の形ですよ」

「三角錐にしたんだ」

「知ってたんでしょ? エジプトには、巨大な三角錐がある」

「……」


しばらくの沈黙の後、クレベールは深いため息をついた。


「ルクレール将軍から聞いた。ボナパルト将軍が征服したイタリアの向こうには、広大な大陸があるって。そこには、巨大なモニュメントがあるという」


 ナポレオンの義弟ルクレールは、ライン軍に停戦を知らせた後、サンブル=エ=ムーズ軍にも表敬訪問に訪れたのだと、クレベールは言った。


「俺はマルソーを、この大陸から連れ出してやりたかったんだ」

目を伏せ、ぼそぼそとクレベールはつぶやいた。

「どこでもいい。やつが死んだこの大陸以外だったら。マルソーはまだ、たったの26歳だった。許嫁だっていた。それなのに殺されてしまった。だからせめて墓にだけでも、異国の風を吹かせたかった」


「貴方は議員に推されたと聞きました」

「戦場で大勢の人間を殺してきた俺に、政治などできるものか。利用され、遠方に流罪になるのがオチだ。ピシュグリュのようにな。それか、オッシュのように暗殺されるか」


「しっ!」

 ドゼは唇の前に指を立てた。声を潜めて続けた。

「だから、ボナパルト将軍の下に入ったと?」


「彼は巻き込まれなかった。イタリアに留まり、バラスの要請を躱した」


 薄っすらとした笑みを、ドゼは浮かべた。クレベールは眉を顰める。


「お前こそ、なぜエジプトへ行くんだ? 既に、充分な名声を手に入れたじゃないか」

「充分な名声を手に入れるなんて、できはしませんよ。俺が欲しいのは栄光です。いつだって最大の危険に身をさらし、新たな栄光を手に入れたい。その為には、既に手に入れた栄光を危険にさらすことを躊躇わない。それが俺の野心です」


 クレベールは、わけがわからないという顔をした。


「俺にはお前が、栄光の名の下に、何かを覆い隠しているような気がしてならない。お前は一体、何の……誰の為に、自らを高めようとしているんだ?」


 ドゼは、答えなかった。








________________


* オージュローのクーデター

フリュクティドールのクーデター

https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-261.html



*2 任命されたばかりのライン(・モーゼル)軍総司令官

実はドゼは、同僚のレイニエと共に、このクーデターで一度、罷免されています。


ドゼの方はすぐに軍籍が復帰し、続いてライン(・モーゼル)軍の総司令官という栄誉ある地位が授けられましたが、レイニエはそうはいきませんでした。


ボナパルトの対英軍に移る際、ドゼはレイニエを誘います。


詳細はこちら

https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-269.html



*3 クレベール

https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-273.html



*4 タンタロスの気分

小説「負けないダヴーの作り方」「タンタロスの気分」中に説明がございます

https://kakuyomu.jp/works/16816452218559266837/episodes/16816452219179604936



*マルソー

https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-128.html







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