第3話 幽霊の名前
図書館までの道中、図書館内、親がいる車内、他に人がいるところで青年は約束どおり私と会話することはなかった。代わりにと言ってはなんだが、一人で勝手に喋っては勝手に納得する姿はよく見た。
三人(母から見たら二人)の車内はいつもに増して居心地が悪かった。なにより私にこの幽霊が見えるのだ、母にも見えるのではないかと、初めのうちは緊張で鼓動が速くなっていたほどだ。そんな私の心情などいざ知らず、青年は窓の外を見ては子供のようにはしゃいでいた。その様子にイラっとしたのは言うまでもない。
サイドミラーを眺め不機嫌なオーラをまき散らす私に母が口を開いた。
「今日の学校はどうだったの?」
「別に、普通」
つい出そうになった不満の言葉を飲み込みいつもと同じように答えた。素っ気ない返答しかしないのによく飽きずにいつも同じことを聞くな、と他人事のように思う。
ぼんやりと見ていたサイドミラーの中で間抜けな顔をした彼と視線が交わった。なんだか気まずくて、私はそこから視線を逸らした。
「そう…何か授業で分からないことがあったらそのままにせず、先生にちゃんと質問するのよ」
「うん」
「図書館での勉強は捗った?」
「うん」
私は平然と嘘を
母とのやり取りの中で、私はなんとなく青年の様子が気になり遠くの景色を眺めるふりをしてサイドミラーに映る彼の姿を視界の端で捉えた。青年は目をまん丸くして私が座る助手席を見ていた。彼のそんな顔にチクリと胸が痛んだ。
青年は顔色変えずに吐いた嘘に気が付いている。それもそうだ。私が図書館に居た時間は母親の迎えが来るまでの時間、十分もなかったのだから。勉強するはずだった時間に出会った彼は、当たり前のように嘘を吐く私を見てどう思ったのだろうか。
私の不安など知らない母はいつもと同じ言葉を
「分からないとこはそのままにしちゃ駄目だからね」
「うん」
「今年は受験生なんだからサボっちゃだめよ」
思考を止めて、相槌を打つだけの機械となった私は早く家に着くことだけを願った。でなければこの応酬は続く、いや、これは母と居る限り受験が終わるまで続くのだろう。
耳に胼胝ができるほど聞いたやりとり、私はこの後に続く言葉を知っている。
「良い高校に受かって良い大学に行く、それがあんたの為になるんだから」
「うん」
これを聞かされる度、毎回思う。別に私の為を思わなくて良いのに、と。
私は一言でしか返さないのに、車内に5秒以上の沈黙が流れることはなかった。
青年は私の母親への冷たい態度に戸惑っているようだった。母親が何を言っても態度を全く改めようとしない私のことが嫌になって消えてしまうのではないかとも思ったが、彼は私と母のやり取りを静かに聞いていて、結局、後部座席から消えることはなかった。
家に着いてそそくさと自分の部屋に向かうと、青年は私の後ろを黙ったままついてきた。やっと二人きりの空間になったのに互いに口を開くことはなかった。重苦しい
時間が自室に流れる。それに耐えきれなくなったのは私で、何か話かけようとするも適切な言葉が浮かばずただ口を閉口させるだけで、詰まる所、先に沈黙を破ったのは青年だった。
「言葉を口にしなくても会話が出来たらいいのにね」
予想の斜め上をきた発言に張り詰めていた空気がガラリと変わったように感じた。それと同時に他人の部屋に入って第一声がそれかと体の力が抜けた。
「テレパシーってこと?」
「うん、そう。これ伝えたいなあってことをビビっと脳に直接」
ため息を交じりに問うた私に身振り手振りで一生懸命に伝えようとする青年、そんな彼につい笑みが零れた。
「何それ、すごく煩そうでいや」
確かに幽霊なら口を使わなくても喋れそうではあるよなと考えていると、ふとある疑問が頭に浮かんだ。でもそれを青年の顔をまじまじと見ながら聞く勇気はなくて、目線を少し下げ、自分の手を眺めながら何気ない風を装って尋ねた。
「えっとさ、なんで死んじゃったの?」
「うーん、さあ」
「じゃあ、どうしてあそこに?」
「なんでだろう」
青年の返答に、視界の中できまりが悪そうに動いていた手が止まった。
「……名前は?」
「わかんない」
そう羽よりも軽く答える青年の顔を私がじろりと見据えた。言い難い事を聞いてしまうかもしれないと青年の事を想い少し躊躇していた自分がバカみたいじゃないか。出そうになった溜息を飲み込んで、代わりに棘のある言葉を投げかけた。
「ねえ、質問に答える気ある?」
「いやっ、ほんとにわかんないっていうか、なんも覚えてなくて……
ほら、よくあるじゃん?気が付いたらそこに居た!って、感じで!」
あからさまに機嫌が悪くなった私を見て青年がたじろいだ。そんな彼の様子にガクと肩を落した。
「そんなこと、よくないです。あってたまるか…
じゃあ、なんで成仏してないかもわかんないの?」
「なんでって?」
青年は私の質問に今度はきょとんとした。それを見て私の眉間に皺が寄った。この人は幽霊になってから一度もこういう事を考えてこなかったのだろうか。
「だって何か心残りがあるから幽霊やってるんでしょ?」
「ふふ、幽霊やってるって」
見当違いなところで楽しそうに笑う青年に、この人はきっと生前からのんきな性格だったのだろうと思う事にした。私は今日何度目になるかわからない溜息を吐いた。
「で、どうなの?」
「うーん」
青年は頭を傾げて悩み始めた。きっとまたわからない、覚えていないというのだろう。覚えていることが少ないのなら今答えられることを聞こうと思い、質問を変えた。
「じゃあ、成仏したい?」
青年は少しの間を開けて、それから私の瞳をまっすぐに見た。
「それは、僕が死んでるのなら
一生このままってわけにもいかないし…って一生はもう終わってるのか」
「のんきだね」
青年は真剣でどこか思いつめたような表情を浮かべたが、それも一瞬のことですぐにふにゃりとした顔に戻った。
一瞬のことではあったが垣間見えた彼の大人な顔に私の胸は高鳴った。そんな気恥ずかしさを誤魔化すように言葉を発した。
「とりあえず名前、どうしようか」
「名前?」
「このままじゃなんて呼んだらいいかわかんないし」
小首を傾げていた青年はのんきに笑った。
「別に幽霊のままでいいよ?」
私はそのまんまじゃん、と顔を顰めた。
「幽霊って呼んでるとこをもし誰かに聞かれたら、私やばいやつって思われるんだけど」
「それもそっか」
「うーん、とりあえず……幽霊だしユウ、で良い?」
私も大概そのままだ。
ユウ、と私が発した瞬間、青年は何故か目を丸くした。それから今まで一番良い笑顔を浮かべるとこくりと頷いた。
「うん、ユウで良い。ユウが良い。なんかこう、しっくりきた」
はしゃぐユウは幼く見えて、改めて小学生みたいな人だと笑った。
「じゃあさ、ユウ、何か覚えてることとかないの?」
「覚えてること、か」
ユウはうーん、と頭を悩ませた。そして暫くして何かを思い出したようでハッと顔を上げ私を見つめた。
「ひとつだけ」
「なに?」
「好きだった、女の子。その子の顔だけは覚えてる、みたい。」
そう口にするユウはひどく優しい顔をしていて、聞かなくてもその女の子が大切な人なのだと分かった。その事実に胸がぎゅっと苦しくなったが、ユウの表情も私の気持ちにも気づかない振りをして笑い飛ばした。
「何それ、ロマンチックってやつ?」
「ははは、ごめんね。何か思いだしたら話すね」
何も覚えていないユウが唯一覚えていた大切な記憶を軽くあしらったにも関わらず、ユウは優しく私に笑いかけた。そんな彼に、笑い飛ばしたはずの気持ちが戻って来て、今度は胸の痛みを訴えはじめた。
私はばつが悪くなって彼から視線を逸らして部屋の絨毯を眺めた。
「あ、そういえば僕も君の名前を聞いてなかった」
「あぁー…確かにそうだね。私は
「咲ちゃんね!よろしく」
自嘲気味に笑う私の名前をさらっと呼ぶユウに、嬉しさと苦しさで胸が締め付けられた。きっとあの女の子のこともこういう風に、いやもっと優しく、私になんか向けることのない笑顔で呼んで接していたのだろうな、とそう考えてしまった。
死んでも尚、彼に想われている女の子がずるい――そんな自分の醜い思いが嫌で心の底に詰め込んで蓋をした。何も無かったかのように話を変えた。
「幽霊と暮らすなんて初めてだ」
「僕も幽霊なるなんて初めてだよ」
「普通は幽霊になんてならないでしょ」
「はは、それを言ったら普通幽霊とは暮らさないでしょ」
くだらないやりとりが出来ることに安心した。自ら子供ですと叫ぶような醜い嫉妬心を彼に見せたくなくて抑えた気持ちに油断していた。
「それはユウが勝手に、もういいや」
「ごめんね、ありがとう」
勝手に着いてきた、そう言おうとしてしまった口を止めて拗ねたふりをしてみたが、ユウは言葉の続きに気が付いたらしく眉を下げて笑っていた。
そんな顔が年相応に見えて彼に悲しい顔をさせてしまったというのに、私はその顔に見惚れてしまった。
君に触れる 蒼夜 @Roy_Yoru
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